空へ還る日 後日談B





※死ななかった場合(色々オリジナル要素強め)





 物々しい警備を何重も通過したあと、ようやく目的の部屋に到達する。木目調のスチール扉は、シンプルで落ち着いた雰囲気を漂わせていた。
 隣に設置されたインターホンで来訪を知らせれば、すぐに開錠の音が聞こえた。同時に扉が開いて、満面の笑みの一成が出迎えてくれる。

「いらっしゃい、テンテン! 待ちくたびれたよん!」
「そんなに遅くなってないだろ」
「そーだけど! まだかな、まだかなって思ってると長いんだよねん」

 言いながら中へ案内されるので、室内へと踏み入った。後ろで扉が閉まり、自動で鍵がかかった音がする。
 ソファのある部屋へ着くと、一成が「何か飲む?」と尋ねながらキッチンのほうへ歩いていった。「何でもいい」と答えると、「じゃあ、くもぴにもらったお茶にしよ~」と楽しそうだ。
 小さいながらキッチンも備わっているし、この部屋だけで生活することは可能な作りになっているとは聞いていた。
 建物内なら自由に動き回れるらしいし、庭も広いらしいのであまり窮屈な思いはしていない、と一成は言っていた。

「今回は、定番のカモミールティーにしてみたよん」

 ティーカップを乗せたお盆を持って、一成が戻ってくる。ペアのカップは、確か幸からのプレゼントだったな、と思う。
 一成は手慣れた様子で、ソファに座る天馬へティーカップをサーブする。向かいのソファに座ると、「シュガーポットはこっちだよん」と机上を指して朗らかに笑った。
 天馬はその笑顔を見つめたあと、思い出したように持っていた袋を差し出した。

「今日の分だ。椋が続きの漫画を入れたって言ってた。あと、三角がさんかくクン持っていけってうるさいから何個か入れてある」
「ありがと! テンテン、完全にオレ専用デリバリーって感じだよねん」

 嬉しそうに袋を受け取った一成は、中身を確認して歓声を上げている。
 漫画の続きも気になっていたし、さんかくクンはそろそろファミリーができそうだ、とテンションが高い。天馬はシュガーポットを引き寄せながら、一成の言葉に答えを返した。

「まあ、そうなるだろ。お前の両親と妹以外で一成と会えるのは、オレしかいないんだから」
「――パピーたちに頼んでいいって言っても、やっぱ遠慮しちゃうよね~」

 天馬の言葉を受けた一成が、少しだけ困ったように笑って言う。一成に届けたいものがあるなら、自身の家族に頼んでほしいとは言ったものの、さすがにためらっていたらしい。
 ただ、天馬なら遠慮する必要はないと判断したようで、あらゆる品物が天馬経由で届けられる。

「そろそろみんなにも会いたいんだけどな~」

 天馬から預かった袋を傍らに置いた一成は、心からといった調子で言葉をこぼす。
 天馬はティーカップに口をつけながら、それもそうだろうな、と思っている。一成はこの半年、ずっとこの施設での滞在を余儀なくされており、家族以外とは面会すらできずにいる。

「仕方ないのもわかってるんだけどねん」

 ティーカップを両手で持って、こくりとカモミールティーを飲む一成は静かに言った。天馬も同じようにのどを潤しながら思っている。
 目の前の一成の背中に、今天使のような翼はない。発症したなら助かることのない病だ。死してなお、その体に翼は残り続けるはずだった。
 しかし、今一成がそれを持たないのは、致死率100%を乗り越えて、今ここに生きているからだ。

「世界で初めて生還しちゃった人間とか、めっちゃ貴重だもんね!?」

 笑いながら一成は言うし、実際楽しんでいる面がないわけではない。しかし、これは一成自身が全てを暗く塗りつぶしてしまわないようにと思っているからだ。

 疑似翼新生物を発症しながら治癒した世界で初めての人間。その情報は病院経由で様々な関係者へ伝わったらしい。
 どんな理由なのか、一体何が効果を発揮したのか。誰にもわからなかったけれど、ただ一つ確かなのは、一成が初めて死の淵から生還した人間であることだ。

「データ取りたいってのもめちゃくちゃわかるし、これからの治療に役に立つっていうならいくらでも協力するし、オレにできることなら何でもしちゃうよ」

 ある程度体調が安定してから、一成は病院から説明を受けた。
 世界でも珍しい奇病の、さらには唯一の生還者である。恐らく一成の体質などの遺伝的情報が鍵となることから、研究に協力してもらいたい。
 真摯な願いに、一成は当然うなずいた。これから先、同じように病を得る人がいても、治療が可能となるならば。その希望に関われるのなら、できることなら何でもしたかった。

「でも、ここまで厳重に警備されるのは予想外だったんだよね~」

 いっそ感心したような口ぶりで言うのは、病院の説明のあとで政府関係者だという人間が出てきたことだ。何事か、と思ったのも仕方ない。

 曰く、現在国家間での創薬開発競争は熾烈を極めている。薬の原材料の獲得競争はもとより、創薬の鍵となる情報は瞬く間に世界中へ拡散され、確保へと動き出す。奇病からの生還者の遺伝情報は、相当な価値ある情報として認定されるだろう。
 国としては、みすみす海外に遺伝情報を流出させることだけは避けたい。
 また、この情報が外部に漏れれば海外資本が接触を図ってくるに違いなく、全てが穏当なものであるとは限らない。時には暴力的な手段を伴うことも予想される。
 よって、治癒の情報だけではなく患者本人の情報も厳重に秘匿し、政府関係施設への滞在を要請する。

 一応自由意志ということではあったけれど、ほとんど義務に近い言葉だった。それに、身の危険も予想されると言われれば、うなずくしかなかったのだ。
 そういうわけで一成は、体調が回復してから以降はこの施設に移っているのだけれど。予想外だったのは、警備の驚くべき厳重さと、滞在期間の長さだった。
 長くても一ヶ月程度で帰れるだろうと思っていたのに、結局半年経っても一成は施設から出られない。
 さらに、直接顔を合わせることができるのは家族だけという徹底ぶりだった。電話やLIMEなどのやり取りも可能だけれど、ある程度の制限は設けられているし、郵便物の類は受け付けていない。
 その徹底さに、身の危険というのは冗談でもないのだと思い知らされるしかなかった。

「――それはオレも予想外だったけどな。でも、悪いことだけじゃなかったろ」

 カップを置いた天馬は、一つ一つの言葉を噛みしめるように告げる。その意味を一成は理解しているので、やわらかく目を細めてうなずいた。とろけるような声で言葉を続ける。

「そだね。オレたち結婚してるとか、未だに信じらんないけど」

 くすぐったそうな、照れるような笑みはどこまでもやわらかくて、甘い空気を漂わせている。天馬も似たような表情を浮かべるのは、口に出された事実を胸に刻んでいるからだ。

 家族以外との面会ができないと知らされて、最初は仕方がないと思った。時間が経てば会うこともできるだろうと思って我慢するしかないと。
 ただ、どれだけ待っても会うことはできなかったし、それどころかこの先いつになったら一成と会えるのか、皆目見当もつかなかったのだ。
 一成もさすがに精神的に参っているようだ、と一成の家族からも話は聞かされていた。
 いくら連絡を取り合えるとしても、自由に言葉を交わせる状況とは異なっている。慣れない状況に放り込まれていることや、データ収集のために日夜拘束され絵を描く時間も取れないこと。投薬や種々の実験に臨み、芝居もできない。
 先の見えないそんな生活は、一成をすっかり疲弊させていた。
 そばにいたい、と天馬は思った。一成の顔を見て、直接手を取って大丈夫だと言ってやりたかった。
 そんな中で、つながった電話の先の一成は言ったのだ。
 ささやかな雑談の合間に、冗談に紛らせようとして上手くできなかった声で。吐息で紡いだような、涙そのものみたいな声で。――テンテンに会いたい。
 それを聞いた天馬はどうにかしてやりたいと思った。だけれど家族以外の面会は許されていないのが現状だ。一体どうしたら――と考えて気づく。家族以外が許されないのなら、家族になればいいのだと。

「ホント、海で婚姻届出してきた時も思ったけどテンテン妙なところでとんち働くよね~」
「機転が利くって言えよ」

 間抜けな語感にそう言えば、一成は楽しそうに笑った。

 婚姻届が手元からなくなっていることに、天馬は気づいていた。どこかで落としたとも思えないし、恐らく一成が持っているのではないかとは思ったのだ。
 だからそれを尋ねれば、死への恐怖を和らげるお守りとして持っていったことを素直に認めた。だから天馬は言ったのだ。

――オレと家族になる気があるなら、お前の名前を書いてくれ。

 一成はその言葉に、数秒黙ったあと恐る恐るといった調子で尋ねた。「本当にいいの?」と。
 名前を書いてくれ、それが意味するものくらいわからないはずがない。天馬はできる限りのやさしい声で「いいに決まってるだろ」と答える。
 俳優皇天馬としての立場だとか、天馬の未来だとか。そういうものを考えて、一成がためらうだろうことは予想していた。だからこそ、一成とこれからを共に生きたいと、家族になりたいのだと切実に訴えた。
 一成はやはり、すぐに答えることはなかった。それでも、天馬が何度も言葉を伝えたことで思いを受け取ってくれた。何より、一成自身も限界だったのだろう。長い沈黙のあと、「うん」とうなずいた。
 それから、すぐに家族経由で婚姻届が渡された。開けば、一文字ずつを確かめるような丁寧な字で一成の名前が書きこまれていた。

「扉を開けたらテンテンが立ってるとか、マジで夢かと思ったけど!」
「なんでだよ。ちゃんと行くって連絡しただろ」
「そこから夢じゃないかって思ってた」

 天馬は婚姻届を受け取ったあとすぐに提出したし、不備もなかったため即座に受理された。法的に婚姻関係が認められたのだ。つまりそれは、二人が家族になったことの紛れもない証明だった。
 それを理由に施設関係者へ面会を要請すれば、天馬の言葉が嘘でも何でもないと確認したのだろう。配偶者として面会が許可され、天馬は初めて施設の場所を知らされたのだ。
 一成に連絡はしていたけれど、いざ顔を合わせれば目を丸くして驚いていた。
 元から痩せていた体は一回り細くなったようで、天馬は思わず顔をしかめた。だけれど、すぐに微笑みを浮かべるから、ほとんど衝動的に細い体を抱きしめたのだ。
 回した背に翼は生えておらず、確かに治癒してここに生きているのだと天馬に強く教えてくれた。

「今でもちょっと不思議な感じだけどねん。結婚した~!って実感あんまないし」
「……それはオレもだけどな」

 法的に無事家族となったため、天馬はこうして一成と会うことが許された。
 MANKAIカンパニーで唯一、直接顔を合わせられる人間なのでデリバリーよろしくあれこれ持たされているのは、一成が大事にされている証でもあるので、快く引き受けている。
 ただ、会えるとは言っても夜には帰るし、毎日来られるわけでもない。なので、結婚したという実感がないのは双方同じだった。

「てか、オレらキスもしてないし手もつないでないのに結婚はしてんのすごくね!?」

 改めて思い至った、という調子で一成は言う。二人は恋人という段階を飛ばして婚姻関係を結んでいるため、一般的な恋人としてのあれこれは何一つしていないのだ。
 天馬はあからさまな言葉に耳を赤くするし、それに気づいた一成は「テンテン照れてる~」と笑っている。

「何ならここでイチャイチャしてもいいけど」

 面白そうな顔で一成が言って、どうする?なんてイタズラっぽく問いかける。
 ずっと好きだった相手だ。もちろん、触れ合いたいとか近くで親密な時間を過ごしたいとは思う。さすがにこの部屋に監視カメラの類はないらしいので、プライベートは守られるはずなのだけれど。

「――もう少し我慢する」

 ぶっらきぼうに天馬は答えた。恐らく大丈夫だとは思っている。けれど、ここまでの厳重な警備を考えると、内緒で何らかの監視データを取られていてもおかしくはないと思ったのだ。
 一成も、薄々察してはいるのだろう。この部屋では基本的に、友人以上のスキンシップは求めてこない。
 天馬の答えに、一成は面白そうにうなずいた。それから、内緒話をするような様子でそっと口を開く。

「てかね、最近検査とかも減ってきてるんだよねん。まだ確定じゃないんだけど、外泊くらいならオッケー出そうな感じ!」

 声の端々に弾む響きを乗せて、一成は告げる。天馬は一つ瞬きをして、思わず一成を見つめた。その言葉が意味するものは。

「永遠にずっとここにいなくちゃいけないのかもって思ってたけど、たぶんそうじゃなくて」

 ささやかな周囲の変化を、一成は敏感に察知していた。
 検査や実験の数が減ったこと。拘束される時間が短くなったこと。外での生活についての話を聞くようになったこと。少しずつ、ゆるやかに、変化していく全てが意味するものを、一成は理解している。

「まだ時間はかかるかもしれないし、もう少し待たせちゃうかもしれないけどさ。でも、ちゃんと帰れると思う。テンテンのところに、帰れるよ」

 確かな事実ではなくても、きっとそうなのだと一成は思った。出口の見えない日々ではなく、いつか帰れる日が来るのだと、周囲の状況から一成は理解した。
 天馬はその言葉に、思わず笑みが浮かんでいくのを自覚する。
 じわじわとにじみだすように、笑顔が広がっていく。嬉しい。一成と一緒に、いつか帰れる日が来る。その事実が胸を満たして、喜びになっていく。

「はやく帰りたいな~!」

 天馬の笑顔を嬉しそうに認めた一成は、明るい声で言い放つ。
 その言葉に同意を返せば、一成は施設を出たらどこに行きたいだの、みんなであれがやりたいだのと、ぽんぽんアイディアを口にする。一つ一つに天馬は答えを返し、必ず全部叶えようと思う。

 これから先、少しずつ、色んなことを二人で経験していくのだ。
 恋人としてのあれこれだって、まだ何も知らない自分たちだけれど。一緒に生きると決めて家族になった。これからの未来を、長い時間を共に刻んで生きてゆく。
 いつか終わりを迎えるとしても。肉体が意味を失くし、土に還り空へと運ばれてゆくとしても。それでもきっと、隣にいるのはたった一人なのだと知っている。




――いつか、きみと還る日に。