星の数ほどキスをして




―Good afternoon day―


 都内の映画館で映画を見た帰りだった。
 一成はコーヒーショップに入って、一息ついている。キャラメルラテを飲みながらスマートフォンを操作し、たった今見てきた映画のパンフレットの写真をSNSへ投稿した。つい先日公開されたばかりの、天馬出演の映画作品だ。投稿にはすぐに反応があり、コメントもいくつかついていた。
 それらをチェックし終えた一成は、キャラメルラテに口をつける。温かな甘さがのどを滑り落ちていき、一つ息を吐き出す。ぼんやりとした頭に思い浮かぶのは、先ほどまで見ていた天馬出演の映画だった。
 遊園地を舞台にした四つのストーリーは、それぞれ違った雰囲気をたたえていた。
 小学生同士のカップルはかわいらしさの中に切なさを。大学生の物語はもどかしさと甘酸っぱさ、長年連れ添った夫婦からは染みわたるような愛情がそこかしこから感じられた。そして、天馬が演じる会社員の恋人同士は最も恋愛色が強く、キスシーンにも力が入っていた。
 オムニバス形式ということで、主演に相当する役者には四人が名を連ねている。ただ、話の主軸は天馬が演じる会社員ということもあり、やはりメインは天馬という扱いなのだろう。画面に映っている時間は一番長かったし、テーマであるキスについても最も種類が豊富だった。

(あんなに色々キスシーンあるとは思ってなかったけど)

 公開からまだ日が浅いとは言え、SNSで感想を検索すればいくつもヒットする。概ね高評価で、四つの物語を楽しみつつ一本の映画としても満足感があるとの言葉が並び、四つの話それぞれへの感想もちらほら見かける。
 ただ、一番言及が多いのは天馬の話だった。メインなのだから当然ではあるのだけれど、それだけではないことは一成も理解している。

(――最後のテンテン、めっちゃすごかった……)

 物語のクライマックスは、観覧車でのキスシーンだった。すれ違っていた二人が互いの心を確かめ合い、初めてのデートで訪れた観覧車へ乗り込む。きらきらとしたイルミネーションが灯る遊園地を眼下におさめて、天馬は恋人と出会った年から一年ずつの思い出を数えながらキスを送るのだ。
 21歳の時に出会い、現在の27歳まで。そこかしこに口づけを送りながら愛を誓う天馬のシーンは圧巻だった。
 美しい映像に合わせて流れる情緒的な音楽。二人の心情をこれでもかと盛り上げる画面の中、天馬は情熱の全てを傾けるキスを送るのだ。
 映画館の座席でそれを見つめる一成は、あらゆる意味で頭が忙しかった。
 純然たる夏組の一員で天馬ファンとしての自分が「テンテン、めっちゃかっこい!」と騒ぐ。役者三好一成は天馬の一挙一動に注目して「視線の動かし方上手いし、テンテンのタメの取り方参考になる~」と感心していた。
 そして、恋人としての一成は、何とも言えないモヤモヤを抱えたままエンドロールまで見守ってしまったのだ。
 この前、天馬に「キスシーンに嫉妬するか」と聞かれた時の答えは嘘偽りない本心だ。全然しないと言えば嘘になるし、複雑な気持ちになることはある、と答えた。ただ、基本的には普通に見ていられるので割合が低ければ大して気にはならない。
 しかし、今回のキスシーンは複雑な気持ちの割合が高い、ということを一成は自覚していた。単なるキスシーンなら、恐らくここまでは思わなかった。ある意味では何度も見た光景なので、いつものことだなと思うだけにとどめられる。
 だけれど、今回のキスシーンで特徴的だったのは唇以外の場所へのキスが多いことだ。
 21歳の出会いを語る時は、指先に。22歳の思い出は手の甲に。23歳は髪の一房に、24歳は頬に、といった具合に天馬は唇以外の場所に口づけていく。
 それがまた情熱的だったので一成はどぎまぎすることになったのだけれど、同時に複雑な気持ちが大きくなってしまったのは、唇以外の場所にされるキスを一成がよく知っているからだ。
 天馬と一成はキスをする。一番多いのは唇で、軽く触れるものからついばむようなキス、舌をからめるような深いものまで様々だ。だけれど、それ以外でも唇を寄せることはある。じゃれあうように頬へ、情欲をたたえて首筋へ、親愛を込めて額へ。たくさんの愛情と共に、天馬は唇以外の場所にキスをくれる。
 だからこそ、画面の中で指先や頬にキスをする天馬に複雑な気持ちになってしまったのだろう、と一成は思う。もちろん演技の一環であることはわかっているから、天馬に対して何かを思うようなことはない。それでもどこかで、自分だけが知っている天馬の顔だった、と思ってしまうのだ。

(――なんて言ったら、テンテンどうするかな)

 一成の胸に、自然とそんな言葉が浮かぶ。呆れるだろうかとは思わなかった。きっと、びっくりしたような顔をして、それから笑ってくれるんじゃないかな、と思う。
 だってこれは、一成の独占欲だ。自分だけが知っていたかった。他の誰にも知られたくなかった。自分だけが知っている天馬の顔であってほしかった。それはつまり、天馬を自分だけのものにしたいという気持ちで、一成はそう思ってしまうことをずっと申し訳なく思っていたのだけれど。
 天馬は、どうやら一成が見せる独占欲が嬉しいらしい、というのは近頃ようやく気づいた事実だった。だからきっと、天馬は「そうか」なんて言って笑ってくれるような気がした。
 くすぐったいような気持ちになった一成は、そっと胸のあたりを撫でた。チェーンに通して首からぶら下げている指輪。外からは見えないけれど、確かにここにあっていつでも一緒にいてくれる。
 夕暮れの海辺に心が向かって、一成の唇には笑みが浮かぶ。波の音、あざやかなオレンジ色。何よりも綺麗な気持ちを真っ直ぐと伝えてくれたひと。美しい時間を抱きしめるように、一成は目を細めている。
 そのまましばらくぼうっとしていたけれど、残り少なくなったキャラメルラテがずいぶん冷えていることに気づいて、一成は我に返った。スマートフォンを確認すれば、思いの外時間が経っている。店内も少しずつ混んできているし、そろそろ席を立ったほうがいいだろうと思う。これから寄りたいところもあったし。
 キャラメルラテを飲み干した一成は、机を簡単に綺麗にして席を立つ。カップを返却棚に戻してから店員に礼を言って店を出た。入り口近くに置かれた看板には、季節限定メニューを知らせるチョークアートが描かれていて、一成の視線は自然とそこへ向かう。
 こういうデザインいいよねん、と思わず立ち止まって見ていると不意に背後から声をかけられた。

「あ、あの、三好一成さんですよね……!?」

 振り向くと、女の子が二人立っている。見たところ、大学生くらいだろうか。ボブカットの女の子が、緊張を絵に描いたような面持ちで一成を見つめていた。一成が明るい笑顔で「そうだよん!」と答えれば、ほっとしたように表情がゆるむ。

「あの、ファンです……! ドラマ、楽しく見てます……!」
「マジマジ? ありがと~! めっちゃ嬉しい!」

 心からの言葉を告げれば、ボブカットの女の子が感極まったような表情を浮かべていて、隣の女の子が肩を叩いている。「頑張れ」という言葉に勇気づけられるように、ボブカットの女の子が口を開く。

「三好さんの舞台も見に行ってて……! あの、今度の個展も楽しみにしてます……!」

 絞り出すような言葉は、どうにかして心を伝えようとしてくれている。嬉しいな、と思う。目の前の彼女は三好一成という存在を応援してくれていて、自分が作りだす世界を受け取ろうとしてくれている。それが何より嬉しいし、ありがたいなと思う。だから、心からの感謝を込めて口を開いた。

「本当にありがとねん! いっぱい見てくれてめっちゃ嬉しいし、恩返しできるようにオレもっともーっと頑張っちゃうから!」

 きっぱりと告げれば、女の子はいっそ泣き出しそうな顔でこくこくとうなずく。隣にいる彼女の友人は背中をさすりながら「ほら、頑張って」と言っていて、ボブカットの女の子は意を決したように口を開いた。

「あの、サインか握手お願いしてもいいですか……!?」
「なんでどっちかなの!? いいよ、両方しよ」

 素直に答えると、ボブカットの女の子が卒倒しそうになっていて一成は慌てる。いやたぶん、喜んでくれてはいると思うんだけど。
 女の子は友人に支えられながら、よろよろと手を差し出す。その手を両手で握った一成が「本当にありがとう。すごく嬉しい」と笑って言えば、今度こそ倒れそうになっていた。
 そのまま流れで友人の女の子と握手をすれば、「何かすみません」と言われたけれど、「全然!」というのは本心だ。

「友達大事だかんね~。あ、好きな動物いる? イラスト描いてもいい?」

 勉強道具なのか、取り出されたノートにサインを頼まれたのでさらさらと書き慣れたサインをしたためる。女の子の名前と日付を入れてから尋ねると、ボブカットの女の子が驚愕の表情を貼りつけていた。

「要らなかったら言ってねん」
「ネコ! ネコが好きです!!」
「おけまる~」

 全力の返答に笑いながら、ネコのイラストを片隅に付け加える。リボンを首に結んだネコが座っているところだ。中々かわいく描けたな、と思いながらノートを返すと涙目で受け取ってくれた。

「ありがとうございます……! 家宝にします!!」
「にゃはは、ありがと~」

 笑顔で言いながら、いつも持っている厚手のメモ帳を取り出す。サインを書いてから、友人へ「要らなかったら捨てていいよん」と言って渡したのは、何となくそわそわした空気をしていたからだ。自分も欲しいと言っていいのか、だけどここは黙っていたほうがいいかもしれない、のようなそういう空気。
 もしもそうなら、と一成は思った。自惚れかもしれないけれど、あとでサインがほしかったと思うかもしれなくて、そんな時に「ああすればよかった」と後悔させることはしたくなかった。
 自己満足だという自覚はあったから、捨ててくれてもよかったのだ。しかし、友人は「いいんですか」と言って、ほんのりと笑みを浮かべて言うので。

「もち! 名前とイラストもつけちゃうけど!」

 冗談めいた口調で言えば、素直に名前と好きな動物が返ってきたので、一成はメモ帳にさらさらと書き加えて渡した。受け取った友人の空気が華やいだのを感じて、よかったな、と思う。
 二人は嬉しそうにサインを抱きしめると、声を合わせて「ありがとうございます」と頭を下げる。一成は「こっちこそありがとねん!」と返した。まったくの本心である。

「それじゃ、二人とも勉強頑張ってねん! 応援してるよん!」

 大学の空き時間にカフェで時間をつぶしており、これからまだ授業があるとは聞いていたので、そう言う。二人が嬉しそうにうなずいたのを確認して、一成はその場を去った。
 思わず足取りが軽くなるのは、自分のファンだという人に会えたからだ。ファンレターをもらったり、SNSや配信でコメントを残したりしてもらえることも嬉しい。こうやって直接ファンと交流できることも、一成の胸を弾ませる。

(テンテンに話すことが増えたな~)

 帰ってきた天馬に、今日はこんなことがあったのだと直接報告できることが嬉しい、と一成は思う。
 一緒に住む前から、電話自体はほとんど毎日している。だから、一日の話を天馬に話すことはできたけれど、表情や声で、一成が感じた心をまるごと受け取ってくれている、と実感できるのは直接顔を合わせられるからこそだ。
 同じくらい、天馬の過ごした今日を教えてもらえることも嬉しかった。声だけで充分伝わるものはあるけれど、実際に表情を見られることや手を伸ばせば触れ合える事実は、一成の胸を喜びで満たしていくのだ。
 一成は、天馬に話したいことを心の中で数えながら、弾む足取りで目的地へ向かう。