星の数ほどキスをして
―Coming home―
くたくたになった体をひきずって、天馬は自宅へ帰り着いた。緩慢な動作で家のキーを開けて、中に体を滑り込ませる。
途端にやわらかな明かりが天馬を照らし、同時に部屋の奥から軽い足音が近づいてくるのが聞こえた。
「おかえり、テンテン!」
まばゆいばかりの笑みで小走りに駆けてきたのは一成だった。ぱたぱたと、天馬の前までやってくると「お疲れだね~」と言ってさりげなく天馬の鞄を受け取る。空いた手に戸惑うような気持ちになったのは、目の前に一成がいる、という現実がじわじわと頭に染み込んでいるからだ。
天馬を見つめるまなざしには、ちょっとばかりの心配と楽しそうな気配がにじんでいる。真っ直ぐとそれを受け取った天馬は、小さく息を吸う。吐き出すのと同時に、声を紡ぐ。
「――ただいま」
唇からこぼれた声は、わずかに震えるような響きさえともなっていた。理由なんて、天馬はよく知っている。ここ最近の忙しさは目を見張るくらいだった。しかし、まだまだピークですらなくて、毎日どんどん忙しさが更新されている。
そんな中で、家に帰ってきた時に一成がいてくれるという事実が、思っていたよりも強く胸を打ったのだ。
たった一人の部屋に帰るのではなく、「おかえり」と出迎えてくれること。一成に「ただいま」と言えること。その事実に、たまらない気持ちになる。だから、じわじわと胸を満たす衝動のまま天馬は、空いた両手で一成を抱きしめる。
「んん、テンテン、どしたの。だいじょぶ?」
「大丈夫じゃない」
素直に答えると、朗らかな笑い声が耳元で弾けた。「そっか~、じゃあ仕方ないねん」なんて言っているけれど、声は心底楽しそうだ。鞄を持っていないほうの手で、ぽんぽん、と天馬の背中を叩く。あやすような仕草に、普段なら「子ども扱いするな」と言うところだけれど、今はその手のひらが心地よかった。
どれくらいの間そうしていただろうか。一成は文句一つ言うこともなく、天馬の抱擁を受け入れていたしずっと背中を撫でていた。時折「テンテンは甘えんぼだなぁ」と、楽しそうな声をこぼしながら。
「――悪い」
未練はあったけれど、さすがにずっと玄関先で抱きしめ続けるわけにはいかない。それくらいの理性が戻ってきたので、天馬は腕を解いてそう言った。一成は目をまたたかせたあと、ふわりと笑った。
「全然! テンテンにぎゅーってされるの嬉しいからねん」
こぼれだしそうな笑みでそんなことを言うので、ぐらり、と天馬の心が揺れ動く。せっかく手を離したのに。もう一度、力いっぱい抱きしめたい。沸き上がった衝動をどうにか抑え込んだのは、玄関から一歩も動いていないという現実を思い出したからだ。
そんな葛藤を知ってか知らずか、一成は呑気に「テンテン、何か食べる?」と口を開く。
「一応、おみみに聞いて夜遅くても平気そうなスープ作ったよん。無理そうなら明日の朝でもオッケーだし」
「一成が作ったのか」
「まあ、今は日中そこそこ時間取れるからね~」
のんびり言いながらリビングへ歩き出すので、天馬もあとに続いた。
一成は料理が苦手ということもないし、手先が器用なのでそれなりのものが作れることは知っていた。ただ、積極的に料理をするタイプかといえばそんなこともない。なので、少し意外に思ったのだけれど。
「テンテンが食べてくれるかな~と思ったら、オレも頑張っちゃおうかな~みたいな?」
少し先を歩く一成の言葉は軽い。いつもの冗談みたいな口調だけれど、後ろから見える耳が赤く染まっているので。ああ、本当にこいつはオレをどうしたいんだ、と天馬は頭を抱えたくなった。
◆
臣に教わったというミネストローネは、鶏肉や野菜がたくさん入った具だくさんスープだった。どれも消化によいものらしく、一成はニコニコしながらスプーンを口に運ぶ天馬を見ていた。
トマト特有の酸っぱさもあまりなくて、素直に「美味い」と言えば、一成が大袈裟に喜ぶ。記念に写真撮らなきゃ!と騒ぐので一体何の記念だよ、と思うけれど一成が喜んでいるならいいか、と天馬は結論を下す。
人心地ついた天馬がソファに腰掛けると、隣に座った一成がテレビのリモコンを操作する。情報番組にチャンネルを変える様子を眺めていると、「テンテン、お風呂湧いてるよ」と言われた。
疲れも取れるから入ってきたらどうか、という意味なのはわかったけれど、すぐに動く気になれず曖昧にうなずく。すると、面白そうな顔をした一成が口を開く。
「ここは、お風呂にするかオレにするか聞く場面だったかも!?」
茶目っ気たっぷりに言う一成は、同じ調子で「どっちがいい?」と改めて尋ねてきた。もちろん天馬は、この問いが一成の冗談なのだとわかっていたけれど。
「お前がいい」
そう言って一成に手を伸ばすと、腕の中に閉じ込める。そのまま前のめりに力をかけて二人一緒にソファに倒れ込んだ。背中から倒れることになった一成は多少驚きを見せたものの、それも一瞬だ。
「テンテン、マジでお疲れだね……」
心から、といった調子でこぼすと、自分の上に乗っている天馬の頭を、よしよし、と撫でる。普段なら「子どもじゃないんだ」とでも言い返すけれど、天馬は何も言わなかった。一成の言う通り心底疲れていたからだ。
ただ、細い体に腕を回して、一成の首筋に鼻を埋めてじっとしていると、多少は疲れがほどけていくような気がした。腕の中にちゃんと一成がいる。伝わってくる体温や鼓動が、疲弊して干上がった体に水を与えてくれるようだった。
「――お前がいてよかった。いきなり頼んだのに助かった」
抱きしめたままの姿勢で、くぐもった声で吐き出す。一成は明るく答えた。
「そんなの当然じゃん。一ヶ月、ばっちりサポートしちゃうからねん!」
そう言う一成は、「任せて任せて」と屈託がない。天馬は一成を抱きしめたまま、我ながら慧眼だったと思う。地獄のような忙しさが続くことを理解した時点で、「一ヶ月でいいから一緒に暮らしてくれ」と頼んだのは。
天馬と一成は、共に人生を歩むことを決めたものの、家は別々のままだった。どちらかの家で同居するにも、お互い何かと難があることはわかっていた。かといって、とても新居を探すような時間はなかったし、結局同居には至っていない。
どちらかと言えば、一成がしょっちゅう通ってくれることに天馬が甘えているというのが現状だ。
そんな中で、さらに甘えてしまっているのが今のこの状況だということは、天馬もよくわかっている。
「元々この時期は収録が重なるから忙しいのはわかってた。今年はそれに加えて、スケジュール調整してもらっただろ。いつもより一日の仕事量が増えたところに、ずっと休止してた映画の撮影が始まった」
天馬がこぼす言葉を、一成は相槌を打ちながら聞いている。元々多忙な天馬だけれど、さらにその忙しさに拍車をかけた理由なんて、天馬も一成もよくわかっている。
天馬のスキャンダルに端を発したストリートACTからの夏組全員集合公演。それを実現するため、あらゆるスケジュールを調整してもらったのだ。結果として、天馬からオフは一切なくなったし毎日目の回るような忙しさだけれど、それは当然のこととして受け入れている。
ただ、予想外だったのは出演俳優の怪我によって一時中止されていた映画の撮影が、予定よりも早く再開されたことだった。
公開日を大きく遅らせることは避けたいという意向もあり、急きょ撮影スケジュールが追加されたのだ。マネージャーである井川は申し訳なさそうにしながらも、きっちり撮影日程を入れ込んでいた。
「それでも、撮影だけならどうにかなる。確かに忙しいけど、周りもサポートしてくれるし絶対無理ってわけじゃない。今までの経験もあるし、現場は忙しいけど楽しいし毎日発見もある」
そう言う天馬の声は力強い。強がりでも何でもなく、たとえどんなに忙しくても現場に入ってしまえば全力で演技に向き合えるのが天馬という人間だ。
バラエティ番組や情報番組、インタビューなども、俳優皇天馬としての魅力を存分に伝えるためには欠かすことができないと思っているし、誠心誠意で対応することは当然だと認識している。
「だけど、会合とかに顔を出すのはどうにも慣れないんだよ……」
深いため息とともに吐き出された言葉は、俳優以外の側面で何かと会合やらへの出席を果たしているからだ。事務所関係の集まりであればまだいい。しかし、最近では演劇関係の団体や関連会社との顔合わせに連れ出される場面が増えた。
学生時代は当然そんなことはなかったし、大学卒業後も特に声がかかることはなかった。しかし、最近ではそろそろいい年齢なのだから、と言われて同行を打診されることが増えていた。
その中には、今回の夏組全員集合公演で多大なる世話になった面々が含まれていたので、恐らくそういった人たちとの顔合わせを兼ねていたのだろうとは察しがついたけれど。
「スポンサーとのやり取りなら慣れてるんだけどな……。そういうのとは少し違うだろ。役者としてのオレじゃなくて、求められてるのはビジネスマンとしての能力だ」
天馬は、芸能界という特殊な世界で生きてきた。大人も子どももないような場所だったので、大人の相手自体は自然とできる。加えて、抜群の演技力を持っているのでソツのない応対だって難しくない。スポンサーとの懇親会の類なら何度も出席しているから、慣れたものだ。
しかし、現在天馬が顔を合わせる人たちは、天馬の演技力を求めているわけではなかった。あくまでも関係性はビジネスパートナーなのだ。
さすがに、今まで役者として生きてきた天馬にいきなりビジネスマンとしての能力を要求することはない。だけれど、ゆくゆくは――という期待はしかと感じ取れたし、恐らく今後芸能界で生きていく上では俳優以外の顔が必要になる場面は何度も訪れるのだろう、と天馬は察した。
だから、ビジネス的な意味合いの会合への参加自体は納得しているのだけれど、いかんせん慣れないのは事実だった。なので、今後のスケジュールの中に関連団体との会合やら懇親会やらの出席がねじ込まれた時点で、天馬は一成に連絡を取った。
一ヶ月でいい。オレと一緒に暮らしてくれないか、と。
「普段とは全然違う場面ばっかりになるだろ。演技だけの忙しさだけじゃないから、お前にいてほしかったんだよ」
そう言って、天馬は一成を抱きしめる腕に力を込めた。申し訳ないとは思ったのだ。一成とて仕事があるし、いくら通い慣れているとは言え自宅とは勝手が違う。家にいてほしいなんて、一成の負担になる提案でしかない。それなのに、一成は二つ返事でうなずいてくれた。
「お前も忙しいのに、悪いとは思ってる」
小さくつぶやくと、一成が笑った気配がした。いぶかしんだ天馬は顔を上げる。一成は、若草色の瞳をやさしく細めて天馬を見つめていた。
「謝らなくていいのに。オレ、めっちゃ嬉しかったんだから」
天馬から連絡が来た時、確かに驚きはした。しかし、それは天馬がそんなことを言うとは思っていなかったからであって、言われた内容ではない。むしろ、話を聞けば聞くほど一成の胸は喜びで満たされていった。
「テンテンがさ、大変な時にちゃんとオレを呼んでくれるの、嬉しくないわけないっしょ」
先のスケジュールを知った天馬が、どうすれば日々を乗り越えられるかを考えた。その時に出てきた選択肢が自分だったなんて、一成を喜ばせる以外の意味なんてないのだ。だってそれは、天馬にとって一成という存在がどれほど力になるのかを伝えているのだから。
「テンテンの大変なこと、ちゃんと分けてもらえるんだなぁって、めちゃくちゃ幸せだったよ」
心から、一成は言う。今日だって、疲労困憊の天馬を出迎えた時、つくづく思ったのだ。ぐったりした天馬が帰ってくるのが、真っ暗な部屋じゃなくてよかった。誰もいない部屋で、寂しい思いをしなくてよかった。「ただいま」って、あんなに綺麗に言ってくれるテンテンに、「おかえり」って言えてよかった。
「それに、タイミング的にはばっちりだったからねん!」
明るい口調で一成が言うのは、天馬から連絡が来た数日前に日本画の搬入を終えていたからだ。さすがに、天馬の家で大作を描き上げるのは難しいので同居というわけにはいかない。できるかぎり通うにしても限度はあるし、天馬がいつ帰ってくるかわからないので結局すれ違い生活になる可能性も高い。
そもそも、一成はしょっちゅう天馬の家に通っているのだ。それにも関わらず、今回天馬があえて「一緒に暮らしたい」と言ったのは、いつでも一成が家にいてほしい、という意味だろうと察した。
いくら頻繁に訪れるとは言え、さすがに毎日というわけにはいかないし、泊まらない日だってある。だからこそ、朝も昼も夜も、いつでもそこに一成がいてほしいと天馬は望んだ。それは、家に帰れば一成がいるのだと思えることが力になるのだと、どんな言葉よりも強く伝えていた。
「収録とか打ち合わせとかはちょこちょこあるし、そろそろ舞台の顔合わせも始まるけど、全部ここから行けるし問題ないよん」
むしろ、交通の便という意味なら天馬の家のほうがだいぶ良かった。何せ、都内の一等地に立つ高級マンションだ。どこへ行くにも便利だし、一成の自宅よりもよっぽどスムーズに移動できる。
「――だから、謝らないでよ」
へにゃり、と眉を下げて一成が笑う。だって本当に嬉しかったのだ。自分が天馬の力になれること、大変な時にそばにいられること、困難を分かち合おうとしてくれること。それら全ては、一成にとっての喜びに他ならない。天馬が謝る必要なんて、一つだってなかった。
至近距離で浮かべられる笑みの意味を、天馬はきちんと受け取った。心を丸ごと渡されるように、すんなりと内側に入り込む。だから、天馬はそっと笑みを浮かべて「そうだな」とうなずく。告げる言葉が、伝えたい心が、自然とこぼれた。
「ありがとな、一成。お前がいてよかった。お前がいてくれて、嬉しい」
天馬は腕の力で上体を起こし、自分の下にいる一成の頬に触れる。するりと撫でれば、気持ちよさそうに目を閉じた。猫みたいな仕草だな、と思いながら唇にそっとキスを落とす。愛情を込めた口づけに、一成が笑った。くすぐったそうな、あふれだす心がこぼれ落ちて仕方がない、みたいなそんな笑顔だ。
嬉しくてたまらない、といった様子に天馬の心がこの上もなく満たされていく。大事な人が腕の中にいることの幸福を知っている。そして今、天馬は大切な人が家で待っていてくれる喜びを知っていく。
段々オレは欲張りになっていくな、と思うけれど悪い気はしなかった。一成ならきっと、「欲張っちゃお!」と笑ってくれるのだろう。
あふれていく心そのままに、天馬は再び一成の体を抱きしめる。伝わる体温が、響く鼓動が心地よい。一成は弾んだ声で「テンテン、なんかすげーハグするね?」と笑っていた。天馬はきっぱりと答える。
「慣れないことして疲れてるからだ」
「疲れるとハグしたくなるって、テンテンの生態的に新しい発見じゃね?」
「生態とか言うな」
くだらない話をしている間も、天馬は一成を抱きしめる腕をほどかないし、一成も天馬の背に手を回している。体温がゆっくりと混ざり合って溶けていくようで、それが二人の心を満たしていく。
そのまましばらく、二人は何でもない話をしていた。体温を分け合いながら、鼓動の音を感じながら、離れることなく。時々ふざけるようにキスを仕掛けたりしてじゃれあっているうちに、ようやく天馬も落ち着いてきたらしい。
一つ大きく息を吐き出してから、ゆっくり体を起こす。一成もそれに倣って、隣同士でソファに座った。天馬は肩が触れる距離にある一成の頭をぐしゃぐしゃと撫でて、「ありがとな」ともう一度告げる。一成は、嬉しそうに「どういたしまして」と笑った。
しかし、次の瞬間、一成が「あ!」と声をあげた。視線の先にはつけっぱなしのテレビで、天馬も何度か共演したことのある芸人が、スタジオでトークを繰り広げていた。そういえばずっとついてたな、と初めて気づいたように天馬が思っていると、一成は悔しそうな顔で言った。
「テンテンの番宣見ようと思ったのに! 終わっちゃったじゃん!」
どうやら一成は、情報番組のエンタメコーナーで放送される天馬出演の映画の番宣を見ようとしてチャンネルを合わせていたらしい。
そういえば、そろそろ放映だったろうか、と思うけれど天馬自身はそこまで放映日時を覚えているわけではない。むしろ一成は、天馬の出演情報も当然のように把握しているので、本人よりよっぽど詳しかった。
「まあ、録画してるからいいんだけど……」
テレビをオフにしながら落とされたつぶやきに、天馬は思わず笑った。一成はいつも出演作を欠かさず見てくれるし、小さなコーナーだって見逃すことはない。それを嬉しいと言えば「テンテンのファンだからねん」と屈託がないのも、天馬の心を弾ませる。
「でも、リアタイしたかった~。今回の映画、キスの話めっちゃ聞かれるっしょ。テンテン何答えたのか気になるじゃん」
「別にそんなに大したことは聞かれてない」
「えー、絶対ファーストキスの話とか聞かれたでしょ。だって、キスがテーマの映画だし」
もうすぐ公開される映画は、「キス」を題材にしたオムニバス形式の作品だ。
閉園が決まった遊園地が主な舞台で、転校でもうすぐ離れ離れになる小学生カップル、遊園地でアルバイトしている片思い中の大学生、最近すれ違いが多くなってきた会社員の恋人同士、子どもが巣立って新しい生活になじめずにいる夫婦、という四組の話が描かれる。
それぞれは独立しているものの、少しずつつながりあってストーリーが進行するというものだ。中でもメインとなるのは、すれ違いが増えた会社員の恋人同士で、天馬が演じるのはこの会社員だった。
「まあ、そういう話もあるにはあるけどな。その辺は適当に話してるに決まってるだろ」
インタビューの内容を思い出してそう告げる。今回の映画にからめて「キスの思い出は?」といった類の質問がされることは予想内だ。さすがに素直に答えられないので、そこは事務所と協議の上無難な答えを用意して臨んでいる。それくらいは、当然一成もわかってはいるのだけれど。
「その適当な答えが聞きたいじゃん? 皇天馬のキス観的な!」
「お前が聞いてどうするんだよ」
呆れるような口調になってしまったのは仕方ないと天馬は思う。何せ、世界で一番天馬がキスをしているのは目の前の人間だ。キス観も何も、身を持って知っているだろう、という意味で視線を向けると一成は面白そうな笑みを浮かべていた。
「テンテンのキスなら知ってるけど、俳優皇天馬のキスはそこまでじゃないからねん。皇天馬的にはどんな答えかな~みたいな?」
くすぐったそうに言われて、まあ確かに、と天馬は思った。一成相手に演技としてのキスをしたのは、この前の夏組公演の時が初めてだ。
そういう意味では、共演する機会の多い女優のほうが役者としてのキスは多いはずだった。最近はそうでもないけれど、天馬の出演作は恋愛ものの割合が大きい。大体においてキスシーンがあるので、必然的に女優とのキスの回数が増える。
今回の映画の相手役を演じた女優とは初共演だけれど、テーマがテーマなのでもちろんキスシーンはふんだんにある。特に、クライマックスシーンは力が入っているので公開されれば話題になるだろうとは思っていた。
天馬自身は、演技の上でのことなので特に何とも思っていないのだけれど、それなりに周囲が騒がしくなりそうな、そういうキスシーンだった。
改めてそれに思い至った天馬は、そわそわとした気持ちになる。一成は天馬の出演作を欠かさず見てくれるので、もうすぐ公開される映画も見に行くだろう。つまり、最後のシーンも見るわけで。
一成自身も役者なのだし、さすがに演技の上でのキスシーンに機嫌を悪くすることはないだろうと思ってはいる。ただ、それは何も思わないことと同義ではないだろう。思った天馬は、ほとんど無意識で口を開いていた。
「一成、お前オレのキスシーン見て嫉妬とかするのか」
直球の質問に、一成は目をまたたかせた。いきなりすぎて何を言っているんだ、と思われただろうか、と天馬が冷や冷やしていると、一成はぱっと笑って言った。
「全然」
ぴかぴかと光り輝くような笑顔。しかし、それはすぐに崩れた。わずかに眉を下げて、困ったような笑みを浮かべて続ける。
「――って言ったら嘘なるかなぁって感じ? 演技だってわかってるし、不安になるとかそういうのはないんだけど、やっぱり何かちょっと複雑は気持ちにはなっちゃうかな~?」
嫉妬というほどの強い感情ではないのかもしれない。天馬の気持ちを疑ったことはないし、演技の一環であることは理解しているので、天馬とキスをする相手役に対して憎らしいとか悔しいだとか思ったことはない。それでも、どこか平静でいられないのも事実だった。
「でも、基本的には普通に見てられるよん。割合の問題って感じかな~。複雑のほうが大きくなっちゃうことも時々あるけどねん。てか、テンテンこそオレのキスシーンに嫉妬とかすんの?」
興味津々、といった体で一成は尋ねる。天馬ほど回数は多くないけれど、時たま一成もキスシーンを演じることはあった。その時、天馬がどんなことを思っていたかは聞いたことがなかったので、いい機会だと思ったのだ。天馬は重々しく答えた。
「普通にする」
「するんだ!?」
一成は手を叩いて大笑いするけれど、天馬は至って真面目な顔で言葉を重ねた。
「お前の演技を否定するわけじゃない。あくまで役を演じているのであって一成じゃないこともわかってる。それでも、やっぱりお前にキスするのはオレだけがいい」
役者として生きていく限り、そんなことを言っていられないことは二人とも充分に理解している。だから、こんなのは他愛のない戯れ言でしかないのだけれど。わかっていても言いたいのだということも、充分理解していた。
「――役者じゃないオレにキスできるのは、テンテンだけだよ」
小さな笑みを浮かべた一成がそう言って、真っ直ぐと天馬を見つめる。その視線の意味を、天馬は正しく受け取った。
「当然だろ」
そう言って、唇にキスを落とす。カメラも回っていなければ、カットの声がかかることもないし、観客の目もない。二人だけのこの場所で、ただキスを交わすことの幸福を、二人は何より知っている。