ラブレターフロム




【天馬の母親視点】


 事務所の応接室で対面した時の、ひどく緊張した顔を覚えている。



 時間を見つけて、急きょ日本へ帰ってきた。とはいっても、次のスケジュールは決まっているのであまり長くはいられない。わかっていたけれど帰ってきたのは、ただ一つの目的のためだった。

「突然お呼び立てして、ごめんなさいね」

 我ながら不躾だった自覚はある。それなのに、こうして事務所まで足を運んでくれた、という事実をありがたく思っていたし、申し訳ないと感じていた。
 心から非礼を詫びれば、「時間の都合ならつくので大丈夫です」と返ってくる。むしろ、私の予定のことを心配してくれるものだから、息子の言葉を心から実感することになる。――ああ見えて、一成はかなり気を遣うタイプだ。
 本当にその通りの人なのね、と思いながらもう一度謝罪を口にして、気遣いへの感謝も添えた。それから、立ったままだったことに気づいて席へ着くようにすすめれば、恐縮したように皮張りのソファに腰掛ける。私も向かいの席に座って、緊張した面差しを見つめてから、そっと口を開く。

「今日は本当にありがとう。どうしてもあなたに会いたかったものだから」

 そう告げると、目の前の彼――三好一成さんはこちらへ視線を向ける。緑色の瞳が不安げに揺れていて、記憶の姿とは上手く重ならなかった。
 なにせ、私が知っているのは大きな口を開けて楽しそうに笑う姿だとか、舞台上の真剣な様子だとか、そういうものだから。
 こんな風に、まるで断罪されるのを待つような、そんな顔は記憶になかった。もっとも、理由はよくわかっている。

「本来なら天馬もここへ呼ぶべきなんだけれど、都合がつかないみたいね。ロケに行っているとか」

 おだやかに言えば、三好さんは口元に笑みを浮かべる。ぎこちなさはぬぐい切れないものの、無理に浮かんだ笑みというわけでもない。天馬、という名前に安心したのかしら、と思う。そうだったらいいんだけれど。

「離島での映画撮影だって聞いてます。フェリーは一日二便だけで、今日の最終便はもう出たあとみたいです」

 控えめながら、しっかりとした口調だった。私は「そうなのね」と相槌を打ってから、思わず感想を漏らした。

「三好さんにはちゃんと伝えているのね。あの子、私にも主人も詳しいことは言わないものだから……」
「たぶん、オレがいろいろ聞いちゃうタイプだから、先に教えてくれてるのかも」

 軽口めいた響きで、あくまで自分が強引に話を聞く人間だからだ、と言い添える。話をしないのが基本で、私たちにだけ詳細を語らないのではない、というフォローであることはわかる。
 こういった細やかな気遣いができる人間だ、とあの子はよく言っていた。なぜか自分のことのように誇らしげで、本当に友達のことが好きなのね、と思っていたのだけれど。「好き」の意味が少し違っていたことを知らされた日のことを思い出しながら、私は言った。

「そうね。天馬は詳しい話をあんまり言わない子だから……いきなり『一成と結婚する』と言われた時も驚いたわ」

 今日の本題を告げれば、三好さんはぎゅっと唇を結んだ。これから一体何を言われるのか、と身構えていることはわかった。まるで断罪の瞬間を待つ囚人のようで、私は急いで言葉を続けた。

「違うのよ、三好さん。あなたを非難するとか、二人のことを認めないとか、そういう話じゃないの。そもそも、天馬は一度決めたら引かない人間でしょう。あなたと結婚すると決めたら、そうするに違いないわ。そう思わない?」

 水を向ければ、三好さんは緊張したままの面持ちではあるものの、うなずいてくれた。天馬の近くにずっといたのなら、身に染みて感じているのだろう。私は笑みを浮かべて「そうでしょう」と答えた。

「だから、いきなり『結婚する』なのよね、あの子は。『結婚を考えてる相手がいる』とか『結婚を許してほしい』とかじゃなくて、『結婚する』なの。決定事項なのよ」

 そういうところは、本当にうちの人によく似ている。本人たちは不服そうだけれど、よく似た親子なのだ。
 三好さんは、にじみだすような笑みをそっとのぼらせる。天馬と過ごした時間を思い出しているのかもしれない。

「いきなり電話が来たと思ったら、近況報告の最後に『結婚する』ですもの。あとで井川から詳細は送る、とは言われてもさすがに驚いてしまったわ」

 呆気に取られて固まっていたら、天馬は電話口で淡々と言っていた。
 相手は母さんも知ってるだろ。夏組の三好一成だ。プロポーズしてちゃんとオッケーはもらってる。今後についての方針だとかは追って井川から詳細を送る。質問はその時にしてくれ。
 事実だけを並べるような口調は、いっそ事務的とも言えた。だけれど、奥底に宿るのは揺るぎのない意志だということはわかった。自分が選ぶものを、進むべき道をしかと思い定めた声をしていた。

「冗談でそういうことを言う子ではないし、天馬が本気だということはよくわかったの。その後、井川から詳しい話も聞いて、本当にあなたと生きていくつもりなのね、ということも納得したわ」

 天馬の言葉通り、電話のあとで井川から詳しい報告を受けた。主人にも天馬は報告していたようで、井川からの説明は二人そろってのものになる。拠点が違うのでWebを通してのものになったけれど、井川はこういったことにもよく慣れていた。
 もともと、天馬のスキャンダルのことは耳に入っていた。事務所の看板でもあるから、ということはもちろん、息子のことなので適宜情報は入るようにしていたのだ。
 だから、三好さんとの熱愛報道もそこからの夏組によるストリートACTについても、当然把握している。井川は、その辺りも含めて詳細を説明してくれたのだ。
 表向きは、夏組全員集合公演のサプライズ告知ということになっている。だけれど実際は、スキャンダル内容は事実であり、天馬と三好さんは紛れもなく恋人同士であること。これから先の人生を共に歩むと決意していること。
 井川は淡々としてはいたけれど、強い響きで切々と訴えた。
 天馬にとって夏組との出会いがどれほど意味のあるものか。三好さんが、天馬のことを心から大切にしていること。天馬にとっての三好さんの存在の大きさ。二人が共に歩むことは、自分自身を生きることと同義なのだと。客観的事実に、彼なりの信念を添えて伝えられた言葉は、どこまでも真剣だった。
 思い出すのは、電話口の天馬だった。説明をする井川のように淡々として、だけれど真摯な響きで言っていた。当たり前の事実を語る口調で。
 ――オレは一成が好きなんだ。オレの人生には一成が必要で、一成の人生にはオレが必要だ。だから、二人で生きていくって決めたんだ。
 天馬の言葉を裏付けるように、井川は言うのだ。天馬と長い間一緒に時間を過ごして、仕事はもちろんプライベートだって見守っていてくれた彼が、確信を持って。天馬と三好さんが共に在ることは、天馬が天馬であるための答えなのだと。

「ただ、スキャンダルについての対処には不安があったの。上手く誤魔化せたとは言っても、それはたまたま今回だけのことでしょう。でも、その辺りは井川と詳細を詰めていたみたいね」

 その上での私たちへの説明でもあったし、事務所としての対応を協議したいのだということも察した。むしろ、天馬からすれば私たちへの説明は「親として」というより、「事務所の経営者として」の側面が強いようだった。
 その辺りがしっかりしているのは、さすがと言うべきなのか、やっぱり主人に似ているわね、と感心してしまったくらいだ。
 しみじみと当時のことを思い出していると、三好さんは何だか戸惑うような表情を浮かべている。相槌を打ってはくれているけれど、困惑していることはうかがえた。

「ごめんなさいね、私ばかり話してしまって。今日あなたと話をしたかったのは、天馬のことを聞きたかっただけなの」

 そう前置きをしてから、私はゆっくり言葉を続けた。緊張した面持ちの、私を真っ直ぐ見つめる息子の大事な人に向けて。

「咎められるだとか、反対されるだとか、思っていたんじゃないかしら。でも、そんなことはしないから安心してほしいわ」

 そう言って、意識して笑みを浮かべる。演技をしているわけではなかった。私は私自身の意志で自在に表情を作ることができる。だから、この笑みは三好さんに安心してほしい、という私の願いを形にしたものだ。
 三好さんは私の意志を受け取ってくれたようで、「ありがとうございます」と答える。静かな声ではあるけれど、凛とした気配を漂わせていた。

「そう言ってもらえると、とても嬉しいです。テンテン……天馬さんが選んだのが、同性の男なんて、受け入れられなくても仕方がないから」

 真っ直ぐ私を見つめて告げられた言葉は、ささやかではあるものの、はっきりとしていた。強い決意を宿す声。私は思わず小さな笑みを刻んで、言葉を返す。

「あら、いつも通りの呼び名で構わないわ。あの子ね、あなたにつけてもらったあだ名が嬉しくて仕方ないのよ。『変な呼び方するな』なんて言っていたけれど」

 MANKAIカンパニーに所属して、夏組の話を聞くようになった。その中で、三好さんに「テンテン」と呼ばれていることを知った。天馬本人は文句めいたことを言っていたけれど、今まであだ名をつけられたことがなかったから、密かに喜んでいることは傍から見ていてよくわかった。
 三好さんは私の言葉に、照れたように笑った。恐らく、天馬がそう思っていることは知っているのだと思う。それを伝えられた時のことを思い出したのかもしれない。くすぐったそうな表情で「オレも、テンテンって呼べるのが嬉しいです」と答える。
 こくりとうなずけば、三好さんは私の提案を受け入れることに決めたらしい。「テンテンって呼び方のほうが慣れてるし、オレらしいかも」と言う。それから、少しだけ沈黙を流したあと、ゆっくりと息を吐き出す。一度深呼吸をしてから、落ち着いた声で言葉を紡ぐ。

「非難されても反対されても、全ては受け止めるつもりでした。テンテンは、お二人にとって大事な一人息子です。それに、日本どころか世界中で活躍する人です。オレを選んで、道が陰ってしまうと言われたら、オレは反論できません。オレの存在はスキャンダルになってしまうから」

 三好さんの言葉を、私は静かに聞いている。
 幸いなことに天馬は、皇事務所の看板を背負う存在へと成長した。本人の努力は当然として、運にも恵まれた結果だろう。そんな天馬にとって、結婚の話題はセンシティブなものだ。
 名前と顔が売れていれば、それに比例するように外からの声も大きくなる。取り扱い方によってはスキャンダルになることは、自身が芸能活動をしていることもあり、三好さんもよくわかっているのだろう。

「そうね。驚いたというのが本当のところだし、反対するという選択肢がなかったわけではないわ」

 素直に答えると、三好さんの瞳が揺らぐ。だけれど、決して目を逸らすことはしなかった。たとえ何を言われても受け止めるのだと、決意しているのだ。だから、私は隠すことなく伝えようと思う。

「芸能人の結婚というのは、どうしてもセンセーショナルになってしまうわね。主人と結婚した時も、周囲は祝福の言葉をくれたけれどもちろん全ての人が歓迎してくれたわけではなかった。ファンを止めるという人もいたし、口さがない言葉もたくさん聞いたわ」

 過激な中傷や根も葉もない噂も、ずいぶん流された。表には出さないものの、精神的にも身体的にもまいってしまった。ただ、主人をはじめとして周囲には味方もいてくれたので、酷い事態にはならなくて済んだ。
 何より、私には芝居の道があった。作品世界に没頭して、役の人生を生き続けている内に、周囲の評価はあくまでも女優としての私へと収斂していったのだ。

「最近では、芸能人の結婚もそこまでタブー視はされなくなったみたいね。むしろ、肯定的に迎え入れられる雰囲気もあって、喜ばしいことだわ。でも、それはまだ異性に限ってのことでしょうね」

 昔に比べて、芸能人とそれ以外の距離は格段に近くなった。だからこそ、友人のような気軽さで結婚の話題も受け入れてくれる向きが増えたと思う。ただ、それはあくまでも異性の場合だ。
 恐らく、芸能人の女性や一般女性が相手であれば、天馬の結婚も比較的スムーズに受け止められる。事務所としても公表するタイミングなどは考慮するとしても、公にすることに異論はない。

「同性同士で人生を共にすることは、今でもまだずいぶんと制約が多いわ。まして、芸能人ともなれば、スキャンダルとして広まる可能性のほうが高い。だから、反対することももちろん考えたのよ」

 私の言葉を、三好さんは黙って聞いている。恐らく、三好さんは私が考えている何倍も、自分たちの関係が世間に伝わった場合に起きる事態をシミュレートしているはずだ。
 そういうことができる人だ、と天馬に聞いていたということもあるし、これまで交わした会話から察してもいた。彼は頭の回転が速く、聡明な人だ。だからこそ、諸手を挙げて賛成される事態ではないことも理解している。
 二人の関係が公になったら、祝福してくれる人はいるだろう。二人には心強い味方もいてくれる。だけれど、世間の声はどうだろう。
 同性同士で人生を歩むことに理解は広まっているとは言え、一般的ではない。まだ抵抗を覚える人は多いだろうし、マイナス感情を抱かれることは想像に難くない。
 ただでさえ、芸能人であるという特殊性が前提にあるのだ。加えて、同性を選んだともなれば、どんな声が渦巻くかは想像できる。
 今までの名声があるからこそ、反転するように謂われのない言葉を投げつけられるだろう。それは、皇天馬という名前につく傷であり、これから歩く道に立ちはだかる大きな壁かもしれない。

「でも、天馬が決めたことですもの。一度決めたら引かない、ということもあるけれど――私たちは、天馬の決めたことなら尊重すると決めているの」

 緑色の瞳を真っ直ぐ見つめて、私は告げた。それは、私たち夫婦が交わした取り決めだ。三好さんは、静かな瞳で私を見返して真意を汲み取ろうとしてくれている。

「あの子には、ほとんど親らしいことはしてあげられなかったわ。できる限りのことはしたつもりだったけれど、どうしても時間を取ることができなくて。それなのに、素直に育ってくれたのは周りの人たちのおかげね」

 天馬のことはかわいかったし、何もかもを他人任せにするつもりはなかったから、自分たちなりに精一杯に天馬を育てたつもりだった。ただ、一般的な親に比べて一緒にいられる時間が少なかったのは紛れもない事実だ。
 後悔のにじんだ言葉を、三好さんは拾いあげて首を振る。

「そんなことありません。確かに親子の時間は少なかったって言ってたけど、二人のことを尊敬しているのは近くで見ていたからよくわかります。出演作は必ず見ているし、ちょっとした思い出話を話すテンテンは本当に嬉しそうです。短い時間だって、その時間の全部で大切にされていたんだって、よくわかってるって何度も言ってました」

 天馬と交わした言葉のかけらを、三好さんは丁寧に告げる。天馬は言っていたのだという。

 確かに、普通の親子のような時間はあまりなかったけど、持ってる時間をみんなオレに使ってくれた。一緒に映画を見たり食事したり、真剣に演技に応えてくれるのが嬉しかった。何より、二人の出ている作品を見ると、これがオレの両親だって誇らしかったんだ。

 天馬の言葉が胸に響く。直接言われたわけではないけれど、天馬ならきっとそう言ってくれるだろうと思った。
 顔を合わせる時間も少なくて、親子らしい触れ合いがほとんどないこともあった。だけれど、そんな時も天馬は出演作を何度も見返して、作品を通して私たちのことを深く理解していた。
 恐らく、これはとても特殊な形なのだけれど。私たちは、自分の言葉で語るよりも芝居を通した時のほうが、自分自身をありのままに届けることができる。それは、天馬の芝居を通じて感じたことでもある。

「そんな風に言ってもらえるのは、あの子がMANKAIカンパニーのみなさんに出会ったからでしょうね」

 心から思って、そう言った。三好さんは、静かな瞳のまま私の言葉に耳を傾けてくれている。
 天馬は純粋な性格で、何事にも誠実に取り組む。ただ、同年代と接する機会が少なかったせいなのか、素直に自分をさらけ出すのが苦手だった。
 それは理解していたけれど、どう対応すればいいのかわからないままだった。そんな中、天馬が突然決めたのがMANKAIカンパニーへの入団だった。
 私たちに一切の相談がなかったことは、天馬らしいとは言えたのだけれど。映画出演オファーを勝手に断ったことに端を発して、あらためて真正面からぶつかり合う事態になったのだ。
 結果として、主人も私も天馬の舞台での様子を見て、この子の居場所はここなのだ、と確信するに至った。だから、それからはカンパニーで過ごす天馬を見守ってきた。

「カンパニーに所属しなければ、私たちとの関係性も今ほど良くなかったと思うわ。一度ぶつかって本音を言えたからこそ、今の天馬は素直に私たちのことを認めてくれたんでしょう」

 いずれ今のような関係性に落ち着く日は、来たかもしれない。ただ、ずいぶんな遠回りをする可能性はあった。
 MANKAIカンパニーに所属して、天馬の舞台を見られたおかげで、比較的早いうちに関係性を見直すことができたのは幸いだったのだろう。

「それに、カンパニーや夏組のみなさんと出会っていなければ、もっとひねくれたままだったと思うわ。素直に自分の思ったことを言えるようになったのは、みなさんのおかげね」

 カンパニーに入る前から、天馬は役者としてのキャリアはずいぶん積んでいた。ただ、年齢のわりに子供っぽいところがあって、自分の考えに固執することもたびたびあった。
 あのままではいずれ行き詰まるのでは、という危惧はあったのだけれど、カンパニーの入団は天馬をずいぶん変えた。
 その最たる理由が、夏組の存在であることはよくわかっていた。
 同年代との関わりが極端に少なくて、友達らしい友達を持たなかった。くだらない話で笑い合うことも、馬鹿みたいにはしゃぎまわることもなく、一人で道を歩き続けた。
 だけれど、そんな天馬の隣に立ってくれたのが夏組だった。
 肩を並べて、同じものを見て、ときどき寄り道をして、思いがけない場所まで手を引いて連れ出して、全員で一緒に笑い合う。そんな彼らがいたからこそ、天馬は今の天馬になったのだろう。大事だと思うことや、誇らしいと感じたものを、隠すことなく口にできるような。

「あの子が選んだものは、こんなに意味があるものだったのね、と何度も思ったわ」

 ゆっくりと言葉を口にする。真剣なまなざしで、一つだって言葉を聞き漏らすまいとしてくれる三好さんへ、丁寧に告げるように。
 何一つ知らされなかった選択だった。恐らく、事前に劇団に入りたいと聞かされていたら、私も主人も知っている中からこれはと思う劇団を薦めたと思う。そこにMANKAIカンパニーが入っていなかったことは確実だ。
 私たちの選択の中に、MANKAIカンパニーはない。だから、あの出会いは天馬が自分で見つけて、自分で選んだ、他でもない皇天馬自身の選択によってなされたものだ。それがもたらした結果を私たちは知っている。

「天馬はもう、自分で何もかもを決められるのだと、あの日以来私も主人も思っているの。天馬の見る目の確かさは、今日までが充分答えになっているでしょう?」

 ほほえみを刻んで問いかければ、三好さんは少しだけ沈黙流してから「はい」とうなずいてくれた。天馬の選択の結果をよく知っているのは、三好さんも同じだろうから。
 もちろん、そこには運だとかタイミングとかも関わっているから、全てが天馬の力ではない。だけれど、それすら含めて天馬の見る目は正しかったのだと思う。MANKAIカンパニーに入団してからの十年が、何よりも大きな答えだ。
 あの日から過ごした時間が、天馬にどれほどの恵みをもたらしたか。掛け替えのない仲間を、大切な日々を、言葉ではとうてい言い表せないほどのものを、天馬はしかと受け取った。
 だから、私たちはただ決めたのだ。天馬が選んだ答えなら、信じて背中を押してやろうと。

「さすがに、法律に触れることだとか倫理にもとる行為だとかは止めるけれど――。結婚相手として三好さんを選ぶ、という点に関しては、なかなか見る目があると思うわ」

 これは井川にも言われたことなのだけれど、それがなくても事実として思っていた。
 天馬が入団して以降、MANKAIカンパニーのみなさんと親交を持つ機会が増えた。中でも一番は夏組だったし、特に三好さんは屈託ない笑顔で話しかけてきて、天馬のこともあれこれと教えてくれた。
 最初は元気な人ね、と思ったのだ。
 大きな声でよく笑って、明るい口調で冗談を交えながらあれこれと話す。どこにいてもにぎやかな声が聞こえてくるし、三好さんが中心にいればいつだってそこはぱっと華やぐようだった。
 ただ、彼の演技を舞台で見ていくにつれて、印象は少しずつ変わっていった。
 演技力としては発展途上だけれど、その場の空気を読むことに長けていて、柔軟な対応ができる。周りをよく見ていて、頭の回転も速い。臨機応変に演技を変えることができるのは、役者として武器になる能力だ。
 加えて、天馬から夏組の話を聞いているうちに、どうやら彼自身が気遣いの上手な人間であることに気づいた。
 普段の明るさが嘘というわけではないけれど、その明るさに至って自然な気配りを混ぜ込ませることができる。自身の心を差し出すことも厭わない人なのだろう、と思った。
 天馬もその恩恵にあずかっていることは、すぐに理解した。
 本人に自覚があるのかないのか、「一成が言ってた」やら「一成が教えてくれた」やら「一成にもらった」やら、その名前を聞く頻度が増えれば、一緒にいる時間が少なくてもさすがに察したのだ。
 三好さんは、天馬のことを気にかけていてくれるのね、と感謝の気持ちを抱くのも当然だろう。

「天馬は一度決めたら引かない頑固なところがあるでしょう。三好さんのように、柔軟な考えのできる人が隣にいてくれると心強いわ。それに、三好さんといる時、天馬はとても楽しそうだもの」

 天馬の知らないものを、三好さんはいくつも教えてくれたのだろう。その度天馬は興味深そうな顔をしていたし、楽し気に笑っていた。
 そんな風に、新しいものを分かち合える人が天馬と歩いてくれるのは、何よりも心強いと思った。

「だから、三好さんが相手であることに驚きはしたけれど、反対するつもりはないのよ。ただ、事務所的には公表を控えることになると思うし、いろいろと我慢はさせてしまうかもしれない。それについては、申し訳ないと思っているわ」

 私の言葉に、三好さんは大きく首を振った。とんでもない、という顔をしていて「オレはそんなたいそうな人間じゃないです」なんて言うので。私はちょっとした悪戯心で口を開いた。

「あら。天馬が聞いたら、『オレが選んだんだぞ、もっと胸張ってろ』なんて言うと思うわ」
「それはめちゃくちゃ言いそう……」

 真顔で答えられたので、思わず笑ってしまう。最近はずいぶん大人になったけれど、自分の価値基準が第一のところは揺るぎないらしい。相変わらずね、と思うのと同時に少し不安になって三好さんに尋ねてみる。

「むしろ、三好さんは天馬でいいのかしら。あの子、今ではそうでもないけれど、ときどき自分が絶対だと思っているところはあるでしょう。自信があるのはいいことだけれど」

 三好さんは気遣いのできる人間だから、恐らくそんな天馬をフォローしてくれる。ただ、それが三好さんだけに負担を強いるものではいけない。

「三好さんは無理をしていないかしら。ちゃんと上手くやれている? いくら素直になったとは言え、あの子あまり自分の気持ちを口にするタイプにも思えないし……」

 二人のことを信じていないわけじゃないんだけれど、と言い添えて私の心配を吐露した。
 というのは、最初に話を聞いた時から思っていたのだ。三好さんと天馬はちゃんと上手くやれているのかどうか、と。
 上辺だけの付き合いだとか、無理矢理関係をつなげているだとか、思っているわけではないけれど。
 天馬はあまり素直に自分の気持ちを告げるとは思えないし、三好さんだけがフォローに回っているだとか、関係性が不均衡になっているのではないかと心配だった。
 三好さんは私の言葉に、大きな目を何度もまたたかせた。思ってもみないことを聞かれた、という様子で、ぽかん、と私を見つめていたのだけれど。
 しばらくしてから、勢いよく首を振った。そのまま取れてどこかへ飛んで行ってしまうんじゃないかしら、と心配になるくらいの勢い。

「大丈夫です! オレ、テンテンのこと大好きだし、テンテンもめっちゃオレのこと大切にしてくれてます!」

 力強く言い切った三好さんは、真剣な表情をしていた。誤解されてはたまらない、といった様子で言葉を並べる。熱っぽくて、気圧されるような空気で。

「テンテン、めっちゃカッコイイから見てるだけでも毎回胸きゅんだし、隠れていっぱい写真撮ってるし、テンテンの顔見てるとそれだけで疲れてるのとかも全部吹っ飛んじゃうし!」

 三好さんは、天馬の顔が整っているだとか、しっかり筋肉のついた体は惚れ惚れするだとか、ことさらに誉めそやす。テンテンの遺伝子に何回感謝したかわかんないから、本当にありがとうございます、という言葉は真顔だった。

「テンテンがめっちゃカッコイイから好きっていうのは当然だけど、もちろんそれだけじゃなくて。テンテンは、オレにとってめちゃくちゃ大切な人です」

 声のトーンを少し落とした三好さんは、照れた様子で言った。大好きな人はたくさんいるけど、テンテンは他の誰とも違ってて。オレの特別はテンテンだけで、オレはずっとテンテンのことが大好きなんです。
 目元をほんのり赤く染めて告げられるのは、愛の言葉だ。熱っぽさがゼロではないけれど、目の前の三好さんはどこか静かな空気をまとっていた。自分の心を丁寧に取り出すように、ゆっくりと言葉を続ける。

「テンテンは、オレの本音をいつだって受け止めてくれる。本当のことを言うのが怖いオレに、力強く大丈夫だって伝えてくれる。どんな本音だって受け止めてやるって、テンテンが示してくれたことが、どれだけ救いになったかわからないです」

 何かを思い出すまなざしで、三好さんは言う。それはきっと、カンパニーで過ごした日々のどこかで起きた出来事なのだろう。天馬と三好さんが重ねた時間の片鱗を、そっとなぞるような口調だった。

「オレの一番やわらかいところも、だめなところも、すくいとって光を当ててくれる。新しい景色を見せて、世界を生まれ変わらせてくれる。テンテンはそういう人です」

 だから、と三好さんは続けた。とても静かな、丁寧な声で。何かに祈るような、誓うような真摯さで。――テンテンがいれば、オレはいつだって強くなれるんです。
 確信めいた響きだった。今まで共に歩いてきたからこそ、この先の未来までを揺るぎなく信じているような。天馬と過ごした時間を知っている三好さんにとっては、何一つ疑うことのない結論であるように。天馬と二人でいることが、自分の力になるのだと、はっきりと告げる。

「オレ、テンテンと一緒にいられるだけで嬉しいんです。すぐ隣にいて視線を向けたらオレを見て笑ってくれる。ちょっと特別な響きで、名前を呼んでくれる。みんなめちゃくちゃ幸せで胸がいっぱいになっちゃう」

 三好さんは、ゆっくりと目を細めた。やわらかな陽だまりを見つめるようなそれは、二人の間にある時間を思い出しているのだろう。
 特別な時間でなくて構わない。ささやかな瞬間でさえも、二人が共にいればそれだけで意味が生まれるような、そんな時間が確かにあるのだ。
 三好さんは、一度、二度まばたきをすると私を見つめた。光のままたく緑色の瞳。きらきらと輝くまなざしで、奥底に凛とした意志を宿らせて口を開く。

「オレはテンテンが好きです。だから、オレはテンテンを大事にできる一番の人でありたい。世界で一番、テンテンを大事にするのはオレがいい。ワガママだけど、ずっとそう思っています」

 揺るぎのない声で放たれた言葉に、私は思わず息を詰めた。たった今告げられた言葉が、どれほど真剣なものかを肌で感じ取ったからだ。
 三好さんは、気遣いのできる人で周囲のこともよく見ている。相手を慮って、自分の我を通すことはあまりない人だろう。
 だけれど、そんな三好さんがワガママであると自覚しながら、それでも天馬に対して向けた感情が意味するもの。どれほどまでに、彼の心が天馬に向いているのか。声ではなく、言葉ではなく、全身の全てで伝えている。その事実が、胸を打つ。

「オレはオレの人生全部で、テンテンを大事にします」

 凛とした意志で告げられた言葉。私はそっと息を吐いて、目の前の三好さんを見つめる。
 この人は心の底から天馬のことが好きなのだ、と思った。自分の全てで、過去も未来も全てを含めて、天馬のことを大事にしていこうと誓っている。
 これほどまでに、天馬のことが好きだと告げる人だ。心の全てで、天馬が好きでたまらないのだと伝える人だ。そんな人に、返す言葉なんて。

「――天馬のことをよろしく頼みます」

 心からの気持ちを込めてそう言って、頭を下げる。三好さんは慌てたような空気を流しているけれど、最終的には力強い声で「はい」と言ってくれた。
 顔を上げれば、ちょっとだけ困ったような、だけれどとてもやわらかな笑顔を浮かべていた。
 その表情を見つめつつ、私はずっと気になっていることを口にした。

「あの子、あまり自分の気持ちを口にしないタイプだと思うのだけれど。言葉が足りなかったりはしない?」

 三好さんは、比較的きちんと好意を伝えてくれる人だ、というのは今までの付き合いから理解していた。だけれど、天馬はどうなのだろうと思っていた。
 以前に比べて素直になったとは言え、愛の言葉を簡単にささやけるタイプではないはず。うちの人もそうだったので、よく似た天馬も同じなのでは、と思ったのだ。
 だけれど、三好さんは何だか不思議な表情を浮かべている。そうなんです、と肯定するものではなく、どこか戸惑うような空気。どうしたのかしら、と思っていると、しばらくの沈黙の後で三好さんが口を開く。

「あの、そのことなんですけど……テンテン、意外とちゃんと好きとか言ってくれるっていうか、わりと破壊力高い感じ……」

 おずおずといった調子で、三好さんは言う。何でも天馬は、三好さんが大事であるとか、好きだとかいうことを、一切包み隠さないらしい。全然照れないで真正面からはっきり伝えてくれます、なんて言うので。

「……そうなの?」
「そうなんです」

 あの天馬が、という気持ちで尋ねれば重々しく三好さんがうなずく。やたらと真剣な表情だったし、天馬の言葉を思い浮かべているのか三好さんの耳がうっすらと赤い。どうやらこれは本当のことらしい、と察した私は思わずつぶやく。

「天馬も大人になったのねぇ」

 二十代後半になった息子を捕まえて言うことではないと思ったけれど、心から思ったのだから仕方ない。
 なかなか素直になれなくて、強い物言いに本音を隠していた天馬が。カンパニーと出会って素直になったとは言え、実生活で愛の言葉を口にするのは照れくさい、なんて言っていた天馬が。今では立派に、心から大切な人に自分の気持ちを伝えることができるのだ。
 天馬は本当に、自分自身のたった一人に出会ったのね、と思った。
 目の前にいる、夏組の一人。同じ時間を過ごして、互いの気持ちを確かめ合って、未来まで共にいようと決意した。その出会いは、互いの手を取り合うことは、決して簡単なことではない。これから先の未来だって、順風満帆には行かないかもしれない。
 それでも、何よりも大切で特別な人はこの人だ、と言うことができるなら。二人が同じ思いで未来を歩くと決意したのなら。その事実を、めいっぱい祝福してあげられることは、紛れもない私の幸福だった。