空へ還る日
※死ネタ
明日、一成は死ぬらしい。
青空と海を背景にして、心底楽しそうに笑う顔からは死の影が一切見えない。能天気にスマートフォンを掲げて「めっちゃきれい~!」と騒いで写真を撮るのは、至っていつも通りの一成だ。
とても明日死ぬような人間には見えないから、天馬には全てが悪い冗談のように思える。だけれど、嘘でも何でもなく明日には一成がいなくなってしまうのだ。
「穴場なだけあって、全然人いなくてよかったねん!」
「むしろ、こんな辺鄙なところよく知ってたよな……」
二人がいるのは小さな入り江だ。周囲は陸地に囲まれているので他からの目もないし、春の海は海水浴にはまだはやい。他の人は誰もおらず、寄せては返す波が砂浜を洗う音だけが響いている。
「さすがアズーだよね~」
そう言った一成は、妙な情報網を持つ東を思い浮かべてくすぐったそうに笑った。人のいない海に行きたい、と言ったらあっという間に候補地を挙げてくれたのだ。
しかし、やわらかな笑みの合間に一成が一瞬眉をしかめた。何かをこらえるような、背中を気にするような仕草に天馬の眉が寄る。
「痛いのか?」
「ううん、痛みとかは全然ないよん。だけど、触れた感覚はあるから、服に当たると変な感じなんだよね~」
言った一成は、ちらりと自分の背後へ視線を向ける。もっとも、自分自身の背中を見ることはできないから、目的のものを視界におさめることはなかった。
隣にいる天馬も、服の下に隠されたそれを直接見ることはかなわない。もっとも、見るつもりもなかったけれど。
不自然に盛り上がった背中のふくらみ。洋服の下、肩甲骨のあたりから生えているのは、まるで天使の羽のような白い翼だった。
疑似翼新生物と呼ばれるそれは、自覚症状なく突然発症し、背中に翼状の腫瘍を作る。
最初こそ指先ほどの小ささであり、羽として認識されることはない。しかし、みるみる成長していくうちに羽としての形を持ち始め、最終的には20cmほどの大きさまで成長する。
その頃には、どこからどう見ても立派な翼になる。ただ、人間を支えて飛べるほどの大きさではないし、実際の翼とは構造も違うため飛行機能は持たない。
原因も仕組みもまるでわからない病気だ。ただ一つ確かなことは、翼が育ちきるのとほぼ同時に、発症者は死を迎える。
翼は日々成長を続けるものの、ある日突然成長が止まる。それが終わりの合図で、育ちきったことの証明だ。これまでの発症者は、一つの例外なく、翼の成長が止まった三日後に死を迎えていた。
発症から死亡までの期間はおおむね一ヶ月とされ、一成は明日が発症後三十日目にあたる。翼の成長が止まったことは一昨日確認されており、明日が最期の日になるだろうと予想されていた。
発症者の少ない奇病であることから、治療方法は確立されていない。薬なども存在しておらず、対症療法としていくつかの治療が試みられてきたものの、結果は芳しくなかった。
羽が生えたが最後、発症者は確実な死に向かっていくだけだった。
ぎこちない笑顔でそれを告げられた夏組は、到底信じられなかった。だって、一成はどう見たって健康そのもので、一ヶ月後には死んでしまうなんて言われてうなずけるはずがなかったのだ。
だけれど、次第に成長していく背中の翼に、全てが現実なのだと悟る。
認めたくなかった。信じたくなかった。どうして一成が、自分たちがこんな目に遭うのか。どうにかして治療はできないのか。
何度も思ったけれど、願いは一つも叶わず、ただ一成は死ぬ日に向かって時間を刻んでいくだけだった。
夏組は、MANKAIカンパニーのメンバーはたくさん泣いて、苦しんだ。まるで、このまま心が壊れてしまうんじゃないかというくらいに。
そんな姿に心を痛めたのは他でもない一成自身だった。一番辛いはずの本人がみんなを慰めようとするものだから、それを受け取る彼らは理解する。
ああ、もう、一成は受け入れてしまったんだ。それなら、自分たちも変わることのない現実と向き合わなくてはならない。
一度決めてしまえば、カンパニーのメンバーは強い。悲しみを抱えながら、一成との残り少ない日々を慈しむように過ごすと決めたのだ。
「晴れててよかったよねん。さすがに雨だと困るし」
「パラソルはあるって言ってたけどな」
一成が砂浜に腰を下ろすので、天馬も隣に座った。丁度いい気候だ。春の日差しはやわらかく降り注ぎ、一成の金髪に光をこぼしている。
きらきらと、輝くように見えるのは実際の日差しのせいなのか、それとも天馬自身の感情に関係しているのか。
天馬は隣に座る一成を見つめる。スマートフォンに視線を落として、楽しそうに指先を躍らせる。瞳は生き生きと輝いていて、嬉しそうにしていてくれると天馬の胸も弾んだ。いつだって明るくて、夏組に楽しいことを連れてくるのが一成だと知っている。
いつからだろう。一成が近くにいると、見えるもの全てをあざやかに感じるようになったのは。まばゆい光を放つようだと思うようになったのは。
心の内がこぼれだすような、そんなまなざしを天馬は一成に向ける。恐らくそれに気づいたのだろう。一成はいくつか操作をしてから、スマートフォンをポケットにしまった。天馬のほうへ顔を向けると、ゆっくり口を開く。
「テンテン、オレのお願い忘れてないよねん」
ふわりとほほえんで告げられた言葉。やわらかでありながら、芯を持った響きだ。天馬は一瞬言葉に詰まってから、「ああ」と答えた。
一成のお願い。忘れるわけがない。覆ることのない現実を知ったあと、一成はMANKAIカンパニーのメンバーに「お願いがあるんだ」と言った。
一成の願いなら何だって叶えるつもりなのは全員同じだ。一体どんなことを願うのかと思えば、一成は少しだけ照れくさそうに言ったのだ。――みんなの時間を、少しだけオレにくれない?
一成が望んだのは、MANKAIカンパニーのみんなと一人ずつ過ごす時間がほしい、というものだった。恥ずかしそうに、うかがうように告げられた言葉に、天馬は胸が締めつけられるようだった。
だってもっと、大袈裟なことを望んでもいいのに。こんなささやかな望み、いくらだって叶えるのに。
最後にそっと取り出す願いの慎ましさが一成自身を表しているようで、天馬にはそれがいじらしくて仕方なかった。
MANKAIカンパニーの団員や監督は、誰もが快くうなずいた。
あるものは一緒に芝居をして、あるものは一緒に美術館へ出掛けた。あるものはおススメの音楽を共に聞き、あるものは少しいいお店に一成を連れて行った。
思い思いの時間を過ごして、カンパニーの彼らとの日々を重ねた。そして最後に残ったのが、天馬と二人きりで過ごす今日だった。
天馬は一成に、どんな風に過ごしたいか尋ねた。すると、一成は「テンテンの運転で海に行きたいな~」と答えたので、車を借りてここまでやって来た。
人のいない海、ということで天馬はまったく知らない場所だったけれど、一成が上手くナビゲートしてくれたおかげで無事に着くことができたのだ。
海に着けば、一成は楽しそうに砂浜を走り、スマートフォンを取り出して写真を撮っていた。はしゃぎ回る姿に天馬の胸には言いようもない感情が満ちていく。
笑ってくれてよかった。楽しんでくれてよかった。一成が笑っていてくれて、嬉しい。
愛おしさを形にしたらこんな風になるのだろう、というまなざしで天馬は一成の一挙一動を見つめていた。指先から爪先、髪の毛の一本に至るまで何もかもを覚えていたくて。
一成はきっとそれに気づいている。他人の感情の機微には敏感な性質だし、天馬のこともよくわかっている。天馬が抱く感情くらい、とっくに気づいている。
だから一成は、「オレのお願い忘れてないよねん」と聞いた。一成のお願い。MANKAIカンパニーのみんなへのものではない。
忘れていないかと念押しをしたのは、その後の願いを指していることくらい、天馬はすぐに察した。一成はもう一つ「お願い」をしたのだ。カンパニーみんなではなく、夏組の一人一人に。
一緒に過ごした、かけがえのない日々を知っている。6人が一緒なら何だってできる。どんな困難だって克服できる。全員で手をつないで、最高まで駆け上がった。
大事で大切な夏組の一人一人に、一成はお願いを口にした。恐らくそれは、二人だけの特別な言葉だ。だから、天馬は他の夏組がどんな願いを聞かされたのか知らないし、天馬に向けられた願いは誰も知らない。
天馬だけが知っている、一成の願い事。何だって叶えてやると決めていた。一成が望むなら、どんなことだって叶えてやるのだと。
だから、天馬はうなずくしかなかったのだ。真剣なまなざして、若草色の瞳で天馬を見つめた一成が告げた願い事――「オレのことを、好きって言わないで」なんて。
お互いの気持ちなら、ずっと前から気づいていた。一体いつから一成を意識し始めたのか、天馬はしかと覚えていない。
だけれど、交わる視線や呼ばれる名前、触れる指先から一成の気持ちを察することはできた。
夏組としての大切な一人で、初めて友人と呼んでくれた。天馬の世界を広げて、こっちだよと導いてくれた。
楽しいことを見つけるのが得意で、未知のものに尻込みしがちな天馬の手を引いて、時々強引に新しい世界に飛び込ませた。楽しかった。嬉しかった。一成がいれば、何だって笑顔なるのだと思えた。
同時に天馬は、一成の心に触れていくにつれ、他の誰に向けるのとも違う感情が胸に育っていくことに気づいていた。
明るい笑顔の裏に隠された細やかさや、真摯な顔を知った。
相手のために自己を差し出すことを厭わない。もろそうに見えてしなやかさを持っている。天馬の心の一番やわらかい場所を知っていて、そっと大切にしてくれる。
一つ一つを知っていく度に気持ちが降り積もって、一成のことを特別に思うまで時間はいらなかった。
それは一成も同じなのだと、自惚れでもなければ傲慢でもなく、ただの事実として天馬は理解していた。
一成だって、天馬の気持ちにはとっくに気づいていたはずだ。だけれど、あまりにも二人は夏組として、友人としての関係を強固にしすぎていた。
二人の関係に新しい名前をつけるには、友達の名前が特別すぎたのかもしれない。お互いがお互いに向ける感情の意味を知りながら、ただ友達の顔をしているしかなかった。
どちらかが一歩踏み出せば、その関係には違う名前がつくとわかっていたけれど、不思議なバランスの上で、二人は友達として日々を過ごしていたのだ。
しかし、その均衡は崩れようとしていた。一成がこの世界からいなくなる。だから天馬は、その前に告げようと思った。
今さら遅いのかもしれないけれど、この世界から消えてしまう前に、きちんと言葉にしようとした。だけれどそれは、他でもない当人によって阻まれた。
一成は真っ直ぐとした目をして言ったのだ。真剣に、どこまでも透き通った決意で、「好きって言わないで」と。
どうかオレを、ただの夏組のままでいさせてほしいと、何よりその目が告げていた。
あまりにも真摯に、真っ直ぐと放たれた言葉だ。天馬にノーと答えられるわけもなかったし、そもそも一成の願いなら何だって叶えてやると決めてしまっていた。
だから、天馬は一成に好きだと伝えることができないでいる。