Sweet dreams kiss




 202号室にノックの音が響く。一成が軽やかに答えれば、予想通り天馬が入ってきた。枕も持参で寝る準備はすっかり整えている。

「いらっしゃい、テンテン!」

 明るい笑顔で呼びかければ、天馬も穏やかな笑みを浮かべてうなずく。今日は202号室で一緒に寝る予定なので、椋と交換という形だ。椋はすでに諸々の準備を終えて201号室へ赴いている。

「まだ寝るには早いっしょ。ちょっと話しない?」
「そうだな」

 とりあえず枕をベッドに置いた天馬は、ラグの上に座る一成の隣に腰を下ろした。迷いのない自然な動作に、一成は小さく笑みを浮かべる。当たり前みたいに隣に座ってくれること、体温の近さが嬉しかった。

「テンテン、今日は一日お疲れだったったしょ」
「そんなに疲れてない……って言いたいところだけどな。まあ、ちょっと大変ではあった」

 素直にこぼされた言葉に、一成は少しだけ沈黙を流す。
 今日の天馬のスケジュールはそこまでハードなものではない。帰宅は日付が変わってからなんてこともないし、夕飯にはちゃんと顔を出していた。だけれど、こんな風に天馬が言う理由を知っているから、一成の胸には痛みが走る。それでも、すぐに一成は口を開いた。

「本当だったらさ、一日ずっとテンテンと一緒にいたかったんだけど、平日だと難しいんだよねん」

 静かな声で言った一成は、隣の天馬にそっと手を伸ばす。あざやかなオレンジ色の髪に触れて、ゆっくりと頭を撫でた。いたわるような手つきだ。天馬は何も言わずにそれを受け入れている。一成はそれを確かめながら、髪の毛一本ずつを慈しむように、丁寧に手のひらを行き来させて言う。

「オレはちゃんと生きてるよって、テンテンにいっぱい確認してもらいたかったなって」

 心からの言葉を込めて告げるのは、天馬が見た夢に起因している。

 今朝、いつものように一成が洗面所で身支度をしていると、やって来た幸に言われたのだ。「ポンコツが夢見たみたい」と。曰く、朝起きた幸はベッドの上で呆然としている天馬を見つけた。酷い顔をしてショックを受けたように固まっている様子に、幸はすぐに事態を察したのだ。天馬は一成が死ぬ夢を見た。
 一成が通り魔事件の犯人によって殺される夢を、夏組は時々見ている。一成のように恐慌を来たすほどのリアルさではないものの、その夢は夏組の心に深い傷と影を落とす。
 どうしてなのか、理由は簡単だ。一成は犯人に襲われたけれど助かった、というのが実際の出来事だ。だけれど、夏組だけは本来なら起きるはずだった過去を知っていた。
 一成は、通り魔事件の犯人によって殺される。血だまりに倒れて、物言わぬ亡骸となって発見されるのだ。世界のどこにもいなくなって、6人だった夏組は5人になってしまう。たった一人は永遠に欠けてしまって、二度と今までの夏組は戻らない。
 一成は夏組の前で笑ってくれないし、名前も呼んでくれない。共に舞台に立つことはできなくて、これから先の未来に一成の姿はないのだ。
 訪れるはずだった過去を夏組は知っている。奇跡と呼ばれる出来事のおかげで、一成の死を回避することができたけれど、一成がいない世界を夏組は確かに生きたのだ。
 だからこそ、一成が死ぬ夢はどうしようもなく心をかき乱す。実際に知っているからこそ、ただの夢だとわかっていても恐ろしくてたまらないし、酷いショックを受けてしまう。
 夏組の心を蝕む悪夢は、時々思い出したように誰かのもとを訪れる。特定の誰かだけ、というわけではなかったし頻度もそう多くはない。だけれど、その夢を見た日は酷く塞ぎこむことになるのは事実だし、心に負った傷がどうしたって痛くたまらないのだ。
 わかっていたから、一成は提案したのだ。夏組の誰もが時々、一成が死んでしまう悪夢を見るという。それなら、その夢を見るたびオレとデートしよ!と。
 夏組の誰もが大好きなまぶしい笑顔で「名案じゃん!」と言って、一成は続けた。
 悪い夢を見たなら、それは全部夢だよって、上書きしよう。オレはここに生きてるよって、何度だって確かめてよ。みんな夢だよ。現実じゃないんだよって、ここで生きてるオレが、何回だって言うよ。
 軽やかな声で告げられたのが、一成の心からの祈りであることくらい、全員わかっていた。一成はそういう人間で、もしも傷ついてしまうのなら寄り添って、その傷をどうやって治せるかを懸命に考えるのだ。
 これ以上傷つかなくて済むように、痛みを感じなくて済むように。できることなら何でもしたいと言ってくれる人だからこその提案だと、全員が理解していた。
 一成の言葉にノーと言う理由はなかった。だから、気づけば夏組の中では一成が死んだ夢を見たなら、一成と一日行動を共にする、という約束事ができあがっていた。
 そういうわけで、夢を見たならおずおずと一成に申告しに来るか、気づいた誰かが一成に教える、という流れになっている。今回は幸が気を利かせてくれたのだ。
 一成は幸の言葉を聞いてすぐに、天馬のもとへ向かった。ショックからは抜け出していたものの、混乱は引きずったままの天馬に、飛びつくように抱きつく。
 すると天馬は一成を抱きしめ返して、ほっとしたように息を吐き出していた。幸が呼んでくれたことは察していたようで、不思議そうな雰囲気はなかった。
 本当なら、そのまま一日一緒に過ごしたかったのだ。だけれど、天馬も一成も大学の授業があるし、天馬はそのあと仕事が入っている。どちらかを蔑ろにすることを二人は望まないので、それぞれの場所で本分を果たすことは当然の結論だった。
 ただ、少しでも同じ時間を過ごしたくて隙間を見つけては連絡を取り合って、「ちゃんと生きてるよ」と何度も伝え続けた。天馬はそれをきちんと受け取って、無事に一日を終えて寮へと帰ってきた。
 それからは、基本的にずっと一緒にいるのだけれど、一成が死んだ記憶を引きずりながら一日を過ごすことは、天馬にとって大きな負荷になっていた。そこまで厳しいスケジュールではなかったにも関わらず、帰宅した天馬は明らかに消耗していたからだ。

 わかっていたから、一成は天馬を目いっぱい甘やかしたかったし、ここに生きているんだとたくさんたくさん伝えたかった。
 死んでないよ。生きてるよ。ちゃんとここにいるよ。全ての思いを込めて、一成はやさしく天馬の頭を撫でている。

「どう、テンテン。オレが生きてるの、ちゃんと伝わった?」

 しばらくの間天馬の頭を撫でていた一成は、そっと手のひらを離す。それから、天馬の瞳をのぞきこんで尋ねた。すると、天馬は数秒黙ったあと体を一成のほうへ傾けてくる。そのまま、ぎゅう、と背中に腕を回されるので一成は楽しそうに笑った。
 この反応は予想の範囲内だ。天馬はぶっきらぼうにも聞こえるような口調で言葉を落とす。

「伝わったけど足りない」
「だよねん。もっといっぱいぎゅってしないと」

 笑い声で紡いだ言葉を返して、一成も天馬の背中に腕を回した。頭を撫でるだけでは足りないなんてこと、よくわかっている。
 もっと体中全部で天馬に伝えたい。生きてるよ。テンテンの腕の中で、ちゃんとオレは生きてるよって。思いを込めてぎゅっと抱きしめると、天馬が唇を尖らせてつぶやく。

「お前な、わかってるならいちいち聞かなくていいだろ」
「足りないってちょっと拗ねてるテンテンかわいいんだもん」

 本心で答えると、何だか若干不服そうな雰囲気が流れた。天馬は「かわいい」と言われるより「かっこいい」と言われたいタイプだから、というのはわかっていたのだけれど。一成にとって天馬をかわいく思う瞬間は多々あるのだから仕方ない。
 内心で一成が一人うなずいていると、天馬はゆっくりと口を開く。

「一成のほうがよっぽどかわいいだろ。今日とかだって玄関まで迎えに来てくれた時、かわいいなって思ってたぞ」

 あまりにもさらりと告げられすぎて、一瞬一成はスルーしそうになる。だけれど、当然そんなことはできるはずもなかったし、理解した瞬間顔中に熱が集まってくる。天馬はそんな一成の反応に気づいていないのか、気づいて言っているのか、さらに言葉を重ねた。

「そもそも、お前は存在自体がかわいい」
「テンテン、マジで突然デレてくるよね……」

 いやもうこれ、デレって言っていいのかな口説き文句かな、と思いつつも一成は小さくこぼした。耳というか顔中真っ赤になっているだろうし、湯気でも出そうだった。天馬は腕の中の一成が照れていることを察して、楽しそうに笑った。

「素直に思ったこと言ってるだけだろ」
「それがデレなんだよね~……いやまあ、最近のテンテン、正直ツンないんだけど……」

 思い返すまでもなく、天馬は一成を大事だということを隠さないのでツン要素は特になかった。照れ隠しでもキツイ言葉は使わないし、一成に対しては基本的に甘いのだ。

「一成に厳しくする意味ないからな。オレはお前を大事にしたい」
「テンテンはオレに甘いんだよねん……オレがテンテン甘やかしたいのに!」

 唇を尖らせて言えば天馬が楽しそうに笑った。弾んだ心をそのまま形にしたような、そんな笑い声だ。天馬はその響きでさらに言葉を続ける。

「わかった。それじゃ、甘やかされてやる」
「甘やかされる人間の態度じゃないんだよねん……」

 ブツブツと一成はつぶやくけれど、すぐに不服そうな響きは崩れた。天馬が楽しそうなら一成も同じように楽しくなってしまうので、すぐに顔中には笑みが広がっていく。一成は軽やかな声で「それじゃ、テンテン、目つむって?」と告げる。天馬は自分が言った言葉の手前素直に従った。
 そっと体を離した一成は、あざやかなパープルの瞳が隠されていることを確認した。それから、ゆっくりと天馬の唇にキスを落とす。ささやかな、触れるだけの口づけ。天馬がぴくりと反応したのを見て取り、さらにもう一度ちゅ、と唇を重ねた。
 ついばむようなキスだ。唇で何度も天馬に触れて、その度心の全てを預けていこうとするような。強弱をつけてリズミカルに落とされる口づけを、天馬はくすぐったそうに受け入れている。

「テンテン」

 何度目かのキスのあと、一成はそっと名前を呼んだ。天馬が目を開けば、緑色の瞳が真っ直ぐ天馬を見つめている。何も言わない。だけれど、それで充分だった。
 惹かれ合うように唇が重なる。一成の背中にゆるく回っていた腕に力を込めれば、二人の体が隙間なく密着する。その間も唇が離れることはなかった。
 長いキスを交わしたあと、ゆっくりと離れた。ただ、二人の距離は近いままで額が触れそうな位置に互いの顔がある。奥に宿る熱の揺らぎさえも、しかと見えるような近さだ。天馬を見つめた一成は、小さな笑みを浮かべてささやくように言う。

「テンテン、キス上手くなったよねん。最初は、マジで一瞬すぎて夢かと思ったレベルだったのに」
「あれは思い出すな」
「ええ~。初めてのちゅーじゃん、絶対忘れないっしょ」
「忘れなくていいから思い出さなくていい」

 特別なワンシーンであることは否定しないけれど、天馬にとっては色々醜態をさらした一件だと思っているらしい。そういうところもかわいいんだけどな~と思っていると、それを察したのかもしれない。それから先の言葉を奪うように、今度は天馬が一成へキスをした。
 一成が小さく息を漏らすと、それすら飲み込もうとするように天馬がぐい、と体を引き寄せる。思わず一成は天馬の首に腕を回すし、天馬の手は一成の腰に回っている。胸と胸が重なり、一気に距離が近づいて互いの体温を感じている。
 決して離れないとするように、愛おしさの全てを唇へ込めるように、二人はキスを交わす。
 何度目かのキスのあと、吐息がこぼれて二人は我に返ったようにわずかに体を離す。熱に浮かされたような瞳が互いを見つめていた。灯った熱が体の奥に渦巻いているのだと、言葉ではなく理解している。もどかしい。じれったい。足りない。奥底から訴える欲求は、どちらの瞳にも宿っている。
 熱のこもった沈黙が流れる。動かなくちゃ、それとも何かを言わなくちゃ、と一成は思うけれどそれより早く天馬が口を開いた。

「――そろそろ寝るか。明日も早いだろ」

 ぱちり、とまばたきをした天馬は一瞬で瞳の熱をかき消すとそう言った。抱きしめていた腕を解いて、一成の隣に座り直す。一成は隣の天馬を思わず見つめた。
 確かに、一成は明日早くに家を出なければならないし、天馬にはそれを伝えてある。だから、天馬の言うことはまったくもって正しい。正しいのだけれど。
 もうちょっとぎゅってしたいし、ちゅーもしたいんだけど!という気持ちで、天馬に向ける視線がちょっと恨みがましい感じになっているような気はしたけれど、それはこの際仕方ない。

「早いのはお前だろ。さっさと寝るぞ」

 天馬は一成の視線の意味をわかってはいるはずだ。しかし、天馬は基本的に一度決めたらそれに向かって邁進する。寝ると決めたらその通りにするつもりだ、ということは一成も理解している。
 天馬は一成に対して甘いけれど、一成の健康に関してはわりと厳しいので、夜更かしを許すはずがないということもよくわかっていた。
 だから、まあ今日は仕方ないよねん、と一成は思うことにした。それに、よく考えてみれば天馬はずいぶんと成長しているのだ。
 最初のキスはそれこそ一瞬すぎて「今のは夢かな」と思った。だけれど、それから先天馬は着々とステップアップして、今では長いキスにも応えてくれるし、自分から仕掛けてくれることも多々あった。
 この分ならべろちゅーも近いんじゃないか、と一成は思っているし、何だかんだで天馬もちゃんと進んでくれているので、その日はきっと訪れるのだ。だからまあ、今日のところはいいか、と一成は思うことにした。

「あ、でも、テンテン。寝る前にもう一回ちゅーしていい?」

 これは忘れちゃだめなやつ、と思って尋ねる。天馬は一瞬沈黙して、何かを考えるような素振りをしたけれど最終的にはうなずいてくれた。
 それを認めた一成はにっこり笑うと、あらためて天馬に向き直る。天馬は視線を逸らすことなく、真っ直ぐ一成を見つめている。きらきらとして力強い光だ。
 胸の奥まで届く輝きを感じながら、一成はわずかに腰を浮かせると、天馬の唇にそっとキスを落とす。ささやかな、やわらかい口づけだ。一成はくすぐったそうに告げる。

「テンテンが、いい夢見られますようにっておまじないだよん」

 天馬が今日この部屋を訪れた理由を、もちろん一成は忘れていない。だからこそ、心からの願いを込めてキスをした。
 どうか天馬が、悪い夢を見ませんように。どうか、天馬にとってやさしい眠りが訪れますように。何度だって願ってくれたことを知っているから、今度は一成が祈るのだ。

「いい夢見られそうな感じ?」

 首をかしげて尋ねると、天馬が笑った。あふれだす心がこらえきれなくて、こぼれていくみたいな。そんな笑顔を浮かべて、天馬は口を開く。

「ああ。一成のおまじないなら、効くに決まってる」

 たった一人から贈られる特別なおまじないだ。世界で一番効果があるに違いない、と確信めいた響きで告げる天馬は、嬉しそうに笑っている。




END