よるにいろづく



 
 
(どうかそこでわらっていて)






 喉の渇きを覚えて、天馬はこっそりと部屋を出た。同室の幸を起こさないよう気を遣ったのは、純粋に申し訳ないという気持ち半分、見つかればキツイ言葉が飛んでくることがわかっているゆえの防衛策半分だ。こんな時間まで課題に追われていて寝られないなどということがバレたら、それこそどんな毒舌が飛び出してくるかはわからない。

 夜はすっかり更けている。寮内の人間は大よそ眠っているだろう。どこかのゲーマーたちはむしろこれからが本番かもしれないけれど。天馬は静かな足取りで階段を下り、談話室を目指した。

「――あっれー、テンテンじゃーん!」

 談話室から光が漏れている時点で、誰かがいることはわかっていた。件のゲーマー組だろうか、と思ったのも一瞬で、談話室のソファに座っていたのは一成だった。明るい笑顔で天馬に手を振る。机の上には紙が散らばり、傍らにはティーカップが置かれていた。部屋には他に誰もいなかった。

「どしたの、テンテン、眠れない系?」

 底抜けに明るい笑顔を浮かべたまま、一成が尋ねる。基本的に天馬は宵っ張りの人間ではない。役者として健康にも気を遣っているから、規則正しい生活を心がけているのだ。その辺りのプロ意識が並大抵でないことはわかっているので、一成も不思議に思ったのだろう。天馬はわずかに眉を寄せ「そういうわけじゃない」とだけ言う。しかし。

「――あ、もしかして課題やばたん?」

 一成は案外勘が鋭い。閃いた、という顔で言われて天馬は言葉に詰まる。その一瞬を見逃す一成ではないので、「オケオケ♪」と納得していた。そういえば締め切りもう少しだったわ、とからから笑っている。

「たいっちゃんが言ってたヤツっしょ~? つむつむに泣きついてたの見たし」

 思わず顔をしかめてしまったのも仕方ないだろう。同時に、こういう時、同じ学校の同学年が一つ屋根の下にいるというのは厄介だと、天馬は思う。課題の状況も筒抜けで誤魔化しが利かない。

「――丁度撮影が立て込んでただけだ」

 夏組のリーダーとしてそこはきちんと表明しておかなくてはなるまい。決して、課題をおろそかにして先延ばししていたわけではないのだ。撮影が重なったがゆえに中々時間が取れなかったのが大きな理由だ。断じて怠けていたわけではない。いささか強い語気で告げれば、一成はあっさり答えた。

「わかってるよん。テンテンってば真面目だしー、サボりとかじゃないっしょー」

 当然のように放たれた言葉に、天馬は目を瞬かせた。それから、そうだった、と思い直す。そうだ、一成はこういう人間だ。

 確かに一成はチャラチャラしているし、雰囲気も軽い。明るい空気を常にまとい、ことあるごとにちょっかいをかけてくるのも事実だ。だけれど、奥底に宿る人となりを、天馬は充分に知っていた。
 一成はいつだって相手の言葉をきちんと受け止める。からかったり茶化したりはするけれど、わざと意地悪く取ったり、蔑んだりすることはない。放たれた言葉を抱きとめて、やわらかく返すのだ。息をするように自然に、当たり前みたいな顔をして、気づかないほどのさりげなさで、いつだって相手を受け入れる。

 それを改めて思い出した天馬は、一つ息を吐き出してからここまで来た理由を告げる。考えてみれば大したことではないし、わざわざ誤魔化す必要もない。一成相手なら余計に。

「ちょっと喉が渇いたから、飲み物取りに来たんだよ」

 課題が終わっていないのも事実だが、ここまで来たのはそもそも何かを飲むためだった。水でいいか、とキッチンへ向かいかけたのが。それより早く、一成が勢いよくソファから立ち上がった。

「テンテン、ちょっとそこ座ってて! オレがお茶淹れてあげるから待ってて!」

 何だかやたらと嬉しそうに言うので、若干不思議に思った天馬だが、まあわざわざお茶を淹れてくれると言うなら拒否する謂れもないだろう。そう思い、天馬は指示通りソファに座った。普段なら眠っている時間ということで、頭が鈍っていたということもある。一成は満足そうにうなずき、キッチンまで足取り軽く進んで行った。

 何となくそれを見送った天馬がぼんやり視線を動かすと、机の上に散らばった紙が目に入る。よくよく見れば、そこには何枚ものデッサンや何らかの構図が描かれていた。そういえば、一成は美大生なのだ。日頃の言動から、昼夜を問わず繁華街で遊び回っている人種のように見えるが、紛れもなく現役美大生なのである。彼の卓越したセンスについては、カンパニーの人間なら誰もがうなずくことだろう。
 何が描いてあるのか、と思わず手を伸ばす。目を通せば、そこには桜、向日葵、秋桜、水仙のデッサンが描かれており、上手いものだと思う。普段の言動からはまったく想像がつかない。何より、紙に描かれたものたちは、いつもの一成の雰囲気とはまるで違って、静謐な雰囲気をたたえている。

(――お)

 別の紙に目を通した天馬は、内心声を上げる。そこに描かれているのは、南国を思わせる花――ハイビスカスだったからだ。
 鉛筆で描かれた花には、もちろん色などついていない。しかし、紙の中の花はあざやかな色をたたえているように思えた。夏の太陽の下、鮮烈な赤を宿し、力いっぱい咲き誇るような。南国の風景をそのまま切り取ったようだった。まっさらな、ただ明るい光が満ちている。まばゆいばかりの夏の太陽が、絵の向こうにはあるような気がした。

(これは一成らしい)

 ハイビスカスと一成を同時に思い浮かべてみると、とてもしっくり来る気がして、天馬はこっそり笑った。どこか南の島で、真夏の太陽に照らされて、ハイビスカスと笑っている光景は、一成によく似合う。そういえば趣味はスキューバダイビングらしいし、あいつは南国がよく似合うよな、なんて。思っていたら声がした。

「どしたのテンテン。楽しそーじゃん♪」

 お茶を淹れ終えたらしい一成が戻ってきていた。咄嗟に持っていた紙を机の上に戻す。一成はカップを二つ持っていて、どうやら自分の分も新しく淹れてきたようだ。天馬にカップを手渡すと、自身は向かいのソファに座る。

「悪いな」
「いんやー、お安い御用!」

 言った一成は、ちらりと視線を動かした。何でもない所作だったが、一成の絵を見ていたことが発覚するのではないかと気恥ずかしくて、天馬は誤魔化すように渡されたカップに口をつけた。のだが。

「ぶっは!! なんっだこれ、酸っぱいぞ!?」
「あははは! やったテンテン、その顔ナイス! マジサイコー!」

 爆笑しながらスマホを向ける一成に、天馬は理解する。こいつはこれを狙って、自分がお茶を淹れるなどと言い出したのだ。連写機能を駆使して天馬の醜態を収めている一成は、「即インステ上げ! ええなマジヤバそ~!」などと笑っている。

「……おい、一成。これは何なんだよ」

 一通り写真を上げ終えたらしい一成に向けて問うのは、カップの中身だ。よく見れば、カップの中の液体はあざやかな赤色をしていた。コーヒーか紅茶だろうと早合点して中を確かめなかったけれど、飲む前に見ていたらすぐにわかったはずだ。一成は笑顔の気配を残したまま、天馬の問いに答える。

「これはね、テンテン! ハイビスカスティー!」

 飲んだことあった? オレ初めて飲んだけどちょー酸っぱくてマジテンアゲだったわ~! なんて、おかしそうに笑っている。天馬からすれば、言いたいことは色々あった。何でわざわざオレにこれを飲ませたのかだとか、他人をからかって遊ぶなだとか、本当に色々とあったのだけれど。

「ずっと課題とかやってると嫌になるじゃん? だからほら、気・分・転・換!」

 天馬が何かを言うより早く、一成が言った。いえーい! とブイサイン付きで、きらきらとした輝きを散らして笑っている。その目があまりも楽しそうで、嬉々とした雰囲気を漂わせているので、口にしようとした言葉がしぼんでいく。

 何だそれは。百歩譲って気分転換だとしても、どうして奇抜な飲み物を持ってくるって所に落ち着くんだよ。謎すぎるだろう。確かに思っていたのだけれど。口にする代わりに、大きく息を吐き出した。

「……まあ、一成らしいよな」

 何だかよくわからない方向へ気遣いが発揮されるのは、三好一成という人間らしい気がした。悪気がないのは確かだし、むしろ本当に気遣いの一端なのだろう。同時に全力で遊んでいるだけで。一成はその言葉に、能天気な笑顔のまま口を開く。

「え、なにそれ、どゆこと?」
「褒めてるんだよ」
「マジで! テンテンに褒められた~! 記念パシャ☆」
「撮るなよ!」

 とりあえず突っ込むが、大したダメージではないだろう。天馬は何だか色々とどうでもよくなってきた自分に気づく。張りつめていたものが緩んでいく。肩の力が抜けて、強張りがほぐれていくような気がした。天馬は一つ息を吐き出すが、それは決して溜め息ではなかった。



「――ハイビスカスティーなんて、どこで売ってるんだよ」

 あまり見たことないな、と思いつつカップに口をつける。最初は想定外の酸味に思わず吐き出しかけたが、味を知った上で飲むと案外悪くなかった。

「大学の友達にもらったんだよね~。眠気覚ましにもなるし」

 言いながら、一成もゆっくりカップを傾ける。それを眺めていたが、はたと気づいて質問を投げる。

「そういえば、一成は何で起きてるんだ」

 一成は天馬と違い、しょっちゅう夜半まで活動している人間なのであまり気に留めていなかったが、無意味に起きているわけはないだろう。何か理由があるはずだ。一成は天馬の質問に、ゆっくりと口を開く。

「んー、オレもちょっと課題クンに追われてる感じ」

 机の上の紙を広げ、課題が花鳥画だからその花選んでるんだよねー、と告げる一成の口調は少しぼんやりしている。いつもの明るさやハキハキとした物言いとはまるで違っていて、意外に思う。

 同時に、これはきっと、外での三好一成の顔なのだろう、と天馬は思う。寮内にいる時の、MANKAIカンパニー夏組の三好一成ではなく。天馬にちょっかいをかける時の楽しそうな顔でも、稽古中の懸命さでもない。舞台を躍動して動き回る快活さとも、フライヤーをデザインする時の真剣な横顔とも違う。自分の知らない場所で生きている時、一成はこんな表情を浮かべているのだろう。
 思った天馬は、じっと一成を見ていた。

 どこか茫洋とした雰囲気で、憂いを含んだようなまなざし。普段軽快な言葉を吐き出す唇も、今はしっかりと引き結ばれている。いつもの様子はすっかり影を潜めて、まるで別人のようにさえ見える。もちろん、天馬の知らない顔くらい持っていてもおかしくはない。だからそれは、不自然なことではないし、特別気にする必要はないのかもしれない。わかっているのだけれど、目が離せなかった。

「どしたの、テンテン」

 思わずじっと見ていると、視線に気づいた一成が尋ねる。いつもの様子に近い、明るくて軽い空気を含んでいた。天馬は首を振り、「何でもない」と告げる。それから、誤魔化すように口を開いた。

「ハイビスカスティーもらったから、ハイビスカスなんて描いてるのか」

 それ、と示すのは机の上に散らばる紙の一枚。一成が広げた紙の内、先ほど天馬が見ていたハイビスカスの絵だ。一成は一瞬だけ瞬きをした後、ぱっと笑みを浮かべた。

「そそ! 花なら色々試してみよって思って、ハイビスカスもありかも~? って」

 画題を選ぶための一環として、友人にもらったハイビスカスティーから着想を得たらしい。お調子者で軽い人間ではあるが、何だかんだと真面目な所もあることを、天馬は知っていた。仕事は早いし、手を抜くこともない。だからこそ、あれこれと試しているのだろう。

「――いいんじゃないのか」

 ぽつり、と口から出ていたのは、ごく当たり前に思ったからだ。一成が目を瞬かせて「え?」とつぶやくので、天馬は少し考えてから「ハイビスカス」と言葉を継ぐ。

「南国の花だしな。お前によく合うと思う」

 一成を思い浮かべると、大体いつも笑っている。楽しそうに、大きく口を開けて、明るい光を放つみたいに。眉を少し下げて、頬を赤くして、わずかに照れるみたいな顔をして。そういう風に笑っている一成は、太陽の下にいるみたいで、ハイビスカスはよく似合うと思ったのだ。だからそう言ったのだけれど。

 一成は、天馬の言葉に珍しく数十秒黙った。いつもならテンポよく言葉が返ってくるのに、オレは何か変なことを言っただろうか。思っていたら、「テンテンってば!」と叩かれた。

「花が似合うとかオレに言ってどーすんの! てか、オレもしかしてテンテンに口説かれてる!?」
「ばっ……! 口説いてない!」

 どういう結論だ! と言い返せば、一成は軽い調子で笑う。反論がまったくこたえていないことだけはわかって、釈然としない。天馬は強い口調で言葉を続ける。

「お前は、太陽の下で馬鹿みたいに笑ってるのが似合うってだけだ。その絵みたいな、真夏の太陽の下が一番ぴったりだって話してんだよ」

 だって三好一成というのはそういう人間なのだと、天馬は思っている。
 明るい笑顔で他人を巻き込み、軽い調子で突っ込んできて懐に入ってくる。他人を不快にさせることのない絶妙な距離感で、暗澹たる雰囲気の中でも太陽を連れて来るみたいにして、その場を明るくしてしまう。
 笑っている顔をよく思い出す。いつだって、どんな時だって、一成の浮かべる表情は笑顔ばかりだ。

 だけれど、本当は同じくらいに知っている。
 一成が笑顔でいることは、いつだって笑っているのは。それは何も考えていないからではなく、あらゆることを考えた上で、笑うことを選んだからだ。

「ハイビスカスの咲く場所なんてぴったりだろ」

 南国と一成という組み合わせがとても似合うと思ったのは本当だ。それはもちろん、一成自身の持つ突き抜けるような明るさにも起因しているのだけれど。だけれどそれよりも、と天馬は思っている。

 ハイビスカスの咲く風景は、まばゆいほどの光が散っている。抜けるような青空の下、ただ光を浴びて咲いている。
 そういう風景がいい。そういう場所がいい。天馬の知る一成という人間は、そういう所で笑っているのが一番似合う。

 南国の太陽に照らされて笑っていればいいのだ、と天馬は思う。翳りなど一つもない、ただまっさらと明るいだけの光の下で笑っていればいいのだ。
 だって彼の明るさは。彼自身の持つ明るさは、当たり前なんかじゃなく、自分自身がそうあろうとしたからここにある。

 いつだって思い浮かぶのは笑っている顔ばかりだ。その明るさは何度も自分たちを救ってきたし、今では夏組になくてはならないものだと言っていい。
 だけれどその明るさは、決して簡単なことではなかったのだと、天馬は知っている。いつだって笑顔でいること。明るくいること。それは彼の決意の証だ。悲しいくらいにやさしい、彼自身の心そのものだ。だから、と天馬は続ける。

「お前は、馬鹿みたいに笑ってればいいんだよ。悩んでるのが阿呆らしくなるような、突き抜けた光の中で、ずっと笑っていればいい」

 だって一成の明るさは、何一つ当然じゃなかった。相手の心を受け止めて丁寧に返してゆくやさしさも、決して相手を否定せず寄り添おうとすることも、いつだって笑顔で周囲を照らす強さも、彼が彼であることは決して当たり前じゃなかった。
 そんな一成ほど、あんなにまばゆい光に照らされているのに相応しい人間はいない。その笑顔と同じくらいに、ありったけの光が降ればいい。ハイビスカスの咲く場所で、目いっぱいに光を浴びて笑っていればいい。きらきらと、目を見張るほどの輝きを散らす場所がいい。影なんて一つもない、燦々と降りそそぐ光が相応しい。だからこそ。

「ハイビスカスはお前に相応しい花だ」

 きっぱり言い切ると、一成が「テンテン……」とつぶやいた。そこにはいつものような覇気も、力強さもなかった。弱々しい、か細げな声にドキリとする。また何か失言でもしてしまったのか、傷つけてしまったのか、と身構えたのだけれど。
 ふわり、と一成が笑った。

「馬鹿みたいって、要らなくない?」

 へにゃりと眉を下げて、潤む瞳を細めて。照れるように頬を染めて、一成が笑う。

 心臓を掴まれたような気がした。鼓動が頭にまで響いている。意識しなければ呼吸を忘れてしまいそうだった。一成の笑み。いつもの笑顔に似ていた。だけれど違った。知らない。こんな笑みは知らない。こんなにも瑞々しく、恵みのように笑うなんて。こんなにもやわらかく、光を紡いだみたいに笑うなんて。知らなかった、知らなかったんだ。

 笑みを見つめる天馬は、ぼうっとした意識の中で、赤、と思う。吸い寄せられるように焼きついて離れないのは、頬を染める赤色。ハイビスカスの赤だと思った。一成の頬。まなじりを染める。ハイビスカスティーみたいな。太陽の下で咲くあの花の花弁みたいな。全てに焼きついて離れない。あまりにもあざやかな赤を浮かべて、一成が笑っている。

「……事実だろ」

 必死に平静を装いながら、どうにかそれだけ言えば、一成は「テンテンひどい!」なんて笑っているけれど。

 天馬は心で言葉を吐き出す。溜め息のような、深い言葉が湧き上がる。ああ、と思ったのだ。一成の笑みに、浮かべられた微笑に。いつもの表情に似てまるで違った、強く光を放つのではなく、内側からやわらかくにじんでいくみたいな光に。目じりを赤く染めて、頬にあざやかな朱を差す様子に。天馬は無意識に拳を握った。そうしなければ、衝動的に手を伸ばしてしまいそうだったから。

 ああ、この色を知っている、と天馬は思ったのだ。

 一成の笑みに、浮かんだあざやかな色に。目にした瞬間全てが色づいたのがわかった。塗り替えられる。今まで見ていた全てが別の意味を伴っていく。広がっていったこの色を、俺は知っている。いっそ凶悪なまでに鮮烈な、息も出来ないほど苛烈な。世界中のどんなものよりも強く、あざやかな。

 胸に落ちたこの色の意味を、俺は知っている。








END

一成の持つ明るさについてのあれこれ。
「星を渡る子ども」の続きの気持ち