What a lovely day today!




【一成の妹(ふたば)視点】


 身だしなみを整えて、姿見に自分を映す。襟付きの紺色ワンピースは落ち着いた雰囲気。きちんとした装いに一点花を添えるように、ペンダントを身に着ける。
 胸元に揺れるのは、双葉をモチーフにしたペンダントトップ。成人のお祝いにと、お兄ちゃんがプレゼントしてくれた。オーダーメイドのアクセサリー屋さんで、デザインから手掛けてくれたこのペンダントは私のとっておき。
 ここぞという日に身に着けるものだから、今日はまさしくうってつけの日だと思う。だって今日は、お兄ちゃんの結婚相手が我が家にやってくる。
 どんな人なのか、詳しい話はまたあとでと言われ続けて結局今日になってしまったから、相手のことを私はよく知らないけれど。とても忙しい人で、お兄ちゃんのことが大好きで、お兄ちゃん曰く宇宙一素敵な人らしい。
 一体どんな人なんだろう、と思うと何だかふわふわした気持ちになって、無意識にペンダントを触ってしまう。お兄ちゃんと一緒に、我が家へやって来るまであと少し。今日はきっと、特別な日になるだろう。


******


 お兄ちゃんと私は、とても仲の良い兄妹だと思う。
 喧嘩らしい喧嘩なんてしたことはなかったし、お兄ちゃんはいつだって私をかわいがってくれた。いくぶん年が離れていた、ということも理由の一つだとは思うけれど、一番はお兄ちゃんの気質ゆえのことだと思う。
 お兄ちゃんはとても愛情豊かに、細やかな心を傾けてくれる人だった。
 どんな時も私の話を受け止めて、おだやかに相槌を打ってくれる。私の心を丁寧に解きほぐすことが得意で、お兄ちゃんがいれば怖いものはなかった。悲しい時はそっと寄り添って、「ふたばの好きなものを何でも描いてあげるよ」と言って、画用紙いっぱいに素敵な世界を見せてくれた。
 手のひらでそっと包みこんで、宝物みたいに大事にしてくれた。物静かで、頭がよくて、絵の上手なお兄ちゃんは私の自慢だった。
 だから、高校へ入ると同時にすっかり様子が変わった時には、心底びっくりしてしまったのだけれど。
 私を見つめる目はやさしいままで、昔と何一つ変わらなかったから。「マイリトルシスター!」なんて呼び名は不思議だったけど、声は変わらず私のことを大事だよって伝えてくれたから。
 楽しそうにいっぱい笑って、いろんなことに挑戦して、いつでもきらきした光を放つ、絵の上手なお兄ちゃんはやっぱり私の自慢だった。
 MANKAIカンパニーに入って家を出ることになった時は寂しかった。だけれど、家にはよく帰ってきてくれたし、カンパニーでの生活を楽しそうに話してくれるから私も嬉しかった。
 それに、夏組のお芝居はとても素敵で、何度も私を笑顔にしてくれた。お兄ちゃんが出ているから、というのがきっかけではあったけど、今では夏組のお芝居の大ファンだ。
 役者さんとして皇天馬さんを好きになって、お兄ちゃんは「オレじゃないの?」なんて言ってたけれど。夏組の舞台を心から楽しんでいることを、とても嬉しそうにしてくれた。
 大学を卒業したお兄ちゃんは、画家と役者とデザイナーとして活動する道を選んだ。どれか一つじゃなくて、全部やる!と決めたのはとてもお兄ちゃんらしい。
 絵を描くことも、お芝居も、デザインも、お兄ちゃんにとって大切なものだから。お兄ちゃんは、大切なものを自分の精一杯で大切にしようとする人だということはよく知っている。
 忙しく飛び回るお兄ちゃんは、日本を離れている時期もあった。その甲斐あってか、お兄ちゃんは着実にステップアップして、いろんな場所で名前を見かけるようになった。何だか遠くに行ってしまったみたいだな、という気持ちもゼロではなかったけれど、お兄ちゃんの望みが叶うことのほうが嬉しかった。
 私のほうも学校が忙しかったり、受験やアルバイト、就職活動があったりして、お兄ちゃんと過ごす時間は少なくなっていた。
 だけれど、お兄ちゃんは時々家に来てくれたし、マメに連絡をしてくれたから、あんまり寂しさは感じずに済んだ。





 お兄ちゃんが久しぶりに家へ帰ってきたのは、私がようやく仕事にも慣れてきた頃だ。しばらくぶりに四人でご飯を食べて、楽しい時間を過ごした。
 今日は泊まっていくというから、何だかうきうきした気持ちでいたことを覚えている。お兄ちゃんの部屋はいつ泊まることになっても大丈夫なように、常に綺麗にしている。

 自室で机に向かっていたら、控えめにドアがノックされた。返事をすればお兄ちゃんで、「ちょっと話がしたいなと思って」と言われて一も二もなくドアを開いた。断るなんて選択肢は最初からなかった。
 私とお兄ちゃんはベッドに並んで腰掛ける。
 最初は他愛ない話をしていた。お兄ちゃんが最近描いた絵のこと。ドラマ撮影の裏話。新社会人として働き始めた私の毎日。お父さんとお母さんが見たという映画のこと。会社の近くにある美味しいカレー屋さんについて。
 何でもない話でも楽しくて、私はいろんなことをお兄ちゃんに話した。私は友達相手でも、あんまりたくさん話すほうじゃないけれど。
 お兄ちゃんを前にすると、たくさん言葉があふれてしまう。それはたぶん、昔からお兄ちゃんが私の話を楽しそうに聞いてくれるから。
 だけれど、私は途中で唇を結んだ。心のままに、思い浮かぶことを聞いてもらえることは嬉しい。でも、お兄ちゃんの様子が普段と違うことに気づいたから。気もそぞろ、というよりもなにかのタイミングをうかがってるみたいな雰囲気。だから、私は言ったのだ。
 ――お兄ちゃん、何か話したいことがあるの?
 お兄ちゃんは、目をぱちりと瞬かせた。それから、少し眉を下げて、困ったような笑顔で答えた。

「さすがマイリトルシスター、オレのことよくわかってるよねん!」
「ふふ、お兄ちゃんの妹ですから。それで、本当にどうしたの? 悩み事とか……?」
「えっとね、そういうわけじゃないんだけど……」

 悩み事ではない、と言うけれど何だか歯切れが悪い。どうしたんだろう。お兄ちゃんがこんな風に言いよどむことなんてあんまりないから、心配になってしまう。何かよくないことなのだろうか、と思ってしまうから。
 お兄ちゃんは、そんな私の不安を感じ取ったんだと思う。心配をかけたくない、と思うやさしいお兄ちゃんは、意を決したように口を開く。

「オレね、結婚したい人がいるんだ」

 真剣なまなざしで告げられた言葉。思わず目を瞬かせたのは、予想外だったからというより、単純に不思議だったからだ。どうして、こんなに覚悟が必要な表情をしているんだろう、なんて。
 でも、真っ先返す言葉はわかっていた。心から思う言葉を、お兄ちゃんに告げる。

「おめでとう、お兄ちゃん。お兄ちゃんが選んだ人なら、きっと素敵な人なんだと思うな」
「うん、それはマジでその通り!」

 真顔で答えてくれるから、つい笑ってしまう。こういう時、謙遜しないで大好きをいっぱいに伝えてくれるのがお兄ちゃんのいいところだな、と思う。お兄ちゃんのいいところなんて、他にもいっぱいあるけれど。

「お兄ちゃんが幸せなら私も嬉しいな。あ、もちろん、正式発表まで誰にも言わないから安心してね」

 お兄ちゃんは顔も名前も売れている芸能人でもある。恋人だとか結婚だとかは、スキャンダルになってしまうから、外に漏らしてはいけない。もしかして、そのことがあるから覚悟が必要だったのかな。
 お兄ちゃんは私の言葉に、びっくりしたような顔をしてから、すぐに笑顔を浮かべて言った。

「ふたばがそんなことするとは思ってないよ。ちゃんと黙っててくれるっしょ」

 やさしい言葉は、私のことを信頼してのものだ。当然のようにそう思ってくれることが嬉しかったし、くすぐったい。私は「任せて」と胸を叩く。それから、そっと口を開く。

「その、相手のことは聞いても平気? だめなら大丈夫なんだけど」

 うかがうように尋ねた。お兄ちゃんが結婚する相手がどんな人なのか気になってしまうのは仕方ないと思う。ただ、あんまり深く聞かないほうがいいかもしれない、という気持ちはあった。もしかしたら、芸能人の誰かかもしれないし。
 お兄ちゃんは私の言葉に、何だか不思議な表情を浮かべた。困っているようにも笑っているようにも、怯えるようにも見える。あらゆる感情がないまぜになって、どれを選べばいいかわからなくて途方に暮れているみたいな。私はただ、その顔を見つめている。

「――世界で一番、大事にしたい人なんだ」

 しばらくの沈黙のあと、お兄ちゃんはぽつりと言った。静かで、凛として、耳に残る声。

「オレの人生の全部で、何もかも丸ごと大事にしたい。これから先のオレの人生を、ずっと一緒に歩いてほしい。辛い時も苦しい時も悲しい時も、嬉しい時も楽しい時も幸せな時も、隣にいるのはオレがいい」

 きっぱりと告げられた言葉は、とても静かでだけれど奥底には確かな情熱がある。こんな風に、真っ直ぐとお兄ちゃんの心が向かう人なのだ。
 そんな人と、手を取り合ってこれから先の人生を歩む。一人だけ思っているのではなく、相手も同じように思っていてくれるからこその答え。お兄ちゃんが思うように、相手もお兄ちゃんを思っていてくれる。それは、なんて幸せな話だろう。

「大好きな人なんだ。ずっと近くにいたいし、隣で生きるって決めた。本当に大好きなんだ」
「うん」

 切々と落とされる言葉に、私はゆるやかに相槌を打った。いつもお兄ちゃんがそうしてくれたみたいに、言葉一つ聞き漏らすまいとするように。お兄ちゃんは、両手をぎゅっと握りしめて言う。

「一緒にいたら宇宙で一番幸せになっちゃうし、ふたばも絶対好き。めちゃくちゃ素敵な人だから」
「うん」

 やけに確信を持った言葉に、ちょっと面白くなってしまう。お兄ちゃん、本当にその人のこと好きなんだなと思って。お兄ちゃんは深呼吸をすると、さらに言葉を継いだ。

「オレにとっての特別で、もう二度と手を放さないって決めたんだ。これから先も、隣でずっと生きていく。オレの特別で、大好きな人なんだ」
「うん。すごく素敵な人なんだね」
「そう。めちゃくちゃ素敵で大好きで、最高にカッコイイ」

 そう言ったお兄ちゃんは、真っ直ぐと私を見つめた。強く、射抜くようなまなざしに思わずたじろいでしまう。だって、どうしてこんな風に見つめられるのかがわからない。
 どぎまぎしながら視線を返すと、お兄ちゃんは大きく深呼吸をした。意を決したようなぴりりとした雰囲気。何を言われるのかと身構えていると、ゆっくり声が落ちた。

「オレが結婚したい人って、男の人なんだ」
「うん」

 告げられた言葉に、私はうなずく。なるほど。相手の人は女の人じゃなかったんだな、と思ったけれど、それ以外に感想がないからうなずく以外に反応ができない。
 お兄ちゃんはそんな私の様子をじっとうかがっているみたいだ。だから、私はそっと口を開く。何を言えばいいかわからなかったけど、黙ったままだとお兄ちゃんが心配するかも、と思って。

「えっと、結婚式はするの?」
「まだ決まってないけど……もしもする時はふたばも来てくれる?」
「もちろん! むしろ呼ばれなかったら悲しい」

 心から答えると、お兄ちゃんはほっと息を吐いた。それでも、どこかに強張りを残した表情でおずおずと問いかける。

「相手が男の人で同性で、ふたばは嫌じゃない? 無理してない?」

 真剣な顔で尋ねられるけれど、私は首をかしげる。
 確かに、結婚相手といって真っ先に思い浮かべるのは異性だと思う。割合から考えて、同性との結婚が珍しい話ではある、ということも理解している。だから意外に思うことは思うけど、それだけだった。
 だって、お兄ちゃんの結婚相手が男の人である、ということはただの事実以上の意味がない。夜が明ければ朝になるとか、春の次には夏が来るとか、そういうものと同じなのだ。特に嫌だとか無理だという気持ちは起こらなかった。
 だけど、お兄ちゃんは眉根を寄せて何だか苦しそうに言うのだ。

「気持ち悪いって思う人がいるのはわかってるんだ。ふたばはそんなこと思わないって言ってくれるし、実際そうだと思う。だけど、もしも少しでも嫌だなって思ったら、無理してほしくないんだ。ふたばの気持ちを、なかったことにしたいわけじゃないから」

 切々と告げられる言葉を聞く私は、「お兄ちゃんだなぁ」と思っていた。
 どんな時も、人の心を慮って、傷つく人はいないかと気にかける。今この瞬間だって、自分のことを気持ち悪いと思う心でさえ、尊重しようとしている。
 そんなことしなくていいのに。他の誰でもない自分の心を守るために、マイナスのものなんて見なかったふりをしてしまえばいいのに。
 それをしないのがお兄ちゃんで、お兄ちゃんの強さで大好きなところで、ちょっとだけ悲しいところ。
 思いながら、私はお兄ちゃんを真っ直ぐ見つめた。ゆっくりと、私の答えを口にする。

「気持ち悪くないよ。お兄ちゃんが大好きな人と結婚するなら、それが一番大事なことだと思う。相手が男の人だっていうのも、予想外だからびっくりしたけど、それだけだよ」

 自分の心を具体的に取り出せるわけじゃないから、もしかしたら気づいてない戸惑いだとかはあるのかもしれない。それでも、確かに言えるのは、気持ち悪いだとか嫌悪感だとかがないということ。
 その事実に、私はほっとしながら言葉を続けた。

「お兄ちゃんが、世界で一番大事な人と出会って、同じ気持ちで一緒に歩いていけるなら、それが一番嬉しいな。男の人だとかは、それに比べればあんまり大したことじゃないかも」

 自分の気持ちをつぶさに観察しながら言ったら、お兄ちゃんは息を吐き出した。困ったように眉を下げて、だけど瞳いっぱいに光をたたえて。

「パピーとマミーとおんなじこと言ってる」

 楽しそうに、くすぐったそうに、だけど何だか泣きそうな顔でお兄ちゃんは言う。お父さんとお母さんにはすでに言っていたらしくて、私が最後だったみたい。お兄ちゃんは、少しだけ揺れる声で続けた。

「びっくりさせちゃったのにさ。みんな、オレが幸せならいいんだって言ってくれるんだ。オレが一番幸せになれる相手なら、同性なんて大したことじゃないって言っちゃうんだもん。マジ、オレのファミリーすごすぎない? めっちゃラブ!」

 大きな口を開けて、きらきらとした光をこぼした笑みでお兄ちゃんは言う。ちょっとだけ泣きそうで、だけど嬉しそうだったから、私は「当たり前だよ」とうなずいた。
 相手が男の人である、ということはたぶん些細な問題ではないんだと思うけれど。でも、一番大事なことではないんだろうな、とも思っていた。
 お父さんもお母さんも、きっとそう言う。何が一番大切なものか、大事にしたいものは何か。見失わないで目を凝らしていることが、どれほど人生を豊かにしてくれるのかを、私たちはきっとずっと教えてもらったから。

「――でもさ、やっぱちょっとふたばに無理させちゃうんじゃないかって、ちょっと心配なんだよねん」

 少し声のトーンを落としたお兄ちゃんがぽつりと言うから。私は「どうして?」と尋ねた。無理なんてする必要があると思えないのに。お兄ちゃんは、静かな目で私を見つめて口を開く。

「どうしても、普通からは外れちゃうっしょ。親戚にも大っぴらには言えないから、隠しておいてほしいってお願いしちゃうし。普通じゃないオレの妹だってわかったら、何か言われちゃうかもだし。子供は作れないってなったら、ふたばは自分が頑張るとか言い出しそうだし!」

 最後はちょっと冗談めいた言葉だったけれど、たぶんこれはお兄ちゃんの限りない本音なんだろうと思った。
 確かに、もしも普通の状況なら、親戚には当然紹介すると思う。だけど、現実はそうじゃなかった。
 万が一外に話が漏れたなら、口さがない噂の対象になることも考えられる。だから、いろいろなことに神経を遣う必要があるし、本来ならしなくていいことなのだと思う。意識してなかったけれど、それは確かに、無理をする部類に入るのかもしれなかった。
 お兄ちゃんは、視線をそらさず言葉を続けた。静かで、しんとして、奥底に罪悪感を漂わせて。

「オレが普通じゃないから、ふたばに無理をさせたり嫌な思いをさせたりして、ごめん」

 普通じゃない、とお兄ちゃんは言う。それは、お兄ちゃんが一般的な会社勤めでないことも含んでいるんだと思う。
 お兄ちゃんは、大多数の人たちが進む道を選ばなかった。自分だけしか名乗らない肩書を背負って、自分の道を切り開く。その時点で、確かに普通とは違っていたのだけれど。さらに、そこには結婚相手が同性という要素が加わるのだ。
 普通であれば。会社員として働いて、異性と結婚する道であれば。お兄ちゃんがそんな風に道を歩いてきたなら、確かに今お兄ちゃんが言うようなことは何一つ必要じゃなかった。だからこそ、申し訳ないと言うけれど。私は思わず笑みを浮かべて、お兄ちゃんに答えた。

「お兄ちゃんが謝ることなんて、一つもないよ。だって、お兄ちゃんがお兄ちゃんらしく生きるのに必要な無理なら、いくらだってするよ」

 何も無理をしてない、と言うこともできたけれど、事実はそうじゃないのなら認めてしまったほうがいいと思った。
 その上で、大事なことを伝えるのだ。私のするべき無理は、お兄ちゃんが自然に生きていくために必要なことだ。それなら、申し訳ないなんて思わないでほしかった。

「それに、嫌な思いなんてしたことないから、安心してね。私だけじゃなくて、お父さんもお母さんも同じことを言うと思うな」

 普通とは違う道を歩くと決めたお兄ちゃん。それゆえの苦しみや重荷もきっとあるのだけれど、お兄ちゃんはあんまりそれを見せようとしない。だから、お兄ちゃんのために無理をできることは、ちょっとだけ嬉しくもあった。同じ荷物を持たせてもらえたみたいで。
 だからこそ、心からの言葉を告げれば、お兄ちゃんは思案気な表情で黙り込んだ。その沈黙に、私はおろおろしてしまう。怒ったりはしないと思うけど困惑させてしまったのかも。
 だけど、それも一瞬だった。お兄ちゃんはすぐに表情を一変させた。ぴかぴか光る笑顔を浮かべると、こらえきれない、といった様子で口を開く。

「ふたば、マジでベリサン! マイリトルシスター、めっちゃ最高! 大好き!」

 爆発するみたいな大きな声で言うと、「ハグしていい!?」なんて尋ねるのがお兄ちゃんらしい。
 断る理由なんて一つもないから「もちろん」と言って両腕を広げると、すぐにお兄ちゃんが抱きしめてくれる。小さい頃も、こんな風にぎゅってしてくれたことを思い出す。心の奥がふわふわして、私の唇からは笑い声がこぼれていった。


******



 はっと我に返る。
 お兄ちゃんから結婚報告を受けた時のことを思い出していたら、ずいぶん時間が経っていた。約束まではまだ余裕があるけど、何か手伝うことがあるかもしれない、と自室を出た。
 仕事に慣れたら一人暮らしをしようかな、と思っているけれど、まだ実家暮らしなので、その間に家事はいろいろ覚えなくちゃ。
 思いつつリビングに入ると、お父さんは電話中だった。相手はどうやらお兄ちゃんみたい。私はその姿を横目にとらえつつ、キッチンのお母さんに声を掛ける。
 何か手伝うことはないか、と聞くとふんわりとした笑顔で「大丈夫よ」と言われた。ちょっとしたお茶菓子を出すくらいだから、そこまで準備することがないらしい。
 私がうなずくと、ちょうどそのタイミングでお父さんの電話が終わった。お母さんがキッチンから戻ってきて、ソファに座るお父さんの隣に腰掛けた。すると、「ふたば、ちょっといいかな」と言われる。何だろう、と思ったら対面に座るよううながされる。
 どこかあらたまった様子に、私の心臓がどきんと鳴る。
 何だろう。今お兄ちゃんと電話してたけど、何かあったのかな。悪いことじゃないといいんだけど。ドキドキしながらソファに座ると、お父さんがゆっくり口を開く。

「今、一成から電話があったんだ。もうすぐ到着するみたいだ」
「コインパーキングに停めて歩いてくるみたいだから、あと十分くらいね」

 お母さんも言葉を添えるので、こくりとうなずく。お兄ちゃんたちは車で来ると言うことは聞いていたから、特に目新しい情報ではない。それなら、一体何が、と思いながら言葉の続きを待つ。

「――本当なら、もっと早くにきちんと話をするべきだとは思ったんだ。一成にもそう言われてはいたんだけどね……直前になってしまって、ふたばには申し訳ないことをしたと思う」

 神妙な面持ちでお父さんが言うけれど。私はハテナマークを浮かべることしかできない。どうして謝られているのか、まるで見当もつかなかったから。

「言い訳になってしまうけど、心配だったのよ。もう大人になったんだから、大丈夫だろうとは思ったけど――万が一ということもあるでしょ」

 弁解するような口調で続いたのは、お母さんだった。
 曰く、ようやく仕事に慣れてきたところで調子を狂わせては、周りの人たちにも迷惑になってしまうかもしれない。当日だけにすれば影響は少ないだろうし、本人の負担も短時間で済むはず。
 そういう考えのもとの判断なのだ、と言われても私の疑問はまるで解消されない。困惑していると、お母さんは申し訳なさそうな顔で、「だから」と言葉を続けた。

「直前まで知らせないようにしようって、三人で決めたの。一成は最後まで、先に言っておいたほうがいいって言ったのを、私たちがお願いしたの」

 だからお兄ちゃんは責めないでね、と言われるけれど、私のハテナマークはさっきから増えていくばかりだ。一体何を指しているのか、全然わからない。

「ふたば、覚えてるかな。夏組のみんながうちへ遊びに来てくれたことがあっただろう。あの時、天馬くんが家に来ると知って、すっかり勉強が手につかなくなったこと」

 ずいぶんと懐かしい話を持ち出されて、私は目を瞬かせる。
 確かにそんなことはあった。ちょうど試験前だったから勉強しなくちゃいけなかったのに、全然頭に入らなかった。人生で初めて赤点を取ったのはあの時だけで、お兄ちゃんがなぜかものすごく申し訳なさそうだった。

「一成の絵が必要だとかでカンパニーの皆さんがいらっしゃった時も、天馬くんと鉢合わせしてへたり込んだでしょう」

 お母さんの言葉に、こくりとうなずく。事実だから否定のしようがなかった。
 家に帰ったらカンパニーの人たちがいてびっくりはした。ただ、それだけなら驚いただけで済んだのだけれど。何の前触れもなく天馬さんが目前に現れて、あまりにもびっくりして力が抜けて、その場に座り込んだ。

「ふたばが天馬くんのファンだということは、よくわかってるんだ。だから、目の前に天馬くんがいると驚いてしまうことも」
「テレビだとか舞台なら平気なのよね。でも、実際の天馬くんを前にするとちょっと挙動不審になるのよねふたばは。天馬くんが来る時は事前に連絡してもらえるようになったけど、その度に寝不足になってるし、電車は乗り違えるし、忘れ物が増えるし……」

 しみじみとした調子の言葉に、私は反論できない。お母さんの言葉はこの上もなく正しいからだ。
 私は皇天馬さんのファンで、お兄ちゃんは夏組所属だから接点自体はある。ただ、会いたいかと言われると首を振る。ファンとは言え実際に顔を合わせることを望むタイプではなかったし、むしろ恥ずかしいからあんまり視界に入りたくはないのだ。
 だからなのか、いざ目の前に天馬さんが現れると、何だか調子がおかしくなってしまう。普段は比較的慎重なのに、「天馬さんが来る」という情報を聞くと、途端にいつもの自分でいられなくなってしまうのだ。
 お兄ちゃんはそれをよく知っていたし、そもそもお兄ちゃんが家を出てしまったから天馬さんが我が家を訪れることはなくなった。だから、そういえばそんな話もあったなぁと懐かしい気持ちになるだけの話題のはずだった。
 ただ、今この場でわざわざその話をする意味を、私は考えている。
 もしかして、という可能性には思い至った。だけれど、まさかそんなはずはない、と自分自身が否定する。だってそんなこと、あるはずが――ないのだろうか、本当に。
 思い出すものはあった。カンパニーで過ごすお兄ちゃんのことはずっと見ていたし、ファンという立場から天馬さんのことも目で追いかけることが多かった。
 夏組は全員特別なつながりで結ばれているから、お兄ちゃんと天馬さんが二人で話している光景が、何だかとてもきらきらしているのも自然なことだと思っていた。だけど、もしかして、もしかしたら。
 心臓がどくどくと脈打つ。うかがうように、目の前のお父さんとお母さんに視線を向ける。
 もうすぐお兄ちゃんたちが来るというこのタイミングで、わざわざ懐かしい話をする意味が、一つしか思いつかない。
 だって、いきなり何でもない話を始めるとは思えない。今、この話をしたことには意味があるはずなのだ。だから、もしかして、という気持ちでじっとお父さんたちを見つめる。
 お父さんは私の視線を受け止めて、ゆっくりと笑みを広げた。困ったみたいで、だけど何だかすごく嬉しそうに。私が思い至った答えを全部知ってるみたいな表情で。

「一成の結婚相手は、天馬くんなんだよ」

 言葉が耳に届いた瞬間、心臓が驚くくらいの大きさで音を立てる。
 そのまま全身から力が抜けそうになったけど、どうにか持ちこたえたので。ああ、私も大人になったんだなぁと変なところで感心してしまった。







END



兄の結婚相手が訪れる、だけでもちょっと特別な日になるけど、ましてやそれが推しだったとか、絶対忘れられない日になるのでは?っていう。ぼんやりとこの話だけが念頭にあって、そこからいろいろ広げていきましたが、公式でふたばちゃんが天馬のファンって強いな……って思いました。