hurts, hurts, fly away!




【side:九門】

 談話室では最近、映画やドラマの定期的な上映会が行われている。
 参加者はその時でバラバラだけれど、必ず顔を出しているのは九門に十座、それから一成だ。理由としては簡単で、そもそもこれは九門のための上映会だからだ。
 九門は暴力を連想させる映像作品が見られない。アニメのバトルシーンであればかろうじて見られるものの、実写になってしまうとだめだった。
 事実として血が飛んでいるわけではなくても、暴力的な行為が描かれるだけで、呼吸が上手くできなくなる。
 日常生活においては、テレビや映画の類を避ければ何とかなるかもしれない。ただ、九門はバトルものの作品が好きだ。好んでいたものを制限しなければならないというのは、本人にとってのストレスになる。
 何より、九門はMANKAIカンパニーに所属する劇団員だ。
 演技上達のためには、多様な作品を鑑賞することはいい勉強にもなる。そういう意味でも、見られる作品に制限が出るのはあまり好ましい事態ではない。
 それに、MANKAIカンパニーで上演された演目のうち、見られるもののほうが少ないという事実が九門には辛かった。MANKAIカンパニーで上演される舞台が大好きだからこそ。
 九門の所属する夏組は、コメディ劇が中心であることから暴力を連想させるシーンは少ない。そのため、比較的落ち着いて見ていることができた。
 ただ、十座の所属する秋組はアクションに定評のある組だ。総じてバトルシーンがあるため、最後まで鑑賞を続けることはできなかった。
 春組や冬組は比較的見ていられるとか思われたけれど、意外と春組にも戦いの場面はあるし、冬組は直接的な暴力ではなくとも死を連想させる作品が多い。
 秋組に比べれば見ていられるとは言えたけれど、九門の調子が悪いことは傍から見ても明らかだった。
 どうして九門が、暴力を連想させる映像作品が見られないのか。その理由は誰もが知っている。
 夏組の一人である一成が、通り魔事件の犯人によって襲われたからだ。夏組にとってその理不尽は恐ろしい体験として刻み込まれてしまったのだろう。
 だから、何の謂れもなく傷つけられた一成のことを思い出して、もしかしたら命を奪われたかもしれない事実が恐ろしくて、映像作品で描かれる暴力と結びついてしまう。MANKAIカンパニーのメンバーはそういう風に解釈していた。
 事実は少しだけ違っているけれど、それは夏組だけの秘密だ。だから詳しい話はしていないけれど、九門が見られない作品があるという事実は変わらないし、このままではいけないと思っている。だからこその挑戦が、定期的な上映会だ。
 実写作品のうち、果たしてどこまでなら大丈夫なのかと試したいのだと言って、九門は映画やドラマを持ってくる。その度いつも一緒にいるのが十座と一成だった。
 大好きな兄の存在は九門にとってのお守りで、一成がいてくれることは九門の心を支えてくれる。大好きな二人とともに、九門は今日も上映会に臨むのだ。



「ごめん、カズさん、兄ちゃん……」

 談話室のソファでうなだれたまま、九門はしょんぼりと声を落とす。
 少しずつ見られる作品を増やしてきた。アクションシーンとも呼べないような、ささやかな喧嘩のシーンなら見られるようになった。
 ちょっとばかり荒々しいやり取りも問題はなかった。だけれど、クライマックスのバトルシーンはやっぱり無理で、九門はダウンしてしまったのだ。
 途中までなら大丈夫だったのに、最後まで見ることができなかった。それに二人を付き合わせてしまったことを含めて、九門は申し訳ないとうなだれている。

「だいじょぶだよん! それにさ、くもぴ、途中まで見られたじゃん!」
「そうだ。最初に比べれば、実写でも見られるようになったのは進歩だ」

 一成が明るく声をかければ、十座もとつとつと言葉を続ける。
 慰めの言葉というより、二人が心から思っていてくれることは九門にも充分伝わったけれど。そのやさしさがわかるからこそ、余計に何だか苦しかった。

「でも、やっぱり最後まで見られなかったし……こんなんじゃ、いつになったら兄ちゃんたちの舞台見られるかわかんないよ……」

 明らかに気落ちした様子に、わかりにくいながらも十座まで落ち込んでいる。大切な弟である九門が悲しんでいるのだ。十座だって心を痛めるのは当然だった。
 一成はと言えばそんな兵頭兄弟をしばし見つめてから口を開く。明るい声で、全ての憂いを吹き飛ばすような調子で。

「でもさ! くもぴ、スタントシーンは見られてたじゃん? 最後の入り乱れてのアクションはだめだったけど、わりと激しいスタントシーンはオッケーだったっしょ!」

 今回九門が選んだのは、スタントマンを派遣する会社が舞台の映画だ。大小さまざまなトラブルに対処していくうちに、大きな陰謀に巻き込まれていって最終的には大立ち回りに発展する。
 その最後のシーンで九門はダウンしたけれど、中盤におけるスタントシーンはどうにか乗り越えられた。
 内容としては、格闘シーンが目白押しといった場面なので暴力を連想させるシーンであるにもかかわらず。十座ははっとした顔で「確かにそうだ」とうなずく。

「バトルシーンが全部だめってわけじゃないってわかったのは、進歩だと思うよん!」

 一成は明るい笑顔で、軽やかに言う。何もかも全てが見られないわけではない。スタントシーンとは言え、格闘シーンを見ることができたのは事実だ。
 九門は少しだけ声に元気さを取り戻して「そうかな」とつぶやく。しかし、すぐに気落ちした雰囲気に逆戻りして言葉を落とした。

「……でも、あれは作り物だってわかってたからかも。本当に怪我したわけじゃなくて、全部撮影だからってわかってるから平気だっただけかも……」

 九門が問題なく見られたのは、実際の暴力ではないと明言されたからなのではないか。該当シーンはあくまでも撮影の一環で、作り物だと劇中で説明されている。
 だから大丈夫だっただけなら、今回が特殊な事例なだけで他の作品では適用できない。結局何も変わっていないのかもしれない、と肩を落とす九門を、一成はじっと見つめていたのだけれど。
 数十秒そうしていたと思ったら、一成はぱっと顔を輝かせて口を開いた。何だかひどく楽しそうに、「くもぴ、ヒョードル! オレ、いいこと思いついちった!」と笑って言う。

「作り物だったら平気ってことは、全部作り物だってわかったらいいんじゃね!?」

 ワクワクとした調子で放たれた言葉。意図するものがまるでわからず、兵頭兄弟は首をかしげた。


◆◆


 アクションシーンありのちょっとした小品を撮影しよう、というのが一成のアイディアだった。
 九門は作り物だとわかっているシーンなら恐らく平気だ。それなら、自分たちで映像作品を撮ってみて、作品の世界はあくまで作り物なのだと体感してみるのはどうか、と一成は言う。
 舞台に立つ時、自分たちが作り物の世界に生きていることは理解している。それでも、その世界を、役を“生きて”いることも事実だ。
 役者としてたくさんの役を演じてきたからこそ、九門もその感覚は理解している。だからこそ、映像作品という作り物の世界すら現実とつなげてしまう。
 頭では実際に起こった出来事ではないとわかっているのに、実際の傷のように思ってしまう。作中世界で生きる彼らが負う痛みを、流す血を、現実で起こった出来事と重ねてしまう。
 だから、作中で「作り物」だと明言された場面なら大丈夫だったのだろう。人の手によって作られた戦いの場面なら、実際の暴力は振るわれていない。現実とつながることはない。九門の心はそう判断した。
 だからそれなら、と一成は言う。今まで見てきた映像作品は、あくまで観客の立場だった。その世界で生きる彼らの心に寄り添って、繰り広げられるドラマを見守ってきた。
 結果として、現実と結びついてしまうというのなら、観客の立場から別の立場へ視点を変えてみるのだ。
 たとえば、製作者として。作り物の世界を作り上げているのだという実感を得られれば、現実との結びつきを少しでも弱めることができるかもしれない。
 一成の言葉を、九門や十座は神妙に聞いていた。実際に効果があるかはわからない。だけれど、一成が懸命に考えた上での言葉ということはよくわかっていた。
 それに、できることなら何でも試す覚悟はしている。二人は力強い目をして、諾の答えを返したのだ。

「ってわけで、特別ゲストのアザミンです!」

 ぴかぴかの笑顔で一成が連れてきたのは、メイクボックスを手にした莇だった。莇は淡々と「事情は一成さんから聞いてる」と言って、レッスン場の片隅に腰を下ろした。

「ボディペイントのバリエーション色々増やしたかったしな」

 言った莇はメイクボックスを開いて、一成へ向かいに座るよう促した。それから「場所の希望とかは?」と尋ねれば、「特にはないからアザミンの好きなとこでいいよ☆」と朗らかに答える。
 一連の流れを見ていた九門は「ボディペイント? なんで?」と素直に尋ねた。莇はぱちり、とまばたきをしてから十座と一成へ視線を向ける。
 十座は事情を聞いているようで若干気まずそうな雰囲気を流し、一成はちょっとだけ困ったように笑った。

「一成さん、説明してないのかよ」
「ごめピコ~。タイミングが難しいな~っていうか、言ったら反対されそうだなって思って」

 言った一成は、立ったままの九門を見上げて答えた。莇を連れてきた理由。何のためのボディペイントか。

「今回は怪我する役がオレだから、ちゃんと傷作ってもらおうと思ったんだよねん。あ、あんまりリアルじゃないやつにするからね!」

 九門が気分を悪くしないよう、リアルさは追求しない方向で、と話は事前にしている。それでも、莇が手掛けるのでそれなりにちゃんとした傷に見えることは明白だ。

「――黙っててめんご。でも、できればくもぴにはちゃんと見ててほしいんだよねん。アザミンがオレにメイクしてくれるとこ」

 いつもの明るい笑顔に似て、どこかに静けさをまといながら一成は言う。
 最初、この話をした時十座は不安そうな顔をしていた。映像作品の暴力を連想させるシーンがだめなのだ。
 いくら本物ではないとは言え、リアルな傷跡を目前で見るなんてこと、九門の負担になってしまうのではないかと心配だった。
 一成も同じ気持ちだったのだろう。だから、九門の様子をちゃんと見ていてほしいと言った。
 少しでも変だったら、くもぴのことレスキューしてね、と穏やかに告げたのだ。だめだと思ったら問答無用で部屋から連れ出してほしい。きっとその判断ができるのは、兄である十座が一番だから、と。

「傷シールとかじゃなくて、アザミンなら一から傷メイクできるからさ。最初っからくもぴに見ててほしいな~って」

 無理はしないで、だめならすぐに言ってね、と言葉を添えながら一成は言う。
 本当の傷じゃない。莇の手で作られていく傷跡を見ていてほしい。これは全部作り物だ。本物じゃない。みんな、みんな、偽物だ。

「たぶん、めちゃくちゃ痛そうな感じになると思うけど。全然痛くないよって、くもぴに確認してほしいんだ」

 真っ直ぐと九門を見つめて告げられた言葉。九門は、澄んだ緑色の目を見つめた。いつだって明るくて、やさしく九門を見守っていてくれたまなざし。
 そこに浮かぶもの、言葉ではなく声ではなく伝わるものは真っ直ぐ届く。だから、九門はこくりとうなずく。真剣な顔で、一成の決意を丸ごと受け取ったのだと答えるような真摯さをたたえて。
 一成の言葉の意味くらい、九門だって理解している。そもそも今回の小品撮影をするのだって、同じ理由から出発している。
 スマートフォンで撮影する予定の映像作品は、カメラマン役を九門が務める。
 出演者は十座と一成で、簡単なエチュードのあと十座演じる後輩が、一成演じる先輩に突っかかり、殴り合いに発展するという筋書きだ。
 ただ、一成はアクションの心得があまりないので、ほぼ十座が一方的に殴るだけになるだろう。もちろん実際には一つだって暴力は発生しない。
 一発撮りではないから、いくつかのシーンを撮影してあとから編集で上手くつなぐ予定だ。暴力を振るわれるように見えるシーンは撮るけれど、本当は一成に何一つ傷はつかない。
 アクションシーンを撮ると決まった時点で、配役は自ずと決まる。まるで実際に殴っているように演技するのは、アクションシーンの経験が少ない一成より、十座のほうが格段に適任だ。
 だけれど、そうではなくても一成は自身が怪我をする役を選んだことくらい、十座だって九門だってわかっている。
 だってこの提案は、全部一つの目的に向かっている。
 九門が重ねてしまう現実は、一成が実際に刺された出来事に起因している。夏組だけが知っている、一成が死んだ過去に深く根差している。
 直接見たわけではなくても、徹底的な暴力で蹂躙されて事切れた一成のことを、九門はどうしたって重ねてしまう。大事で大切な夏組の一人。暴力の果てに命を奪われた、一成の最期を思い浮かべてしまう。
 それを理解しているからこそ一成は決意したのだと、天馬から大よその話は聞いている。自分が死んだことで心を痛めて、バランスを崩してしまったことは事実だ。
 夏組はそれを乗り越えようともがいて、戦っている。だからそれなら、できることなら何でもするのだと一成は決意した。

「――全部みんな作り物だよ。一つだって現実じゃない。本当じゃない偽物で、作り物だよ」

 穏やかに一成は言う。これから作る傷も、繰り広げられる世界も、全部作り物だ。実際の傷でもなければ、暴力だって振るわれていない。
 だから、九門の知っている現実と地続きではないのだと、ゆっくりと諭すように一成は言う。
 これはきっと祈りなのだと、九門は思っている。いなくなってしまった大切な人。世界のどこを探したって二度と会えないはずの人。だけれど、奇跡と呼ばれる出来事が起きて今目の前にいてくれる。
 それを知る一成は、自分の全てで祈って、伝えようとしてくれている。九門が思い出してしまう現実も、重ねてしまう出来事も全てを知りながら言うのだ。

「オレは一つも痛くないんだよ、くもぴ」

 一成の痛みを知って、同じように心を痛めて自分が傷ついたような顔をする九門に向けて、一成は告げる。これから作る偽物の世界を示して、嘘の傷を指して、心から。
 ここで生きているオレは、何一つ痛くないんだよ。