Sugary Sweet Sunshine






未来の話





 ゆるゆると、まどろみから引き上げられる。不確かだった意識が次第に形になっていくのが自分でもわかる。もう少し、あと少し――。思うけれどそれも一瞬で、一成はぱちりと目を開けた。

 寝ぼけ眼のまま体を起こして、隣に視線を向けた一成の唇には、自然と笑みが浮かんでいる。布団の中に潜り込んでいるオレンジ色の頭を見つけたからだ。
 薄手のカーテンから差し込む光に照らされるのは、長期の撮影がやっと終わり、昨晩家に帰ってきたばかりの天馬である。普段は一成の方が遅くまで寝ていることが多いが、さすがに今までの疲労が溜まっていたのだろう。起きる気配はない。

「テンテン、おはよん♪」

 目覚めていないことはわかっていたけれど、声をかける。たとえ聞こえていなくたって一番に挨拶がしたかったし、うきうきした気持ちがいっぱいで、ほとんど無意識に声が漏れていた。

 起こさないように気をつけながら、そっと天馬の顔をのぞきこむと、自然に笑顔があふれていく。疲労の色は否めないけれど、思ったよりも元気そうだ。目を閉じた顔は相変わらず端正で、一成は内心で息を吐く。ヤバイ。テンテン今日もかっこいい。
 
 それなりの付き合いの長さもあるし、子役時代の写真や映像だって見ているので、天馬の成長の軌跡はよく知っている。さらに、天馬が高校生になってからは、とても近い位置で時間を過ごしてきた。
 だから、飽きるほど彼の顔を見ているといっても過言ではないのだけれど、いつ見ても一成の感想は変わらなかった。何度見たってかっこいいのだから仕方ない。

 ずっと家に帰って来ていなかったので、直接天馬の顔を見るのが久しぶりということもあるのかもしれない。テレビをつければ大体どこかに天馬はいたけれど、やはりそれは画面越しでしかないので物足りなかったのだ。一成はまじまじと、眠る天馬を見つめている。

 すっと通った鼻筋に、きりりとした眉。意志の強さを感じさせる瞳は、今は閉じられているけれど、そこにどんな色の光が宿るのかを一成はよく知っている。あざやかなオレンジ色の頭髪ははつらつとしていて、天馬の生命力を感じさせるようだった。
 写真に撮っておさめたい所だったけれど、寝顔を撮られるのがあまり好きではない天馬だし、今日は止めておこうと思う。バレたら怒られるし。怒ることに体力使わせたくないし。

「――っし」

 天馬の寝顔をばっちり記憶に焼きつけてから、一成はもぞもぞとベッドから抜け出す。
 長期撮影の後は天馬もオフだと言っていたし、自分も予定はない。それなら今日はゆっくり出来るはずだ。まずは朝食を用意しないと、と部屋を出ようとした所で。もぞり、と背後で人の動く気配がした。

「――テンテン?」

 振り返れば、ベッドの上に体を起こした天馬の姿が目に入る。若干眠気の残る顔で、それでも真っ直ぐと一成を見ていた。
 何て活き活きとしてあざやかな目なんだろう。思いながら、一成やわらかく言葉をかける。

「昨日も遅かったっしょ? まだ寝ててもいいよ」

 オレ今からご飯用意してくるし、という言葉は曖昧に口の中へ溶けていった。なぜなら、即座に眠気を覚まし、すっかりと覚醒した天馬が、強い光を宿して一成へ言ったからだ。「来い」と一言。
 一成は数度瞬きをしてから、ふは、と息を吐き出す。開口一番何を言うかと思ったら。

「しょーがないなぁ、テンテンは」

 苦笑しながら言うものの、説得力はないだろう。足はベッドへ向かっている。朝ご飯作れないんだけど、なんて思っているが、それでもいいか、と思っているのも事実だ。

「どしたの、テンテン。おはようのチュー?」

 からかいを含んで、ベッドに腰かけながら言う。おやすみのチューだけじゃ物足りないカンジ? と尋ねれば「馬鹿」と返される。ただ、それはとてもやわらかい響きをしていた。一成はこぼれる笑みそのままに、言葉を返す。

「馬鹿だもん」
「知ってる」
「テンテンひどいっ!」

 大袈裟に言ってのければ天馬が笑う。快活な笑顔だった。一成も同じように破顔しつつ「それで」と言葉を紡いだ。どしたの、テンテン。マジで何かあった?
 至って純粋な質問の言葉だった。しかし、それを聞いた天馬はわずかに眉を寄せた。一成が「あれ」と思ったのも束の間、何かを言うより早く言葉が続く。

「長期ロケだぞ。しかも、ロケ地にずっと缶詰の上、辺鄙な山奥だった」
「あー、うん。電波時々通じないとかオレ死にそうなトコだったっしょ」

 何かと連絡は取り合っていたので、どんな場所で撮影が行われていたのかは知っている。
 雄大な自然と言えば聞こえはいい、文明の利器とはかけ離れた場所だったと記憶している。現代ドラマではないことも手伝って、相当辺鄙な所だったらしい。天馬は淡々と続ける。

「いいもん作るのは確かだが、あの監督はリテイクと長回しが多くて神経使う。共演者も多いしな。撮影中以外もまとめてやる必要がある。それに、今回はアイドルグループの人間が芝居に参加してた。意気込みは買うし、筋は悪くない。努力もするやつだ。ただ、どうしても浮いて見える」

 だから何かと面倒を見て、自主練習にも付き合っていたのだと言う。一成は思わず「おお」と感嘆の声を上げる。最初の頃のオレ様天馬様からは想像のつかない成長ぶりだろう。
 まあ、天馬も年月を重ねるにつれ、だいぶ寛容になっていったので、そう驚くことではないのかもしれないけれど。

「面倒見るの得意だもんね、テンテン」
「お前らよりはマシだったしな」
「にゃはは~、そりゃオレら素人だったからねぇ」

 思い出すのは、出会った頃の自分たちだ。些細なきっかけから同じ劇団に集まり、夏組としてスタートした。あの時の一成は演劇経験なんてゼロだったし、他のメンバーだって舞台に立ったこともなかった。
 それを何だかんだでまとめて、引っ張り上げたのは天馬だったのだ。きっとあの時と同じように、天馬は力を尽くしたに違いない。

「じゃあ、テンテン、すっげー頑張ったじゃん」

 いつだって、天馬は己の力を全て出し切る。だから手を抜くことなんて有り得ないし、どんな場面だって役者として全力を傾ける。
 わかっているけれど、恐らく今回はいつにも増して懸命に取り組んだのだろう。持てるもの全てを使って、最高の作品を作り上げようとただ邁進したに違いない。

 天馬は一成の言葉に、「そうだ」と深くうなずいた。力強い目をして、一成の言う通りであると肯定する。それから、同じ強さを宿したまなざしを向けて、明瞭に言い切る。

「だから、疲れた」

 きっぱりと、疲労の報告にしては堂々と言い切る天馬に、一成は思わず笑う。その様子がおかしかったということもある。だけれど一番は、天馬の言いたいことを何となく理解したからだ。

 疲れた、だなんてわざわざ口にするのは随分天馬らしくない。だからきっと、別の意味が含まれているのだろうと思った。それが何であるかを、一成はほとんど直感で理解した。
 正しいかはわからないし、もしかしたら間違っているかもしれない。だけれど、天馬が求めることはこれなのだ、という確信があった。

 一成は「それじゃあ」と口を開く。どうしたのか、と尋ねてもいいのかもしれない。きっと天馬は、拗ねたような顔で言ってくれる。だけれど、今日ばかりはいいか、と一成は思う。だって今日は、テンテンを目いっぱい甘やかしてあげるって決めたんだ。

「お疲れのテンテンを、オレが癒してあげるよん♪」

 言った一成は、ゆっくりと両腕を広げた。やさしく、包み込むように天馬を抱きしめる。

 やわらかな体温が全身に広がっていく。少し湿った汗の匂いがする。髪の毛が鼻先をくすぐる。天馬も一成の背に腕を回した。ためらいなど一つもなく、ずっと待ち望んでいたみたいに、強く。
 その強さが答えだ。隙間なく埋め尽くすように、互いの境界線が溶けてしまうように。強く、腕の中の体を抱きしめながら、天馬は言葉を吐き出す。

「遅い」

 不貞腐れる響きをして、だけれど奥底にこぼれだしそうな笑みを潜ませて続くのは、「散々待たせやがって」なんて言葉だ。一成は肩をすくめる。

「あっれー、これってオレが怒られる流れ?」

 笑いを含みながら言えば、天馬は偉そうに「一人でベッドから抜け出すお前が悪い」と告げる。一成は抑えきれない笑みをそのままに、「めんご~」なんて言っているが、謝罪になっていないことはよくわかっている。天馬は少し拗ねたような調子でつぶやく。

「起きたら隣にいろよ」

 うっすらと覚醒した意識の中で、寝ているはずの一成へ手を伸ばしたのに、そこは空っぽだった。触れるはずの体温はどこにもなくて、帰ってきたのは夢だったのだろうか、と背筋が冷えた。その感覚を思い出しながら、天馬は言葉を紡ぐ。

「ずっとオレの隣にいろ」

 せめて――やっとお前に会えた今日くらい。一言ずつを噛み締めるように、天馬はゆっくりとそれだけ言った。短い言葉だ。それでも、伝えられるものはもっと雄弁だった。

 いつだって、どんな時だって、手を伸ばせば届く距離にいてほしい。今まで過ごせなかった時間を取り戻すくらい。ずっと一緒に、決して離れることなく傍にいてほしい。
 言外に告げられているものを理解した一成は、何を言えばいいかわからなくて黙る。え、と、どうしよう。テンテン今日すごい素直なんだけど。今めっちゃ心臓ドキドキしてるんだけどオレ。

 一成の内心など知ってか知らずか、天馬はさらに言葉を続ける。抱きしめる腕に力を込めて、離すまいとするように。隙間なんて一つもなくしてしまうように。五感の全てで腕の中の存在を感じるように。

「大変だったし疲れたのも本当だけどな。一番堪えたのは、お前がいないことだ」

 確かにロケ地は辺鄙だったし、利便性は低かった。求められることは多く、レベルも高かった。神経も使ったし、すべきことは山のようにあった。だから、そういう諸々で心底疲れたのも本当だ。
 だけど、一番の理由はそれじゃない。こんなにも消耗して、疲弊しきってしまった。最大の理由は、たった一つだ。

「一成がいなかった」

 連絡手段はあったので、言葉を交わし合うことは出来た。一成が出演するという番組は目を通したし、ラジオだって聞いていた。こっそり一成の作品集だって持ち込んでいたので、多少は気も紛れた。
 だけれど、それだけだ。腕の中の体温がなかった。抱きすくめた体も、鼓膜を震わせる声も、やわらかな吐息も、くすぐったい髪の毛も、響く鼓動も、何もなかった。

 天馬は一つ深呼吸をした。自分のものではない、彼の匂いがする。それだけで、どうしようもない気持ちになる。ひたすらの慕わしさを感じながら、天馬は一成へと言葉を紡ぐ。心からの、何よりも伝えたい言葉を取り出す。

「一成が足りない」

 少しかすれて、甘さをにじませた声が一成の耳元に落とされる。一瞬でそれは全身を巡り、満ちてゆく。合わさった胸の鼓動が早くなっていくのがわかった。
 吐き出した息が熱くて、一成は心底、顔が見えなくて良かった、と思う。今自分がどれだけ真っ赤な顔をしているかなんて、鏡を見なくてもわかる。

「――テンテン」

 天馬の首筋に顔をうずめるようにして、ぽつりと名前を呼ぶ。
 冗談みたいに震えていたのは、紡がれる思いが、伝えられる心が、あまりにも真っ直ぐと届くからだ。ひどく神聖なものを受け取っているのだと理解したからだ。一成は、熱のこもった吐息をそのまま紡いだような声で言う。

「オレも全然足りなかった」

 すがりつくように、指先に力を込める。ちゃんと掴んでいる。ここにいる。確かに触れる熱を感じながら、一成は言う。足りなかったよ。オレだって、全然、足りなかった。

 独りぼっちの家はいつもより広くて、天馬の不在を否が応でも知らしめる。日々の生活に追われていれば気はまぎれたけれど、ぽっかりと穴が開いてしまったようだった。
 朝起きてから夜眠るまで、一日がこんなに長いものだと知るのは久しぶりのような気がした。友人たちと過ごしている時は心から笑っていられるけれど、ふとした瞬間に思い出してしまうのだ。ああ、ここにはテンテンがいない。
 その事実はじわじわと一成をうがち、次第に穴を広げてゆき、どうしようもない欠落を知らしめる。

 だから、と一成は言う。テンテンがいなかった。ここにはテンテンがいなかった。どうしようもなく足りなかったよ。どうしようもなく欠けてたんだよ。だから、今ここにテンテンがいるなら。

「もっとちょーだい」

 やっとこの体温で満たされるのだ、と一成は思う。抱きしめた体中全部で、今までの不在がようやく埋められる。
 瞳で、腕で、指で、頬で、声で、吐息で、匂いで、鼓動で、体中全部で埋められる。欠けていたものが、うがたれていた穴が、どうしようもない不在が、やっと今満たされていく。

 震えながら告げられる言葉は、一成の心をそのまま形にしていた。どうしようもない欠落も、求めて止まない渇望も、滲みだして溢れていくいとおしさも、全てが詰まっているのだとわかる。
 心をそのまま取り出して告げられた言葉だ。一成の心そのものだ。わかっているからこそ、天馬は強く言った。

「いくらでもやる」

 宣誓のような響きだった。実際、それは天馬にとっての誓いに違いなかった。腕の中にいる、何よりも大切な存在に。絶対に離すまいと決めた、両腕で抱えた温もりに。高校生の頃に出会い、同じ時間を過ごし、これから先も共に行くのだと決めた、彼へ捧げる誓いだ。
 いくらだって、何だって、オレがあげられるものならお前にやる。お前に与えられるものなら、何だってやる。だから。

「オレにお前をくれ」

 ゆっくりと告げられた言葉は、どこまでも真摯な響きを宿していた。冗談でもなければ、軽口めいた風情もない。ただ真っ直ぐと放たれる。その言葉を、一成はきちんと受け取った。
 驚きはなく、最初からそうすることが決められていたみたいに、当然の帰結のように、「うん」とうなずく。それから、こぼれだすような笑みを浮かべると言った。とても静かな、密やかな熱を秘めた声で。

「好きなだけあげるよ、テンテン」

 穏やかに告げられた言葉は、やわらかな光と共に天馬に降り注ぐ。きらきらと、辺りに輝きをばらまいて、耳に鼓膜に、体中全てに降りかかる。差し込む光とあいまって、目を見張るほどまばゆい。
 きらきら、きらきら。視界いっぱいに光が広がっているような気がした。伝えられた言葉が、浮かべられる笑みが、何よりもこの腕の中の存在が、光そのもののようだった。目もくらむほどの輝き。

 天馬はほとんど突き動かされるようにして、抱きしめる腕にやわらかく力を込める。それで充分だった。それが答えだった。

 ほしいもの。あげたいもの。みんな二人で分け合っていく。与えるだけでもなく、もらうだけでもなく、ただ分かち合っていく。
 たとえばこんな、朝の光が差し込む部屋で。重なった鼓動みたいに、溶けあっていく体温みたいに。




END