今日の佳き日に
▼ イントロダクション
MANKAI劇場のロビーには、椋が一人でたたずんでいる。今日は公演を予定しておらず貸し切りのため、観客はいない。がらんとしたロビーに立つ椋は、おしゃれなスーツに身を固めて、ヘアメイクもばっちり決まっている。
ただ、浮かんでいるのはそわそわした表情だ。観客席につながる扉の前で、しきりに入り口へ視線を向けていた。来たるべき人が、あと二人現れていない。事情は理解しているものの、何かあったのでは――と豊かな想像力を発揮してしまったのだ。
しかし、扉が開いたことで椋はっと顔を輝かせる。待ち人の二人――臣と莇が入ってきたからだ。二人ともセンスのいいスーツに身を包んでおり、落ち着いた雰囲気ながらどこか華やかさを感じさせる装いをしていた。
「遅くなっちまったな。悪かった」
「悪い。予定外にいろいろやりたいことができたから、つい」
大きな体を縮こませて臣が謝れば、莇も謝罪を続ける。椋は慌てて首を振った。
「もうみんな集まってるけど、開始まではまだ時間があるから――。それに、むしろ二人にはお礼を言わなくちゃいけないくらいです」
心から椋は言う。だって、今二人が遅れてきた理由なんてよくわかっている。自分たちの用事があったわけではなく、劇場の控室で今日の晴れ舞台のために尽力してくれていた。それから一旦寮に戻り、必要な準備を整えてからこうして劇場へ戻ってきた。
「莇くんにメイクしてもらって、臣さんに写真撮ってもらえるって、天馬くんもカズくんもすごく喜んでたんです!」
きらきらと目を輝かせて椋が言えば、臣と莇は笑みを浮かべる。控室での様子を思い出したのだ。幸が作ったタキシードに身を包んで、舞台とは違うメイクを莇にしてもらって、その様子をカメラに収める臣に対して、二人は心底楽しそうだった。心から嬉しくて仕方ないと、弾んだ心が形になったような表情を浮かべていたのだ。
「本当にありがとうございます。おかげで、天馬くんとカズくんの結婚式がとってもすてきなものになります!」
ぺこり、と頭を下げる椋が心から感謝してくれていることはわかっていた。しかし、莇も臣もやんわりと首を振った。だってこれは、あらためてお礼を言われるようなことではない。自分たちがしたくてしていることなのだ。
天馬と一成。お互いのことを心から大切に思い合う二人のことを、MANKAIカンパニーメンバーはずっと見守ってきた。関係性を決して表に出さず、ひっそりと想いを育み続けてきた年月を知っている。いつかこんな日が来るはずだと、その時は盛大に祝ってやるのだと誰もが決めていた。だから、天馬と一成、二人の結婚式に力を尽くすなんて当然だった。
「まあ、その内結婚式やるんじゃねーかなとは思ってたし。式用メイクいろいろ研究するのも楽しかった」
「確かにな。俺もフォトウエディングの勉強になったし、料理も新しく挑戦できてやりがいがあったぞ」
莇が楽しそうに言って、臣もほがらかに続いた。カンパニーメンバーは当然誰もが協力的で、式後にMANKAI寮で催されるパーティーでは、臣の手料理はもちろんガイも腕をふるってくれる。シトロンや東はつてを使って珍しい食べ物や飲み物を手配したし、会場を彩るのは紬が育て花たちだ。
それ以外にも余興の一環として本格的な映像作品が作成されたり、その他さまざまなイベントを企画したりと全員準備に余念がない。その中心になっているのは、他でもない夏組のメンバーだった。
「夏組が一番大変だっただろ。みんな仕事しながら準備や手配に調整もしてたんだからな」
しみじみとした臣の言葉に、莇も「だよな」とうなずく。夏組が率先して取り仕切っているのが、天馬と一成の結婚式だ。しかし、全員あくまでも本業の傍らである。合間にカンパニーの舞台もあったし、時間が無限にあるわけではない。
もしも結婚式場で行われるなら専門のスタッフがいるのだ。打ち合わせは必要だろうし、細々とした決め事や制作物もあるだろうけれど、実際の運営に携わることはない。しかし、天馬と一成の結婚式は、完全に自分たちで作り上げるものなのだ。
臣と莇の言葉に、椋は目をまたたかせる。ただ、すぐにはにかむ笑みをこぼして答えた。
「絶対MANKAI劇場で式を挙げたかったし、カズくんが一番張り切ってるから僕たちも頑張れたんだ。それに、二人のことをめいっぱいお祝いしたかったから……」
確かに目の回るような忙しさだったし、時間はいくらあっても足りなかった。だけれど、どうしたってやり遂げたかったのだ。
二人が人生を共に歩むと決めて、夏組は本当に嬉しかった。天馬のことを思って一成が手を離そうとしたあの夏の出来事を、よく覚えているからこそ、二人が一緒にいることの意味を強く感じていたのだ。さらに、二人は同じ家での生活を始めて、人生を共にする様子を近くで見ていられることも心を弾ませた。
そんな日々の中で、ふとこぼれた疑問があったのだ。一体誰が言い出したのかは定かではないけれど。
天馬と一成が共演した映画が大ヒットして、国内はおろか世界中で大きな話題になった。おかげで、世界を飛び回ることになって直接顔を合わせる機会がめっきり少なくなっていた。それがようやく落ち着いて、久しぶりに夏組全員で集まった時、誰かが言ったのだ。そういえば、結婚式はしないのか、と。
紆余曲折を経てお互いを人生の伴侶とするのだと、カンパニーなど近しい人たちに報告はしたものの、結婚式は挙げていなかった。天馬が怒涛の忙しさでそんな余裕もなかったし、落ち着いた頃には共演映画の撮影が始まり、さらに大ヒットで世界中を飛び回っていたのだから仕方ないとも言える。
ただ、結婚式をやりたくないわけでないことは、全員理解していた。何せ一成である。イベントごとが大好きで、自身が無関係のイベントにも率先して関わるような人間が自分の結婚式に乗り気にならないわけがない。
案の定、一成は「やりたいよねん」と即答したし天馬も意を唱えるつもりはない。夏組だって、二人を祝う場面ならいくらあってもいいと思っている。だから結婚式の具体的な話が始まり、その中で一成が言ったのだ。やわらかく笑って、光のあふれるまなざしで。
――式やるなら、MANKAI劇場がいいな。
式場として想定された場所でないことはわかっていたけれど。あの場所は、天馬と一成という二人にとって特別な場所だ。あの劇場がなければ出会わなかった。あの劇場がなければ、こんな風に心を近づけてお互いの存在を唯一無二のものとすることもなかっただろう。
だから、もしも叶うならMANKAI劇場で式がやりたい、と一成は言う。すぐに同意を返したのは天馬だった。揺るぎなく、力強くうなずいたあと、きっぱり言った。「MANKAI劇場で式を挙げよう」と。
一成の願いを叶えたい、という気持ちももちろんあるだろう。ただ、この宣誓は天馬の想いの表れだと誰もが理解していた。天馬にとって特別な、劇場という場所。特別な相手と生きていくという誓いを交わすのに、これほどふさわしい場所はないと天馬だって思っている。だから一成の言葉にうなずいたのだ。
それに、夏組だって同じ気持ちだった。MANKAIカンパニーで出会った自分たち。あの舞台の上で掛け替えのない時間を何度も過ごしてきた。その道の先に、今のこの未来がある。だから、これからの未来を誓う場所ならあの劇場以外にはないだろう。
夏組全員の気持ちは同じだった。そうとなれば、実現に動く以外の道はない。夏組はすぐさま監督に連絡を取り式場として使えるか日程は空いているのかなど確認し、スケジュール調整や必要なものの洗い出しなどを始めて、本格的に天馬と一成の結婚式の準備に取り掛かったのだ。
天馬と一成は「オレたちがやる」と慌てていたし、申し訳なさそうな顔をしていたので。自分たちがやりたいことなのだ、むしろやらせてくれないと悲しい、と言い募って最終的に夏組主体で結婚式が催される運びとなったのだ。
「MANKAI劇場が会場っていうのも、二人らしいよな」
「そうだな。この招待状も二人らしいし、さすがだと思ったよ」
莇の言葉に臣も同意を返し、内ポケットを探った。出てきたのは、劇場チケットサイズの長方形の紙が一枚。遠目から見ると、まさしく舞台チケットのようだけれど二人の結婚式の招待状だった。一成が張り切ってデザインして、二人そろって直接手渡しに赴いていた。
「全員出席できるって聞いたから、その意味でも楽しみだったんだ。天馬の誕生日以来か」
「はい! みなさん、スケジュールを調整して参加してくれたんです……!」
今日の式には、天馬や一成が入団した頃の新生組メンバーが参列する。初代組や関係者たちは寮でのパーティーから参加する手はずとなっており、劇場での式には監督を含めた二十五人がそろうことになっていた。
「オレたち以外はそろってるんだよな。そろそろ行かないと左京辺りがうるせー気がする」
「理由はわかってるんだし、そんなことはないんじゃないか」
莇のぼやきに臣が返して、椋ははっとした表情を浮かべる。慌てて腕時計を確認すると、開始時間が差し迫っていた。臣と莇も椋の行動で、おおよそ事態は理解したのだろう。二人はチケットを椋へ差し出した。椋がロビーで待っているのは、招待状を受け取る役目だということはわかっていた。
「はい、ありがとうございます。お名前も確認しました」
チケットを受け取った椋は、半券をちぎってから残りをそれぞれに渡す。座席番号が書かれているので、その席に着くのだ。椋は手にした半券を、丁寧に内ポケットへしまった。半券には、直筆でそれぞれの名前が書かれている。記名専用のスペースが設けられているから見落とすことはないだろうし、結婚証明書に使用したいからと招待状を渡した時にもお願いしたと聞いている。念のため、ここで椋が確認する手はずになっているけれど全員忘れず記入してくれていた。
「それでは席に着いて、開演をお待ちください」
劇場へ続く扉をゆっくり開いて、椋が言う。臣と莇はうなずいて、慣れ親しんだ劇場へと入っていった。
◆
劇場には、夏組を除いた十九人がそろっている。最前列の中央には監督が座り、それ以外は各組が固まった配置になっていた。誰もが華やかな装いをしており、これから結婚式が始まるのだ、と感じさせる雰囲気だ。もっとも堅苦しさは一つもない。おのおの自由に雑談を交わしており、劇場はにぎやかな声に包まれている。
集まった十九人は、それぞれ多忙な毎日を過ごしている。MANKAI寮を出ているメンバーもいるし、久しぶりに顔を合わせたという団員たちも多い。しかし、そんなことはまるで感じさせない雰囲気だ。
世界中を飛び回っていてつい最近帰ってきたシトロンは、綴と漫才めいた会話を交わして周囲を笑わせているし、十座と密は淡々としながら熱心にスイーツ情報を交換していた。紬と至と丞は、飲み会がしたいと言ってスケジュールを調整して行きたい店をピックアップしている。
新生組が出会った時の面影を残しつつ、劇場は改装を経てきれいになった。団員たちも職を得て働いており、学生だった頃とは環境も状況も違う。確かに年月を重ねており、しっかり時間は進んでいる。別々の場所で生活し、以前のように同じ屋根の下で全員が暮らしているわけではない。
しかし、ここにいる誰もが、まるで昨日も同じ寮で過ごしていたような気やすさで、互いに言葉を交わしている。
隔てた時間も距離も、何一つ障害にならないことを全員理解していた。顔を合わせれば一瞬で、心はあの頃に戻っていく。ここにいるのは、たくさんの時間を共に過ごし、舞台を通して心を交わし合った仲間たち。全員MANKAI寮で過ごしていたあの日々が、当たり前のように続いていくのだ。
だから、集まったメンバーはまるであの頃のような気持ちで座席に座っている。軽やかに言葉を交わし、これから始まる心躍る瞬間を待っていると、ブザーの音が響いた。降りていた幕がそろそろ上がるのだろう。
音を合図にして、観客席は静かになっていく。今日のプログラムは知らされている。これから始まるのは、天馬と一成の結婚式。まずは、夏組の即興劇からだ。