星の数ほどキスをして




―Counting kiss:1~21―

「――でも、1歳の時っしょ。さすがに覚えてないな~。あ、でも、大人しい子だったっていうのは聞いたことあるかも。児童館とか連れて行っても、じっと座って遊んでるタイプだったみたい」

 天馬からの質問に、一成は思案しながら答える。天馬は「へえ」とつぶやいた。

「確かにお前、じっとしてるの苦にならないタイプだしな。やっぱり昔からそうなんだと思うと面白い」

 現在の一成の姿からは意外にも思える話だけれど、天馬は普段の一成も昔のことも知っている。作品を作る時もそうだし、中学時代までは勉強に没頭していたのだから、大人しい子どもだったというのもうなずける話だったのだ。

「これ、意外~って言われる話だからねん。MANKAIカンパニーのみんなは納得してくれるけど」
「オレたちが知ってれば充分だろ」

 言い切った天馬は、自然な流れで右手の甲に口づけた。その様子はずいぶん様になっていて、椋がいたら「王子様みたい」と言うだろうなと思うような所作だった。

「二つ目だから2歳だな」
「2歳……。あ、あるある。砂遊びが好きだったんだけど、集中力がやばたんって話すごい聞くんだよねん。放っておくとずっと砂場で何か作ってて、好きなだけやらせてみようかって自由にさせたらマジで一日砂場にいたって」

 両親からよく聞かされる話らしく、すらすらと一成が答える。天馬は握った手にそっと力を込めて、嬉しそうに告げる一成へ視線を送る。

「根を詰めすぎるから心配だけど――お前の集中力については、毎回感心してる」

 一成の集中力は見事だと天馬はいつも思っている。他の情報を一切シャットアウトして、水中に一人で深く潜っていくようなそれに心配になることもあるけれど、一成の得難い資質であることは違いない。

「そうやって、自由にさせてくれる両親がいたからっていうのもあるんだろうな」
「そそ。マジ、マミーとパピーには感謝してるよん」

 ウィンクつきでの返答は、一成の心からのものだ。同時に天馬は、目の前の人間がどれほどまでに深い愛情で育てられてきたのかを思い知る。たくさんの愛情を注がれて、一成は人生を歩んできた。その道の先で自分と出会って、手を取りあって共に行くと決めたのだ。
 それがどれほどの僥倖であるか、天馬はよく知っている。目の前にいてくれること、幼い頃の話を聞けること。その幸福を噛み締めた天馬は、一成の右手を引き寄せ、小指にそっと口づけた。一成がくすぐったそうに笑う。

「三つ目だ。3歳の一成か」
「オレの一番古い記憶って3歳の時なんだよねん。家族旅行の時、自然公園みたいなところ行ってブランコ乗ってたんだけど、その時見た空がめちゃくちゃ綺麗だなーって思ったの覚えてる」

 目を細めた一成は、大切に仕舞われたものを取り出すような素振りで言う。見晴らしのいい場所で、ブランコに乗った。奇妙な浮遊感に引っぱられて、ブランコが揺れる。背中を押されて高く上がるにつれ一成の胸を打ったのは、目に映る空の青さだった。

「あの色出せるかな~って何回か試してるけど難しいんだよねん。どこまでも透き通ってるのに、はっとするくらいあざやかでさ。空に向かって走り出したいって感じの青空だったな~って」

 小さな笑みを浮かべる様子に、天馬は「お前らしいな」と告げる。空の青さを、その色を美しいと感じて記憶に焼きつけて今日まで抱えて歩いてきたのだ。美しいものを見つけて大事に仕舞うことが得意な一成らしい、と天馬は心から思う。

「小さい頃から、綺麗なものを見つけるのが上手いんだなお前」
「にゃはは、ありがと。いつか、あの青空が描けたらテンテンに一番に見せてあげるよん」

 元気いっぱいに笑って宣言する。天馬が「約束したぞ」と言えば、一成は心底嬉しそうにうなずいた。
 天馬は目を細めてその様子を見つめてから、一成の右手の向きを変える。手のひらを上にすると、その中央に唇を寄せた。大切なものを握りしめてきただろう手のひらだ。そこに自分がいればいいと思いながら、ゆっくりと口づけた。一成はくすぐったそうに身をよじる。

「四つ目――4歳の時は何があった?」
「4歳……んー、幼稚園入ったのってこのころかな? この辺曖昧でごめんなんだけど、たぶんそうだと思う。うーん、何ていうか、家族以外の人間に結構びっくりしたかな~?」

 苦笑めいたものを浮かべた一成曰く、あまり家族以外の人との交流をしてこなかったので、いざ同じ年代の子どもたちの集団に放り込まれて気圧されたらしい。その辺の記憶はしっかりあるらしいのでよほど印象深かったのか、一成自身の記憶力がいいからなのか。両方だろうな、と天馬は思う。

「親戚とかもわりと静かな感じだから、めちゃくちゃ元気に走り回ってる子とか、すごい大きな声で泣く子とかに驚いちゃったんだよねん。だからってわけじゃないけど、幼稚園でもわりと一人だったかな~」

 いじめられただとか、そういうことはなかったと一成は言う。集団行動ができないわけでもなかったし、それなりにコミュニケーションは取れるようになったけれど、一成は一人でいることが多かった。とても物静かな子どもだった、と一成は言う。

 一つ一つ、紐解かれていく記憶を導くように天馬は口づけを送る。

 右手首のキスは五つ目。5歳の一成は図書館が好きな子どもだったと言う。「中庭の木漏れ日が綺麗に見える席が好きで、オレの特等席だったよ」と嬉しそうに笑うので、一成の目に映る世界はどれだけ美しいんだろう、と天馬は思う。そんな風に、散らばる美しさを丁寧に拾い上げる彼のことを天馬は心から尊敬しているし、同じだけの美しさを与えてやりたいと思うのだ。
 今度一緒に図書館行ったらオレの特等席教えてあげるねん、と言われた天馬は、目を細めてうなずいた。それから、やさしく一成の髪の毛を撫でると、耳にかかる髪の毛をつまんで口づけた。六つ目のキスとともに6歳の時のことを尋ねる。
 一成は少しだけ考えたあと「誕プレにもらった図鑑が好きでずっと読んでた」と答える。対象年齢はやや上だったけれど、一成はある程度なら漢字も読めたので問題はなかった。「宇宙とか動物とか花とかめっちゃ好きだった」と言って、ボロボロになるまで読んでいたのだと語る。
 黙々とページをめくって図鑑に没頭する、小さな頃の一成。見たことはないけれど、頭に浮かぶような気がして天馬は小さく笑う。今の一成にもそんな面影があって、それがわかることが嬉しかったのだ。
 天馬は浮き立つような気持ちのまま、一成の前髪をやさしく掻き分ける。おでこにそっとキスをすれば、若草色の瞳とぶつかった。天馬はやわらかな口調で言う。

「七つ目だ。7歳の一成には何があった?」
「7歳――マイリトルシスター誕生!」

 ぱっと顔を輝かせた一成が、それはもうまばゆい笑顔で言う。一成の妹大好きっぷりは天馬もよく知っているので、その反応も想定内だ。

「もうめちゃんこかわいかった! 今もかわいいけど! 学校から帰ってくるの楽しみだったし、お世話めっちゃしたな~!」

 ウキウキとした調子で言う一成は、あれこれと妹との思い出を語り出す。天馬は慣れっこなので、面白そうにその話を聞いている。昔は多少呆れていたものの、今では好きなものを話す一成はかわいいな、と思えるくらいにはなっていた。純粋に慣れたとも言える。

「それに、テンテンのファンになるとかマイリトルシスター見る目ありすぎじゃない!?」
「それは言える」

 真顔で答えると、「テンテン自分で言う!?」と笑うけれど「事実だろ」と返したのも本心だ。一成はいっそう楽しそうに笑う。軽やかに、嬉しくてたまらないといった調子で大きな口を開けて。
 そうやって笑ってくれることが嬉しい、と思いながら天馬は一成の左頬に触れた。少し顔を傾けて、こめかみにそっとキスを送る。

「8歳の一成だな」

 ゆっくりと唇を離して言えば、一成は少しだけ黙った。何かを思い出そうとする沈黙ではなかった。自分の中にあるものを確かめるための静けさだ。とても大事なものを取り出して、天馬に差しだそうとするような。わかっていたからこそ、天馬はただ、一成が口を開くのを待っていた。

「――オレの人生の転機だったよ。夏休み、パピーと美術館に行って、そこで初めてオレ、こんなに心が震えるものがあるって知ったんだ」

 それまでの一成の人生は、勉強だけが全てだった。知らないことを知るのは楽しかったし、いくら勉強したって終わりのない世界は一成の探求心を燃え上がらせた。だから一成は純粋に勉強が好きだったし、それは間違いようのない事実だ。
 ただ、美術館に飾られた絵を見た瞬間の、あの心の震えは、今まで一度も感じたことのないものだった。

「勉強も好きだけどねん。でも、あの日美術館で絵を見た時、世界がみーんなキラキラ光り出したんじゃないかって思ったんだ」

 絵というものを、一成はそれまであまり意識したことがなかった。せいぜい情報伝達手段としての認識しかしていなかったけれど、美術館で絵を見た瞬間理解したのだ。
 取り巻く世界を輝かせる。見ているものは、目に映るものは、こんなにも美しいのだと、真っ直ぐ心に語り掛けてくる。情報の伝達ではない。絵の持つ力を、一成はあの時全身で感じたのだ。

「だから、8歳はオレの人生の転機だったかな~なんて」

 軽い口調で言うけれど、それは紛れもない一成の本心だ。天馬にとって、一成と絵は切っても切り離せないものだ。絵を描かない一成なんて想像できないくらい、いつだって共にある。そんな絵との出会いが、人生の転機でなくて何だと言うのだろう。

「お前が絵と出会ってよかったと思う。絵を描いてるのを見るのも好きだし、お前の絵には確かに力がある。それにオレも、一成の絵が好きだ」

 一成は美しいものを見つけるのが得意だ。そのまなざしで拾い上げたものたちを、一成は筆に込めてあざやかに描き出す。それはきっと一成が見ている世界の片鱗なのだと天馬は思う。心を分け与えるみたいに、美しいものを宿して描き出される絵は一成そのものみたいで、見る度に天馬の胸を強く打つ。

「――ありがと、テンテン」

 天馬の言葉が心からの称賛であることを理解したのだろう。照れくさそうに、だけれど心底嬉しそうにそう言う。天馬は答える代わりに、ありったけのやさしさを込めて一成のまぶたにそっと唇を寄せた。
 9つ目のキスは、9歳の話を聞いた。没頭するように絵を描いていた日々だと言う。勉強するか絵を描くかどちらかで、あんまり友達の記憶がないんだよねん、と屈託なく笑っているのは、天馬の心を痛めないようにという配慮だろう。寂しくなかったよ、大丈夫だったよ、と言外に伝えている。
 天馬は一つ一つ、一成自身を確かめるようにキスを落としていく。
 10個目は、鼻先に。10歳の一成は絵と勉強の日々を過ごしていた。この頃には彼の妹もずいぶん会話ができるようになっていたので、仲良くお絵かきなんかをしていたと言う。
 11個目のキスは左の頬だった。初めて絵で賞もらったのはこの時かな、なんて言っていて、やっぱり昔から絵が上手いんだな、と天馬は思う。その時の絵なら実家にあると言うので、今度見せてもらう約束をした。
 指輪が光る左手を引き寄せて、手の甲に口づけたのは12番目だ。12歳の一成は、中学受験のため勉強漬けの日々だったらしい。ただ、本人が時々言うように、一成は勉強が好きな人間だった。
 解けない問題に出会うと却ってやる気を出すタイプなので、受験には向いているのだ。息抜きに絵も描いていたし、暗黒の日々とかじゃなかったよん、と笑っていた。
 左手をゆっくりと撫でてから、人差し指にキスをした。13個目、13歳の一成は大学付属中学に合格していた。授業が楽しくて勉強頑張ってたら結局友達作る機会逃したんだよね~と笑ってから、少し声の雰囲気を変えて言う。

「改めて振り返ると、オレ、マジで友達いないね!?」

 天馬にうながされるまま今までの話をしていた一成は、改めて友達の話題が一切ないことに気づいたらしい。確かに、今のところ絵と勉強、それから家族の話くらいしか出てこない。天馬はその言葉にあっさり答える。

「まあ、オレも友達いなかったけどな」
「そうだった」

 天馬もこれまでを振り返れば、一成と似たり寄ったりの結果になることは目に見えていた。むしろ、芝居以外ほとんど何もないので一成よりひどいかもしれない。

「友達いないオレたちがMANKAIカンパニーで出会って、そんでもってこんな感じになってるとか人生って不思議だよね~」

 こんな感じ、というのはソファに向き合ってあらゆるところにキスをされている現実を指しているらしい。天馬は一成の左手を握ったまま、「嫌じゃないだろ」と不敵に笑いかけた。一成は力強く答える。

「当然っしょ。むしろ、オレはいっぱいキスしてもらえて嬉しいし。でも、テンテンはどうなの。オレだけが楽しくない?」
「一歩ずつオレに近づいてきてる感じがして楽しい」

 嘘偽りのない本心で答えると、一成が「テンテン素直~」と茶化すように笑った。しかし、耳が赤いことなんて天馬にはお見通しだ。左手の向きを変えて手のひらに口づける。
 14個目のキスと共に、14歳の一成の話を聞く。相変わらず勉強と絵の話ばかりだ。ただ、この頃には時々勉強に行き詰まるようになっていたという。心配してくれる妹がかわいかったし、妹へ勉強を教えるのがちょっとした息抜きになっていた、と笑っていた。
 一成の心にちゃんと救いがあってよかった、と天馬は思う。一人で苦しんでいなくてよかった、と思いながら、天馬は手首に唇を寄せた。音を立ててキスをして、15歳の頃はどうだったのかと尋ねた。
 一成は少しだけ遠い目をしてから、「前にも話したけど」と言って言葉を続けた。15歳の一成。中学を卒業する年、思い出と言って浮かぶものが何もないことに気づいた。空っぽの自分を自覚して、自分には何もないのだと思い知った。
 淡々と語られる言葉に、天馬の記憶が紐解かれる。あれはまだ、二人が単なる友達だった頃だ。一成は確かにそんな話をしていて、いつか描きたい思い出がたくさんできるようになればいいと願っていたことを知った。それが叶えられる願いだったことを、天馬はすでに知っている。
 だけれど、15歳の一成はそんなことを知る由もない。だからかもしれない。15歳の自分を語る一成の様子が心細いように見えて、天馬は一成の頬を両手で包み込む。自分のほうへ引き寄せると、若草色の瞳が、ほっとしたようにゆるんだことに天馬は安堵する。すると、一成の唇からぽつり、と言葉が落ちた。

「――テンテンは、中学までのオレでもオレのこと好きになってくれたのかな」

 思わず声になった、という調子の言葉だった。恐らく、心がゆるんだからこそこぼれたのだろう。一成がはっとしたような気配を漂わせるので、天馬は口を開く。きっと一成は「なんてねん!」と冗談にしてしまおうとするから、その前に言いたかった。

「なる。一成が一成なら、オレはお前を好きになる」

 絶対の事実を告げるような口調で言ったあと、天馬は少しだけ考えて、一成の左耳に唇を寄せた。耳たぶを軽く食むと、一成の体がびくりと震えた。ふっと息を吹きかけてやると、耳だけではなく顔中が真っ赤に染まっていく。

「中学時代のお前だって、今のお前だって、一成だってことに変わりはないだろ。本質的にはどっちも一成なんだ。それなら好きになるに決まってる」

 表面上では確かに違うし、別人みたいだと思うことは思う。だけれど根っこの部分は変わらないはずだ。
 美しいものを見つけ出すまなざしも、一人静かに自分の心へ潜ってゆくひたむきさも、他人のことをよく見て発揮される気遣いも、論理的で聡明な考え方も、美しいものを分け与えていくやさしさも。
 一成を形作るものは、きっと小さな頃から変わってはいない。表への出し方が異なるだけで、根っこは同じものだと天馬は思っている。
 真正面から向けられた天馬の言葉が、心からのものだということくらい、一成は理解している。だから、恥ずかしそうな笑顔で「うん」とうなずいた。たとえ今とは全然違う見た目で、言動だって変わっていても。きっと天馬は、自分を見つけてくれるのだと思えたから。

「てか、耳にちゅーとかびっくりだよねん。普段あんまりしないっしょ」
「たまにはいいだろ。お前の反応も面白かったし……ほら、16個目だぞ」

 ニヤリ、とイタズラを成功させたような笑みで先を促されて、一成は一つ息をこぼした。呆れるような面白がるような、くすぐったそうな笑みだ。
 至近距離で頬を包み込まれたまま、一成は16歳の自分――高校デビューをした日々を語る。元々、周囲への観察力には優れているし、理解力もある人間だ。
 どんな風に振る舞えばいいのかはすぐにわかったし、それを実行できるだけの器用さも持っていた。まるで最初からそうだったような自然さで、一成は今の姿へと変貌を遂げる。

「ちょっと慣れないなってこともあったし、無理してる時もなくはなかったんだけど――全部が嘘ってわけじゃなかったんだよねん」
「だろうな。一成はずっと一成のままだ」

 中学時代までの一成と比べれば、今の姿はまさしく別人だろう。だけれど、天馬にとってはどちらの一成も一成だし、何も中学時代までの自分を押し殺して今の一成に生まれかわったわけではないのだと思っている。彼は彼のままで変わることを選んで、己の本質を上手に昇華させて、そうして今の彼になったのだ。
 一歩踏み出す勇気を、自分を変えることを厭わない献身を、天馬は愛おしいと思う。そうして寄り添ってくれたことを何よりも知る天馬は、鼻先にキスをする。あふれだしていく心を全てに込めるように。

「――17個目。17歳だな」
「二年ってことは……あ、つづるんに会った!」

 ぱっと顔を輝かせた一成が言う。綴との出会いは天馬も聞いている。綴にとっては何の気なしの行動が、一成にとって大きな助けになったのだ。それは出会いの時だけの話ではなく、それから先もずっと。

「あの時つづるんが絆創膏くれて、マジ良かったよねん。連絡先交換したオレもグッジョブだし、つづるんがオレにちゃんと連絡くれたのも大正解って感じ!」

 もしも綴が一成の連絡先を知らなければ。一成に連絡することを選ばなければ。そしたら一成は、MANKAIカンパニーと出会うこともなかったのだ。それはつまり、夏組や天馬との出会いもなかったことを意味している。
 そうならなくてよかった。人生において彼を知らないままでいなくてよかった。それは互いの何より強い本心だ。一成は目を細めてつぶやく。

「つづるんは知らない内に、オレのこといっぱい助けてくれるんだよね。本人自覚ないけど。オレに大事な出会いを連れて来てくれたの、つづるんだもん」

 夏組に出会った。天馬に出会った。人生を共にしたい人との出会いは、綴の些細な行動から始まったのだ。その事実に、天馬は心から感謝している。

「綴さんには本当世話になってるよな、オレたち」
「だよねん。この前も脚本書いてもらったし――いたるんじゃないけど、つづるん孝行しないとねん」
「何企んでるのかって言われるぞ一成は。オレは素直に受け取ってもらえると思うけど」
「わりと否定できない!」

 軽口を交わしあって、二人はくすくすと笑みをこぼした。
 天馬は目を細めた一成のまぶたにそっと口づけを落とす。18歳の一成の様子を尋ねれば、「美大受験に燃えてたな~」という返事がある。
 朝から晩までひたすら絵を描きつつ、授業や課題をこなしていたという。この頃からスケジュール管理が上手かったらしい。困難があれば燃える性質ということもあいまって、一成にとって受験は楽しい思い出に分類されているようで、天馬はそういう点を素直に尊敬している。
 大変でも、苦しくても、楽しかったと言えるそれはきっと一成の強さなのだ。
 天馬は右手を外して、頬にやさしくキスを落とす。あふれる気持ちが唇から伝わればいいと思いながら、滑らかな頬に口づける。これで19個目、19歳までやってきた。
 19歳、と一成は言う。天鵞絨美術大学に進学した一年目。興味のあることなら何でもやっていい環境で、一成は色んなことに挑戦した。楽しくて充実していた。友達だってたくさんできた。確かに楽しかったのだ、と一成は言う。

「みんな気のいい人たちで、楽しいことを探すのが上手で。いい感じの一年だったんだよねん。楽しくて笑える話ばっかりして、本当のことには全然踏み込まないでいるほうが楽で正解で――薄っぺらいのはわかってたけど、そうやって生きていくんだと思ってた」

 静かに一成が告げる言葉を、天馬は聞いている。19歳の一成。友達をたくさん作って、確かに楽しく日々を過ごしていた。
 だけれど、聡い彼は気づいていた。本当のことをどうしたって言えない自分では、友人とは真の意味でつながれないなんてこと。
 それでも、一成は自分が身につけた処世術以外の方法を知らなかった。だから、このままずっと、埋められない距離を抱えたまま生きていくしかないのだと思っていた。
 一成は天馬を真っ直ぐ見つめた。天馬も同じように見つめ返す。この物語の結末を、二人は知っている。一成の予想は現実にならなかった。思い描いた未来はやってこなかった。
 天馬は左頬に手を添えたまま、ゆっくりと顔を近づける。一成が目をつむるのと同時に、唇にキスをした。やわらかな感触を確かめるようなやさしさで触れて、そっと離れる。一成は目を開くと、くすぐったそうに笑った。

「20個目で初めて唇だねん」
「オレに会うまで取っておいたんだよ」
「にゃはは、テンテンってばロマンチスト~。そういうとこ好きだよ」

 目を細めてそう告げる一成は、楽しそうに笑った。20個目。天美の二年生に進学した、20歳になるその年。一成はMANKAIカンパニーとの出会いを果たした。

「MANKAIカンパニーに入って、夏組のみんなと会って、テンテンに会ったよ。オレの人生を決定づけちゃうような出会いが、これでもかってくらい詰め込まれた年だよねん」

 思い出をなぞるまなざしで、一成は言う。それまでお互いの存在を知らずに生きてきた自分たちの道は、あの場所でようやく交わったのだ。今では夏組やMANKAIカンパニーの彼らがいない人生なんて考えられないのに、それまでは何も知らずに生きていたなんて、何だか嘘みたいに思える。

「最初はテンテン、マジで怖かったよねん。今だともう懐かしい~って感じだけど、当時はどうやってテンテンと仲良くなればいいのかなって思ってたし」
「……悪かったよ」

 当時の自分については、正直今の天馬も色々と思うことがありすぎる。タイムマシンがあったら説教しに行きたいくらいだ。よくまあ、夏組のメンバーは愛想を尽かさず付き合ってくれたものだと思う。
 一成だって、当初は軟派なやつだとしか思っていなかったけれど、あとから考えてみればその明るさのおかげでだいぶ救われていたのだ。そんな風に、気づかない内に周囲の空気を変えてみせる人間だと、当時の自分はまったく思いもしなかった。
 一成は天馬の言葉にゆるやかに首を振ると、やわらかく目を細めて告げる。心をそのまま取り出すような、繊細な声。

「オレはさ、あの時のテンテンに救われたよ。あの時、テンテンが言ってくれた言葉が、オレの心をすくい上げてくれたんだよ。だから、悪いことなんかないよ」

 心から一成は言っている。それがわかるから、天馬は何だか泣きたくなる。
 一成と出会った時の自分は、今よりもっと幼かった。正しさで人を傷つけて、強い言葉ばかりを口にした。結果として、一成を傷つけたことだってある。
 それなのに、その一成が言うのだ。あの時の――出会った時の天馬の言葉に救われたと。他でもないあの時の天馬の言葉が、一成の救いになったのだと。

「テンテンはさ、オレが思ったことを言うとちゃんと認めてくれるじゃん。それにめちゃくちゃ救われたんだよ。テンテンが思ってるより、もっとずっと」

 一成は時々言っていた。旗揚げ公演の時、天馬が「自分の意見を言えるじゃないか」と言ってくれたこと。第二回公演で、思ったことを言ったら幸を怒らせてしまったのに、意見を言ったことを指して「やればできるじゃないか」と言ってくれたこと。
 自分の意見を口にしてもいいのか不安になった時、天馬がくれた言葉がどれだけ力になったのか。
 たった今一成が言っているのは、その時のことだと察しがついた。まだまだ未熟で、足りないところばかりだっただろうと思うのに、そんな天馬に救われたのだと言ってくれる。
 それは、一成が美しいものを拾い上げることに長けているからだと天馬は思う。天馬の持つものから、一つ一つを丁寧により分けて一等綺麗な輝きを見つけ出せるのだ。
 それがきっと一成の強さだ。人の言葉を否定するのが苦手で自分の意見を言うのも得意じゃない彼の、それでも奥底に持っているしなやかな強さだ。天馬はそれを心から尊敬しているし、大事にしてやりたい。

「――救われたって思えるのは、お前がオレの言葉をきちんと受け取ってくれるからだ。だからもっと、一成自身を誇れ」

 きっぱりと告げれば、一成は意外そうに目をまたたかせたあと、唇に笑みをのぼらせた。楽しそうなものに見えて、同じくらい泣き出しそうだ。小さな声で「テンテンは、いつもずっとカッコイイね」とこぼす。
 ささやかなつぶやきに、天馬はなんだか照れくさくなって、照れ隠しのように顔を寄せた。あらわになっていた右耳へキスをすると、予想外だったのだろう。「へあ!?」と妙な声を上げるので、天馬は思わず笑った。

「――何だ今の声」
「テンテン、いきなり耳はびっくりするよ!?」
「一成、前より耳弱くなってないか」
「新しい発見したみたいな顔が不穏~」
「今度じっくり攻める」
「宣戦布告された……」
「ほら、21個目だ」

 じゃれあうようなやりとりでそう言えば、一成は明るく笑った。MANKAIカンパニーに入ってから二年目と言えば、思い浮かぶものは一つだ。天馬だって同じことを思っている。

「くもぴ入団! 夏組が全員そろった年!」

 六人の夏組が形になったのは、新生夏組が発足した翌年のことだ。一成が21歳になる年の話で、それから六人は夏組として多くの時間を重ねてきた。たくさんの思い出たちの、第一歩が始まった。その一年を思い出して、一成は言葉を続けた。

「――それと、やっぱりオレの初主演かなぁ。主演と留学でめっちゃ悩んでみんなに迷惑かけちったけど、その分最高のお芝居できたよねん」

 そう言う一成は、唇をほころばせて思い出をなぞっているようだ。
 第五回公演で、一成が悩んでいたことは天馬も当然知っている。どちらを選んでも一成のためになる選択だったし、留学を選んでも送り出すつもりはあった。
 あの時天馬が望んでいたのは、一成が自分の気持ちを押し殺さないことだけだ。自分の意見を言うことが苦手な一成だからこそ、誰かのためや何かのためではなく、重大な選択はただ己の気持ちに従ってほしかった。

「あの時もさ、テンテンには助けられたよねん」

 至近距離にある天馬へ視線を向けた一成は、照れたように笑った。何を指しているのか、天馬は理解している。屋根の上に夏組全員が集まった。その時、一成に告げた言葉を覚えている。

「オレの気持ちを大事にしろって言ってくれたじゃん。すげー嬉しかったし、テンテンの言葉がオレの背中を押してくれた。本当にオレはテンテンに助けられてばっかりでさ、テンテンの言葉が何回もオレを救ってくれる。テンテンのこと特別になっちゃうのも仕方ないよねん」

 笑みを含ませた唇でそう言って、若草色の瞳を細める。それは、少しずつ天馬への気持ちが変化していったころを思い出しているからだろう。夏組の天馬でもリーダーでもなく、友達とも違っている。たった一人に向ける特別な感情を、一成はその頃から自覚していた。
 天馬はそんな一成を見つめたあと、頬から手を外して腕を引いた。ぎゅっと抱きよせる。一成はすんなりと腕の中に収まると、天馬の背中に手を回した。
 一成は天馬への思いを自覚した時から、伝える気はなかったと言っていた。黙ったまま、ただ抱えていこうと決めていた。それを知っているからこそ、抱きしめたかった。
 腕の中におさまる細い体。天馬を特別に思って、たった一人で完結しようとしていた。そのままだったら、今こんな風に抱きしめることはできなかった。