福音を歌う




 MANKAI寮の玄関を開けたら、般若の顔をした古市左京に出迎えられた。

 地獄のスケジュールを潜り抜けた天馬は、ようやく夏組全員集合公演の稽古に入る。移動時間すら惜しいということで、稽古期間中は久しぶりにMANKAI寮にて寝起きすることになり、大荷物を担いで玄関を開けたら般若の左京である。

「は、え、どういう」
「皇、そこに座れ」

 どういうことか、と問うよりはやく示されたのは玄関を上がった先の板の間だ。視線を移せばそこにはすでに天馬以外の夏組が全員そろっていて、全員正座していた。
 有無を言わさぬ迫力に押されて、天馬は荷物を置いたあとで夏組の端っこ――九門の隣に正座した。

「夏組全員そろったな。これからお前たちは、久しぶりの夏組公演に向けて稽古期間に入るわけだが、その前に言っておかなきゃならねえことがある」

 低い声でそう言った左京は、眼前に並んだ夏組一人ずつに鋭い視線を向ける。
 天馬は当初こそ戸惑っていたものの、すでにおおよそは理解していた。左京の迫力、この空気感。どう考えてもこれから始まるのは説教だった。

「そもそも、皇はやすやすとゴシップ記者につけられてる時点で自覚が足りねえ。もう少し身辺に気をつけろ。常に気を張ってろとは言わねえが、外出する時くらいは周囲に気を配れ。怪しい車くらい見つけられるようになっておけ」

 強い口調で放たれる言葉を、天馬はただ神妙に聞いていることしかできない。内容としてはもっともすぎるからだ。
 天馬としては一応気をつけているつもりだったけれど、結果としてまったく尾行に気づいていなかったのだから何も言えない。あれだけ散々隠し撮りされては、何を言っても意味がなかった。

「次、三好。皇を助けるために何かすべきだと思ったことはわかる。だが、方法を考えろ。あれがどれだけ危ない綱渡りだったか、わからなかったとは言わせねえ。結果としては上手く転んだだけで、下手打ったらカンパニー全体に迷惑をかける事態になってたんだぞ。わかってるだろうな?」
「フルーチェさん、ごめピコ~……」
「ああ!?」
「すみませんでした」

 いつものノリで謝ったら凄みのある返事が返ってきたので、一成は居住まいを正して神妙に頭を下げた。
 実際、左京の言っていることは正しい。
 最終的には何だかいい感じにまとまったけれど、あのストリートACTは結構な綱渡りだった。
 集まった人たちにスルーされていたら芝居は成立しなかった。途中で破綻していたら結局ぐだぐたになってしまう。
 何のために集まったのかよくわからないまま、当事者が登場したということで、天馬と一成のスキャンダルに話が集中するだけだ。
 ストリートACTを成功させた上で、さらにはそれが天馬のスキャンダルのそもそもの発端で、ゴシップ記事は嘘だと思わせる。というのは、中々厳しい賭けでもあったのだ。

「瑠璃川、向坂、斑鳩、兵頭弟。お前らも乗るんじゃねえ。誰か一人くらい冷静に対処しろ。ああいう時は、自分たちだけで突っ走るんじゃなく、俺たちや監督さんに連絡を取れ。どうして全員で同じ方向に突っ走りやがるんだ。独断で動くな、冷静に判断しろ」

 一人ずつに向けてそう言えば、椋と九門はしょんぼりと肩を落とす。幸の表情は特に変わらず、三角はぼんやりとした顔をしていた。
 それから左京は、「大体お前らは」と言って夏組の過去の所業を持ち出して説教ループへ突入する。あの時も自分たちだけで動きやがって、いつもお前らは落ち着きがない、ガキじゃねえんだぞ云々……。
 途中から夏組は「これいつ終わるんだろう」という気持ちになってきたし、寮に帰ってきた至には爆笑されながら写真を撮られた。

「今回はたまたま上手く行っただけだってことを忘れるな。一歩間違えれば、このカンパニーにどれだけの被害があったか考えろ」

 過去の話を打ち切った左京は、もしもストリートACTが上手く行っていなかったらどうなっていたか、という話を続けた。
 恐らく、あのスキャンダルによって天馬自身が炎上していたことは想像に難くない。さらにはそれがMANKAIカンパニーに飛び火するのは確実だ。
 天馬と一成、二人の関係の端緒がMANKAIカンパニーであることは周知の事実なので、いつから恋人同士なのだとか、あの公演の時はどうだったのかなど、下世話な噂話が飛び交うだろう。
 場合によってはその件について取材などの問い合わせが増えるかもしれないし、そうなると余計なことに手間を取られることになる。
 さらには、恐らく他の団員たちにも話は及ぶ。
 天馬と一成が恋人同士であるならば、他の団員たちもそうなのではないか?と勝手に関係性を語られる。そして、色眼鏡でMANKAIカンパニーを語る人間たちが増えるのだ。
 もしもそうなっていたら、今まで築いたMANKAIカンパニーの評判はずいぶんと意味を変えただろう。面白い娯楽の一種として消費され、そのままカンパニーの名前がすり潰されてしまう可能性だってあった。

「――だから、自分たちだけで判断するんじゃねえ。俺たちの意見を聞け。お前たちは一人じゃない。MANKAIカンパニーの夏組だ」

 きっぱりと告げる左京の言葉は強い。ただ、そこに含まれる響きは今までのものと少し種類が違っていた。夏組が目を瞬かせると、左京は笑みを浮かべて言う。

「俺たちにも、ちゃんとお前らの手助けをさせろ」

 困ったような苦笑めいた笑みは、何だかずいぶんやわらかい。般若の顔をした左京とはまったくの別人のように思えるけれど、夏組は知っている。
 いつも厳しくて鬼だ何だと言われる左京。それは間違いではないけれど、厳しさの奥底に限りないやさしさを隠していることを、夏組は、MANKAIカンパニーのメンバーは誰だって知っている。

「――まあ、あの時はそれが最善だって判断したからこそ突っ走ったってのはわかってるんだがな。タイムリーに反応できたってのは、あの場合はかなりのメリットだったはずだ」

 判断が遅れて対処を先延ばしにするよりはマシだった、と左京は続けるので、完全な悪手だと思っているわけではないのだろう。
 ただ、イチかバチかの賭けが過ぎるという意味ではあまり推奨したい手段ではなかっただけで。

「それに、お前たちのストリートACTは中々勉強にはなった。打ち合わせ一切なしであれができるとは、さすが夏組ってところだな。普段からぎゃあぎゃあうるさいだけはある」

 肩をすくめた左京は呆れたように言うけれど、それが左京の称賛であることは夏組だってわかっている。
 それなりに長いストリートACTではあったけれど、何だかんだで夏組らしいコメディ要素を失わず、きちんとオチまでつけているのは、彼らの実力ゆえのことだ。
 それは左京が持たない部分の力でもあるので、参考になるなと思っていた。

「本公演も楽しみにしてるぞ」

 落ち着いた口調で左京が言う。それが、説教は終わりの合図だった。
 監督さんが談話室で待ってるぞ、と声を掛けられるので、夏組はめいめい立ち上がる。談話室には他のメンバーもいるだろうし、203号室以外は久しぶりにMANKAI寮に戻ってきたのだ。
 挨拶しないと、なんて言い交わしていると、左京が口を開いた。そういえば思い出した、といった口調だった。

「おい、皇、三好」

 九門と今後のスケジュールを確認していた天馬と、スマートフォンをチェックしていた一成を呼ぶ。二人が振り向き、それ以外の夏組も声の主である左京へ視線を向けた。
 左京はいつもと変わらない顔で口を開く。いたって普通の、当たり前の言葉を紡ぐような調子で。真っ直ぐと天馬と一成へ視線を投げて。

「お前たち二人は、俺たちに報告することがあるだろ」

 そう言った瞬間、左京が面白そうに笑った。心底楽しくて仕方ないみたいな、何だか嬉しそうな表情。
 面食らったのは天馬と一成で、しかしそれは言っている意味がわからなかったからではない。
 何を指しているのかはすぐに理解できたけれど、まさか左京に言われるとは思っていなかったのだ。

「散々お前たちを見守ってきたんだ。ちゃんと報告しろ」

 それだけ言うと、左京はスタスタと談話室へ歩いていく。天馬と一成は、思わず無言でその背中を見送ったのだけれど。扉の向こうに消えていったことを確認した二人は、盛大に息を吐き出す。

「マジか~」
「何も言わないって選択肢ないだろあれ」

 一成と天馬は互いに顔を見合わせて、ボソボソと言葉を交わす。そんな二人の様子に口を挟んだのは幸だった。

「報告するの嫌なわけ?」
「まさか~!」
「そんなわけないだろ」

 間を空けずに即答した通り。一成も天馬も報告が嫌だったわけではないし、むしろいずれちゃんと報告するつもりだった。ただ、突然そんなタイミングがやって来たことに戸惑っているだけだ。
 とはいえ、左京にこうまで言われてなかったことにするのもどうか、という気持ちもあったので。決断するのは速かった。

「――今日がそのタイミングってことだよな」
「そだね。丁度いいのかも!」

 天馬の言葉に、明るい笑顔で一成もうなずく。それを認めた夏組は、自分たちのやるべきことをすぐに悟った。

「それじゃオレ、みんな談話室に集まってって言ってくる!」
「あ、ボクも一緒に行くよ。準備も必要かもしれないし……」

 九門が颯爽と走り出したかと思えば、椋もそう言ってあとに続く。
 三角は「お祝いのサンカク持ってくる~!」と言って、自分の部屋へ向かったようだ。幸はといえば「それじゃ、オレは監督に話してくるから」と言って談話室へ消えていった。
 最初から役割分担が決められていたのではないか、と思わせるほどの手際のよさだった。ついついそれらを見送ってしまった天馬と一成は、玄関に取り残された形になったのだけれど。

「……あいつら仕込んでたのか?」
「うーん、どうだろね?」

 何とも判断がつかなかったので、一成も曖昧に笑うしかない。あくまで左京の言葉に触発されたようにも見えるし、あらかじめ準備していたと言われればうなずくこともできる。
 どちらなのかはわからないけれど、そこは大した問題ではないだろう。重要なのは、今日これから報告を行うということだ。
 そもそも、この稽古期間中か公演期間中に報告することになるだろうな、と天馬も一成も思っていたのだ。それがちょっとばかり早まっただけだと思えばそこまで突飛な事態でもない。
 まさか初日になるとは予想外だけれど、カンパニーのメンバーに報告できること自体はありがたかった。

「なんか、ちょっと緊張すんね」

 へらり、と一成が笑って言う。信頼できるメンバーが相手なのだから、酷い結末になりようもないとはわかっていたけれど。改めて報告する、と思えばやはりいつも通りには行かなかった。

「大丈夫だろ。お前一人だけじゃないんだ」

 天馬とて平常心というわけにはいかないけれど、あえてそう言う。一成と一緒に不安になるより、大丈夫だと、自分がいるのだと勇気づけたかった。一成はその意図をすぐに察した。

「そだね。テンテンも一緒だし、平気かな」

 無理をさせたいわけではないから、不安ならそれを吐露してくれてよかった。
 だけれど、天馬の言葉に浮かんだ笑みは心底ほっとしたものだったし、天馬は自分なら一成にそんな顔をさせることができると信じている。
 不安の種をやわらかく溶かして勇気に変えてやれるのだと天馬は思っているし、実際それは間違いではなかった。

「にしても、オレたちこれ談話室に入ってていいのか」
「人呼んでくるとか言ってたけど、どうなんだろね? 中で待ってていいのかな~」

 そういえば、という顔で天馬が言えば、一成も「今気づいた」みたいな顔をして答える。談話室に人を集めると言っていたけれど、どういうタイミングで部屋に入ればいいのかよくわからなくなっていた。

「んー、でも、これオレらが最後だと、何かすっごい、盛大に出迎えられそうじゃない?」
「……中で待つぞ」

 寮内にどれだけの人数がいるかはわからない。ただ、九門が人を集めると言った手前、全員談話室にいるわけではないのだろう。
 全員集合してから中に入ると、温かく出迎えられそうだ、という一成の言葉は正しそうに思えた。恐らくそうなると、だいぶ恥ずかしいという予想もついた。

「おけまる~。まあ、カントクちゃんにはゆっきーが話してくれてるみたいだけど、オレらからも話したいしねん」

 結論を出した二人は、談話室へ一歩足を踏み出した。