星の数ほどキスをして
―Counting kiss:22~30―
腕の中にある温みを感じながら、天馬はするりと頬を撫でて、こめかみに唇を落とした。
「22個目だ。22歳の一成だな」
「22歳ってことは、4年生の時だから……あ、初めて満開公演やった時? めっちゃ大騒動で大変だったよねん! ホント、色んなことありすぎだけどあれも結構やばたんだったな~」
「まあな。一回解散しようとか監督が言い出した時は何事かと思ったし」
「でも、みんなと出会わなかった未来のこと考えられたのは大きくなかった? 改めてさ、やっぱりオレMANKAIカンパニーにいたいって思ったし、めっちゃみんなに会いたかったし!」
朗らかに言う一成の言葉に、天馬もうなずく。MANKAIカンパニーに出会わなかった未来を考えることは、同時にカンパニーで重ねた時間を振り返ることでもあった。そこで天馬は、夏組の彼らやMANKAIカンパニーのメンバーと出会ったことで得たものを改めて自覚した。
「テンテンがどれだけオレの力になったのかってことも、テンテンの存在がどれだけオレにとって大きかったかっていうのも実感したしねん」
遠くを見つめるまなざしで、やわらかく紡がれた言葉。一成が思い出していることを、恐らく天馬は理解している。同じくらいに、自分の心に芽生えた感情も。
「ああ。オレも、オレにとってカンパニーがどれだけ大切なのか、どれだけ意味のある場所なのかってことを実感した」
それに、と天馬は言葉を続ける。近くにある、宝石を閉じ込めたみたいな瞳を真っ直ぐ見つめながら。
「お前がオレにとっての最初の一歩だったんだなって、改めて思った。一成のくれた言葉が、オレの世界を広げたんだ」
友達だと言われたのは初めてだった。本当は嬉しかったけれど、同時に軽い気持ちで口にされた言葉に大した意味はないとも思っていた。どうせその場限りの言葉でしかないと。
だけれど、一成の人となりを知るにつれて、それは違うのだと思い始めた。一成は真実心から、言ってくれている。彼は本当に、自分を大切な人の一人に数えてくれたから、友達だと言った。
出会わなかった未来とともに、出会えたからこそ得たものと広がった世界を知った。その時の最初の一歩は、天馬の手を引いて新しい世界に連れ出してくれたのは、当たり前みたいに告げられた「友達」という言葉だ。
明るい笑顔で、大事なものの一つに数えて。決して友好的なんかじゃなかった自分を、何の不思議もないって顔で友達だと言ってくれた。自分の心を取り出して分け与えるみたいに。それはきっと、一成が天馬の中から、綺麗なものを見つけてくれたからだ。
「オレはお前の、世界を美しく見ようって姿勢が好きだ。それを言葉にして、態度にして伝えてくれるところに何回も助けられてるし、尊敬してる」
きっぱりと天馬は告げる。一成は相手を否定できないことを自分の弱さだと言う。だけれど、その弱さは同時に彼の強さでもあると天馬は信じている。
衝突しあってギクシャクしていた夏組において、相手を肯定してプラスの言葉を掛けてくれる一成の存在がどれだけ大きかったか。
当時は気づいていなかったし、軽薄なやつだと思っていた。だけれど、あとになって理解する。そうやって、周囲にこぼれる綺麗なものを拾いあげて、言葉にして形にしてくれる一成だから、天馬にとっての最初の一歩をくれたのだ。
「――お前はそういうの当たり前のことだと思ってるだろうけどな。だから、気づかれないように自然にやってのけるし、相手がわからなくても別にいいって思ってる。そういうのに、オレだけは気づいてやりたかった」
誰一人気づかなくたって、一成はそれでいいと言う。本気で心からそう思うだろうことに気づいて、オレだけは、と思ったのだ。夏組のリーダーとしての矜持でもなければ、最初に友達と言ってくれた感謝からでもなく。誰も気づかない宝物を、オレだけが手にしたいと思った時、天馬は自分の感情を自覚した。
若草色の瞳を細めて、一成は「テンテンってば情熱的~」なんて笑うけれど頬はあざやかな朱に染まっている。真っ直ぐとそそがれる愛情を全身で受け取っているのだと、天馬も理解している。
「一成」
一つ名前を呼ぶと、額をこつん、と合わせる。一成がはにかむように笑みをこぼした。天馬はその唇にゆっくりと口付けた。背中に回った一成の腕に力が込められる。ぐっと体を密着させて、互いの息を交換するようにキスをする。酔いしれるように互いの唇を味わってから離れた。
「――23歳だ」
甘い息で紡がれたような声で言えば、一成が答える。同じ温度の声で、まろやかに言葉を落とす。
「テンテンと恋人になったね」
大学卒業後、一成はウルトラマルチクリエイターとして活動を始めた。あちこち精力的に飛び回りながらカンパニーの公演に出てはいたけれど、なにぶん忙しくてあまり夏組のみんなと過ごすことができていなかった。
そんな時、思いつめたような天馬に呼び出されたと思ったら告白されたのだ。「お前が好きだ。恋人になってくれ」と。
「疲れすぎて夢見てるのかなって思ったよねん。だって都合が良すぎるもん」
自分の思いを自覚してから、一成はずっと天馬に片思いをしてきた。決して口には出すまいと決めて、墓まで持って行くつもりだった。それなのに、当の本人から愛の告白を受けるなんて、予想もしていなかったのだ。
「あそこで茶化してきたらどうしてやろうかと思ったけどな。お前のことだから、冗談で逃げる可能性も考えてた」
「――あんなテンテン、茶化せないよ」
困ったような笑みを浮かべて、一成は言う。
本当なら、天馬の言う通り軽口で煙に巻いて逃げてしまおうと思ったのだ。あくまで友達のまま、夏組のメンバーとしての関係性を保っていかなくてとは。だけれど、心を全部取り出すみたいに告げる天馬に、嘘が吐けなかった。本当の心を差し出す以外、天馬に返せるものがないと思ったのだ。
「それにやっぱり嬉しかった。だってずっと好きだったんだよ。ずっと大好きだったテンテンが、おんなじ気持ちでいてくれたってことが嬉しくて――だからついうなずいちゃったんだよねん」
「気の迷いみたいな言い方するなよ。まあ、お前の場合、ずるいこと考えてたのも知ってるけどな」
「にゃはは、ごめんって」
ずるいこと、というのは一成がいずれ別れるつもりでうなずいた事実を知っているからだ。
あの時一成が茶化しもせずにイエスを返したのは、天馬の本気を思い知ったからというのが最も大きい。次に、同じ気持ちで思っていてくれたという喜び。最後に、期間限定の恋だから、という自分への言い訳ができたからだ。
「大学生の間だけなら、許されるかな?って思ってたんだよねん。テンテンが大学卒業する時までにはちゃんと別れるから、だからその間だけ夢見てもいいかなぁって」
当時はそんなことを考えているなんて、天馬は微塵も思っていなかったけれど。付き合いが続くにつれ、薄々とは察するようになっていった。もしかしたら、そのまま別れてしまう未来もあったのだろう、ということを天馬はよく知っていた。
思わず難しい顔をして眉をしかめると、一成が「ひどい顔してるよん」と噴き出した。少し体を離すと、眉間に寄った皺を両手で伸ばして軽やかに笑う。天馬は「お前のせいだろ」と言ってその手をつかんだ。一成は、やさしく目を細めて答える。
「うん。オレのせいだよね」
自分のせいだと告げる言葉だけれど、はしばしからにじみ出るのはまぎれもない愛おしさだ。違う未来を選ぼうとした。だけれど、その未来は来なかった。それを噛み締めているような声。
天馬は、にぎった左手を自分のほうへ引き寄せる。それから、薬指の先に恭しく唇を落とした。付け根には天馬が贈った指輪がきらきらと輝きを放っている。
「24個目。24歳のお前だ」
「恋人になって一年目だよねん。テンテンが、指輪の約束してくれた」
天鵞絨町を歩いている時に見つけたアクセサリーショップ。開店したばかりのその店で、ささやかな約束をした。忘れてしまっても構わないような、小さな約束だ。だけれど、二人はずっとそれを覚えていたし、今一成の薬指で光る指輪が何よりの答えだった。
「手をつなげることとか、テンテンがこっそり名前呼んでくれることとか、ちゅーできることとか、全部が本当に幸せだったよん。テンテンの恋人でいられて、オレ、めちゃくちゃ嬉しかった」
やさしく告げられた言葉に、天馬は一成の手を握る。互いの指をからませて、わずかな隙間も生まれないように。どこにも行かせないとつなぎとめる強さで。
「――そんなこと言いやがって。オレだってお前に触れてもいい、許されてる距離にいられることが嬉しくて仕方なかったんだぞ」
言いながら、握った手を自分のほうへ引き寄せれば一成の体が腕の中にやって来る。天馬は、近づいた一成の鎖骨にかみつくようにキスをした。少しばかり乱暴になってしまったのは、こんなにも大好きだと伝えてくる一成が何を選んだか知っているからだ。
「25個目、25歳だ」
「――オレがヨーロッパに行った年だね」
それが意味することが何か、二人は理解している。ただの友達に戻ろうと言った。恋人同士で過ごす日々が嬉しいと、心から幸せだと告げた一成が、二人の関係を終わりにしようと言った。恋人ではなく、ただの友達に戻ることを望んだ。そうして二人は、別々の道を行くことを選んだ。
「オレめっちゃ頑張ってたよ。だからもう、びっくりするくらい忙しくて、ちょっと記憶が曖昧になってるところもあるんだけどさ――でも、楽しかった! 本当に毎日充実してたもん!」
明るい笑顔で言い放つ一成の言葉に嘘はないだろうと天馬は思う。一成はそういう人間で、忙しさの中でも楽しいことや喜びを見つけることに長けている。
目に映るものを、世界を、美しくとらえようとする一成を、天馬は心底好ましく思っている。だけれど、自分のいない場所で充実した日々を過ごしていることに寂しさがあったのは事実だ。
「――まあ、お前が楽しいなら何よりだけどな」
それでも、一成が悲しい思いをするよりはいいと思ってそう言う。しかし、一成は複雑な天馬の心境を的確に読み取っていた。
「テンテンってば拗ねないでって。オレだって、寂しかったよ、ちゃんと」
だって一成の心は、ずっと天馬に向いたままだ。大好きな人。触れたい、声を聞きたい、会いたい。何度だって思ったけれど、それを選ばないと決めたのは自分だった。
「でも、テンテンと友達に戻るって決めたからねん。会えないぶん、創作スイッチ入るからテンテンのおかげでできたものも結構あるよん」
「……そうかよ」
さらりと告げられた言葉に天馬の心が浮き立って、我ながら簡単だと思ってしまう。それでも、自分のいない日々でも一成が思っていてくれたこと、そこから生み出されたものがあるという事実は天馬を喜ばせた。
天馬は腕の中の一成の首元に鼻先を寄せて、ちろりと首筋を舐める。一成が「ひゃ」と声を上げたのを聞きながら、軽く口づけた。痕は残さない代わりに、もう一度べろりと舐めてから口を開く。
「26個目――26歳の一成だ」
しれっと告げられた言葉に、一成は何か言いたげな顔をしたものの、最終的には諦めたらしい。天馬は小さく笑う。いきなり舐めるとかびっくりするじゃん、とか言いたいんだろうな、とは思ったものの黙っていた。
「……2年目だから、結構余裕も出てきた時かな~。ゆっきーとかセッツァーが来てくれたのもこの年で、すげー嬉しかった! 仕事もわりともらえるようになってさ、こっちで暮らすのもありかな~ってちょっと思ってたんだよねん」
遠いまなざしを浮かべて、一成は異国の地での出来事を語る。一成は海外生活で言葉も流ちょうに操れるようになったし、元々コミュニケーション能力は高い。明るい性格もあいまって、現地の人たちとの交流も順調だったようだ。海外旅行を好むということもあり、日本以外で暮らすことはそう突飛な選択でもない。
「テンテンのいない毎日を生きるんだって決めてたからさ。日本とは全然違う環境もいいかなって」
日本にいたころの自分を思い出すと、そこにはいつも天馬がいた。だけれど、一成は天馬と恋人に戻ることはないのだ。だから、海外生活で天馬のいない日々に慣れたほうがいいのではないか、と考えたらしい。
「でも結局、テンテンのこと気になっちゃって、今日は何してるかなーって情報集めるの日課だったけどねん。テンテン頑張ってるなって思ったらオレも頑張れたし!」
楽しそうに告げられた言葉に、天馬はぎゅっと一成を抱きしめた。自分のいない場所で、それでも確かに思っていてくれた事実に胸がいっぱいになる。
同時に、それほどまでに思いを傾けてくれたのに、天馬のいない日々を生きるのだと決めてしまう一成が、いじらしくて悲しかった。そんな決意をしないでほしかった。素直に心のままに、自分を求めてほしかった。
わずかに体を離した天馬は、衝動のまま一成の白い喉元に唇を寄せた。あまり目立たない喉仏にキスをして、「27個目だ」とささやいた。
「27歳の一成の話を聞かせてくれ」
「――この年の終わりくらいに、日本に帰ってきたよ」
腕の中の一成へ視線を向ければ、潤んだ瞳で天馬を見つめている。天馬は「迎えに行けなくて悪かった」と告げる。一成は首を振った。
「テンテンが忙しいのはわかってるし! それに、空港着いたらある意味テンテンがお出迎えはしてくれたよねん」
帰国の連絡を入れると、MANKAIカンパニーのみんなは盛大に喜んでくれた。中でも夏組は心底嬉しそうで、空港まで迎えに来てくれたのだ。一成の家族とともに、お手製のウェルカムボードまで作ってくれた気合いの入れようだった。ただ、天馬の忙しさは群を抜いていたため、夏組でも天馬は不在だった。
しかし、空港に降り立った一成は特大の天馬の広告を目にしていた。家族や夏組の誰よりも先に目にしたのが天馬の広告だったものだから、思わず一成は笑ってしまったくらいだ。同時に、やっぱりテンテンが好きだなぁと思った自分に、呆れるような感心するような気持ちを抱いたことも覚えていた。
「日本って、テンテンの広告マジでいっぱいあるから、いいとこだな~って思ったもん。いつでもどこでもテンテンが見られるじゃん」
「本人がいるだろ」
いくら忙しいとは言え、夏組として顔を合わせることはある。だから何も、メディアに映る天馬をありがたがることはないだろう、という意味だ。一成はゆるやかに首を振った。
「本人はあんまり見つめられないじゃん。友達なんだからさ。写真とか映像ならいくらでも見られるし!」
力強い言葉は、友達として天馬と接していこうという決意があったからだ。ただの友達に戻ると決めた。恋人ではなく、夏組の三好一成として天馬と接すること。それが一成にとっての正しさだったし、実際それは上手く行っていたのだ。あのたった一夜まで。
天馬は一成の後頭部へ手を回した。ゆっくりと頭を撫でてから、髪の毛の間に指を差し入れるようにして、大きな手のひらで頭を支える。そのまま顔を近づけると、一成が目をつむる。しかし、唇ではなく顎へキスを落とすと、ぱちり、と目を見開く。
「……予想外のところにキスしてくんねテンテン」
しみじみとした口調の言葉に、天馬はおかしそうに笑ってから「28個目だ」と告げる。一成は目を細めた。思い出すような、何かをこらえるような表情。
「むっくんの大学卒業記念公演があったよねん。久しぶりに全員そろって、めちゃくちゃ楽しくて、最高の舞台で。千秋楽もめっちゃ盛り上がって、夏組サイコー!って思ったし、オレもすげー楽しくて」
ただの友達に戻ったはずだった。二人のやり取りは親しい友人同士のもので、恋人らしさはかけらもなかった。だけれど、あの千秋楽の夜に、二人は抱え続けた思いを知ってしまった。たった一人に向かう心を、互いの間に息づいていた、ひっそりと育まれ続けた愛おしさを知ってしまったらもうだめだった。
「――また、テンテンと恋人同士になれて、すごく幸せだった」
言葉とは裏腹に、一成の目は泣きそうに揺らめいている。どうしてなのか、天馬は理解している。だってきっとその頃から、一成はずっと思っていた。
「選んじゃだめだって、わかってた。本当はちゃんとテンテンを拒まなきゃいけないってわかってたのに。なのに、オレはテンテンを選んじゃった」
その後悔は、あまりにも簡単に一成になじんでしまう。再び恋人同士になった時からずっとそう思っていたからこそ、心はいとも容易くあの頃に戻ってしまうのだろう。にじみだすような後悔や罪悪感が、一成の顔に影を落とす。
「……一成」
左耳に唇を寄せると、名前をそっと呼んだ。一成が抱えてきたものを否定するつもりはない。それも一成の大事な心の一部だ。だけれど、今ここには自分がいる。後悔も罪悪感も溶かしてしまいたい。
心の全てで名前を呼べば、吐息が耳にかかったらしい。一成はくすぐったそうに身をよじる。
天馬はそっと耳に口づけを落としてから、輪郭をなぞるように舌を這わせた。肩を震わせた一成が、鼻にかかったような声を漏らす。耳たぶを甘噛みしてから吸い付けばいっそう甘い声がした。音を立ててキスをすると、一成の唇から熱い息がこぼれていった。
「――29個目だ」
「ん、テンテンと一緒に過ごせて、すごくすごく幸せだったよ」
甘さの余韻を残した声で、一成は言う。それは真実心からのものだと天馬は知っている。共に過ごす毎日で、天馬はたくさんの愛情を一成から受け取っていた。言葉ではなくても、呼ばれる名前や触れる指先が、そそがれるまなざしや浮かんだ表情の全てが、天馬を愛おしく思うと告げていたから。
「本当に幸せで仕方なくて、ずっと一緒にいたくって、このままでいいんじゃないかって思った。だけど、ずっと思ってた。オレは、どうしたってテンテンにふさわしくないんだって」
震える声は、密やかさに甘い情熱を潜ませる。後悔の言葉だ。心から一成は思っていたし、それは今も完全になくなったわけではないだろう。
だけれど、それでも声に宿るものが違う色をしていることが、天馬にはたまらなく嬉しい。ふさわしくないと。だから手を放すのが正しいのだと、一成が思っていたとしても選んだ答えを知っている。
「30個目――30歳の、今のお前にキスする」
そう言うと、天馬は一成の唇に自分の唇を重ねた。待ちかねたように一成もそれを受け入れる。
開いた唇から、互いの舌を誘い出すようにからめた。唇を離すことなく、舌を舐めて吸いついた。何一つこぼしたくないと、呼吸の全てを奪ってゆく。唾液交じりの濡れた音が響いて、二人の熱を上げていく。唇がわずかに閉じれば同じように追いかけて、開けば形を合わせてキスを続けた。
どれくらい口づけを交わしていたのか。苦しそうな一成の様子に、名残惜しく思いながらも唇を離す。
荒い息をこぼす唇に、上気した頬、潤んだ瞳。全てが甘く色づく様子に、天馬は思わず目を見張る。一成がそれに気づいて、天馬を真っ直ぐ見つめると笑った。滴る蜜のような、とろりとした微笑。
「――テンテンと一緒に生きていくって決めたよ」
一成は言う。やわらかな甘い声で。選んじゃだめだと思っていた。ちゃんと手を放そうと思った。オレのせいでテンテンは傷ついてしまうって知ってた。だけど、それでも。
「これから先の未来までずっと、テンテンの手を取って。オレたち一緒に生きるんだ」
蜂蜜のような甘い声で、やわらかな響きの奥底にしなやかな強さを秘めて、一成はそう言った。天馬の胸が言いようもない喜びで満たされていく。掻き抱くように、一成の体を腕の中に閉じ込める。
一成にプロポーズをした。自分の人生を一緒に歩いてほしいのは彼だけだと強く理解したから。しかし、同じ気持ちでいてくれているはずの一成は首を振り、一緒にはいられないといなくなった。
それから辿った道の果てで、告げられた言葉を天馬は知っている。恐怖も後悔も知りながら、天馬の手を取ると決めた。共に生きると言ってくれた。それがどれほどの幸福なのか、天馬はよく知っている。
「一成」
力の限りに抱きしめると、一成は同じ強さを返してくれる。背中に回った腕の力強さが心地いい。離したくないと思うのと同じくらい、離れたくないと思ってくれている。合わさった胸に響く鼓動が同じリズムを刻んでいる。共に生きると決めたことの証明のように、同じ速さで動く心臓が愛おしい。
「――テンテン」
呼ばれた名前が耳に落ちて、天馬の胸を満たしていく。腕の中の存在が、この温みが、こぼれていく声が、形作る全てが、何もかもが大事で仕方がない。
ここまで歩いてきた軌跡を知っている。お互いの存在なんて、何一つ知らずに生まれ落ちた。出会わない選択肢だってたくさんあった。だけれど、それら全てを乗り越えて出会ったのだ。
それだけでも奇跡みたいなのに、あまつさえ彼は同じ気持ちを返してくれた。そうして今、腕の中にいてくれる。同じ未来を進もうとしてくれる。幸運なんて言葉ではくくることもできない。
共に生きると決めた大事な人が、腕の中にいる。その事実がたまらなく天馬の胸を満たして、衝動的に唇へキスをした。やわらかな感触。一成は両腕を天馬の首に回して、強いキスで答えた。
離れたくない。離したくない。たくさんの可能性の中でようやく出会えた人。たった一人。この世界で彼だけだと、体の全てが叫んでいる。
何度も口づけを交わして、その体温を、体の感触を確かめる。ここから溶けあって、全てが一つになればいいのに、と思いながら。
「一成」
何度目のキスを交わしたあとなのか。吐息で名前を呼んだ天馬は、揺らめく若草色を見つめて言った。熱で浮かされるような言葉がこぼれ落ちる。
「――帰したくない」
一欠片の隙間だって許したくない。一瞬だって離れたくない。それなのに、一成は近くここからいなくなってしまう。自分の家へ戻ってしまう。その事実はずっと頭の片隅にあった。だから、離れたくないと全身で求める今だからこそ、声になった。
「テンテン……」
潤んだ瞳の一成が、名前を呼ぶ。そこに困惑や驚きがあったなら、きっと天馬は「悪い」と言った。一緒にいたいと思っているのは一成も同じなのだ。だけれど、どうしてもままならない現実が存在する限り、ワガママを言うことはできない。それなら、仕方がないと納得するしかないのだと、二人とも理解しているのだから。
だけれど。今、天馬の名前を呼んだ一成の声にあるのは。
「うん、テンテン。オレも――帰る場所はテンテンのところがいい」
凛とした、しなやかな決意を宿した声で一成は言った。首に回した腕をそのままに、吐息さえ感じられるほどの距離で。濡れた瞳に確かな決意を潜ませて、天馬の目を射抜くような強さで。
「仕方ないってわかってる。そうやって納得するのが当然なんだって思う。だけどさ、テンテン」
腕に力を込めた一成が、顔を近づけると唇にキスを落とす。やわらかな感触を残したあと、同じ唇で告げた。
「おんなじ家に帰ろうよ。テンテンにたくさんおかえりって言いたいし、ただいまって言ってほしい。それで、オレのが遅くなったら、おかえりって言ってよ」
ね、と細められる瞳がゆらゆら揺れている。泣き出しそうなそれは、悲しみからではない。あふれでる愛おしさがこぼれていきそうなだけだ。今オレも同じ目をしている、と思いながら天馬は口を開く。
「何回だって言ってやる。一生ずっと、お前にただいまもおかえりも言ってやる。だからお前も、一生オレに言ってくれ」
心から告げれば、一成が嬉しそうに笑ってうなずいた。世界中で一番幸せなのは自分だと言うみたいな笑顔に、天馬の胸が喜びで満たされていく。そんな風に笑ってくれるのが嬉しい。そんな風に一成を笑顔にできるのがオレだというのが、どうしようもなく嬉しい。
天馬はゆっくりと、一成に顔を近づける。思いを、心を、あらゆる誓いの全てを込めて唇へキスをする。やさしく食んで、そっと離れる。若草色のきらめきを見つめながら、強い声で告げた。
「一緒に暮らそう、一成」
事態はそう簡単ではないこともよくわかっている。クリアしなければならないことは山積みだし、すぐに実行へ移せるわけでもない。それでも、今確かにきちんと言いたかった。大事な人に誓いたかったのだ。共に生きると決めた人へ、同じ家で共に暮らしてささやかな毎日を重ねていこうと。
一成はゆるやかに唇を引き上げると、花がほころぶような表情で答える。どうしようもなくあふれる喜びと愛おしさを形にした声で、「うん」とうなずく。それを受け取ると同時に、天馬は一成を抱きしめる。首に回された腕が、答えるように天馬を引き寄せた。
「テンテン。オレ、すげー幸せ」
こぼされた声とともに、吐息が天馬の首筋にかかった。どんな顔をしているかなんて、見なくたってわかる。だってきっと今、天馬も同じ顔をしている。
腕の中にいる人、伝わる体温、確かな鼓動。それら全てを強く抱きしめて一成に応えた天馬は思う。
広い世界で巡り会ったオレたちは、互いの手を取り生きていく。同じリズムで心臓の音を刻んで。同じ家で同じ時間を過ごして。たくさんのおはようとおやすみを繰り返して。ただいまとおかえりを愛の言葉にして。ささやかな、だけれど宝物みたいな毎日を分かち合っていくのだ。
END
いっぱいキスしてほしかった。場所的にもシチュエーション的にも……というわけで色々と詰め込みました。最後のキスは「思い出を数えてほしい」と思っていたため、一成の過去について全力で幻覚見てます。一成の子ども時代考えるの大変楽しかったです。