ゼラニウムの咲く庭で
中庭のベンチに、紬と一成は並んで腰かけている。本日の朝食は具だくさんサンドイッチだと一成は嬉しそうに教えてくれたし、天馬は天馬で「持っていってやるから、二人は先に中庭に行っててくれ」と言っていた。
もともと、中庭のベンチで天馬と一成は朝食を取るつもりだったのだ。だから、キッチンで一通りの準備をする必要があるのは事実で、天馬は一人でそれを行うのだと告げて去って行った。
どうしてなのか、紬は正しく理解している。天馬は、酷い夢を見た紬を一成と二人きりにさせようと気を遣ってくれたのだ。
「さすがは天馬くんだよね」
しみじみとした口調で言葉をこぼす。自信満々でオレサマとも言われる天馬だけれど、心根のやさしさならカンパニーのメンバーは全員知っている。一成は紬の言葉に、顔を輝かせて答えた。
「だよねん! テンテン、マジでカッコよくて毎日惚れ直しちゃうよねん」
そう告げる一成の目はきらきらしていて、頬も紅潮している。弾む心を形にしたような、天馬のことが大好きで仕方ないと告げるような、そんな表情に紬も笑みを浮かべた。
こんな風に一成が笑っていることが嬉しかった。大好きな人を思い浮かべて、全身の全てで愛を叫ぶみたいに。天馬のことが大切だと、共に過ごす日常がこの上もない宝物なのだと。言葉よりも強く、まなざしで唇で、まとう雰囲気で、一成の全身全霊で伝えてくれることが嬉しい。
一成が死んでしまった夢の中では、何もかもが失われてしまったのだ。こんな風にきらきらと笑ってくれることもなかったし、天馬のことが大好きなのだと全身で伝えてくれることもない。大好きな人を心の全てで抱きしめるような一成の姿を目にすることは、ついぞなかった。
だけれど、今一成は生きている。あの秋の日に時間を止めてしまうこともなく、冬を迎えて春へと季節は巡った。
そうでなければ、互いを特別に思い合い、愛を交わし合った二人の姿をこんな風に見つめる日は来なかった。カンパニーのみんなに関係をあらためて告げて、心からの祝福を送る日も、何一つ隠すこともなくお互いへの愛を口にする二人を、近くで見守ることもできなかった。
今、あふれる心を真っ直ぐと天馬へ向ける一成が見られて嬉しい。今、一成が幸せを抱きしめていてくれることが嬉しい。今、隣で一成が間違いなく生きていることが嬉しい。
喜びがこぼれて胸がいっぱいになっていると、一成は目を細めた。まぶしそうなまなざしで、ぐるりと中庭を見渡すと唇から声が落ちる。感嘆のような響きだった。
「中庭、めっちゃ綺麗だよねん。さすがつむつむって感じだし、春の庭もすげーいいよね」
光の中にあざやかな色彩を織り交ぜて、あちこちに振り撒いたみたいだ、という感想は絵を描く一成らしいな、と紬は思う。中庭から見える風景を心から美しいものだ、と思っていてくれることが伝わってくる。
「季節ごとに中庭の風景変わるし、朝と昼と夜でも全然違うからマジで中庭にいるのって飽きないんだよねん」
周囲へ視線を巡らせた一成は、しみじみとした口調で告げる。そこには純粋な称賛だけが存在していて、紬は少しほっとした気持ちになった。その声音には、かつて一成にとって中庭が恐怖の対象だった気配は微塵も感じられなかったからだ。
ほんの数か月前、一成にとって夜の中庭は自身が殺される記憶と結びついた。怯えて震える様子を紬は知っているし、いつでも明るく笑ってくれていた一成のそんな姿にカンパニーのメンバーは心を痛めた。
だけれど、今の一成は中庭をただ快い場所だと思っていてくれるのだ。カンパニーはもちろん、天馬を筆頭とした夏組のおかげで一成の心は安寧を取り戻した。だからこそ、こうして中庭をまぶしそうな目で見つめてくれる。
「つむつむの育てた花見てると元気になるよねん。知らない花ばっかだけど――ねね、あの右側の紫の花ってなに? 何かちょっと雰囲気独特な感じ」
「ああ。あれはルピナスって言うんだ。登り藤とも言うかな」
「なる~。藤の花逆さまにしたっぽい!」
紬の言葉に嬉しそうに笑うと、さらに隣の花は何か、さらに隣は、と咲き誇る花について興味深そうに尋ねる。それが嬉しくて、紬は弾んだ声でキンギョソウやベゴニアの名前を告げた。一成はきらきらとしたまなざしで、一つ一つに相槌を打った。
「じゃさ、あの赤いのは? めっちゃ目立つよねん! ハイビスカスも結構赤が強くて存在感あるけど!」
沖縄が好きだという一成は、赤い花と言えば自然とハイビスカスが思い浮かぶのかもしれない。そんな連想が働いた花は何か、と一成の示した指先を辿った紬は思わず微笑みを浮かべた。
「あれはゼラニウムって言うんだ。カズくんも育ててみる?」
わずかにイタズラっぽい表情で、紬は一成に問いかけた。ハイビスカスから連想が働いた、という点でも縁があるように思えたし、もう一つ紬の頭に浮かんでいるものがある。一成は首をかしげて答えた。
「オレ、あんまり花とか育てたことないよ?」
「平気だよ。丈夫だから初心者にも育てやすい花だし、俺ももちろん手助けする。それに、赤いゼラニウムはきっとカズくんにぴったりだから」
心からそう言えば、一成は不思議そうにまばたきを繰り返した。どうしてオレにぴったりなんだろう、という顔をしているのももっともだろう。色味だとか花の形だろうか、という顔で花壇のゼラニウムを見つめている。そんな一成の様子に、紬は笑みを深めて口を開く。
「カズくんにぴったりっていうより、俺がカズくんに思ってることっていうほうが、もしかしたら正しいのかも」
紬の言葉に、一成は「どういう意味?」と尋ねた。
不思議そうな瞳には光がまたたいていて、綺麗だな、と思う。この輝きが失われたことが夢でよかった。紬の名前を呼んでくれないことも、もう二度と笑顔を見られないことも。時間を止めた一成を置いていかなくてはいけないことも、共に未来を歩んでくれないことも。全部夢でよかった。
ここに、目の前に一成は生きていてくれる。確かな呼吸で、あたたかな体で、間違いようもなく生きていてくれる。その事実を噛みしめた紬は、そっと口を開いた。
「あのね、カズくん。赤いゼラニウムの花言葉はね」
ささやくようにやわらかな声で。泣き出しそうに揺れる心で。何よりも美しい言葉を、心からの思いを、一成に向かって紡ぐ。
「『きみがいて幸せ』」
END