箱庭ピクニック
Scene 04:ハムと卵・ベーコンとチーズのバゲットサンド
備え付けのバルコニーはずいぶんと広い。角部屋ということもありL字型になっており、開放感もあった。日差しを遮るシェードの使用も認められていることから、バルコニーで過ごすことも想定されているのだろう。
「――ってわけで、おうちピクニックだよん!」
きらきらとした輝きを放った一成は、それはもう楽し気に言った。片手で折りたたみテーブルを持ち、もう片方の手で天馬を引っ張っていくと、からりとバルコニーに通じる窓を開く。外の風が入ってきて、カーテンを揺らした。帆を広げるようにふわりと大きくなり、すぐに崩れた。
「じゃーん、ここがピクニック会場!」
バルコニーの一角に辿り着くと、一成が楽しそう言った。目の前には、タータンチェックのレジャーシートが広がっている。頭上にはすでにシェードが張られていて、適度な日陰が作られていた。ウキウキとした調子で折りたたみテーブルを広げる一成に向かって、天馬は心からの言葉をかける。
「何かごそごそやってるなとは思ったんだ。いつの間に用意してたんだよ」
「テンテンがサンドイッチと格闘してる時だねん!」
朗らかに言うのは、作り終えたサンドイッチに包丁を入れている時の話だった。中身が崩れないよう、細心の注意を払っていたので周囲のことを気にしている余裕は確かになかった。なるほどあの時か、と天馬は思う。
「風通しも悪くないし、日陰もあるからあんまりまぶしくないっしょ」
そう言った一成は、嬉しそうにレジャーシートへ天馬座らせる。それから、ちょっと待っててねん、という言葉を残すとぱたぱたと部屋へ戻っていく。
思わず追いかけようとするものの、「待ってて~!」と言われるので、天馬はその場に座り直した。ただ、しばらくして戻ってきた一成はクッションを持ち、大きなカバンを肩から下げているので、やっぱり追いかければよかった、と思う。
「お前な。だから、そういうのは一人でやるなって言ってるだろ」
「テンテンのことおもてなししたいじゃん?」
持ってきた荷物を受け取りつつ言えば、にゃはは、と笑う一成は屈託がない。それが、心からの言葉であることは天馬とて疑っていない。一成は天馬のために何かをしたいと常に思っているから、自分一人でできることがあるならどうにかしてしまおうと思うのだろう。それはわかっていた。だから、天馬は素直に言った。
「その気持ちは嬉しい。ありがとな」
そう言って、天馬の隣に腰を下ろした一成の頭を撫でた。案外指通りのいい髪の毛だ。頭のてっぺんから、ゆっくり手のひらを移動させ、頬を撫でるように離れる。
一成はぽかん、とした表情を浮かべていたけれど、数秒してからじわじわと頬に赤味をのぼらせた。スキンシップは好きなくせに、不意打ちには弱いのだ。
その事実に、天馬は思わず笑った。ときどき見せるこういう顔がかわいいな、と思いつつ、弾んだ気持ちのままもう一度頭を撫でてやる。
***
折りたたみテーブルの上には、所せましと今日のランチが並んでいる。
バゲットサンドが二種類。ブロッコリーとベーコンのシーザーサラダ。タマネギとトマトのマリネ。それから、ノンアルコールのフルーツサングリア。いっぱい食べたいよねん、という一成の言葉により、全てがそれなりの量だった。
「テンテンはベーコンとチーズから行く系?」
バゲット一本につき一種類を作り、それを半分に分けた。それぞれの取り皿には、ぎっしりと具の詰まったサンドイッチが乗っている。包丁を入れる時苦労したけれど、ボリュームのある見た目は食欲も刺激する。
一成の視線の先は天馬の皿だ。バゲットの間からはこんがり焼いた厚切りのベーコンと、熱によって溶け出したチーズが飛び出している。ベーコンもチーズも、ふんだんに使用したバゲットサンドだ。そのままこぼれてしまいそうなボリュームだった。
「ああ。お前はハムと卵のほうか」
うなずいた天馬は、バゲットを両手で持つ一成に向かって言う。一成は大きくうなずくと、満面の笑みを浮かべた。
「そそ。リーフレタスの緑と、ゆで卵の黄色と、ハムのピンクにバゲットの小麦色がめっちゃ映えるじゃん?」
嬉々として一成が告げれば、「一成らしいな」なんて表情を浮かべている。まあ、その前提として「めっちゃおいそう」と思っていることもよくわかっているのだけれど。
「ってことで、いただきまーす!」
食事の準備は整ったのだ。このままおあずけをしている意味はない、と一成は嬉しそうに言う。天馬の声が続いたのを確認してから、一成は大きな口でバゲットサンドにかじりついた。
パリッとしたバゲットの食感とともに、あふれるのは小麦の香り。存在感のある小麦の風味が続いて、リーフレタスのほのかな苦みと、やわらかな塩気のロースハムの味が広がった。少し遅れて、マヨネーズの酸味とゆで玉子のコクが追いかけてきて、一成は満足そうに口を動かす。
噛めば噛むほど広がるのは小麦の味だ。商店街のパン屋では多くのパンを扱っている。ただ、機会がなくてバゲットは買っていなかったのだけれど、想像以上にしっかりとした存在感があって一成は感心する。
具材にもよく合っていて、サンドイッチとしての完成度は高い。ただ、バゲットの風味も損なわれていないのだ。小麦と塩気のバランスも絶妙で、このままパンだけで食べてもおいしいかも、と一成は思う。
もぐもぐ、と口いっぱいに頬張ったバゲットサンドを一成はじっくり味わう。半分ほど食べ終えたところで、ちらりと視線を動かす。隣に座る天馬はただ無言で食事を進めているけれど、その手に持っていたバゲットサンドはすでにほとんどが口の中に消えていた。
「――テンテン、おいしい?」
口の中のものを飲み込んだ一成は、唇に笑みを浮かべながら問いかける。答えなんかわかっていた。何も言わず、目の前の食事しか目に入らないみたいに食べ進めている時点で。
「うまかった。このベーコン、塩気のバランスがちょうどいいし、脂もあんまりしつこくない。チーズと一緒に食べると、コクが出てうまい」
すべてのバゲットサンドを腹に収めた天馬は、真面目な顔で一成の言葉に答える。テンテン、チーズ系案外好きだし、ベーコンとチーズって相性ばっちりだから好きそうだと思ったけど大正解じゃんね。内心でそんなことを思いつつ、一成は「オレも次そっち食べよ!」と笑った。
「てか、このバゲットもうまくね?」
「ああ、それはオレも思った。こういうサンドイッチにすると、あんまりバゲット自体の味を感じなくなるけど、このバゲットはちゃんと小麦の味がする」
「だよねん! これ、たぶんバゲットだけ食べてもおいしいやつっしょ」
「確かにな。今回は全部サンドイッチにしたけど、バゲットだけでもうまそうだ」
重々しくうなずく天馬に、一成はにこにこと笑う。天馬もずいぶんこのバゲットを気に入ってくれたようだ、という事実が嬉しかった。機会があれば、またきっと購入することもあるだろう。
そんなことを考えている間に、天馬はテーブルの上に手を伸ばしていた。次のバゲットサンドを取るのだろう、と思ったのだけれど。一成は自分のバゲットサンドにかじりつく前に、天馬へ声を掛けた。
「テンテン、ちゃんと付け合わせも食べてねん! サラダとマリネもおいしいよん!」
朗らかに明るく言うと、天馬が微妙に嫌そうな表情を浮かべる。何かを葛藤しているような、そんな様子だ。
「ブロッコリーはいい感じにシャキシャキだし、マリネの味付けもうまくできたと思うんだよねん。ちょっと味見てくれると嬉しいな~?」
嘘ではなかったし、心から思っていることだ。天馬とてそれはわかっているのだろう。バゲットサンドに伸ばしていたはずの手が止まり、逡巡するように動く。うろうろとテーブルの上をさまよう様子を、一成はくすぐったいような、笑いだしそうな顔で見守っていたのだけれど。
「お前、オレに野菜食べさせようとしてるだろ……」
最終的に、そんなことを言いながらサラダとマリネを取り分け始めたので。一成はこらえきれず、けらけらと笑い声を上げた。
「テンテンの健康大事じゃん? 好き嫌いしないで食べなくちゃだからねん!」
一通り笑ってから答えたのは、限りない一成の本音だ。天馬は野菜があまり好きではないので、隙あらば避けようとしていることはカンパニーの人間なら全員知っている。そんなところもかわいいなぁと一成は本気で思っているけれど、健康上の観点から見過ごすわけにはいかなかった。
特に今は、カンパニーと違って二人しかここにはいない。天馬が暴飲暴食をして健康を害するなんて思っていないものの、積極的に野菜を取るようにすすめるのは自分の役目だろうと一成は思っていた。
恐らく、天馬もそういう一成の心遣い自体は理解している。だから、拒否することもできずに葛藤して、最終的には一成の言う通り野菜を食べようとしているのだ。
「でも、うまくできたっていうのも本当なんだよねん。テンテンに食べてほしいな~」
今回、サンドイッチは主に天馬が担当した。バゲットをパリッと焼いて、マヨネーズやケチャップなどのソース類を塗る。それから、用意した具材を挟んでいったのだ。面白そうだったので一成も参加したもの、メインは天馬だった。
なので、それ以外の付け合わせは一成が担当していた。といっても、そんなに難しいものではないけれど、天馬においしく食べてもらいたい、というのは心からの本音だ。
「タマネギ、辛み抜くのめっちゃ頑張ったし! マリネだから酸っぱいけど、砂糖も入ってるからそこまでじゃないと思うよん! トマトにもばっちり味しみ込んでるし!」
味見したときのことを思い出しながら、一成は言う。マリネを作ると決めた時点で、下ごしらえが大事だと思った。そのおかげか、タマネギはシャキシャキ感を残しつつ、しっかり辛みは抜けていた。トマトも甘酢のおかげか青臭さもなかったし、さっぱりした酸味と野菜の味が調和するマリネができあがっていた。
「ブロッコリーとかさ、ゆですぎるとぼろぼろになっちゃうじゃん? だから、オレめっちゃ鍋見てて、ここだ!ってとこで火止めたんだよねん。歯ごたえ抜群で色もきれいなブロッコリーになったよん!」
ベーコンは小さく切って、フライパンでこんがり焼いた。シーザードレッシングと合わせれば、お手軽なサラダの完成だ。こちらも味見したけれど、カリカリベーコンとドレッシングの相性も良く、これなら天馬の箸も進むだろうと思った。
一成の話を聞いていた天馬は、しばしの沈黙を流したあとで意を決したように、まずはマリネを口に運んだ。白いタマネギと、真っ赤なトマトが天馬の口の中に消えていく。じっとそれを見守っていると、無言でマリネを咀嚼していた天馬がごくりと飲み下すと、ゆっくり口を開く。
「――うまい」
「やっぴー! オレ頑張っちゃったかんね!」
「本当にうまいな、これ。辛みもないしトマトの変な匂いもしないし、酸っぱすぎることもない」
そう言った天馬はひょいひょいとマリネを口に運ぶし、流れでブロッコリーにも箸を伸ばした。こちらもベーコンとドレッシングが効いたのか、天馬のお気に召したらしい。
一成は弾んだ心でその様子を見つめながら、手に持っていたバゲットサンドにかじりつく。バゲットのパリッとした食感、ロースハムのまろやかな風味に、しっとりとしたゆで卵の旨味。口いっぱいに頬張りながら、天馬が無心で食事をしている様子を目に映している。
それから二人は、他愛ない話をしながら食事を進めた。ずいぶんと量のあったランチも、二人の旺盛な食欲の前では順調に減っていく。バゲットサンドはとっくに消えていたし、付け合わせもほとんどない。何度目かのお代わりをした、フルーツサングリアのグラスが二人の手にはあるだけだ。
「デザートとか用意すればよかったかな~」
「これがデザートみたいなものだろ」
天馬が示すのは、手に持ったグラスだった。
タンブラー型のグラスには、白ブドウのジュースがなみなみそそがれている。その中には、半月型にスライスされた皮つきのネーブルオレンジとライム、それからカットパインが入っており、あざやかな色彩を宿していた。
「ジュース自体も甘いし、フルーツも結構入ってるしな」
「まあねん。ライムどんな感じかな~って思ってたけど、いい感じにアクセントになってておいしいよねん!」
天馬の言葉に一成も答えて、少しぬるくなったジュースを口に運ぶ。白ブドウジュースは糖度が高いものの、あまりしつこくはなかった。そこに、オレンジやライムの柑橘系の香りが混じり、よりいっそうさっぱりとした飲み心地になっている。パイナップルの独特の甘さが、ジュース全体に不思議なまろやかさを与えていた。
「こういう飲み方って、ミックスジュースとは違った感じで面白いよねん! あとあと、色がめっちゃ映えるし!」
言った一成は、グラスを頭上高く掲げた。透明な白ブドウジュースの中に沈むフルーツは、それぞれの色彩が目にもまぶしい。透明なガラスに宝石を閉じ込めたような雰囲気さえあるのだ。天馬はその言葉に、目を細めて一成を見つめたあと口を開いた。
「オレとお前の色だしな」
その言葉に、一成は目をまたたかせる。驚きの表情が浮かぶけれど、それは何を言っているのか、と発言内容をいぶかしむものではない。一成は数秒天馬を見つめたあと、ゆるゆると目を細めた。まばゆいほどの光を宿したまなざしで、やわらかく引き上げられた唇で答える。
「テンテン、気づいた?」
「まあな。オレンジは比較的よくありそうだけど、ライムは珍しいだろ。わざわざ選んだってことは何か意味があるだろうって思ったし。そしたら、たぶんこれはオレとお前なんだろうなって」
あざやかなオレンジは天馬の髪の毛の色で、つややかな緑は一成の瞳の色だ。二人に宿る色彩を、恐らく一成は選んだのだろうと天馬は思った。
「このパイナップルは、夏組の黄色か?」
「そそ! もうちょっとオレンジ強めかな~って感じもしたけど!」
天馬の言葉に、一成はぱっと笑顔を咲かせて答える。グラスに入れるフルーツを考えたとき、あれこれと思い浮かぶものはあったのだ。その中で何を選ぼうか、と考えた一成は自然と思った。たくさんの色の中からどれかを選ぶなら。それなら、テンテンとオレがいいな。
そう思ってのフルーツだったけれど、これは別に一成が勝手に考えただけのことだ。だから、わざわざ天馬に言うつもりはなかった。それなのに、天馬は当たり前みたいに気づいてくれた。見つけてくれた。
その事実が、じんわりと体中にしみ込んでいく。具体的な言葉でも、何か行動に現れたわけでもない。それでも、天馬の心の内があふれだすように思えた。同じ気持ちでいてくれたのだと、大事なものは一緒なのだと、真っ直ぐ伝えてくれているのだと思えた。
何もかもを抱きしめたいような気持ちで、一成は満たされている。だから、何も言わずにただグラスを傾けた。
天馬も、一成の沈黙へ呼応するように唇を結んでいる。ときおりジュースに口をつけるものの、何も言わない。言葉は要らないのだと、ただすんなりと思えた。この場所に二人きりでいられること。その事実を噛みしめたくて、無言で肩を並べている。
言葉のないおだやかな時間だ。シェードにさえぎられて、直接日光があたることはないけれど、周囲にはやわらかな日光が降りそそぐ。どこからか、子どもたちの声が聞こえる。ずいぶん近くを鳥が飛んでいるのか、鳴き声が移動していった。ときおり吹く風はやさしくて、そよそよと二人の髪を撫でていった。
バルコニーの壁は腰の高さほどになっている。座り込んでしまえば、周囲からは完全に姿が隠れる形になる。最上階の角部屋ということや、周りに同じくらいの高さの建物がないことも手伝って、二人の姿を目にする人間は誰もいないだろう。
おだやかな外の空気を感じながら、一成はその事実を噛みしめていた。
こんな風に、屋外で二人きりで過ごすことは、ほとんどない。天馬はどこにいても目立つ人間だから、二人きりで出歩いていればすぐに話題になる。もっとも、一成と連れ立って歩いていたところで、ただの友人だと思われるだろうことはわかっていた。
だけれど、たとえば今、こんな風に。二人きりで隣同士、寄り添うように過ごしていたら。言葉の要らない空間で、互いの思いを感じあっていたら。ただの友人ではないのだ、ということくらいすぐにわかってしまうだろう。
たとえば二人が恋人同士だなんて。夏組の友人という関係だけではない、特別なたった一人だなんて。決して思われてはいけないのだということくらい、理解していた。
だから、二人きりでこんな風に、レジャーシートを広げて出かける日は来ないのだ、と一成は思っていた。誰に目撃されるかもわからない場所で、この人だけが特別なんだと思われてはいけない。もしも野外ピクニックへ行くなら、夏組のみんなと一緒だ。一成はあくまでも、友人という立場でいるのだ。
天馬と二人だけで、こんな風に外へ出かける日は訪れないのだと一成は思っている。外の風を感じて、辺りを染めるような日光を見つめるなんて。誰の目を気にすることもなく、開放的な空間で二人だけで過ごす時間なんて。
わかっているからこそ、一成は思う。これは今だけに許された時間なのだ。いずれ終わるとわかっている。だからどうか、今だけはこの時間の全てにひたっていたい。今だけでいいから。
祈るような気持ちでいると、隣に座った天馬がわずかに体を動かした。ちらりと視線を向けるのと同時に、天馬の右手が一成の左手に触れる。
何でもない顔をして、それでも耳の端をほんのり赤く染めながら、天馬は一成の手をやわらかく握った。一成は数度まばたきをしただけで、何も言わなかった。代わりに、同じように力を込める。
おだやかな時間だ。陽光が辺りをやわらかく照らし、やさしい風が吹く。遠くからは子どもや鳥の声が聞こえる。二人は世界の全てから隠れるように、寄り添い合って手をつなぐ。
いずれ終わるとわかっている。だけれどそれでも今だけは、ここは二人だけの世界だった。まるで、このまま二人で、どこまでもどこまでも一緒に行けるような、そんな錯覚を覚えてしまうほど、今ここには二人しかいなかった。
そんな日は来ないし、いずれ終わるなんてこと、一成はよくわかっている。それでも、今だけは、この時だけは、二人だけの箱庭に閉じこもることが許されている。
END
食事シーンの練習に「箱庭で夢を見ている」の二人で。一日目と二日目の夕食、五日目と六日目の昼食でした