彼の話




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 話したいことがある、と天馬に言われた時、思わず井川は身構えた。
 これが事務所内や移動中の車だったなら、恐らく仕事関係のことだろうな、と予想ができるからそこまで心の準備は必要ない。
 しかし、天馬を自宅へ送り届けた際に「ちょっといいか」と言われて、部屋に上がるよう促され、その上で伝えられた言葉なのだ。恐らく、プライベートな話題で、しかも仕事に影響がある旨の話だろうということくらい予想はできる。
 案の定、ソファに座った天馬は言った。「付き合っている相手がいる」と。
 井川もある程度覚悟はしていたので、そこまでの驚きはなかった。恐らく天馬のことだから、交際という形になったのだから伝えておかなければならないと思ったのだろう、と井川は考える。周囲に隠して恋人を作り、妊娠が発覚して慌ててマネージャーに相談する、などといった事例も多々あるけれど、天馬がそういった人間でないことは今までの付き合いでよくわかっている。
 井川は天馬の言葉に相槌を打ってから、「相手の方についてうかがってもいいですか」と尋ねる。
 天馬には色恋の噂が極端に少ない。ただ、そういった話がゼロではないし、一時期は年齢の近い女優と親密そうにしていたことも知っている。恐らく、その辺りの女優かアーティストで、いやでも実は予想外にも一般女性だったりするのかもしれない。
 何にせよ、相手の情報を教えてもらわなければ今後の対応ができない。天馬には黙っているけれど、ちょっとした身辺調査も必要だ。皇天馬の名前を目当てに近づいてくる人間は枚挙にいとまがないので、その交際相手がどんな人間かを見定めなくてはならない。
 天馬は、井川の言葉にうなずいたあと、わずかに沈黙を流す。何かをためらっているような表情。ただ、井川をわざわざ部屋にまで上がらせてこの話を切り出したのだから、そのまま黙っていることはないだろうと井川は踏んでいた。案の定、天馬はゆっくり口を開いた。
「――井川もよく知ってる相手だ」
 ぽつりと落とされた言葉に、井川は目をまたたかせる。自分がよく知っている相手。天馬と恋仲になるような人物が思い当たらない。最近共演した女優か、PVに出演した歌手か、それとも事務所関係者か。めまぐるしく相手を検索していると、天馬が言った。落ち着いた、静かな調子。それなのに、奥底に情熱を秘めているのだとハッキリわかってしまう声で。
「一成――三好一成だ」
 その名前を聞いた時、井川に芽生えたのは奇妙な感情だった。
 三好さん!?という驚きと、三好さんか……という納得が、井川の胸を瞬時に駆け抜けていったのだ。
 三好一成。MANKAIカンパニー夏組所属で、天馬より三つ年上の青年だ。確かに井川もよく知る人物だし、連絡先だって知っている。天馬との仲の良さは、彼が更新するSNSによく天馬が登場することもあり周知の事実となっている。
 だから二人の親密さはよく知っているけれど、まさか恋人同士とは――という驚きではなかった。
 井川は薄々察していたからだ。大学時代の一時期から、天馬と一成の関係が変わったこと。二人は何も言わなかったし隠していたけれど、恐らく恋人として交際しているのではないか、と。
 探りを入れて注意をするべきだった。だけれど、二人は少なくとも井川の前ではまったく恋人らしい素振りを見せなかった。MANKAI寮での様子は違ったのかもしれないけれど、井川がハッキリと察知できるような明らかなふるまいをすることがなかった。
 だから、井川はただ一般論のように、恋人関係のスキャンダルには気をつけてくださいね、と言うしかできなかった。それに、何となく察していたこともあった。
 一成について井川が知っていることはいくつかある。明るくてコミュニケーション能力が高い。言葉遣いは若干特殊だけれど、気遣いができるし聡明。誰とでも分け隔てなく接することができて、空気が読める。夏組のムードメーカーで、役者以外に日本画を描き、デザイナーとしての側面も持っている。それから、何より夏組を――天馬を大事にしている。
 一成は聡明な人だと、井川は思っている。そもそもコミュニケーション能力が高いのは頭の回転がはやいからこそだし、考え方も論理的だ。それに、しょっちゅう写真を撮る一成は、天馬の写真をSNSやブログに上げてもいいか井川に確認を取る。これはだめ、こっちならオッケーです、と二度三度やり取りすれば、一成はすぐにそのラインを理解した。相手から得た情報をもとに、的確な判断ができる人だ、と井川は一成を認識していた。
 だから、井川は思っていた。恐らく一成にとってこの恋は、今だけのもののはずだと。天馬が大学生時代だけの限られた関係だと。聡明な一成が、これから先の天馬の人生にまで関わることは選ばないだろうと思っていた。
 そういうわけで、大学時代はなるべく自由にさせてやれ、という天馬の父親の方針もあり、井川は大いに目を光らせてはいたけれど、基本的には見て見ぬふりを決め込むことにしたのだ。
 結果として、井川の予想は正しかったはずだった。
 天馬が大学を卒業する前に、一成は欧州へと旅立った。その時に別れを切り出されたのだろうことは、その後の天馬の動向からおおよそ察した。一成は聡明な人だからそうすることが正解だと判断して、それを実行できる。
「――いつからですか」
 思わず尋ねてしまったのは、純粋に疑問だったからだ。だって、二人はちゃんと別れたはずだ。それなのに、どうして今、天馬から交際宣言されるのか。まさか、全ては自分の思い違いで実は今までも交際は続いていたのだろうか。だとしたらあっぱれだ、と思っていると天馬がぶっきらぼうに言い放つ。
「昨日だよ」
 バツが悪そうな顔は、交際後すぐに話を切り出したことに対する気まずさだろうか。まるで、いてもたってもいられなかったみたいだ、と思っているからだろうか。
 天馬の言葉を聞いた井川は、「昨日ですか」と繰り返す。昨日。久しぶりに夏組全員がそろった公演の千秋楽だった。夏組の一人である向坂椋が大学を卒業するという記念の公演で、渡欧していた一成が帰国することも重なって、ぜひ夏組全員そろっての公演がしたいとスケジュールを打診された。天馬は何度も希望しながらも、中々MANKAIカンパニーの舞台に立つことはできていなかったから、本人に「頼む」と懇願されたこともあり、どうにかスケジュールを調整して、無事に千秋楽まで駆け抜けることができた。
 その、昨日。恐らく何かがあった。再び二人が恋人同士として交際するような何かが。
 井川は何を言えばいいのか考える。大学時代は何も言わなかった天馬が、今回は交際後すぐに報告したこと。それが意味することは何だろうか。天馬の年齢を考えると、恐らく結婚も視野に入れているからだと察することができた。皇天馬が人生を共にする相手として、三好一成を選ぼうとしているからだ。
 ただでさえ、皇天馬の結婚という話題は大きなスキャンダルになりかねない。相手が同性ともなれば、どこまでの影響があるのかも予想ができない。だから、先に報告すべきだと判断したのだろう。それは逆に、天馬がどこまでも真剣であることを告げている。
 反対するべきだと井川は思った。明確なノーではなくても、考え直すことを告げるべきだとも思った。同性の恋人の存在は、日本では広く受け入れられているとは言い難い。皇天馬の伴侶が男性であることが判明した場合、スポンサーからの契約が解除される可能性も高い。皇天馬の価値を大きく損なる決断だと言わざるを得ないからだ。
 だけれど、自分の反対くらいで揺らぐ天馬であれば、きっとこんなにすぐに報告などしない。恐らく何かを覚悟しているから、井川にこうして交際を告げた。
「――わかりました」
 長い沈黙のあと、井川はひとまずそう言った。ほっとしたような空気を天馬が流したのは、反対を予想していたからだろうか。
 しかし、井川とて納得して「わかりました」と告げたわけではなかった。どちらかと言えばこれは、反対意見を口にして天馬の敵だと思われることをひとまずは避けた方がいい、という判断だ。説得するにも材料をそろえなければならないし、それまでの猶予期間とも言える。
 それに、と井川は思う。一成が何を思って、再び交際を始めたのかはわからない。しかし、一度別れを選んだという事実がある以上、恐らく一成は天馬を取り巻く現状は理解しているはずだ。そんな彼ならば、人生の伴侶に己を選ぶ意味がわからないはずがない。だからいつか別れを切り出す可能性はある、と判断しての「わかりました」でもあったのだ。









 それから、天馬と一成は順調に交際を続けていた。
 井川としては、天馬に申し訳ないと思いつつも本音では早々に別れてくれたほうがありがたいとは思っていたのだけれど、そんな気配は微塵もなかった。誰かに交際を嗅ぎつけられることもなく、二人は順調に交際期間を伸ばしていた。
 何かあったらすぐにでも二人を別れさせなければならない。井川は密かに決意していたし、特に注意していたのは一成のSNSだった。
 なにせ、三好一成という人間はしょっちゅうSNSに何かを投稿している人種なのだ。ほんの少しの気のゆるみで、天馬との交際を連想させる何かをネットに流されてはたまらない。そういう意味で、一成のSNSをチェックするのは井川の仕事の一つになっていたのだけれど、一成は一切そんな素振りは見せなかった。「夏組」としての顔を完璧に保ってSNS上で振る舞う様子からは、本当に恋人同士なのかと疑いたくなるくらいだ。
 もっとも、一成の場合はその「夏組」が大いにカモフラージュになっていたことも間違いない。夏組の仲の良さは周知されているので、万が一二人で出かけても恋人としては認識されないし、天馬の自宅を訪れようとも、「夏組だから」で片が付く。
 実際、天馬の超高級マンションにはコンシェルジェが常駐しているけれど、夏組は頻繁に訪れるのですぐに顔見知りになったくらいだ。一成がしょっちゅう天馬の自宅を訪れようとも、恋人の逢瀬だとは微塵も思わないに違いない。
 だけれど、それだけが理由ではないことも井川はわかっていた。
 井川は自分たちの関係を知っている、ということは天馬から聞いていたのだろう。天馬の交際宣言後に初めて顔を合わせた時、一成は明るい笑顔で「いがっち、オレたち付き合ってるのオッケーって言ってくれてありがとねん!」と言った。
 いえ別に認めたわけではないのですが、と言うのは得策ではないので、曖昧に笑ってごまかしたけれど。そのすぐあとで、天馬が見ていない隙を見計らって一成は口を開いた。
「テンテンには迷惑かけないから大丈夫だよ」
 いつもの彼に似つかわしくないほど静かな声。思わずその顔を見つめると、一成は井川へ視線を返した。落ち着いた、凪のようなまなざしだった。何かを、言わなくては。思うのに、言葉が出てこない。一成はその様子に少しだけ困ったようにほほえんで――それからすぐにぱっと表情を切り替えた。天馬が一成を呼んだからだ。
「どしたの、テンテン!」
 明るい調子でそう言って駆け寄っていく姿は、至っていつもの一成なので、井川は目をまたたかせる。見間違いだったのだろうか、と思ってしまうけれど、そうではないと思い直す。きっとあれは紛れもない本心で、その言葉に嘘がないことを井川は理解している。
 本当は、これまでの一成の言動からわかっていたのだ。だって一成は、いつだって天馬のことを大事にしていた。からかって悪乗りするしふざけたり怒らせたりもするけれど、天馬のためにならないことは絶対にしない人間だと知っていた。だから、天馬に迷惑をかけないと一成が言うならその通りなのだ。
 一成と天馬は、慎重に交際を続けていた。SNSでそういった気配を匂わせることは一切なかったし、みんながそろってのインタビューでもコンビでの取材でも、夏組としての顔をちゃんと保っていた。
 二人の努力を、恋人同士として交際していくために払う犠牲を、期せずして一番近くで見ていたのは井川だった。だから、誰からも交際を嗅ぎつけられることもなく、順調に交際を続けて来られたのは、「夏組だから」という理由だけではないことを、よく知っていた。
 細心の注意を払って、心のままに振る舞うことを良しとしないで。我慢して、カモフラージュして、心の一部を押さえつけて、そういう犠牲の上に二人が共に在るのだと、井川は何よりも理解してしまった。
 それほどまでに二人でいることを望んでいる。これから先も、ずっと共にいたいと願っている。天馬と一成が順調に交際を続ければ続けるほど、互いの想いがどれほどに深く相手に向けられているのかを理解してしまう。
 同時に、それでもいつか、別れてほしいと望んでしまう自分のことも井川はよくわかっていた。
 皇天馬は、今や日本では知らないものなどいないと言っていい存在だ。もはや、天馬の人生は天馬だけのものではない。その人生が丸ごとブランドであり商品であり、井川が守るべきはそういう皇天馬だった。そんな彼が選ぶのは、日本では受け入れられているとは言い難い同性の伴侶であってはならない、というのは当然の結論だった。
 本当なら祝福したかった。二人に対してただ純粋に「おめでとうございます」と言えたらよかった。だけれど、そうするには皇天馬の名前はあまりにも大きくなりすぎていたのだ。

 いつだったか、天馬の自宅を訪れた時のことを、時々井川は思い出す。
 わざわざ玄関まで出て来てもらうのは悪いと思って、事前連絡のあと合鍵を使って部屋に入った。やたらと広い廊下を通って、リビングの扉を開けるとソファには一成が座っていた。そして、その太もも辺りを枕にして眠る天馬の姿が目に入る。
「ごめん、いがっち。テンテン寝ちゃった」
 申し訳なさそうに言う一成は、だから立ち上がることができなかったことを詫びているらしい。それは大したことではなかったので首を振ると、一成はやわらかく笑って言う。
「めっちゃ疲れてたみたいで、膝枕してあげよっか!? って言ったら、最初は断ってたんだけど最終的に寝ちゃったんだよね~。でも何か用事あったんだよね?」
「こちらの修正版台本を天馬くんに渡すだけですので、三好さんからお渡ししていただければ」
「おけまる~! 任せて任せて!」
 明るい調子で一成が請け負う。言動だけ聞いているといささか不安にはなるけれど、こういった頼まれごとはきちんと果たす人間だとわかっているので、特に心配はしていなかった。
 お願いします、と言って台本をテーブルに置く。ちらりと天馬へ視線を向けると、よほど疲れていたのだろう。すっかりと寝入っていて、起きる気配もない。確かに、ここのところまとまった睡眠時間は取れていない。
「明日のお迎えは朝五時でいいんだよねん?」
 当然のように一成は天馬のスケジュールを把握しているし、もはやそれは井川にとって当たり前のことでもあったのでそうだと肯定を返す。一成は、それじゃ一時間前起床で朝ごはんは車内かな~とつぶやいているし、明日の天馬の支度は順調に進むだろう。
 一成は見かけによらずスケジュール管理が得意だし、天馬の世話をすることにも長けていた。部屋は常に快適な室温と湿度に保たれているし、食事にも気を遣ってくれるし、翌日の予定を把握して必要なものをそろえておいてくれる。夏組は比較的誰でもその面が強いけれど、特に一成はその傾向が顕著だ。井川の他に二人いるマネージャーも「正直助かる」と言うくらいは。
「これで失礼しますので、あとはよろしくお願いします」
 お辞儀をしてそう言えば、一成は気安い調子で「りょっす!」と答える。立ち上がれないので見送れないことを詫びるけれど、そこは気にするポイントではないので首を振る。
 そのまま部屋を辞そうとドアのほうへ二歩ほど足を踏み出したところで、明後日の予定について聞いておきたいことを思い出す。振り返って、とりあえず一成に伝言を頼もうと口を開きかけて、井川は唇を閉じた。
 ソファに座る一成は、天馬の寝顔を見つめている。嬉しそうな顔に見えた。この上もないほどの喜びを抱えているように見えた。だけれど、何だか泣き出しそうにも見えた。
 悲しいのではなく、苦しいのではなく、ただあふれだす愛おしさが涙になってこぼれてゆきそうな。言葉ではなく、表情でまとう雰囲気で、ただ真っ直ぐと天馬のことが大切だと全身で叫んでいるような。そんな一成の姿に、井川は何も言えなくなる。
 本当に三好さんは天馬くんのことが好きなんだな、と思った。世界中で一番、誰よりも、天馬くんのことが好きなのだ。
 生半可な気持ちではないことはわかっていたし、恐らくここが天馬の自宅で関係性を知っている井川だけしかいないからこそ浮かべられた表情なのだろう。これが外なら、きっともっと上手く隠す。限られた場所でしか愛を伝えることすらできない。こんなにも、相手のことを大事に大切に思っているのに。
 それを苦しいことだと井川は思う。だけれど同時に、それを望むのが他でもない自分であることも、井川はよくわかっている。
 こんなにも全身で天馬への愛おしさを伝えられる人だ。恐らく天馬も同じ気持ちで一成のことを思っている。同じ想いを分かち合った二人なら、たくさんの祝福を贈られておかしくはないのに、それは叶わない。むしろ、一成の気持ちを知れば知るほどに、井川の胸は苦しくてつぶれそうになる。

 井川は時々、あの日のことを思い出す。それは、一成がどれほどまでに天馬を大切に思っているのか象徴的な光景だったということもあるし、同じくらいに残酷な現実を突きつけた瞬間でもあったからだ。
 なぜなら井川は知っている。一成が天馬を大事に思えば思うほど。その結びつきが強くなればなるほど。皇天馬という存在を守るためなら、この人はいずれ邪魔になってしまう。