彼の話
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撮影が夜からになったのは、どうしても星空のシーンが必要だったからだ。
クライマックスに差し掛かる前の重要な場面であることに加え、自然現象を相手にしての撮影はいつもより気合いが入る。余計な情報を入れることは得策ではないと、天馬のスマートフォンを預かっていたことは僥倖だったと、井川はつくづく思っていた。
現在、天馬は屋外にて撮影の真っ最中だ。カメラが回れば、天馬は他のことを一切気にしないからここまで来れば大丈夫だと判断して、井川はそっと現場を離れる。プロとしての天馬を信頼しているし、今の井川がすべきことは決まっていた。
仕事用スマートフォンを取り出して電話したのは、天馬のもう一人のマネージャーだ。「天馬くんのゴシップ記事が出てます」と慌てて連絡を入れてきた人物で、現在事務所で業務中のはずだった。
その一報が入った時点で、井川は天馬のスマートフォンを預かっていた。だから、天馬にこの情報が入ることはなかった。さらに、これから長丁場が始まるので天馬に知られることなく処置を決める時間が取れたのも幸運だったと言えるだろう。
井川は、事務所のマネージャーにゴシップ記事の詳細と現状の確認を指示していた。今電話をかけたのはその結果を聞くためだ。
仕事用タブレットを操作しながら、電話で語られる内容を聞いておおよその事情を井川は把握する。今回ゴシップ記事を出したのは、聞いたこともない小さな出版社だった。恐らくこれが大手出版社であれば事務所にもそれなりの接触があったはずだ。そんなことは一切なく、何の前触れもなく記事を世に出したのはインパクトを狙ってのことだろう。皇天馬の熱愛記事だけでも大きな騒ぎになるだろうに、その相手がまして同性だなんて。
記事の内容は、天馬と一成の熱愛報道だった。撮られている写真は確かに、二人が抱き合っているように見えなくもないけれど、恐らくこれはそういう風に見える場面を切り取っただけだろうな、ということは井川も理解していた。あの二人がおおっぴらに外で抱き合うとも思えないし、写真からはどちらかといえば驚きの表情が浮かんでいて、二人の間に交わされる熱のようなものは特になかった。
ただ、ゴシップ記事からすれば真偽のほどはどうでもいいのだ。「そういう風に見える」ことが重要で、今回の写真はそれに該当していた。
SNSをはじめとして、ネット上ではそれなりに騒ぎになっていることも確認した。やはり、写真が出回るとどうしても真実のように見えてしまうのだろう。実際一成の家を訪れているのは事実なわけで、完全な嘘ではないからこそなおさら。とはいえ、別に天馬は一成の家だけ訪れているわけではない。免許取得後は、必要な所だけは自分で行けるようになりたい、と懇願されて天馬の実家とMANKAI寮、一人暮らし中の夏組メンバーの家だけは車で行けるように訓練した経緯がある。
ただ、もちろんそんな事情は関係者以外知りようがない。記事の内容だけ見れば、一成との逢瀬のために車を走らせたようにしか見えないだろう。実際その側面を完全に否定できないことは、井川も知っているけれど。
井川は一端電話を切り、関係各所へ連絡を取った。件の出版社がどういった存在なのか、交渉を考慮に入れるべきか、対処方法は。皇天馬のゴシップ記事ともなれば、皇事務所全体にも関わってくる問題だけに、関係者との密な連絡は欠かせない。息つく暇もなく、あらゆる場所へ電話をかけ続けていた井川は、タブレットに入れたメッセージアプリに通知が入っていることに気づいた。電話をかけながら確認すると、事務所に残っているはずのマネージャーからだった。電話に出られないことを察して、こちらに連絡を寄越したのだろう。
内容を確認すると、「三好さんが配信を始めてます」という言葉とともにURLが貼りつけられていた。
ざわり、と井川の胸が騒ぐ。この状況で配信とは一体何をするつもりか。天馬との一件を念頭に置いていることは確実だ。一成は、決して天馬の迷惑になるようなことはしないだろうけれど、皇事務所の方針としては、恐らく静観することになるだろうことがほとんど決定している。下手に騒ぎ立てれば火に油を注ぐという判断だ。しかし、ここで一成が配信を始めることは予想していなかった。内容によっては、静観だけでは済まないかもしれない。
貼りつけられたURLは、すぐに配信ページに飛んだ。見慣れた一成の顔が飛び込んできて、明るい口調で画面の向こうへ語りかけている。その様子を、ただ一心に見つめていた井川は理解する。
一成は、明るい笑顔で記事の内容を否定する。天馬と自分は抱き合ってなんかいないし、ただ転んだ自分を抱きとめてくれたのだと。実際それは嘘ではないのだろうし、恐らく真実なのだと井川は思う。ただ、そうやって記事を否定するのは、同時に天馬と一成の関係を「ただの友達」「仲の良い夏組の一人」という形に押し込めることも意味している。
本当は違うのに。本当は、誰よりも大事な人で、特別なたった一人で、世界で一番大切な人なのに。一成は光り輝くような笑顔で、自分の心をいともたやすく殺してみせる。どうしてなのか。答えは簡単だ。天馬を守るためだ。
この人は、こんな風に天馬くんを守るのだ、と井川はまざまざと思い知らされる。明るい調子で、楽しそうな笑顔で、自分の心をまるでなかったみたいにして。誰にも気づかれないように、笑顔の裏に全てを隠して。天馬の名前に傷がつかないようにと、己の持ちうる全てで天馬を守るのだ。
一成は空気を読むことに長けていて、気遣いも上手い。今回の配信でもそれを遺憾なく発揮し、話の方向を「勘違いでゴシップ記事のネタにされてしまった笑える失敗談」へと導いていた。天馬ファンへのフォローもしっかりしているところが、一成の一成たる所以だろう。
井川は関係者に対して、ゴシップ記事の相手である一成が配信を行っている旨を告げた。記事の内容を否定していることと、フリーで活動しているため迷惑をかけるような関係者が他にいないこと、この辺りの内容から、配信自体にはおおむね肯定的な反応が返る。皇事務所が被る被害はゼロなのだからそれも当然だろう。
とりあえずこのまま配信を見守って、何かあればすぐに連絡を入れるように、という結論が出て電話は終わった。井川はほっと息を吐き出す。このままゴシップ記事が否定されて終われば、二人の関係は夏組であり友人のままだろう。それなら二人に別れを促さなくて済む。
思って、井川は小さく笑った。自嘲の笑みだ。別れてほしいと思っているのに。同じ心で自分は、別れるようにと言わなくていいことに安心している。
しかし、そんな感傷に浸っている暇はなかった。井川はすぐに頭を切り替え、事務所に残っているマネージャーへ電話を掛けた。今しがた決定した内容を伝えるためであり、配信を注意深く監視するよう指示を出さなくてはならない。
事務所のマネージャーはすぐに指示の内容を汲んで「わかりました」と答える。ただ、その声はどこか明るい空気を含んでいる。
『ほとんど夏組の配信になってますし、トレンドもゴシップ記事よりこっちの夏組配信についてのほうが多くなってます』
気づけば一成の配信には天馬以外の夏組がそろっていた。彼らの配信は大きな反響を呼び、MANKAIカンパニーのメンバーが拡散を手伝ったこともあり、懸念事項だったゴシップ記事についての言及はほとんど埋もれているらしい。
『すごいですね夏組って。天馬くんは本当にいい仲間に恵まれてるし、三好さんが配信始めてくれたの、正直ありがたいなって思います』
思わずといった調子でこぼれたのは、配信に対する感想だった。事務所のマネージャーは当然何も知らないから、一成は根も葉もない話を笑い飛ばすために配信を行ったと思っている。実際それが、事情を知らない人間にとっての感想に他ならない。
本当の心は何一つ悟らせないまま、一成をはじめとした夏組は天馬のことを守ったのだと、井川だけは痛いほどに理解していた。
誕生日パーティーが終わってから、天馬の様子がおかしい。
パーティーの前も落ち着きはなかったけれど、それは純粋に楽しみのためだということはわかっていた。しかし、パーティーのあとの天馬は何かを考え込んでいることが増えたし、今までと違ってスマートフォンを肌身離さず持っている。加えて、少しでも時間があれば「ちょっと出てくる」と言って出かけようとする。行き先を知らずに送り出すわけには行かないので、どうにか聞き出せば一成の自宅だと言う。
その辺りで、井川は事情を察した。大体、おかしいと思っていたのだ。以前ならしょっちゅう天馬の自宅を訪れていた一成が一切姿を見せない時点で。
ついにこの時が来たんだな、と井川は思った。ずっと望んでいた。そうしてほしいと願っていた。やはり、三好さんは聡明な人だった。皇天馬を守るための決断ができる人だった。
だからちゃんと、一成は天馬に別れを告げたのだ。
ようやく叶った願いではあるけれど、決してそれは喜びを連れては来なかった。どれほどまでにあの二人が互いを思い合っていたかを知っているからこそ、この結末が残酷なものだと知っている。それでも、皇天馬という存在を――人生が丸ごとブランドであり商品である天馬を守るのが己の仕事だと理解しているから、淡々と受け入れるしかなかった。
ただ、天馬がそう簡単に諦めるわけがないこともわかっていたので、行動には目を光らせているつもりだった。幸いだったのは、どうやら一成が天馬と会うのを拒んでいることだ。皮肉にも、今この時だけは一成と井川の思惑は完全に一致していた。
一成であれば、天馬を相手にしてもきっと上手く対処ができる。だからきっと、時間が解決するはずだと井川は思っていた。実際、天馬は次第に落ち着きを取り戻していて、隙あらば一成の自宅を訪れようとすることもなくなったし、スマートフォンに連絡があるかどうかを逐一気にすることもなくなった。
だから油断していたのだ。二人はもう終わりに向かっている。多少の紆余曲折はあろうとも、その結末は変わらない。あとはもう、きちんと見届けるだけだと。
土曜日だからと言って休みとは限らない。天馬が前からオフにしたいと言っていた日ということもあり、普段はマネージャー業務のために出ることのできない会議を、井川は朝からいくつも詰め込んでいた。
連続した会議にすっかり疲弊しながらも、今日の仕事はおおむね終えていた。あとは事務仕事を残すのみ、となった時間だった。慌てた様子で飛び込んで来たのは、井川の部下でもあり、同じく天馬のマネージャーを務めているうちの一人だった。
「大変です、井川さん! て、天馬くんが突撃取材されてて、今生配信になってます!」
悲鳴のような声に、事務所内の空気が変わる。皇事務所の中で天馬の位置は特別で、それは事務所トップの息子だからというだけではもちろんない。天馬の仕事は多岐に渡るため、マネージメント業務以外の部門でも天馬専用部署が設けられているくらいなのだ。皇事務所のメイン商品とも言える存在が突撃取材されているなど、関係者全員にとって一大事であることは間違いない。
井川は急いで指示を飛ばす。取材相手の特定、現状確認。天馬に連絡は取れるか。今どこにいるのか。世間に流れた情報はどの程度か。その反応は。取るべき対処は、懸念事項は何か。大慌てで全員が各自の仕事に取り掛かる。
「ここ前もゴシップ記事飛ばしたとこだな?」
「皇天馬の記事なら何でもいいってことでしょ」
集められた情報から判明したのは、以前天馬と一成の熱愛記事を出したのと同じ出版社が今回の突撃取材を行っているという事実だった。内容はさらに進んで、結婚間近との報道になっている。
記事に掲載されているのは、MANKAI寮のバルコニーで寄り添うように並ぶ天馬と一成の写真と、アクセサリーショップに通っているという天馬の写真だった。天馬と一成の距離はだいぶ近いし、恋人と言っても差し支えはないかもしれない。MANKAI寮であることから、気が緩んでいたという可能性もある。ただ、夏組としてパーソナルスペースが狭いことも事実なので、この写真だけでは何とも言えない。
もう一枚の写真に関しては、井川もまるで覚えがない。一体この店はどこなのか、本当にアクセサリーショップなのかどうかもわからない。一つだけ確かに言えることは、実際に天馬がこの店に通い詰めてはいたのだろう、ということだ。
井川とて、天馬の休日の行動まで全てを把握しているわけではない。天馬が休みの日に井川が車を出すこともあるけれど、必ずしも井川を頼るとは限らない。だから、どこかの店に通っていたところでそれを知る術はないのだ。ただ、天馬が井川に知られずに行動しているということは、自宅から通える範囲内か、車で行動できるよう訓練した、天馬の実家とMANKAI寮、一人暮らし中の夏組メンバーの家近辺だろう。
突撃取材は、この店から出てくる天馬を待ち構える形で行われている。だから予想の範囲内のどこかに天馬がいるはずだけれど、居場所まではわからない。配信画面からは情報を読み取ることができないのだ。一応電話をかけ続けてはいるものの、天馬が出ることはないし、万一出たところで配信中に居場所を口にすることはできない。やはりGPSを持たせておくべきだったか、と思っている間にもリポーターの質問は続く。
元々不躾な内容だったけれど、質問はさらに下世話なものになっていく。天馬を怒らせることが目的の質問だから、一成との体の相性について言及し、性欲処理のために付き合っているのではないかという言葉が並ぶ。井川は天馬のプロ意識を信頼している。だから、怒鳴ったり怒ったりすることはないと信じているけれど――こんな質問が延々と続いたらどうなってしまうかわからない。
早急に居場所を特定して天馬をあの場所から連れ出さなくては、と周囲に指示を飛ばしたところで、配信画面を見守っていたスタッフが声を上げた。
「あの、三好さんが――天馬くんのところに来ました!」
え、どうして。なんで? 三好さん? 困惑の空気が事務所に流れる。天馬と一成の結婚報道が出ている今姿を現すなど、話題にしてくれと言っているようなものだ。それがわからないはずはないだろうにどうして――と誰もが思っている間に、一成は口を開く。その口調、仕草、そして呼ばれた名前に、事務所内の人間はストリートACTの開始を悟った。
一体どうしてストリートACT、と思いはしたものの、画面の向こうでは順調に芝居が続いていた。三角と椋が登場し、別れ話に発展している恋人同士とその周辺人物による演劇が繰り広げられる。夏組らしいコメディ要素を取り入れながら進むストリートACTを視界に入れながら集まった情報を分析していると、井川のスマートフォンに通知が届いた。
プライベート用のそれに届いたメッセージは一つ。差出人は九門だった。用件は自分たちを迎えにきてほしい、という依頼。
配信の画面から察するに、恐らく天馬のもとには夏組全員が集まっている。今姿の見えない九門と幸もストリートACTに加わるのだろう。そうなれば、いっそう観客が集まることは想像に難くないし、ストリートACTを終えてから解散しようとしても、徒歩で抜け出すのは無理だろう。迎えの車が必要だと判断して、そのために最適な人物として思い浮かんだのが自分だったのだと井川は悟る。
確かに、夏組とは個人的に連絡先を交換しているし、天馬の学生時代はよく夏組をそろって車に乗せていた。どこかへ行くのなら、天馬と一緒にまとめて送り迎えするのが一番効率的だったし、遠足へ行くような素振りでワイワイと騒ぐ夏組の送り迎えが、井川は案外好きだった。
「――今、夏組から連絡がありました。場所はMANKAI寮近くのアクセサリーショップ前。これから迎えに行ってきます!」
それだけ叫ぶと、井川は社用車の鍵を掴んで駐車場へ走った。最近ではあまり使わなくなったミニバンに乗りこみ、エンジンを掛ける。本当なら自分が行く必要はないのかもしれない。他の誰かに任せてしまえば、迎えの車を手配すればいいのかもしれない。
それでも、井川は自分が行かなければならないのだと思った。彼らが自分を呼んだのなら。長い間、そばで見守ってきた彼らを迎えに行くなら。その役目はきっと自分が果たすものなのだ。
目的地はすぐにわかった。商店街の裏通りにぎっしりと人が詰まっているのだから、遠目で見てもわかる。
どうやって近づけばいいのか――と思っていると、なぜなのか交通整理をしていた臣が、井川の車に気づいて先導してくれる。おかげで、夏組から見える位置に駐車することができた。
どうやら移動中にストリートACTは終わったようで、夏組は何やら挨拶をしている。遠くにその様子を眺めながら、井川はスマートフォンを取り出して九門へ到着した旨メッセージを送る。数秒後、九門が顔を上げて辺りを見渡して、井川の車を発見したようだ。他の夏組も気づいたらしい。
あとは、頃合いを見計らって車まで来てくれるだろう。井川はその間に、いつも皇事務所が利用しているホテルに電話をかけて部屋をリザーブする。この状態では寮に帰るのは難しいという判断だ。ご用達ということもあり、手続きはすぐに終わる。
ちらり、と夏組へ視線を向けると六人がそろって頭を下げている。周りからは絶え間なく拍手が続いているようで、中々終わりそうになかった。このままでは恐らくキリがないだろうと判断した井川は、不躾だと思いながらもクラクションを鳴らす。こちらの意図に気づいたようで、夏組は次々に頭を上げると人混みを抜けて走り出す。崩れた人垣のうち、いくらかがバラバラとあとを追おうとするような素振りを見せたけれど、向かう先が車だと気づくと諦めたようだ。
最初に乗りこんできたのは三角で最後部列に座る。九門もあとに続き、幸は助手席に座った。井川に向かって「ありがと」と言うので、「いえ」と首を振った。その次に乗りこんできた椋は最後部席、少しの間を置いて乗りこんできた天馬は中央列に座った。井川は思わず口を開く。
「――天馬くん」
言いたいことは色々あった。ただ、この場でどこまで言っていいものか、というためらいもあって種々の感情が混じった声で名前を呼ぶだけにとどめた。恐らく天馬はそれだけで、複雑な井川の心情を察したのだろう。
バツが悪そうな顔で感謝と謝罪を口にしたあと、「詳しいことはあとで説明する」と告げられる。この場所では話せない、という意図を汲んだ井川はひとまず「わかりました」と答える。行動に気をつけるよう釘を刺すことは忘れずに。
それから一成が乗りこんできて天馬の隣に座ったことを確認して、井川は車を発進させた。目的地はリザーブしたホテルだ。その説明はしていないけれど、ホテルに着いてから伝えればいいだろうと判断した。今はまず、ここを離れたほうがいい。
車内の夏組は、ストリートACTの興奮が冷めないようでさっきまでの芝居についてあれこれと意見を交わしている。おかげで、最後のほうを見ていない井川にもおおよその全貌はつかめた。ただ、最後の部分の言及で井川は自分の耳を疑った。キス? 誰と誰が?
慎重に運転を続けながらも若干混乱していると、どうやら天馬が一成にキスをしたらしいことを察した。多くの人の目がある中で。天馬が一成にキスを。夏組の反応から見てひどい結果にはなっていないということは推測できるけれど、それにしたって男同士のキスシーンが受け入れられたかは不明だ。ただでさえ、天馬のゴシップ記事が発端になっているからこそ。内心でハラハラしていると、後ろから天馬の声が響いた。強く、何かとても明るい声をして。
「なあ、一成。誰もオレたちを非難しなかっただろ」
その言葉に、井川は悟る。恐らく天馬は、明確な意図を持って一成へキスをした。そうだ、皇天馬が単なる衝動で芝居に臨むわけがない。
続いた言葉は他の夏組のもので、何も言わない一成にネット上での反応を教えているらしい。誰も罵倒なんかしていない。男同士のキスシーンだったとしても嫌悪の言葉ではなく、称賛の言葉が並んでいると告げている。井川は実際にSNSやWebを確認したわけではないから、それが嘘だとしてもわからない。だけれどきっと、夏組の言葉に嘘はないだろうと思えた。もしもひどい言葉を投げかけられていたら、存在丸ごと否定されていたら、車内の雰囲気はもっと陰鬱になっている。
天馬はそれらの言葉を聞いてから、一成に声をかけた。堂々とした物言いで、勝ち誇ったような声で。
「何一つ隠し事なんてしてない。皇天馬は正々堂々と三好一成にキスをしたんだ。それでも――オレたちはちゃんと祝福されてる」
ハンドルを握る井川は悟る。これが天馬の覚悟か、と。勝ち気で負けず嫌いなところのある天馬は、ある意味で自分を取り巻く全てに喧嘩を売ったのだ。
今までの天馬と一成は、二人の間に育まれた愛情をずっと隠してきた。見つかったらスキャンダルになるからと、我慢して心を押し殺してきた。だけれど今回のストリートACTで、天馬は堂々と一成にキスをした。その結果はどうだ。返ってきたのは罵倒でもなければ嫌悪でもなく、称賛であり肯定だ。天馬は己の持つ全てで――今まで培ってきた演技力の全てで二人のキスを美しいものにしてみせた。これまで歩んで身につけた自分自身の力で、取り巻く全てを黙らせた。
どうしてそんなことをしたのか。答えは簡単だ。一成のためだ。
一成が聡明な人間であると井川は知っている。だから、男同士で人生を歩むとしたならついて回る嫌悪や非難、拒絶や否定を想定しないはずがない。それに臆することも、怯えることも当然天馬は理解しているだろう。
だからきっと、自分の人生の全てを賭けて一成に伝えたかったのだ。罵倒なんかされない。非難の言葉も拒絶もない。大丈夫だと、間違っていないと、二人の関係は許されていると。自分の人生の全部で伝えると、天馬は決めたのだ。
それから一成は、ぽつりと言葉を落とす。震えるようなその声は、天馬の心を余すところなく受け取ったのだと伝えていた。
頃合いを見計らって、井川は車中の夏組にホテルへ向かっていることを告げた。
監督とも連絡はついていたのでMANKAI寮の状況もよくわかっている。このまま寮へ帰るのが得策ではないことはすぐに理解して、夏組は井川の言葉を素直に受け取った。
「助かった、井川。勝手なことをして悪かったと思ってる。必ず、あとできちんと説明する」
チェックインなど諸々の手続きを済ませて、ルームキーを渡すと天馬が真剣な顔でそう言うので、井川は「よろしくお願いします」と返す。天馬がそう言うならば、確かに話してくれるのだろう。
「ちなみに天馬くん、車も回収しておきますので鍵をお預かりしてもいいですか」
件のアクセサリーショップまでの足は天馬の自家用車だと踏んでいた。案の定、天馬は一瞬驚いたような顔をしたものの、ポケットから車の鍵を取り出す。
「悪い。井川には本当世話になるな……」
心底申し訳なさそうな顔をしたあと、天馬は近くのパーキングに駐車している旨を告げる。天馬はあまり気にしていないようだけれど、事務所的にも天馬の車を一晩放置するのはいただけない。自宅の駐車場まで持っていくのは仕事の内だ。
井川は「大したことではありませんから」と首を振って、その場を離れようとしたのだけれど。その前に夏組がやってくる。
「てか、いがっち、マジでありがとねん!」
開口一番言ったのは一成である。続いて、口々に「迎えにきてくれてあざっす!」「あの、ホテルの手配まですみません」「ここまで送ってくれたし、ありがと」「いっぱいありがとう。サンカクあげる~」と言って五人が深々頭を下げる。天馬も「本当に助かった。ありがとう」と言って同じように頭を下げるので。
井川の唇には思わず笑みが浮かんだ。何だかその様子はひどく懐かしくて、出会ったころの六人を思い出したからだ。
今や夏組は全員立派な大人で、それぞれの道を歩んでいる。自分のことは自分でできるし、大人の分別だって手に入れている。それでも、井川は天馬と一緒に時間を過ごした夏組のことをよく知っていた。
年相応に笑って、時々それよりもっと子どもっぽく、無邪気に走り回って遊んでいた。一生懸命背伸びしていたこと、広がる未来に立ちすくんでも、隣に立って手をつないできたこと。
天馬がMANKAIカンパニーに所属して、夏組と関わりを持った。そこで井川は、期せずして天馬と共に成長していく夏組の軌跡を知ることになったのだ。その道の先に今があり、目の前の六人につながっている。彼らが彼らでなければ、夏組がこの六人でなければ、きっと今の姿にはなりえなかった。
その事実に、井川は思った。ただ素直に、ずっと前からそこにあったものにようやく気づいたように、思った。この人たちがいなければ、きっともう皇天馬は皇天馬ではなくなってしまうのだ。
「夏組のみなさんの無事を確保しないと、天馬くんが安心できませんからね」
心から思って、そう言った。天馬とてプロなので、何があってもきちんと演技をすることはできるはずだ。それでも、もしも彼らに何かがあれば、天馬に影響があることは確実なのだから、それを避けるのはマネージャーとして当然の仕事でもあるし、純粋に天馬の大事にしたいものならきちんと大事にしたかった。
井川の言葉に、夏組の面々は頭を上げる。それを確認した井川は頭を切り替えて、「また明日迎えにきます」と六人へ告げてその場を辞した。ひとまず夏組の無事は確保できた。事務所に詳細は連絡済みだ。しかし、今回の件の余波はまだ残っているし、その全てがプラスのものではない。やるべきことはまだ山積みなのだ。
井川は自分の仕事を知っている。皇天馬という存在を――人生が丸ごとブランドであり商品である天馬を守ることだ。だから、邪魔になるものは遠ざけてマイナスを呼ぶものは排除しなくてはならない。
だけれど、きっと、彼の人生を商品にするのならば。彼の人生を守ることだって自分の役目なのだ。彼が彼として生きるのに必要な相手を守り、皇天馬の人生を損なうことなく共に歩いて行けるよう、手を尽くすのだ。