エピローグ




 花束を持って、天馬は歩いている。ヒマワリを中心とした夏らしい花束で、真夏の日差しにも負けない明るさだ。一成が喜ぶに違いない、と天馬は思う。
 順調に気温は上がっていて、歩いているだけでも汗が噴き出す。足取りが重くなってきたところで、ようやく目的地に着いた。
 慣れた調子で向かったのは、総合病院の中庭だ。芝生の緑があざやかで、あちこちに植えられた木々は勢いよく葉を茂らせている。頭上からは、降るように蝉の声が聞こえていた。
 適度に日よけになっているおかげで、少し過ごしやすい気がするな――と思った天馬は、はっとした表情を浮かべる。木陰の下の車椅子に気づいたのだ。
 さっと顔色を変えて、天馬は慌てて走り寄った。襟足まで伸びたあざやかな金髪に、大きな緑色の目。白のロングTシャツに、細身のジーンズ。木漏れ日の下にいたのは、一成だった。

「着いたら連絡するって言っただろ。暑いんだから中で待ってろ」
「待ってらんなかったんだもん。それに、直射日光じゃないしこの辺は風も入るから、そんなに暑くないし!」

 屈託なく言った一成は、木漏れ日を受けてきらきら笑った。実際、一成はひどく汗をかいているわけでもなかったし、火照った顔をしていることもない。恐らく、長く外にいたわけではないのだろう。それを確認した天馬は、「ならいいけどな」とうなずいた。

「むしろ、テンテンのが心配だし。はい、ちゃんと水分補給してねん」

 眉を下げた笑顔で一成は言って、自動販売機で買ったというスポーツドリンクを差し出した。実際喉も乾いていたのでありがたく受け取り、喉を潤す。
 半分ほど飲んだ辺りで人心地ついて、天馬はあらためて一成に向き直る。真剣な表情を浮かべると、持っていた花束を一成に差し出した。一成は「めっちゃ夏っぽい!」と目をきらきらさせて受け取る。

「外で会う時は花束持ってきてくれるの、マジ王子様って感じだよね~」

 一成は花束を抱きしめて、心の底からといった調子で言う。病室で面会する際は花束の持ち込みができないけれど、外で会う時は毎回花束を持参しているのだ。天馬は一成の言葉に、にやりと笑って答えた。

「一成が欲しいって言ったんだろ」

 夜の旧校舎で交わした、些細なやり取りが頭に浮かぶ。「オレが目覚ました時には花束持ってきてもらおっかな!」という一成の言葉を、天馬はずっと覚えていた。単なる冗談で、ちょっとした軽口でしかないことはわかっていたけれど、「欲しいなら持って行ってやるよ」と答えたのだ。一成との約束なら、必ず果たすと決めていた。だから天馬は、目覚めた一成に花束を持っていく。

「目が覚めてからも、こうやってちょこちょこ持ってきてくれるとは思わなかったよねん。やっぱりテンテン花束めっちゃ似合うし、王子様だな~って感じ!」

 はにかんだ笑みで言った一成は、嬉しそうに花束を見つめる。約束なら目が覚めた時だけで終わりだけれど、天馬はことあるごとに花束をプレゼントしている。天馬の負担になるのではないか――と一成は辞退しようとしたけれど、天馬は自分の意志だと押し切った。実際、一成が喜んでくれるなら何だってしたかったのだ。
 強引すぎるのではないかと心配していたけれど、天馬の想いを一成はきちんと理解しているのだろう。花束を渡すたび、一成は心からの喜びをあふれさせて受け取ってくれるのだ。

「マジでいつもありがとねん。めっちゃ嬉しい」
「いや、オレもこうやって渡せるようになって嬉しい。外に出てこられるようになるまでは、できなかったからな」
「それな~」

 明るく言った一成は、膝の上に花束を置いた。それから、慣れた調子で車椅子を操作する。木陰になっているベンチの隣で止まるので、天馬はベンチに腰掛けた。車椅子の利用も想定されているのだろう。座面はちょうどいい高さなので、一成とは視線が大体同じくらいになる。

「体調はどうだ?」
「めっちゃ元気~! 筋肉もだいぶ戻ってきたしリハビリも順調だし、さすが若いだけあるって言われる」

 一成は楽しそうに言って、ブイサインを掲げて見せる。天馬も自然と笑顔になりながら、あの日から今日までのことを思い出している。

 あの日――一成の容態が急変したと一成の父親から連絡があった日だ。万が一のことを考えてくださいと言われ、実際心臓の鼓動がだいぶ弱くなり今にも止まってしまうのではないか、という瞬間もあったらしい。しかし、一成はぎりぎりのところで踏みとどまった。さらに、危機を脱して容態が安定するのと同時に目を覚ましたのだ。
 天馬は一成が消えたあと、しばらく呆然としていた。ただ、すぐに我に返ると急いで寮に戻り、寮監である左京を説得して病院に駆け付けた。すると、目が覚めた一成に出迎えられたのである。あの時の混乱っぷりはすごかったよね~と一成はのんきに笑っていたけれど、当たり前だろう、と天馬は思う。
 その後は三角や椋、幸と九門も時間を見つけて病室に顔を出して、一成の目が覚めたことを喜び合ったのだ。幽霊だった時のことはすっかり忘れているかもしれない――なんて心配は杞憂で、一成は「会いたかったよん」と屈託なく笑っていた。

「ずっと寝たきりだったから、体力結構落ちてるのはびっくりしちゃった。目が覚めた時もさ、あれたぶん、体に戻ろうと思って頑張りすぎて、体の方がついていけなかったんじゃないかな~」

 しみじみとした調子で一成は言う。真偽のほどは定かではないけれど、あれは生命力が低下したからではなく、戻ろうとする力が強すぎて体が耐えられなかったのではないか、というのが一成の弁である。
 実際、長く寝たきりだったため一成の体力は落ちていた。昏睡中も理学療法を用いていたため、衰えを多少は軽減できたとはいえリハビリは必要だった。目が覚めたら即退院というわけにはいかず、一成は今も入院中だ。とはいえ、夏休み中には退院できるだろうという見通しだった。
 最初は病室とリハビリ室だけ、そこから病院内を動き回れるようになり、今は病院の外まで出てこられるようになった。だからこそ、天馬はこうして花束を持ってこられる。

「でも、目さえ覚めちゃえばこっちのもんだよね~。ちゃんとみんなと進級したいし! やりたいことたくさんあるし!」

 ぱっと顔を輝かせて言うのは、目覚めて以降、あらゆる課題を提出して追試験を受ける予定で勉強していることだ。長期間の休みは明らかに進級に不利ではあるものの、挽回の余地はあった。ただ、膨大な量の課題と追試験をこなさなければならないので、決して簡単にはいかない。しかし、一成は怒涛の勢いで課題を提出し、追試験の勉強を猛然と進めている。
 スケジュールをパズルのように上手く組み立てて、時間を一切無駄にしない。課題に関してもつまずくことはなく、教科書へ目を通せばすらすら答えが埋まっていく。その様子を傍で見ている天馬は、「本当にこいつめちゃくちゃ頭いいんだな……」と思うしかなかったのだ。

「まあ、元気になって何がやりたいかって、まず金髪にしたいとか言い出すのは誰も予想しなかっただろうけどな……」

 心からの感想を漏らすと、一成は楽しそうに「いえーい」と笑っている。
 リハビリを進めてある程度元気になったところで、一成は主治医に「髪染めていいですか!?」と尋ねたのだ。ついこの前ようやく許可が出て念願の金髪になったところである。天馬からすれば慣れた姿ではあるものの、見舞いに来た教師陣は目を丸くしていたし、元のクラスメイトたちだって驚愕するだろう。そもそも、キャラクターが違いすぎる。
 もっとも、天馬からすればこれが一成だ。だから意外に思うことなんてないし、むしろしみじみ「ああ、一成だな」と思っていた。

「うちの学校、校則ゆるいからピアスもオッケーなんだよねん。体力ついてきたら先生もいいって言ってくれると思うし、そしたら絶対開けたい!」

 きらきらした笑顔で力強く言った一成は、さらに言葉を続ける。わくわくとした表情で、はちきれんばかりの喜びを抱えて。

「テンテンとコンビニ行って、新作いっぱい買いたいし。ファミレス行ったら、ドリンクバーのおすすめミックスジュース作ってあげんね。あ、テンテンに似合う服も選びたいし――夏祭りは八月どっかで行けるかな。くもぴ帰ってきたら、花火だし!」
「ああ、椋も甲子園行くって言ってたな。お兄さんの――十座さんと試合応援するって張り切ってたぞ」

 一成の言葉に、思い出したように天馬も続いた。九門は地方大会予選を勝ち抜いて、甲子園出場を決めていた。決勝戦は寮でも大盛り上がりしたし現地へ応援に行っていた生徒も多数いたようだ。天馬も一成と、決勝戦の行方を見守っていた。
 九門は甲子園へ出発する前に、椋と一緒に一成の見舞いに来ると言っていた。さらに、現在家族旅行中の幸もお土産を持っていく、と約束している。

「すみーは毎日補習っしょ? 今日も帰りに寄ってくれるって言ってたよん」

 嬉しそうに言う一成の言葉通り、三角は連日補習である。もともと不登校気味だった三角は、総合的には一成よりも不登校期間が長い。さらに、三角の場合課題を提出し忘れるという恐れもあるので、学校で都度試験を行うという方式になっていた。そのため夏休みはほぼ毎日登校することになっているものの、本人は「みんなと卒業したいからがんばる!」と張り切っている。
 天馬は家に帰らず寮で過ごしているので、結果的に三角とはほぼ毎日顔を合わせている。なぜか一緒にお昼を食べているので、ほとんど毎日おにぎり生活である。

「ほんとはさ、旧校舎もちゃんと見に行きたいんだけどねん」

 それまでの明るさではなく、遠いまなざしを浮かべた一成がつぶやく。旧校舎はすでに、解体工事が始まっている。まだ内部の撤去中ではあるものの、いずれ重機によって建物自体がなくなるだろう。入院中では、その姿を見ることができないと思っているのはわかった。

「一時外出ができるなら、少し見に行くくらいはできるんじゃないか。オレも三角もサポートはできる」

 一成は、せめて建物がなくなる前に旧校舎を見たいと思っているのだろうと察していた。退院を待っていたら、解体が始まってしまう可能性はある。だからこその言葉だ。一成の今の様子なら外出は許可されるのでは、と天馬は考えていた。

「そだね。ちょっと聞いてみる」

 一瞬目を瞬かせたあと、一成は楽しげに笑って「夏休みの予定に追加しておこうかな」と続けた。入院中であるとはいえ、すでに夏休みは始まっているのだ。退院してからはもちろん、その前だって予定を入れることはできるのだと、あらためて知ったような表情だった。

「そういえば、テンテンの夏の予定はどんな感じ?」

 はっとした表情で、一成が問いかける。いたずらっぽい笑みが浮かんで、弾むような声をしていた。どんな答えが返ってくるか、わかって聞いているのだ。だからこれは単なるじゃれ合いみたいな会話で、冗談めかした言葉を返してもいいのかもしれない、と思ったけれど。天馬は少し考えたあと、素直に答えた。

「一成に毎日会いに来る」

 取り立ててどこかへ行くという予定はないし、大きなイベントがあるわけではない。一成や三角、椋たちと花火をしたいだとか、その他夏休みにやりたいと言っていたことを実行する予定はあるけれど、まだ具体的ではない。唯一確かなことは、これだけだ。
 一成は天馬の言葉に笑みをこぼす。頬を薔薇色に染めて、やさしく目を細めて。照れくさそうに、幸せそうに。

「テンテンがいっぱい会いに来てくれるの嬉しい」

 そう言うと、一成は周囲を見渡す。見舞客や入院患者らしき人間はちらほらいるけれど、二人の周りには誰もいなかった。それを確認したのだろうか。一成が天馬の手を握った。
 天馬は一瞬驚いた顔をしたものの、すぐに力強く握り返す。決して離すまいとするように、一成の全てをつなぎとめていようとするように。
 いくら木陰にいるとは言っても、冷房が効いているわけではない。暑さは漂っているし、手のひらにはじんわりと汗だってかいていた。こんな状況でお互いの熱を分かち合っているなんて、不快に思ってもおかしくはないのに。確かな手の感触が、伝わる熱が、湿った汗ですら天馬は嬉しかった。きっとそれは一成も同じだと、疑いなく思えた。
 触れ合えなかった体を、感触のない手のひらを知っている。手は重なることなく、お互い通り抜けるだけだった。どれだけ望んでも手をつなげない。こんな風に過ごせることは、何一つ当たり前じゃなかった。わかっているから、二人は何も言わないままお互いの体温を、お互いの確かな存在を、触れた手のひらから感じ合う。
 おだやかな沈黙が流れる。蝉の声もどこか遠く感じられた。風が通り過ぎて、木々を揺らした。木漏れ日が一緒に動いて、きらきらと光が揺れる。遮るものがない芝生の上には、太陽の光がさんさんと降りそそぐ。中庭は明るい日差しで満たされて、何もかもがまばゆい。
 天馬と一成は、この光景の意味を理解している。こんなにも明るい場所で、隣同士で手をつないでいる。外灯に照らされた夜の旧校舎で出会った。朝になれば消えてしまう。ほんのひととき、夜だけしか会うことはできない。別々の世界に生きているのだと、同じ場所では生きられないのだと、夜を過ごすたび思い知らされる。
 だからずっと望んでいた。朝になっても一緒にいたい。夜明けまでの関係で終わりたくない。それは確かに叶えられたのだ。夜を超えて、朝を迎えて、二人の世界は今こうして交わっている。閉じられた世界から広い世界へ飛び出した。ここでなら、夜を超えても一緒にいられる。朝になっても消えやしない。確かにここで、お互いの体を感じ合っていられる。

「――ところで、いつになったらちゅーしていいの?」

 思い出した、といった顔で一成は問いかける。いたずらっぽい雰囲気がいっぱいで、天馬をからかう気でいることはわかった。ただ、天馬としてはきちんと答えたかったので、重々しく言う。

「それは……何か、退院するまではだめだろ」

 一成は調子がいいと言っていたし、実際だいぶ元気に見える。ただ、入院中であることは事実だ。一成の体が心配なので、ひとまず退院するまではそういった触れ合いはだめだ、と天馬は思っている。一成はその言葉に、「りょっす! 退院の楽しみが増えたな~」と笑った。嬉しくてたまらない、といった表情は天馬に大切されている、ということを実感しているからだろう。
 ただ、一成は少し思案するような表情浮かべる。それからすぐに体を寄せると、天馬にそっと耳打ちする。

「ファーストキスって、どっちでカウントしよっか?」

 何の話か天馬は理解している。一成が目覚めて以降、触れ合うとしても手をつなぐかハグをする程度で、それ以上のことはしていない。それでも、一成が言いたいことはわかっていた。
 天馬が一成に想いを告げた夜。空が白むまで、二人で寄り添って時間を過ごした。太陽が昇り、夜が明けた瞬間に確かに二人の唇は触れ合った。天馬も一成も、あの瞬間を覚えている。
 一成の問いに、天馬は少しばかり沈黙を流す。それから、ゆっくり口を開くときっぱり告げた。

「どっちもカウントする」

 ずるい答えだろうか、と思うけれど一成が首を振ることはないとわかっていた。だってきっと、同じ気持ちだ。
 今ここで一緒にいられることの意味を、誰より強く理解している。だけれど、夜の校舎で過ごした時間だって大切だった。何もかもをなかったことにはしたくない。幽霊だった一成との日々だって、天馬にとっては大切な思い出だ。一成と分かち合った瞬間は、何一つ忘れたくなかった。あの時のキスをなかったことにしたくなかったし、これから交わす口付けも、どちらも同じように大事にしたかった。だからこその答えだ。

「――そだね」

 天馬の気持ちを受け取ったことを示すように、一成は嬉しそうにうなずいた。その顔にはきらきらと木漏れ日が降り落ちる。
 夜の校舎で二人は出会った。夜明けまでの、ほんのひととときだけの逢瀬。朝になれば消えてしまうのが運命だと思っていた。しかし、今はもう朝も昼も夜も、いつだって傍にいられる。これから先まで、ずっと隣にいられる。その事実を噛み締める天馬は、まぶしそうに一成を見つめている。








END