ゼラニウムの咲く庭で
電話口の左京は、硬い声で言った。天鵞絨駅から二駅ほど離れた先にある公園にいること。自分以外には密、千景、天馬、三角がいること。――そこで、一成の遺体を見つけたこと。
その言葉を聞いた時、紬の頭には上手く意味が染み込まなかった。
連絡が取れないまま行方のわからなくなった一成を探していた。MANKAIカンパニーの誰もが懸命に探していたからきっと見つかると信じていた。確かに一成は見つかった。だけれどそれは、こんな形で叶えてほしい願いではなかった。
一成は見つかった。物言わぬ亡骸として。二度と明るい笑顔を浮かべることのない姿で。
理解した瞬間、ざあっと血の気が引いていく。視界が陰り、何もかもが暗く塗りつぶされる。周囲の様子も、電話口の左京の声も聞こえない。
だって、カズくんが。いつだって明るい笑顔を浮かべていてくれた。どんなことでも楽しんで、カンパニーに光を連れてきてくれる。人の心に敏感で、誰かを傷つけまいとするやさしさを持っている。まばゆい笑顔で、心ごと抱きしめてくれる。明るく照らして、みんなを笑顔にすることが得意。細やかな愛情と、しなやかな強さを持っている。大好きで大切な、カンパニーの仲間。そのカズくんが、遺体で見つかったなんて。そんな。
「紬、どうした」
呆然としたままたたずんでいると、不意に肩を叩かれた。様子がおかしいことを察した丞で、にらみつけるようにも見える視線を投げている。ただ、それは丞の真剣さを表しているだけだということはわかっていた。紬はハッとした顔で「ごめん」と答えてから、周囲へ視線を巡らせた。
一成を探すために街中を走り回っていたメンバーは、左京たちを除いて一度寮へ戻ってきていた。探すべき場所は探し尽くしてしまった。やみくもに動いても仕方がないと、一成の実家から帰ってきた監督も交えてこれからの行動を話し合う手はずだった。
さらに、談話室には夏組をはじめとした他のメンバーもそろっている。左京からの電話を受けた紬を不安そうに見つめている姿に、紬の思考回路が働き始めた。とても全てを飲み込んでしまうことはできないけれど、少なくとも今ここで取り乱してはいけないことくらいわかっていた。
「――すみません、左京さん」
長い間沈黙してしまったことに気づいて、電話口の左京に謝る。しかし、左京は静かな声で「気にするな」と答えた。
「むしろ、お前には辛い役目をさせちまうことになる。俺たちはすぐに寮へは戻れそうにねぇからな。三好のことは、月岡から伝えてほしい」
悪い、と続けた左京の声は心からの苦渋に満ちていた。左京は到着した警官との折衝を行うので、現場を離れることはできないと言う。だから、一成の件を伝える役目を誰かに託さなくてはならなかった。
「誰に伝えるかは月岡に任せる。お前の人を見る目を信用してるからな」
静かな声で告げられて、紬は悟った。左京からの電話がどうして自分にかかってきたのかと思っていたけれど、それはこのためだったのだ。左京は、紬であれば、と信じた。いずれカンパニーの全員が知ることになる事実を、紬ならばきっと、一番痛みの少ない形で伝えられるはずだと。
紬はぎゅっと唇を結んで、一度目を閉じた。
心は未だに嵐のように乱れている。だって、一成はもうどこにもいないのだ。通り魔事件を目撃したことから危険が迫るかもしれないと言われていた。カンパニーみんなで守ると誓ったはずだ。だけれど自分たちは間違えてしまった。失敗してしまった。できることはもっとあったはずなのに。結局何もできなくて、大事な人は手のひらからこぼれ落ちてしまった。
後悔はいくらだってこの身を焼く。叫び出したい衝動も、胸を掻きむしる慟哭も、全てが嵐のように吹き荒れる。だけれど、今の自分が選ぶのはのたうち回って悲しむことではないのだ、と紬は理解していた。左京が信じてくれたならば。カンパニーのメンバーが、不安そうにこちらを見つめているなら。それなら。
目を開いた紬は、瞳に確かな意志を宿して言った。電話口の左京に向かって、今度こそは間違えないという決意とともに。
「俺にその役目を託してくれたこと、感謝します」
もしもここに左京がいたら、この役目は左京が担ったかもしれない。やさしくて、全ての痛みを肩代わりしようとしてしまう人だからこそ。そうならなくてよかった、と紬は思う。左京一人に全てを背負わせることなく、自分もその役目を引き受けられることは、この酷い現実の中でたった一つの僥倖だった。
紬の言葉に、電話の向こうで左京は小さく息を呑んだらしい。驚いた気配が伝わってくる。恐らく左京は、辛い役目を負わせたことを非難されこそすれ、感謝されるなんて思っていなかった。だからこその反応だけれど、紬の真剣さも同時に理解したのだろう。すぐにそれまでの調子を取り戻した。
「悪いな。それと、もう一つ大事な用件だ。第一発見者の御影たちは恐らく事情聴取が長引く。ただ、皇と斑鳩は早く帰してやりてぇ」
遺体を最初に発見した密や、すぐに合流した千景は一成の遺体に近寄っている。左京も同様であるため、事情聴取は詳細なものになるだろう。そのため、現場に拘束される時間が長くなるはずだと予想していた。
「あいつらに三好の姿は見せてねぇ。三好のことだ、きっと望みはしねぇだろうからな」
左京の言葉が少しだけやわらかくなった。恐らく一成のことを思い出したのだ。
最初は奇異にしか思えなかった「フルーチェさん」なんて呼び名にすっかり慣れてしまったこと。金髪という共通点を、何だかやけに喜んでいたこと。椋を交えて少女漫画を読み合ったことや、フライヤーをはじめとしたデザイン各種の話し合い、隙を見ては一緒に写真を撮っては楽しそうに笑っていたこと。一成と過ごした日々を思い出せば笑顔になってしまうのだろう。
しかし、それも一瞬だ。左京の声はすぐに硬くなり、押し殺したような声で言葉を並べた。
一成は恐らく通り魔事件の犯人に襲われた、というのが左京の見解だ。ナイフによって全身を刺されて、血の海に横たわっていた。いつもの笑顔は一つだってなかった。きらきらとした輝きはどこにもなくて、何もかもを血に染めて事切れていた。
そんな一成の姿を、夏組の二人に決して見せまいと左京たちは動いたのだ。あの、光散る夏が何よりもふさわしい彼らには、血まみれの夜なんて似つかわしくない。記憶にだって残したくない。夏組の彼らに覚えていてほしいのは、幸せを抱きしめたみたいにあざやかに笑う一成の姿なのだから。
「斑鳩と皇は比較的早く解放されるはずだ。そしたらすぐにそっちへ帰す。あいつらのこと、よろしく頼む」
「わかりました」
切実な響きで告げられた言葉に、紬は力強く返した。紬は、天馬のことも三角のことも、役者として人間として尊敬している。年下だからといって線引きをするつもりはなかったけれど、今この時に限っては意味が違う。
たとえわずかとはいえ、確かに自分たちは彼らよりも長い年月を生きている。少しばかり先を歩いている自分たちだからこそできることがある。たとえ直接遺体を目にしていないとしても、ショックは大きいはずだ。そんな二人の心を守るのは、大人である自分たちの役目だった。