星を渡る子ども
(遠くに行きたかった)
「一成」
稽古の後のミーティングも終了し、散り散りに解散していく途中で、天馬に名前を呼ばれる。一成は「なになに?」と人懐っこい笑みを浮かべて答えるが、目的は何となくわかっていた。
廊下の端で立ち止まり、用件を口に出すのを待っている。天馬は持っていた紙をぺらりとめくって言った。
「さっきのミーティングでも出た所なんだけどな。各自の強化メニューのことでお前の意見を聞きたい」
監督からは、各自の弱点を克服するための訓練メニューが渡されている。天馬はリーダーとして一つ一つに目を通したのだろう。芝居に対してどこまでも真摯で、尚且つ夏組のリーダーとしての責任感を持ち、何よりもメンバーの力を引き上げて最高の舞台を作りたいと思っているからこその行動だということは、よくわかっている。
「カントクちゃん探してこよっか?」
へらり、と笑って暗に告げるのは、「自分よりも監督の方が適任ではないか」という旨だ。実際それは正しい答えのはずで、演劇経験がゼロの自分よりも監督の方がよほど有益な意見をくれる。しかし、天馬は一成の答えに眉を寄せた。ひやり、と体の芯がすくむ。
「監督は外出中でいないし、今は他の組にかかりっきりだ。うちで出来ることなら、うちでやった方がいいだろ」
「さっすがテンテン! やさしー!」
茶化すように告げてみるが、天馬は上手く騙されてくれないことも、一成はとっくに知っていた。今までの経験から、それはもうよく知っていた。案の定、天馬は一成の言動など意に介さず言う。
「オレはお前の意見を聞きたいって言ってるんだよ」
いささか強い口調で告げられた言葉に、一成は観念したように笑った。いつもの能天気な笑みではなく、若干諦めが漂っていた。
いつの頃からか――なんていうのはわかりきっていて、夏組公演が終わった頃から、天馬は一成に対してよく意見を求めるようになった。一成とて、稽古中の件から一念発起して、なるべく自分の考えを口に出すようにはしているのだが、それに輪をかけて天馬からは質問が飛んでくる。「お前はどう思う」「一成の意見は」「オレがどう思うかじゃなくて、お前がどう思うかを聞いてるんだよ」――。それがどんな意味を持つかなんてことは、薄々勘付いていた。
「テンテン、オレのこと鍛えようとしてるっしょ」
というか、特訓メニューに若干組み込まれている気がしないでもない。天馬は片眉をあげて「おや」というような表情を流したが、すぐに面白そうに笑う。
「それもあるけどな。単純に、お前の意見は意外と論理的でわかりやすい。見かけによらず」
「最後のとこマジテンサゲなんだけど~」
褒めるなら素直に褒めて! と言ってみるが、いつものような明るさをまとっていないことくらい、自分でもわかっていた。
少しずつ、変わってきたと思う。他人の望んだ答えを返すのではなく、自分の意見を言おうと努力してきたし、夏組のメンバーなら受け止めてくれると思っている。だから、少しずつ「三好一成の意見」を言えるようになってきた。誰かが欲しい答えじゃなく、他でもない自分自身の言葉を口に出来るように、少しずつなってきた。だけど、それでも。
「――ったく。どうでもいいことならぺらぺら口に出す癖に、何でお前は自分の意見だけは中々言わないんだよ」
ぼやくような言葉に、大した意味はない。天馬にとってはただの感想で、一成に対して何か思う所があるわけではないだろう。わかっている。わかっているのに。
「――ごめん」
思わず謝罪を口にしてしまうのは、何よりも一成自身が己に不甲斐なさを感じているからだ。もっと上手に出来たらいいのに。ちゃんと自分の意見を言って、天馬の手をわずらわせることもなく、夏組の力になれたらいいのに。
「ちゃんと出来なくて、ごめん」
だってまだ怖いままなのだ。大丈夫だと思っている。実際夏組のみんなは、一成のことを決して否定しなかった。もちろん、全ての意見に肯定が返ってくるわけではなかったけれど、それは単純に意見が違う、というだけで、一成のことを否定するわけではなかった。何よりも、意見が違うだけで、何かが壊れていくわけではないと知った。同じことを言えなくても、同じ意見を言えなくても、誰も離れていこうとなんてしなかった。だから、「ごめん」などと言う必要はなかったし、誰もそれを求めてはいないだろう。
それでも謝ってしまうのは、きっと、こうして気にかけてくれる天馬を失望させてしまったのではないかと思ったからだ。だから、ほとんど突き動かされるようにして、一成は言葉を紡いだ。出来る限り軽い、からりとした空気を漂わせて。
「オレ、自分の意見とか言うの苦手なんだよね」
「――まあ、それは見てればわかる」
「だよねー!」
明るい調子で、長い間に培った上手な笑顔で告げる。なるべく笑い話にしてしまおうと思った。ちょっとした冗談に紛れ込ませて、そうして話してしまおう。軽い失敗談みたいな、恥ずかしい黒歴史を語るみたいな顔で、言ってしまえばいい。そうしたら、天馬の失望はわずかにやわらぐかもしれない。
「オレ、中学まで友達いなくてさ」
「はぁ!?」
「あははは、テンテンその顔マジやばたん!」
爆笑を張りつけて言えば、「どういうことだよ」と尋ねられる。一成は満面の笑みを維持したまま「そのまんまの意味だって!」と続ける。
「だから高校デビューマジ頑張った! オレマジ偉かった! で、友達めっちゃ出来たのはテンテンだって知ってるっしょ?」
オレ友達いっぱいだから~と笑えば、天馬は何とも言えない顔で黙っていた。一成は、天馬が口を開く前に、矢継ぎ早に言葉をつなげていく。一息に、何でもない顔をして、超特急で駆け抜けてしまえ。
「だから、友達が欲しい言葉言うのが癖なんだよね~。そしたら絶対喜んでくれるっしょ? オレといたら楽し~ってなったら、離れていかないし一人にならなくて済むじゃん! って気づいたオレめっちゃ頭よくね!?」
一成クンのお友達講座だよん! と笑ってみるけれど、天馬の顔は難しいままだ。余計に失望されただろうか。面倒くさいやつだと思われただろうか。笑顔を張りつけたまま、オレはまた失敗しただろうか、と一成は思う。
中学まで、友達なんて一人もいなかった。勉強だけをしていればよかったし、それで間違いはないのだとずっと信じていた。だけれど、卒業式の日、一人で帰り道を辿りながら思ってしまったのだ。道が別れることを悲しむような人間など一人もいなかった。「またな」と約束を交わし合う相手など一人もいなかった。笑顔で思い出せる誰かとの日々なんて、一つだってなかった。気づいた瞬間、思ってしまったのだ。
遠くに行きたい。今までの自分なんて全部捨てて、何もかもが違った場所へ行きたい。中学までの自分なんて、捨ててしまいたい。
意を決した一成は髪を染め、ピアスも開けて、性格も180度変更した。陰キャラだった自分を捨て、突き抜けた陽気なキャラとなり、見事に高校デビューを果たした。結果として、一成は望みの通り、たくさんの友達と笑顔の日々を過ごしていた。
それは確かに一成の願い通りで、中学の頃の自分には想像もつかない、充実した毎日だったのは間違いなかった。
「相手の意見を否定しなきゃ、絶対平気っしょ」
望む言葉を返せば、相手は必ず喜んでくれる。そうすれば、一成から離れていくことはない。あの時みたいに一人ぼっちに戻ることはない。
「オレの意見言ったら嫌われるかもしれないけど、相手の欲しいこと言えば間違いないじゃん」
たぶん、それが唯一の一成に出来ることで、絶対に変わらない約束事だったのだ。だってそうしなければ、誰もがみんな離れていく。また一人きりになる。中学までの自分みたいにひとりぼっちになってしまう。だからこれは、間違いのないルールであるはずだった。
「――だからオレ、自分の意見言うの、好きくないんだよね~」
なるべく軽く、明るい調子で言うのは、もうほとんど癖なのだ。息をするように自然に、楽しさだけを詰め込んだみたいに会話が出来ることは、一成とて嫌なわけでもない。どうせなら、何だって楽しい方がいいのは事実なのだし。
それでも、時折胸にうずく思いも一成は知っていた。気の良い仲間たちと笑いながら、楽しいことをたくさん集めて、満面の笑みで過ごしながら、時々一成は思っていた。どこか。どこか遠くに行きたい。
中学の頃と同じ願いを、一成は胸に抱いていた。どうしてなのかは知っていた。周りにいる人たちは、みんな良い人たちだ。一成のことを友達だと思っていてくれるし、別れ別れになるとしたらきっと泣いてくれるだろう。約束を交わしたことだって何度もあるし、思い出す日々はいつも笑顔ばかりだ。楽しくて、充実した、夢のような日々。わかっているのに、知っているのに、一成は思ってしまっていた。遠くに行きたい。ここではない、もっと遠い場所へ行きたい。
理由なんて簡単だった。だってそれは、欲しい言葉ばかりを返し、相手の望んだものだけを選び、楽しさだけを提供することは、どうしようもなく自分の心を殺していたからだ。
こんなのは本当の友達じゃないなんてことくらい、薄々勘付いていた。だけれど見ないふりをしてきた。一成にはこういう関わり方しかわからなかったし、それを止めてしまえばまた独りぼっちになるだけだとわかっていたから。
またひとりになるくらいなら道化でよかった。馬鹿みたいでよかった。時々遠くへ行きたいと願いながら、心を殺して生きていこうと思った。それが自分の正しさで、生きていく道なのだと、本当に思っていたのだ。それはたぶん、あの夏の日の出会いまで。
目を伏せたままで一通り語り倒した一成は、恐る恐る天馬へ視線を向けた。すると、気難し気どころか、それはもう凶悪な顔をしていたので、心臓が跳ねる。これは本格的に怒らせたか、いっそ軽蔑されたかもしれない。やっぱり判断を間違った。
「――お前、馬鹿じゃないのか」
笑顔を張りつけたままた固まっていると、地を這うような声で天馬が言った。一成としては「うん……そだね」とうなずくしかなかったのだけれど。天馬は語気を荒げて言葉を続ける。
「そういうのはヘラヘラ笑いながら言わなくていいし、大体、欲しいことばっか言ってたって芝居は良くならないだろうが。むしろオレを怒らせる気概で来いよ」
黙らせるけどな! ときっぱり言い放たれて、一成は黙った。笑顔も思わず消えた。あれ、テンテン、これ何かちょっとオレの思ってる方向性と違う。
「それに、お前が何言った所で今さらどうこう思うわけないだろ。初対面の段階でお前には充分ドン引きしてる」
あれ以上印象は悪くなりようがないし、あの段階で離れてない時点で察しろ。偉そうにふんぞり返って言われるが、一成は思う。あれこれdisられてないオレ。内心首をかしげている間にも、天馬は言葉を続ける。強く、皓々とした光の固まりのような言葉を。
「第一、お前はMANKAIカンパニー夏組所属の三好一成だろうが」
このオレがリーダーを務める夏組だぞ、と天馬は言う。ぶっきらぼうに、偉そうな顔で、尊大の見本のような態度だ。だけれど奥底にたたえられるものが何であるかを、恐らく一成は知っている。
「何馬鹿みたいなこと考えてるのかは知らないが、お前は夏組の人間だろ。つまり、お前は夏組のために悪足掻きして、努力して、困難に挑むのが責務だ。一人だけ楽出来るなんて考えるなよ」
そうやって、オレたちはここまで来ただろう、と天馬は言う。怖くても面倒くさくても、逃げ出したくても、誰一人手なんか抜かなかった。全員を巻き込んで駆け上がっていく。夏組はそういうチームだ。一人だって置いていってやらない。怖かろうが嫌がろうが、喧嘩しようが言い合いしようが、何もかもを食らって全員で進む。そうやって。
「克服するのが夏組だろ」
困難も恐怖も重圧も何もかも、克服して全員で進んできた。それこそがお前のいる、オレたちの夏組だ。宣誓のように言い放たれた言葉に、一成の視界が一気に開けたような気がした。
ああ、そうか。何だ、そうなのか。
天馬の言葉は、ただ純然たる事実として、夏組に所属する人間の心構えを説いたのかもしれない。だけれどそれは、怖くて仕方なくて、上手く意見も言えない一成への答えでもあったのだ。置いていかないと天馬は言った。夏組の人間として、全員強制的に高みへ連れて行くのだと、我らがリーダーは言い切った。たとえ未だに怖くても。天馬の手をわずらわせて、ちゃんと力になることが出来なくても。それでも、天馬は。
「……テンテンってばスパルタそー」
「当たり前だろ」
しごいてやるからな、と続く言葉は冗談でも何でもなく、至って本気だった。一成は「マジヤバたん」なんて笑っているが、心の中で言葉を吐き出している。
きっと天馬は見捨てない。夏組のみんなも、まだ怖くて少しずつしか進むことの出来ない一成を、見捨てたりはしないのだ。怒られるし罵倒されるし、たぶん呆れられて溜め息は吐かれるけれど。それでもきっと、全員で進もうとしてくれる。
椋はきっと「かずくん、頑張ろうね」とやわらかく笑ってくれる。三角は「さんかくあげる~」と、一成の努力を認めてくれる。幸は辛辣にズバズバと突っ込んでくれるだろうけれど、それは一成を貶めるのではなく、引き上げるための言葉だ。そして、何よりもこの目の前のリーダーは、いつだって力強く立っている。
偉そうな態度でオレ様を発揮して、演技に対する真摯さと情熱を持って。奥底に確かな慈しみを込めて、夏組全てを守ろうとする。決して手を離さず大事にしようとする。オレたちのリーダーはそういう人間だ。一成は、まぶしそうに天馬を見つめてから、ゆっくり口を開く。
「テンテン、ありがとん♪」
いつもの調子を取り戻し、軽い空気で告げる。冗談だと思われてもよかったし、何の話だと思われても構わなかったのだけれど。天馬は力強い笑みで答える。
「そう思うなら芝居で返せ」
「りょっす」
軽い言葉で返しつつ、一成は思っている。
遠くに行きたかったあの頃の自分に、今なら言いたいことがある。今なら言える言葉がある。中学までの一人ぼっちのオレ。高校デビューして楽しくて、だけどずっと自分を殺してたオレ。遠くに行きたかった。ここではない場所へ行ってしまいたかった。あの頃のオレに、今なら言えるんだ。
色んな所を渡り歩いて、そうしてここまで辿り着いた。やっとここまで辿り着いた。大丈夫。もう、遠くへ行かなくていい。遠い場所まで渡っていく必要はもうない。オレはここにいていい。MANKAIカンパニー夏組の三好一成は、ここにいていい。
だから、と一成は思う。あの頃の自分に、遠くへ行きたいと願っていた、遠いようでとても近いあの頃の自分にそっとささやく。
ねえ、今のオレが願うことは一つだけだよ。
たったひとつ、これだけだよ。あのね。
(ここでみんなといきたい)
END
三好一成の軌跡と願いと夏組として生きること。
ACT1時点で書いた話なので、九門くんはまだいません