そしてライカと夢を見る
その晩、天馬は夢を見た。珍しく、夢を見ていることを自覚している夢だった。
なぜか天馬は宇宙にいて、宇宙服を着ている。宇宙服は後ろの宇宙船とつながっていて、船外活動中なのかもしれない。
一体どういう状況なのか、と周囲を見渡すと、宇宙船の後ろには青い地球があり、遠くには月らしき天体が見えた。それ以外は漆黒の闇が広がっており、他には何もない。
地面もない空間だ。心もとなく漂っていると、前方から誰かがやって来る。宇宙空間とは思えない気軽さで現れたのは一成だった。
宇宙服を着ることもなく、街中を歩き回るような格好で、隣には小さな犬が一匹。一成は明るい笑顔で近づいてくると、朗らかに言った。
「テンテン、宇宙服も似合ってんね!」
「……なんでお前は何も着てないんだよ」
「だってオレは、宇宙生まれ宇宙育ちだもん! 宇宙服なんて要らないに決まってるっしょ!」
告げられた言葉は、眠る前の会話を思い出させる。地球に自分の居場所はないという一成。宇宙に放り出されているというならば、宇宙生まれ宇宙育ちというのも間違いではないのかもしれない。
宇宙服越しでも会話が成り立つのは不思議だったけれど、夢だからだろうと天馬は結論づける。一成は何だか嬉しそうに口を開いた。
「ねね、テンテンもっとあっちのほう行こうよ。ライカももっと走りたいって言ってるし!」
きらきらと目を輝かせて、傍らの犬を示す。体の部分は白い体毛で覆われ、顔や耳だけが黒い毛だ。立った耳の先っぽが少し曲がっている。
つぶらな瞳で天馬を見つめており、おとなしい気性なのか、吠えるようなことはしない。
ライカ。一成から聞いた、片道切符で宇宙に送り出された犬の名前。何か根拠があるわけではないのに、天馬は目の前の犬がそのライカなのだろうと思った。
宇宙に独りぼっちで残された。死を待つ運命だった。だけれどきっと、心やさしい宇宙人に拾われてスプートニクから助け出されたのだ。
「おとなしい子だけどねん、走るの大好きなんだよん!」
言いながら、一成はライカを抱きあげた。小さな体はすっぽりと腕におさまる。やさしく頭を撫でると、ライカは気持ちよさそうに目を細めた。
「テンテンも一緒に散歩行こうよ!」
明るい笑顔でそう言って、前方を示す。一成は楽しそうに「ほら、あっち星の花畑みたいになっててめっちゃきれいっしょ」と指をさす。
一成は、星屑がきらきらと光って花畑のようになっているのだ、と告げるけれど。天馬の目には、ただ漆黒の宇宙空間が広がっているようにしか見えなかった。
「ライカのお気に入りの場所なんだよねん。テンテンも絶対気に入ると思うよん」
嬉しそうに一成は言って、腕の中の小犬へと語りかけた。ライカは小さく鼻を動かして一成に答えたあと、ちらりと天馬へ視線を向けた。一緒に行こうと誘っているようだ。
そうだな、と言えばいいと思った。一緒に行こうと言えばいいのだと。しかし、天馬は理解している。
一成の示す場所が、天馬にはわからない。天馬に見えるものと、一成に見えるものは違っている。
恐らく、自分が行けるのはここまでだ。天馬の目には映らない世界には、きっと行けない。宇宙船につながれた自分の行ける範囲はここまでなのだと、わかっていた。
だから、一緒には行けないのだと告げれば、一成は「そっか」とつぶやいた。しょんぼりと肩を落とすので天馬の胸はちくりと痛むけれど。一成は、すぐに顔を上げるとぱっと笑って言った。
「残念だけど――それなら、ライカ、オレと行こっか!」
抱きあげたライカに向かってそう声を掛ければ、小さな声で「わん」と答えた。しっぽがぶんぶん揺れていて、一成の言葉に全身で喜びを表している。
一成はにっこり笑うと、抱きあげていたライカを腕から解放した。地面なんてないはずなのに、ライカは一成の足元にちょこんと座った。
一成は何だか嬉しそうに「お利口さんだねん!」と声を掛けている。ライカは少し口を開けて、一成を見た。舌がのぞいて口角が上がり、まるで笑顔を浮かべているようだ。一成はいっそう笑みを深めた。
「それじゃ、テンテン。ちょっと行ってくるねん。お土産期待してて!」
それだけ言うと、一成は軽やかに走り出す。「行こう、ライカ!」の声を合図に、ライカも跳ねるように駆け出した。小さな体をめいっぱい躍動させて、一成と一緒に走ることが楽しくて仕方ないと全身で伝えるように。
一人と一匹は、ダンスでも踊るような足取りで真っ直ぐと駆ける。決して離れることなく、寄り添うように走っていく。天馬はその背を見送っている。
宇宙服の天馬には、あんな風に軽やかに走ることができない。一成に見えている星の花畑もわからないし、宇宙船につながれたままではここから動くこともできない。
一成があんな風に走れるのは、星の花畑を目に映せるのは、きっとここが一成のいる場所だからだ。
天馬が一緒に行けないのは、同じものが見られないのは、天馬のいる場所は宇宙ではなく地球だからだ。
同じ世界を生きてはいないんだな、と天馬は思う。
天馬と一成。二人の生きる場所はどうしたって違っていて、同じものを見ることも同じ場所へ行くこともできないのかもしれない。それでも、と天馬は思う。
オレたちは別々の世界に生きている。宇宙と地球。似ているけれど、どこかが決定的に違っている。だから、同じものを見られないし、同じものを分かち合えないのかもしれない。
だけれどそれなら、それぞれの場所で見たものを持ち寄って、そうして一つにしてしまえばいい。
お前に見えないものは、オレたちが教えてやる。オレたちに見えないものは、お前が教えてくれればいい。お土産を期待してて、と言ったみたいに。
違う世界に生きているなら、見ているものが別々なら、持ち寄って一つにして、新しい世界を作ればいい。だって、どこにいたって違う世界にいたって、お前が夏組であることは変わらない。
心から思うけれど、天馬は同時に理解している。
きっとそう言えば、一成は嬉しそうに笑うのだろう。夏組の誰も、一成が別の世界に生きているからと線引きをすることもしないし、一成は喜んでその事実を受け取ってくれる。
だけれど、それでも心の全てを掬いあげることはできない。
どうしても、別々の場所に生きていることが辛くて悲しくて仕方ない日は訪れるのだ。どんな言葉も、どんな行動も、ぼろぼろとこぼれていってしまうような日が。
そんな時はどうか、と天馬は思う。隣で一緒に駆けていった小さな犬に、一成に寄り添っていてくれた彼女に思う。
その時はどうか、独りぼっちの一成の隣にいてやってくれ。
無理に笑う必要なんかない。辛いのならそう言って、心を殺さず思いの限りに泣けばいい。
そうして泣き疲れたのなら、一人と一匹は寄り添って眠るのだ。安らかに、穏やかに、まぶたの裏に幸福を描いて。
そしてライカと夢を見る
END