My dear baby bird




―2―




 夏組の様子は、誰もが気にしていた。表に出すか出さないかの違いはあれど、MANKAIカンパニーのメンバーは漏れなく夏組に対して心を配っていた。
 それは当然だろう。元々、一成の様子は倉庫にこもりがちだとかやたら電話をかけているだとかで、何だかおかしかった。
 そこに加えて通り魔事件の目撃者となり、さらには犯人によって怪我を負わされた上、最終的に夏組リーダーである天馬も襲われているのだ。
 この一連の事件によって、夏組が不安定になっていたことは全員よく知っている。あんなにも明るく笑う彼らが、いつもの通りに笑っていられないことは、MANKAIカンパニーにとってもずいぶんとこたえた。
 だから、MANKAIカンパニーの誰もが、夏組の笑顔を心から祈って、彼らのことを見守っていたのだ。どんなに些細なことでも見逃さないよう、すぐにでも手助けできるよう態勢を整えて。

 そういうわけで、帰宅した夏組の様子を気にするのはもはや習慣のようなものだった。
 元気な声が玄関で聞こえたかと思えば、ほどなくして入ってきたのは九門だ。キッチンで夕食の仕込みをしている咲也と臣に気づくと、ぱっと笑みを浮かべる。

「ただいま、咲也さん、臣さん! あ、東さんと誉さんも!」

 二人の「おかえり」を聞いてから、テーブルの二人にも気づいて声を掛ける。
 東はにこにこと「おかえり」と告げ、誉も優雅な所作とともに「おかえり、九門くん」と答える。それを見つめていた臣は、朗らかに声を掛ける。

「お腹空いてないか? 今日はヨーグルトマフィンを作ったんだ」
「ホント!? あれ、甘酸っぱくて美味しいよね! あ、でも、オレちょっとカズさんのとこ行ってくるから……カズさん部屋かな?」
「一成さんなら、部屋にいると思うな」

 九門より先に帰っていた聖フローラ組が、一成と共に部屋へ向かうところを見ていた咲也が答える。九門はぱっと笑って「ありがと!」と言うと、談話室を出ていった。一成のもとへ向かうのだろう。

「ふむ。今日の日課というところかな」

 一連のやり取りを聞いていた誉が、ぽつりとつぶやく。手にしていたティーカップをゆっくり傾けてから、「日課」について意見を述べる。

「夏組の彼らは、一成くんへの愛情表現が豊かで好ましいね」

 しみじみとした調子で告げられた言葉に、臣は「そうですね」と笑顔でうなずき、咲也も朗らかに「はい、本当に!」と答えた。

「ふふ。毎日、出掛ける前と帰ってきたあとはカズを抱きしめるなんて、可愛らしいね」

 ティーカップを丁寧持っていた東も話に加わる。誉は「抱擁というものは、愛を伝える手段として古くから確立されているものだからね!」と楽しそうだ。二人はあれこれと抱擁の効能だとか、愛を示す手段だとかの話を繰り広げている。
 それを聞く咲也が思い出しているのは、東の言葉に代表される夏組の行動だ。


◆◆



 夏組のことは常に気にしていた。だから、些細な変化でも気づくだろうと思っていたけれど、そんな心配は不要だったのではないかと咲也は思った。
 何せ天馬の別荘から帰宅して以降、夏組の行動は誰にでもわかるようにがらりと変わった。
 たとえば、外出する時だ。元々、一成自身が常に誰かと一緒に行動するようにしていたから、連れだって出掛けること自体は今まで通りだ。それに新しく加わったのは、外出時と帰宅時のハグだった。
 夏組はスキンシップが多いし、パーソナルスペースも狭い。なので、ハグ自体はそこまで奇異な行為ではないのだけれど、さすがに外出前後には必ずハグするなんて習慣は持っていなかった。
 しかし今では、出かける準備の一つのような顔で一成との軽い抱擁が発生する。綴などは「海外ドラマみたいだよな」とコメントしていた。
 一成は一成で、夏組とのハグを当然のものだと思っているので、登校の時間帯には必ず起き出してくるようになった。
 以前は徹夜の果てに変な時間まで寝ている、なんてこともあったけれど、最近は規則的な生活を叩きこまれているおかげできちんと起きてくるのだ。
 委員会の用事だとか、学校行事関係で早く出る日も、眠い目をこすりながら玄関先に現れる。そして、出かける夏組をぎゅっと抱きしめて送り出す姿をカンパニーのメンバーは何度も目撃している。
 夏組の仲の良さは誰もがよく知ることなので、そこまで天変地異だとは思われていない。ただ、意外だったのはこういったことには難色を示しそうな幸や天馬まで、何も言わず一成とハグをしていることだった。
 椋や九門、三角は素直に親愛の情を示すタイプだ。だから、一成との抱擁も彼らの今までの行動の延長線上にあるように思えた。当の一成自身は元々スキンシップが多い人間なので言うまでもない。
 しかし、天馬や幸である。彼ら二人が夏組や一成に対する愛情が薄いなどとは、誰も思っていない。それどころか、強い想いを持っていることはよくわかっている。
 ただ、当人の性格からして大っぴらなスキンシップを好むわけではないのも確かだ。特に、天馬などは照れが先に立つタイプなので、他人が見ている前で抱きしめるなんて持ってのほかのはずだった。

 だけれど咲也は知っている。
 たまたま、外出する際に天馬と時間帯がかぶったことがあった。目的地は同じく駅だったので、一緒に行こうという話になっていた。用意を終えて談話室を出たところで、天馬は口を開いた。

(悪い、咲也。ちょっと待ってくれ)

 どうしたのか、と聞く必要はなかった。廊下のほうから一成がやって来て「テンテン、お出かけだよねん」と声を掛けたのだ。
 一成は寮でやることがあると言っていたから、出かけるわけではない。それでも玄関先まで現れた理由は一つだ。恐らく、天馬が出かける時間は先に聞いていたのだろう。
 天馬は「ああ、ちょっと出てくる」と言うと、当然のような顔で両腕を広げる。
 一切のためらいも照れもなかった。すぐ近くには咲也もいるし、誰が通りかかるかわからない場所だ。にもかかわらず、天馬はどこまでも堂々としていた。
 一成は少し考えたあと足を踏み出して、広げられた腕の中に収まる。
 天馬は一成の背に手を回し、ぎゅっと抱きしめた。「行ってくる」と告げる声はひどく落ち着いていた。同じように天馬を抱きしめ返した一成も「うん。気をつけてね」と言って、背中を軽く叩く。
 その様子を見つめていた咲也は、ほう、と息を吐いた。天馬と一成、二人がお互いのことをどれだけ大切に思っているのかが形になったような光景だったからだ。
 軽い抱擁は数秒で、二人はすぐに体を離した。それでも、回される腕や触れる指先、唇からこぼれる声が相手への気持ちをこれでもかというくらい伝えていた。
 夏組はみんな、こんな風に一成のことを抱きしめる。ここに一成がいること。間違いなく腕の中に存在して、生きていること。それを全部確かめるように、一成を抱きしめるのだ。
 なんて綺麗で、愛おしい光景なんだろう、と咲也は思う。事件以降変化した夏組の行動は、みんなこんな風に一成への愛おしさから作られていることは、寮の人間ならみんな知っていた。


◆◆



 談話室の扉が開いて、九門と幸が入ってきた。楽しそうな気配を漂わせたまま、九門は臣に向き直ると「おやつもらいに来ました!」と宣言する。
 明るい言葉に臣は笑って、「幸たちも食べるだろ?」と質問を向ける。幸は落ち着いた調子で答えた。

「それじゃ、六個ほしい。どうせあいつらもすぐ来るんだろうし」

 あいつら、というのはどうやら天馬と三角のことらしい。二人ともそろそろ帰ってくるころなのだろう。幸は肩をすくめて言葉を続ける。

「飲み物も六人分持って行っちゃうから」

 元々幸は飲み物を取りにキッチンへ来たらしい。グラスを用意する横で、咲也はマフィンを乗せる皿とフォークを取り出す。ちょうど六セットあったので、これがいいだろう、と淡いブルーの平皿を選んだ。
 恐らく今部屋にいるのは四人なのだろうけれど、すぐに二人は合流するのだ。
 事件以降の夏組は、大体いつも一成の近くにいるので気づけば202号室に夏組が集合している。夏組に用事があるなら真っ先に202号室を訪れればいい、というのはもはや暗黙の了解だった。
 帰宅すれば、三角も天馬も202号室へやって来るのだ。それなら、おやつの類も用意して待っていればいいという判断なのだろう。
 臣は手際よく、咲也が用意した皿にマフィンを盛り付けていく。イチゴとブルーベリーをトッピングすれば、瞬く間にカフェで出てくるような一皿の完成だ。
 九門がキラキラと目を輝かせて「すげーおシャレ!」と叫ぶ。それから、そのままの口調で幸へ言葉を向けた。

「カズさんの分、どれがいいかな?」
「この一番大きいのがいいんじゃない。イチゴは……こっちのと交換しとくか」

 六皿を見渡した幸は当然のような顔でそう言って、一番大きなイチゴを目的の皿と入れ替える。九門は何も言わないどころか、そうするのが自然といった顔をしていた。
 それから、二人は飲み物を用意すると臣たちに礼を言って談話室を出ていった。

「――ふふ。本当に可愛いね」

 九門と幸を見送った東は、心からといった調子で言葉を落とす。浮かんだ笑みはやわらかで、夏組の彼らを心底可愛いと思っていることが見て取れた。

「カズに一番美味しいものをあげたいんだよね」

 九門が「一成の分はどれがいいか」と聞いたのは、並んだマフィンの中でも一番のものを一成に渡したいと思ったからだ。
 幸も同じ気持ちだったからこそ、一番大きいマフィンを選んだしトッピングも一番大きいイチゴと交換した。それは全て、一成に一番美味しいものをあげたかったからだ。

「夕食の時も、一成の分はどれにするかなんて話してましたね」

 そういえば、という顔で臣がつぶやく。
 寮で用意される夕食は、特に誰用と決まっているわけではない。適宜盛りつけられた皿を各自が持って行く形だけれど、その際夏組は「一成の分」だけ明確に分けて考えているらしい。
 それも恐らく、東の言う通り「一番美味しいものをあげたい」という気持ちから来ているのだろう。
 東は臣の言葉に、ますます笑みを深めた。そのまなざしは、ここにはいない夏組を思い浮かべてのものだろう。やわらかな慈愛を含んでそっと唇を開く。

「寮の中でも一成に何かあったらすぐ動けるようにって、気をつけてるしね。四六時中一緒ってわけじゃないけど、近くにいることが多いし。雛鳥を守る親鳥みたいで可愛いなって思うんだ」

 そう言う東の言葉に、咲也や臣、誉はこれまでの夏組の行動を思い返していた。
 出かける前と帰ってきた時にはハグすること。自然と一成の近くにいること。一成に一番美味しいものをあげたがること。
 それ以外にも、一成の姿が見えないとすぐに探すし、最近の夏組は口を開くと「一成は?」と言っているなど、どれだけ一成を気に掛けているかという事実がよみがえってくるばかりだ。

「ふむ。確かに、一成くんの世話を甲斐甲斐しく焼こうとしている場面は時々見るね。本人は遠慮しているようだけれど」

 思案げな誉が言うには、お風呂上がりにはドライヤーをかけたい椋と自分でやるという一成で押し問答をしているところを見たらしい。
 それ以外にも、洗濯やら食事の場面で一成の世話を焼きたいと夏組は度々主張しているようだ。
 夏組が一成を自分たちの庇護対象としていることは明白だった。一成本人は、困ったような感心したような顔をしていることが多いけれど、決して嫌がっているわけではないらしい。
 基本的には「自分でやるから平気だよん」と言ってはいるようだけれど、夏組の意志を汲んで度々世話はされている。
 その様子は確かに、雛鳥を守ろうとする親鳥にも似ているかもしれない。

「一成さんのこと、すごく大切にしたいんですね」

 直接咲也がその場面を見たわけではないけれど、想像することはできた。
 玄関で抱擁を交わす天馬と一成を見たことがあるからこそ、きっとあんな風に綺麗な思いから全ての行動が行われていることはわかった。大切に慈しんで、手のひらでそっと包み込むようにして、守っていこうとしているのだ。
 それは、ある日突然理不尽な暴力にさらされたことを知っているからだ。
 監督のもとに天馬から一報があった時のことを、咲也はよく覚えている。強張った顔の監督が、夏組を呼んでほしいと言った。
 なかなか帰ってこない一成と天馬を心配していた四人はすぐに集まって、監督からの言葉を聞く。一成が刺されたこと。病院に運ばれたものの、出血量が多いため現在緊急手術中であること。
 談話室にいたメンバーもそれを聞いて顔を青くしたけれど、夏組の動揺はその比ではなかった。まるで自分自身が深い傷を負ったような顔をしていて、今にも倒れてしまいそうだった。
 だけれど、病院には今天馬が一人でいることを思い出したのだろう。病院に行く、と言った夏組のために手の空いているものが車を出して彼らを送り届けたのだ。
 無事に手術は成功して、一成は順調に回復した。寮でも元気に過ごしていることくらい、夏組はよくわかっている。それでも、一成が傷つけられたことは事実だ。
 周囲のことをよく見ていて、気づかれないほど自然に心を配ってくれるやさしい人だと咲也は知っている。誰かを傷つけることなんて考えもしない、いつだって笑顔でいてくれる人だ。
 そんな彼が、何一つ謂われのない暴力によって、痛みを与えられた。その事実を前にした夏組は、きっと決意をしたのだ。
 理由なく傷つけられて踏みにじられたなら、自分たちがそれ以上に大事にするのだと。
 何もかもから守って、心の全てで大切にして、与えられた傷もいつか消えてしまうように。同じ痛みを二度と味わうことのないように、持ちうる全てで守るのだと。
 咲也の言葉に、東は「そうだね」と笑った。臣や誉も静かにうなずく。
 MANKAIカンパニーの誰もが理解している。夏組の彼らに起きた出来事は、不幸と呼ぶのが似つかわしい。だけれどそれすら乗り越えて、彼らはここに立っている。傷も痛みも悲しみも、とびきりのやさしさと限りない愛情に変えて。