※井川さんとてんかず(井川さんの詳細がわかる前に書いてます)






 強張った顔をしている天馬くんを見るのは、随分と久しぶりのような気がした。最近ではこんな風に、動揺をはっきりと悟らせることはほとんどなかった。小学生の頃なんて、私生活ではすぐに感情を顔に出していたのだけれど。私は、中庭に立ち尽くす天馬くんを何だか感慨深い気持ちで見つめながら、ゆっくりと口を開く。
「すみません。こちらをお忘れになっていたので届けに来たのですが」
 言いながら取り出すのは、車に置き忘れていた紙袋だ。形状や重さから書籍の類だろうと察せられた。いつものように天馬くんを学校からMANKAI寮へ送り、さて戻ろうかという所でこの忘れものに気づいた。車から降りて寮へ向かえば、天馬くんは中庭にいると教えてもらったので、その通りに進んで見知った姿を見つけたのだ。
「申し訳ありません。他意はなかったのです」
 強張ったままの天馬くんに思わず頭を下げたのは、自分自身の間の悪さを理解しているからだ。天馬くんはぎゅっと眉を寄せた。私は言葉を続ける。
「あの、天馬くんのキスシーンを見ようとして見たわけではなくて」
 教えられた通り中庭にやって来た私は天馬くんを見つけたけれど、そこにいたのは一人ではなかった。天馬くんがとても大事にしている夏組メンバーの一人、三好さんがいたのだ。何か重要な話でもしているなら立ち去った方がいいだろうか。思って様子をうかがっていると、何だか二人の距離が随分近い。仲が良いのだろうな、素晴らしいことだ、と思いつつこの空気は何か別の名前がついていたような――と思ったのも束の間、一瞬で事態を理解した。中庭の隅で手を取り合った二人は、慈しむように唇を重ね合わせたのだから。
「不可抗力と申しますか、本当に他意はなかったのです」
 ここは、はっきりと主張しておかなければなるまい。キスシーンの撮影なら何度だって経験があるのは知っているけれど、私生活における恋人とのキスシーンを他人に見せたいかと言えばそんなことはない。むしろ、出来得る限り隠しておきたいと思っているであろうことは、長い付き合いだからこそ理解しているつもりだ。
「申し訳ありません。よりによって私に目撃されるなど、天馬くんも一層恥ずかしいとは思うのですが――いかんせんこればかりはタイミングの問題と申しますか、私の力の及ぶことではなく……」
 二人のキスシーンを目撃した私は思わず立ち尽くしていた。その間に、三好さんは何かを思い出したのか寮へと帰っていき(幸いにも、私がいるのとは正反対の方角だった)、天馬くんもどこかへ向かおうとしたのだろう。くるり、と振り返るのと同時に、棒立ちになっている私を見つけたのだ。
「なるべく忘れるようにしますので、どうか気を落とさずに……!」
 天馬くんのことだ。恋人との仲睦まじい様子を目撃されていたなどということは、耐え難い事態に違いない。私とて、天馬くんにそんな思いをさせてしまうなんてまったく本意ではないのだ。
「恋人同士で仲が良いのは素晴らしいことですし、おかしなことではありませんからね」
 必死で言い募るのは、天馬くんがこれ以上気に病むことがないようにと願ってのことだ。そうだ。恋人同士のキスシーンなんて、それこそ天馬くんにとっては身近な事態ではないか。何度だってそんなシーンには(ドラマや映画の中で)遭遇している。おかしくはないし、恋人なら当然のことだ。うっかり目撃されてしまったのは運が悪かっただけで、行為自体は至って一般的だ。おかしい所はない。切々とそんなことを述べると、天馬くんの空気が少し変わった。多少の効果はあっただろうか、と思っていると、名前を呼ばれた。
「――井川」
 発せられた名前は強い響きをしていた。それでも、いつもの様子と少し違って聞こえた。強さの奥に、何か別のものを秘めているような。わずかに揺らぐものを抱えているような、そんな声にも聞こえた。私は「はい」と返事をして、天馬くんを見つめる。小さな時から見てきた、たった一人の少年をじっと見つめる。天馬くんは、ゆっくりと言った。
「反対しないのか」
 すっと切り込むような言葉だった。喉元に刃を当てるような、危うさと覚悟を孕んだ言葉に、私は思わず目をしばたたかせる。天馬くんは一瞬の空白さえ逃すまいとするように、さらに言葉を重ねる。
「オレは一成――三好一成と恋人同士なんだぞ」
 真っ直ぐと届けられた言葉だった。何一つ隠すこともなく、誤魔化すこともなく。MANKAIカンパニーで共に過ごす、たった一人の青年が恋人なのだと、はっきりと告げる。どんな打算も計算もない、心をそのまま取り出したような言葉は、皇天馬が発するにふさわしい。ああ、天馬くんはどんな時も天馬くんなのだな、と思った私はついつい笑顔になってしまう。天馬くんが不審そうな顔をするので「すみません」と謝ってから、口を開く。
「そうですね。今後のことを考えますと、やはりしばらくは、恋人の存在は隠していただけるとありがたいとは思います」
 天下の皇天馬に恋人が発覚すれば、大騒ぎになることは目に見えている。今後の天馬くんの活動にも影響を及ぼすことは明白だからこそ、慎重に事態を進めなければならない。この辺りは三好さんの協力も仰ぐ必要があるかもしれない。恋人としては色々と我慢してもらうことになるのだろうから。心の中ですべきことを算段していると、天馬くんが言った。声の調子がわずかに弱くなって、何だか少し心細そうな様子だった。
「それだけか、井川」
 真っ直ぐと私を見る天馬くんの目。小さな頃から何一つ変わらない。アメジストをはめ込んだような、美しい瞳で、天馬くんはいつも私を見ていた。無茶なことも言われたし、時々突拍子もないこともしてくれたけれど、誰よりも強いプロ意識と、役者としてのプライドを持っていた。小さな体にたくさんの情熱を詰め込み、努力を苦とも思わず成し遂げ、そうしてここまで歩いてきた。皇天馬という人間を、幸運にも私はよく知っている。だから、答えなんて一つしかなかった。
「それだけですよ」
 はっきりと言った。今後のことを考えての行動は肝要だし、そのためには恋人の存在を隠してもらう必要はある。だけれど、言うなればそれさえ気をつけてもらえれば充分なのだ。天馬くんは私の言葉に、眉を寄せた。怪訝そうな顔ではなかった。苦しそうな、あえぐような顔だった。何を言おうとしているのか、たぶん私は知っていた。だからその前に口を開く。
「男同士でも、ですよ」
 丁寧に告げる。天馬くんにきちんと届くように、寸分違わず伝わるように。何一つ取りこぼすことなく、天馬くんに受け取ってもらえるように。
 恐らく、天馬くんが反対されるかと聞いたのはきっと、芸能人としての側面半分、男同士であるからこそが半分だったのだと思う。決して簡単に行く恋ではないと、天馬くんが理解しないわけはないのだから。そんな聡明さも天馬くんの長所の一つだな、とは思うけれど、そんな心配は要らないのだと言いたかった。だって、言いたいことなんて一つしかないのだから。思った所で、ふと気づく。
「――ああ、そうだ。天馬くん」
 大事なことを失念していたことを思い出したのだ。私は、忘れていました、と言いながら改めて天馬くんに向き直る。小さな少年は、随分と大きくなった。あどけなかった顔立ちは精悍になり、健やかに成長した。傍でずっと見守ることが出来たのは、私の人生における最上の幸運だ。とても近い位置で、少年が青年となっていく様を、しなやかな軌跡を見ていくことが出来るのだから。私は真っ直ぐと天馬くんを見つめて、口を開いた。
「おめでとうございます」
 深々と頭を下げ、心からの祝いの言葉を述べる。本当なら真っ先に言えばよかったのだけれど、私も動揺していたのだろう。成長を見守っていた少年のキスシーンは、まったくもって予想外だったのだ。やはり、私にとって天馬くんはまだ小さな子どもの感覚なのかもしれない。そんなことを言ったらきっと怒られるだろう。思いつつ顔を上げると、天馬くんが驚いたような顔をしていた。
「天馬くん?」
 思わず名前を呼んでしまった。そんなに突拍子もないことを言ったつもりはなかったのだけれど、何かおかしかっただろうか。
「すみません。気を悪くされたでしょうか」
 いちいち「おめでとう」と言うなんて、迷惑な行為だったろうか。天馬くんにとってはあり得ないことだと思われていたなら謝らねば、という気持ちで尋ねたのだけれど、天馬くんは左右に首を振った。
「――いや。まさか、そんなことを言われるとは思っていなかったから驚いただけだ。……男同士だと反対されたり拒絶されたりするんじゃないかと思ってたからな」
 何てことのないように漏らされた言葉だったけれど、裏側に潜むのはどこまでも真剣な響きだった。きっと天馬くんはあらゆる可能性を考慮して、有り得るべき選択肢を思い描いていたに違いない。その内の大多数は、決して幸福なものではなかったのだろう。それなら、私は伝えるのだ。目の前の、ずっと成長を見守ってきた大事な少年に。何てことのないような、当たり前のことを語る風情で。私は深呼吸をし、天馬くんと同じトーンで言葉を返す。何を言っているのですか、と。
「天馬くんが、大好きな人と同じ思いを分かち合えたなら、これ以上素敵なことはないでしょう」
 同性同士だなんて、些細なことだ。小さな頃から知っているこの少年が、他人を愛し同じように愛を返されたというなら、それはこの上もなく素晴らしいことだ。他人と関わることが苦手で、友達も上手く作れなかった天馬くん。かけがえのない友人を作り、宝物のような時間をたくさん積み重ねた。そして、何よりも大切な人を知り、同じように気持ちを返されて、手を取り合おうとしているなら、祝福以外の言葉なんて見つかるはずがない。
「天馬くんも三好さんも、この上もなくお幸せそうでしたからね」
 二人が共にいる様子は、幸福を絵に描いたらきっとこんな形になるのだろうという風景だったのだ。ほんの一瞬、些細な一場面を見た私でさえそう思うのだから、お互いにとって相手の存在がどれほどに大きいものであるかは想像に難くない。天馬くんが、そんな人と出会えてよかった。そんな人と手を取り合うことが出来て、本当によかった。私にとっては、天馬くんが幸せでいてくれるなら、それ以上に大事なことなどないのだ。
「いずれ、お父様たちに紹介した後は、私にも紹介していただけると嬉しいですね」
「――先に井川に紹介したいんだが」
 いきなり両親はハードルが高い、と言う天馬くんは苦虫を噛み潰したような顔をしている。私としては「それは大変光栄ですが、順序というものがありますし」と告げるしかない。
「息子の恋人を先にマネージャーに紹介されたとあっては、お父様たちも立つ瀬がないというものです」
 怒ったりすることはないだろうけれど、若干拗ねたりはするかもしれない、とこっそり思う。天馬くんは「そこまでオレに関心はないだろ」なんて言うので、いえいえ、そんなことはありません、と告げる。続けて、お二人とも、天馬くんのことが気になって仕方ないのですから、恋人を紹介されたとあれば大喜びするに違いありません、と断言した。
「それに、三好さんでしたら安心でしょう」
 三好さんとはそこまで深く付き合いがあるわけではないものの、寮に出入りしている関係で大よその人となりは理解していた。三好さんは大変コミュニケーション能力が高いのだ。耳慣れない言葉をよく使っているので戸惑うけれど、ちゃんと相手を気遣って会話を交わしている。他人のこともよく見ているようで、さりげないフォローも得意のようだ。彼ならば、ご両親と対面しても問題はなさそうだった。――もっとも、彼の使う言葉に目を白黒させる可能性はあるのだけれど。天馬くんは、私の言葉にきっぱりと言った。
「当然だろ。一成だからな」
 何だかとても得意げに、誇らしそうな表情を浮かべて天馬くんが言うので、「おや」と私は思う。天馬くんはそんな私に気づかず、嬉しそうに、三好さんの素晴らしい点をとうとうと語っている。これはもしかしたら、惚気というものの類なのかもしれない。ああ、まさか天馬くんから恋人の惚気を聞かされる日が来るとは。しみじみと感慨深い気持ちで、私は天馬くんの話を聞いている。










END

詳細判明前、40代後半~50代前半くらいだと思ってた。ずっと天馬のこと見守ってたのかな~っていうイメージで書きました