hurts, hurts, fly away!
【side:三角】
夏組の不調は、MANKAIカンパニー全員が知っている。元々、一成の体調を鑑みて公演の予定を決めることになっていたので、先のことはまったく決まっていなかった。
そんなところに発覚したのが、夏組の不調である。とても公演を行える状況ではないということで夏組としての稽古は行われていない。
加えて、三角の不調は芝居と密接に結びついている。一度芝居に入り込むと、なかなか役から戻ってこないのだ。
数分待てば役が抜けるとは言え、今までの三角では見られなかった事態だ。
あまり何度も芝居を繰り返せば、数分では済まなくなってしまうのではないか、という危惧により、カンパニーメンバーは三角との芝居には慎重にならざるを得なかった。
ただ、三角が芝居をしたがっていることは、本人の言動からもよくわかった。
周囲の心配を理解しているのでワガママを言うことはないけれど、しょんぼりと気落ちする様子は何だか見ているほうも悲しくなってしまうほどだ。
だからなのだろう。どうにかして芝居ができないか、と模索した結果辿り着いたのは、夏組とのストリートACTだった。
本格的な公演は役になりきる時間が長い。それこそ三角が役から戻ってこなくなるかもしれない。だけれど、短いストリートACTなら問題はないのではないか。
それでも万一のことを考えると、なるべく同じメンバーのほうが三角も安定するかもしれない。三角と共に演技を行う対象は絞るとして、それなら夏組が一番だろう。
MANKAIカンパニーはそういう結論を出したので、三角は夏組の誰かとストリートACTに出かけることが多くなった。
芝居ができるという事実が心底嬉しいようで、三角はしょっちゅう夏組と連れだって街へ繰り出すのだ。
顔ぶれは様々で、三角は多種多様な組み合わせてストリートACTを行っている。
多忙な天馬も暇を見つけては付き合っているようで、二人がそろうストリートACTはずいぶんと客を集めた。二人だったり三人だったり、色々な組み合わせで三角は芝居をしていたのだけれど。
一成と二人のストリートACTを終えた帰り道。今日も楽しかった、と感想を言い合っていると一成が言ったのだ。「すみー、しばらくオレと二人でストリートACTやらない?」と。
三角はぱちくり、と目をまたたかせたけれど、すぐにぱあっと顔を輝かせた。断る理由なんか一つもないのだ。三角は「うん!」と元気よくうなずいた。
「どんなストリートACTやる~?」
寮を出て、駅前までの道を歩きながら三角は尋ねる。一成は明るい笑顔で「どうしよっかな~!」と答えた。
数日前、一成からしばらく二人でストリートACTをやらないか、と持ち掛けられた。
その言葉通り、三角はずっと一成と一緒にストリートACTをしているのだけれど、今日に至ってはそれこそ朝から晩まで一成とストリートACT三昧の予定だ。昼食のために一旦寮へ帰ったものの、またこうして駅前に向かっている。
「すみーが最近やってない役のがいいかな~? すみーのストリートACT、マジで人気あるからリピーターめっちゃ多いし!」
ここ最近、三角はしょっちゅうストリートACTのために天鵞絨町へ繰り出していた。三角の演技力は周囲の注目を集めるには充分だし、そんな三角が連日ストリートACTをしているのだ。
話題になるまで時間は要らず、加えてMANKAIカンパニーの斑鳩三角ファンにまで情報が伝わった結果、三角がストリートACTを始めればすぐに人だかりができる。
その中にはリピーターも多いため、なるべく今までと重複しない役がいいだろう、と一成は考えているのだ。
「昨日はコックで、その前はお医者さんだったじゃん?」
「新聞記者とドライバーもやったよ~。あと、学生の役はいろいろ!」
「なる~。学校ネタって色々できるもんね!」
一成とのストリートACTだけでなく、他の夏組と演じた役についてあれこれと言葉を交わし合う。基本的にその場の即興で芝居は始まるけれど、場面や役を事前に決めてから臨むこともある。
今回は、役だけは決めてから始めることが暗黙の了解になっている。内容に関しては、夏組得意のアドリブが発揮されるので一体どんな話になるのかは演じている本人たちにも未知数だけれど。
役を決めてから芝居を始めること。まるで不文律のようなそれが、どういう理由から決められたことなのか、三角は理解している。
数分とは言え、三角は芝居が終わっても役から抜けられない。その時そこにいるのは「斑鳩三角」ではなく別人なのだ。
だから、何か不慮の事態が起こらないようにと夏組は事前に役を決めることにした。どんな役なのかわからない状態で芝居を始めて、そのまま三角が役のまま過ごすことになったら、一体どんな行動に出るのか予想がつかない。
もしも危険を顧みない冒険者だとか、何にでも首を突っ込む好奇心旺盛な学者だとか、そんな役だった場合、ほんの数分間でよもや危険な目に遭うことだって考えられる。
もちろん、夏組の誰もが三角のことを気に掛けているから、何事もなく済むだろうとは思っているけれど。もしかしてや万が一を考えてしまうのは、当然のことでもあった。
だから、事前に役を決める。これから三角が演じるのはこういう人間なのだと、きちんと理解してから芝居を始めるのは三角の安全を担保するための措置でもあった。
それがどんな思いから出発しているのかだって、当然三角は理解している。
もう二度と、誰も失いたくない。誰一人危険な目に遭わせたくない。夏組は六人そろって夏組だ。それは決して変わることのない事実だったはずなのに、三角や夏組は永遠に欠けてしまったたった一人を知っている。
他のカンパニーメンバーは誰も知らない。夏組だけの秘密で、口にすれば荒唐無稽な話だと言われてしまうことだとわかっている。それでも、単なる事実として夏組は一成が死んだ現実を生きていた。
三角は隣を歩く一成へそっと視線を向けた。
楽しそうな笑顔で「ちょっと異世界風で錬金術師とかもいいし、すみーの身体能力活かして勇者とか?」なんて言って、あれこれアイディアを口にしている。
いつだってこんな風に笑ってくれて、三角の言葉を楽しそうに受け止めてくれた。奇異に思われがちな三角の言動を否定することなく、当たり前みたいに受け入れて、三角の大切なものを一緒に大切にしてくれた。三角を友達だと言ってくれた。大事なオレの、友達。
肩を並べて一成が歩いていてくれることは、決して当たり前ではない。本当なら、ここに一成はいないはずだった。
だけれど、恐らく奇跡と呼ばれる出来事が自分たちに起きて一成は今ここにいてくれる。呼吸をして、心臓を動かして、一緒に隣を歩いてくれる。
その事実をぎゅっと握りしめる三角の胸は、何だか苦しい。ただ、それは悲しいだとか辛いだとかではなく、あふれでるほどの喜びに押しつぶされそうだからだ。
一成がいなくなってからの日々を、三角はずっと覚えている。
一人が欠けた夏組は全員がバラバラになってしまった。それぞれが少しずつおかしくなって、手を取り合うことを忘れてしまったみたいだった。五人はみんなで、独りぼっちになってしまったみたいだった。
一成のいない毎日を過ごす三角は、まるで迷子になったみたいだと思っていた。
見慣れたMANKAI寮も、天鵞絨町の路地も何だかまるで知らないもののように思える瞬間が増えた。唐突に自分がどこにいるかわからなくなってしまうことが多くなった。
それは、三角が息をするように自然と始めた芝居においてさえ。
三角は自分以外の誰かになって、新しい世界を作ることが好きだ。大好きな人と一緒に、世界の幕が開く時三角の心は高揚感に満たされて、どこまでだって走っていけそうな気持ちになる。
だけれど、全てを終えて世界が閉じたあとに、気づいた。
一成がいなくなってから頻繁に訪れるようになった、迷子になったみたいな感覚。芝居が終わった時にもそれは現れた。
帰り道がわからない。どこに行けばいいかわからない。自分以外の誰かになったあと、「斑鳩三角」へ戻る方法がわからなくなってしまった。
どうやって、オレはオレに戻っていたんだっけ? 自分ではない誰かのままで過ごしながら、奥底で眠る三角は途方に暮れるしかなかった。
それでも、どうにか時間を掛ければ三角は三角へ戻る道を探りあてることができた。ただ、当時の夏組や監督の危惧通り、何度も芝居を繰り返せば、その内帰り道が見つからなくなる日が来るようにも思えた。
だから、「しばらく芝居をお休みにしよう」という監督の提案にも素直にうなずいたのだ。
だけれど、奇跡と呼ばれる出来事が自分たちに起きた。
天馬が訪れた洋館で、過去の一成と時間がつながった。いなくなってしまったはずの人と再び話をして、顔を見て、名前を呼んで、一緒に笑い合うことができた。
その現実は、途方に暮れるしかなかった三角に確かな光を与えたのだ。どこにいるのかわからなくなってしまう三角に、自分の居場所を教えてくれた。明かりを掲げて、ここにいるよと言ってくれた。
三角はちゃんとそこにいる。天馬がいて、幸がいて、椋がいて、九門がいて、一成がいて、そこには三角がちゃんといる。六人の形を確かに掲げる一成の存在が、斑鳩三角への帰り道を示してくれていた。
今でもまだ、時々自分の居場所がわからなくなってしまう。役から抜けるのには時間がかかる。それでも、以前に比べればずいぶんと早く、三角は三角に帰って来られるようになったのだけれど。
「――オレ、かずにやってもらいたい役があるんだ~」
一成の言葉を楽しそうに聞いていた三角は、言葉が止まったタイミングでそっと口を開く。一成は「マ!? どんな役?」と明るい笑みで答えてくれた。三角はそれを嬉しそうに見つめる。
一成が「しばらく二人でストリートACTをやらないか」と持ちかけたのは、純粋に三角と芝居をしたいという動機もあるだろう。だけれど、恐らくそれだけではない。
一成は理解しているのだ。三角が役から戻ってこられなくなったのは、自分が死んでしまったからだと。六人の夏組から一人がいなくなった。二度と戻ることのない、永遠の不在だ。
それがどれほどまでに夏組の心を傷つけたのか、一成は痛いほどに理解している。だから一成は決めたのだと、天馬から大よその話は聞いている。
夏組は少しずつ良くはなっているけれど、まだ完全に元通りとはいかない。それならば、一成のすべきことは一つだった。
誰からの心配もなく、これまで通り演技ができるように。三角はきちんと役から抜けられるのだと、カンパニーの誰もが憂いなく三角と共に舞台へ立てるように。
困難も壁も乗り越えて克服するためにできることなら何だってするのだと、一成は決めた。その一つが、三角とともにたくさん芝居をすることだ。
「あのね、美術大学に通ってて、絵がとーっても上手! デザインも得意で、いつも素敵なものを作ってくれるんだよ」
笑顔を浮かべながら、三角は一成にやってもらいたい役を告げる。
一成は一緒に芝居をすることで、大丈夫だと伝えたいのだと三角は思っている。ここに生きているのだと。死んでなんかいないし、ちゃんと三角とお芝居をしているのだと。
五感の全てで感じてほしくて、三角と何度も芝居をしようと言ったのだ。お芝居の世界で体中の全部で一成の存在を感じれば感じるほど、一成は生きているのだと三角は実感することができるから。
芝居が好きで、新しい世界を生きることが好きな三角なら、きっとそれで何もかもが伝わると信じて。
「いつもやさしくて、にこにこしてて、楽しいことをいっぱい連れてきてくれるんだ。キラキラを見つけるのがとっても上手で、嬉しいこととか楽しいことをたくさん教えてくれる」
真っ直ぐと告げられる言葉に、一成は目をまたたかせる。他人の心に敏感で聡明な一成だ。三角の言葉が示すものに思い至らないわけがない。三角は笑顔をこぼしたまま、さらに言葉を続ける。
「お芝居もやってて、オレ一緒にお芝居するのが大好きなんだ。夏組の一人で、みんなのことすっごく大切にしてくれる、オレの大事な友達!」
満面の笑みで言い切ると、一成は少しだけ困ったような雰囲気を流したあと、そっと口を開いた。戸惑いをにじませて、だけれど抑えきれない喜びがあふれる表情で言う。
「――オレじゃん?」
「うん! かずには、かずの役やってほしいんだ~!」
力強く三角は答えた。どんな役がいいか、と言われて三角は考えた。どんな役だってきっと楽しいし、一成相手なら想像の何倍よりも素敵な時間になる。だから何だって良かったのだけれど、三角は思ったのだ。
一成が、自分のために芝居をしようと思っていてくれるなら。帰り道のわからない三角のために、全身全霊の全てで答えようとしてくれているなら。それなら三角も応えたかった。
「オレも斑鳩三角の役をやるから、かずにはいっぱい、オレの名前を呼んでほしいんだ」
芝居の世界に入り込んだまま、帰り道がわからなくなる。それでも一成がいれば、六人の形をきちんと教えてくれる一成がいれば、どこに向かえばいいのかわかる。
その間隔を短くしていけば、きっと三角は今まで通りに芝居が終わるときちんと斑鳩三角へ帰ってくる。
「かずに名前を呼んでもらったら、オレちゃんと帰ってくるよ。だから、いっぱい名前を呼んで。何回も、何回も呼んで。そしたらオレ、たぶんもう迷わない」
きっぱりと三角は言った。何かの根拠があるわけではない。理由も理屈も存在しない。だけれど、ほとんど三角は確信していた。
芝居の世界で、一成が名前を呼ぶ。何度も何度も三角を呼ぶ。その度に、きっと帰り道は確かになる。見えなかった道が、消えてしまった道が、確かな形になって三角の前に現れる。
「ちゃんと帰ってくるよ、かず」
きちんと道が形作られればきっと大丈夫だと、三角は思っている。だってここに、一成はいる。三角の隣で生きて、一緒に芝居をしてくれる。
その現実がある限り、きっともう三角は大丈夫だ。だからそれまで、あと少しだけ、一成の力を借りるのだ。
真っ直ぐと告げられた言葉を一成は受け取った。だから、心からの決意を込めた声で答える。軽やかに、まばゆいほどの光を宿して、震える心に決意を乗せて。
「うん。すみーのこと、いっぱい呼ぶよ」