今日の佳き日に




▼ 即興劇


 幕が上がると、照明に照らされた一成と三角が向かい合っていた。セットの類はないシンプルな舞台。
 一成が着ているのは白いタキシードだ。ジャストサイズのタキシードは体をより美しく見せる仕上がりで、繊細な刺繍も合わさって高級感が漂う。ところどころには明るい緑があしらわれて、タキシードに華やかさを添えていた。
 対する三角は、足元まですっぽり覆う黒いローブに身を包んでいる。しっかりとした厚みと上品な光沢が、三角の雰囲気と合わさってミステリアスな印象を与える。
 向かい合った二人は、静止画のように微動だにしなかった。しかし、三角がふっと空気をゆるめると、無邪気な口調で言った。

「大事な人を忘れる魔法をかけてあげる」

 言葉と共に、手に持った棒を一成に向ける。同時にきらびやかな効果音が流れた。一成は三角に相対したまま、反応せずじっと立っている。無表情な顔とあいまって、一成だけ時間が止まっているようだった。
 三角は一成の様子をじっと見つめたあと、満足そうにうなずく。それからゆっくり上手へ歩き出し、舞台から消えた。
 身動きをしない一成が一人、舞台に残される。たっぷり数十秒経ってから、突然一成が動きを取り戻した。停止していた時計が再び時を刻み始めたように。一成は、はっとした表情で辺りを見回すとつぶやいた。

「オレ、何してたんだっけ……?」

 どうしてここにいるのか。自分は何をしていたのか。思い出せない記憶に戸惑いの表情を浮かべて、一成は不思議そうに首をかしげる。ただ、この場で立ち尽くしていてもらちが明かないと踏んだのだろう。周囲の様子をきょろきょろ見渡しながら下手へはけていき、舞台が暗転する。



 次の展開を待っていると、MANKAI劇場の入り口が開いた。同時に観客席が明るくなり、現れるのは、白いタキシードを着た天馬だった。一成のものとデザインは同じでも、サイズはぴったり天馬の体に合っている。あしらわれる色はオレンジに変わっており、天馬の装いをいっそうあざやかにしていた。
 天馬はあちこちに視線を向けながら、ゆっくり劇場を歩き回る。真剣な表情にはどこか戸惑いが浮かんでいるし、さまよう視線から何かを探していることは明白だった。
 MANKAI劇場の座席は前列しか埋まっていない。空いた席を探したあと、団員たちが座る席に近づいた天馬はそっと口を開く。困惑したような、焦りを浮かべた表情と声だ。

「すみません、人を探しているんですけど――この辺りに誰か来ませんでしたか」

 明確な問いかけの言葉だ。独り言ではないし、ここには夏組の誰もいない。団員たちのエチュードを誘っていることはすぐに察した。
 夏組が今回上演する劇に脚本はない。大まかな流れは決まっているとしても、台詞は全てその場のアドリブだ。事前に聞いた時は夏組らしいと感心したのだけれど、どうやら夏組だけで終わらせるつもりはないのだろう。団員たちも巻き込むことを決めているに違いない。
 理解して真っ先に反応したのは太一だった。位置的に天馬と近いこともあったし、何よりこんな面白いこと率先して飛び込みたいに決まっていた。

「来てないッスけど、どんな人ッスか?」
「年齢はオレと同じくらいで、白いタキシードを着てます」
「二人ともタキシードなんスね! パーティーっスか?」

 何も知らない顔で無邪気に言えば、天馬は目を瞬かせたあと照れくさそうに目を伏せた。それから、はにかむ笑みを浮かべて「これから結婚式なんです」と答えた。その言葉に「へえ」とあいづちを打ったのは万里だった。ニヤニヤと笑みを浮かべて尋ねる。

「もしかして、お兄さんと探してる相手の結婚式か?」

 二人とも白いタキシードであること、照れくさそうにこれから結婚式と答えたこと。天馬の反応から察した、という体でそう言うと、天馬は照れた顔でうなずく。心の底から結婚を楽しみにしていることがうかがえる表情だ。芝居の一部ではあるものの、演技というより天馬の本心から出たものであることは間違いなかった。

「つっても、探してるってことは逃げられたんじゃねーの?」
「そんなことあるわけがない。一成だって、今日を楽しみにしてたんです」

 からかうような万里の言葉に、天馬がむっとした表情で答える。その反応に、万里は面白そうな笑みを浮かべて「へえ? なら、具体的なエピソード教えてくれよ」と言葉を投げた。

「――そうだね。探している人について、もっと教えてくれたらヒントになるかもしれないな」

 そっと言葉を添えたのは東だった。たおやかな表情ではあるものの、面白がっていることは見て取れる。昔から東は、至って上品に天馬をからかっているのでいつも通りとは言える。

「ああ、それはいい案ですね。情報が増えれば見つかる確率は上がりますから」
「俺っちも聞いてみたいッス!」

 東の提案に楽しげに乗ったのは千景で、さらに太一も続く。アドリブというより、単純に天馬から一成の話を聞きたいという好奇心からの言葉だというのは、誰の目にも明らかだった。
 もっとも、結婚式で演じられる即興劇で求められているものとしては、まったくもってふさわしかった。それは当然、天馬も察しているのだろう。視線を漂わせて逡巡した空気を流したあと、ぼそぼそと言葉を落とす。

「別にたいしたことじゃないですけど……。結婚式までのカウントダウンカレンダーを自作して、毎日嬉しそうに日付を数えてたりとか……一日進むごとに写真撮ってアルバム作ってたりとか……まあ、そんな感じです」

 告げられた言葉に、観客席のメンバーはしみじみ「想像できる」と思っていた。恐らくこれは天馬のアドリブではなく、実際の一成の行動なのだろう。
 一日ずつを大切にして、結婚式までの日々を刻みながらその軌跡を形にしていこうとするのは一成らしい。些細なことに楽しみを見出して、色あざやかに彩ることを得意としていることは、一成を知る者なら誰もがうなずく。今日という日を心待ちにして、全力で楽しんでいたのだろう。

「ふふ、かわいらしいね。そんなに毎日を楽しみにしているなら、逃げ出すなんてことはないかな」
「自分だけが楽しみに思ってる、なんて勘違いをしたのかも」
「そこはオレも、毎日一本ずつ花贈ったりとかしてましたけど」

 東がにこにこ言って、千景がからかいを込めて続けると、天馬がさらりと答える。至って自然な返答に、観客席は悟る。ああ、これ本当にやってたんだろうな。
 入団当初は素直に自分の気持ちを伝えることが苦手だった天馬も、年齢を重ねるにつれ照れることなく自分の思いを口にできるようになっていた。夏組をはじめとした仲間たちにもそうだったし、人生のパートナーである一成に対しても同様である。
 天馬は職業柄ドラマチックな演出が身近だし、本人の気質としてもロマンチックなものを好む。だから、心から大切に思う相手へ毎日花を贈る、なんて恐らく当たり前にやってのけるだろうことは想像に難くなかった。むしろ、「毎日一成に花を贈る機会があってラッキーだな」くらい思っているかもしれない。
 結婚を決めたあとの天馬は、今まで以上に一成への愛情を惜しみなく表に出すのだ。

「予想通りっつーか、予想以上っつーか……。まあ、いちゃついてんのはわかったわ」

 呆れの中に慕わしさをにじませて万里が言って、「ラブラブって感じッス!」と太一も嬉しそうに続く。ただ、ストーリー進行上の返答も理解していたから、ここにはタキシード姿の誰も来なかったと言い添える。東や千景も同様の言葉を返すので、天馬はしょんぼりとした空気を漂わせた。それから礼を言ったあと、「どこに行ったんだ……」とぶつぶつつぶやきつつ、再び座席周辺を歩き始める。
 最前列まで辿り着いた天馬は、そのまま舞台に上がる。周囲を見渡して一成の姿を探しながら、下手へと消えていった。



「うわ、何か人がいっぱいいるところ出た~!」

 天馬の姿が見えなくなって数秒後、明るい声が響いた。劇場の入り口から登場したのは一成で、きらきら目を輝かせながら「なになに、何の集まり?」と屈託がない。スマートフォンを取り出して、そのまま撮影を始めそうな勢いだけれど、今は持っていないらしい。

「みんなばっちり決まってるし! スーツめっちゃかっこいいねん!」

 軽やかな足取りで座席に近づいた一成が、にこやかに話しかける。視線の先にいた真澄は淡々とした表情で答えた。

「監督以外に褒められても嬉しくない」
「厳し~!」

 いつも通りの真澄の返答に、一成は面白そうに笑った。そのまま周囲に話を広げて、ガイのスーツ姿がめちゃくちゃ決まってる、ときらきら告げれば、ガイはやわらかくほほえむ。一成のタキシードもよく似合っている、と心からの賛辞を伝えられて一成も嬉しそうに「ベリサン!」と答えた。

「髪型もめっちゃみんなおしゃれだし、このまま雑誌の表紙飾れるっしょ! モデルがいいからデザインし甲斐があるし、どんな感じがいいかな~!」

 顔を輝かせた一成は、やりたいデザインについて、あれこれにぎやかに語る。ただ、その途中でふと口をつぐむ。首をかしげて「何か忘れてるような気がするんだよね~?」とつぶやいていた。もっとも、すぐに表情を切り替えると楽しそうに雑談を振りまいていた。
 すると、突然声が響いた。

「カズくん!? よかった、ここにいたんだね……!」

 劇場の入り口に立っていたのは椋だ。朗らかに「むっくんじゃん」と告げる一成に向かって、小走りに駆け寄ると椋はほっとした表情で言う。

「みんなでカズくんを探してたんだよ。天馬くんなんて、休憩も取らないでずっと探してたんだから……。そうだ、すぐ連絡しないと」

 ぶつぶつつぶやく椋の言葉に、一成はきょとんとした表情を浮かべる。それから、椋に向かって尋ねた。

「天馬くんって誰?」

 どうしてここでいきなり知らない人の話が出てくるのか、といった表情で。これは至って当然の疑問だ、といった雰囲気で。発せられた問いに、椋は数秒固まった。しかし、すぐに我に返ると顔を青くして叫んだ。

「カズくん!? 天馬くんだよ!?」
「うん。天馬くんなんて知り合い、オレいたっけ? あれ?」
「病院行かなきゃ……! カズくんが天馬くんのことわからないなんて……!」

 あわあわとうろたえる椋は、周囲へ視線をさまよわせる。それから、周りには大勢の人がいるのだとたった今気づいたような表情を浮かべたあと、はっとした顔で口を開く。

「あ、あの! 皇天馬って知ってますよね!?」

 勢い込んで椋は尋ねる。天馬がわからないと一成は言ったけれど、もしかして自分の方がおかしいのでは、と思ったのかもしれないし、天馬について自分以外の第三者に語らせることで一成の記憶のきっかけになれば、と思ったのかもしれない。

「ああ。皇天馬を知らない人間なんて、探す方が難しいだろ。毎日どこかしらで顔を見る人間だぞ」

 必死な形相の椋に答えたのは、一番近くに座っていた左京だった。エチュードを求められていることはわかっていたし、必死な椋の言葉を無視できるわけがなかった。
 淡々とした表情で、各種映像媒体はもちろん、舞台やWebにメディアを問わず活躍しており、世界中で認知されている役者である、と告げる。

「海外ドラマはもちろん、あちらでのドキュメンタリーにも出演していたし、近頃では海外ファンも顕著に増えているようだね」

 続いたのは誉だった。自身も海外で活躍しているからこそ、天馬の名前が世界に轟いているということを実感しているのだろう。

「天馬くんは大スターだよね。お芝居はもちろん、ファンのこともすごく大切にしてるし、どんなことも真剣に向き合ってくれて誠実で。世界に羽ばたく大スターだよ」

 きっぱり言ったのは咲也だった。心底嬉しそうに、熱を込めたまなざしで、皇天馬がどれだけすごい役者なのか、何よりどんなに魅力的な人間であるかと力説する。椋はその言葉に、首が取れそうなほど激しく上下に首を振った。
 それぞれの言葉からは、天馬が役者としてはもちろん、人間としてどれだけ存在感があるのかということが伝わるはずだ。流行に敏感な一成が存在を認識していないのは、明らかにおかしい。
 それは一成も理解しているのだろう。不安そうな表情で「全然ピンと来ないんだけど……」とつぶやく。一成の記憶には、皇天馬という存在がすっかり抜け落ちているらしい。察した椋は、大きく深呼吸をした。
 それから、あらためてといった調子で一成に向かい合うと、宝箱を開けるような高揚した面持ちで言った。

「カズくん。あのね、天馬くんとカズくんはお互いのこと、とっても大事にしててすごくラブラブだったんだよ。天馬くんは少女漫画のヒーローみたいにかっこよくて、カズくんはそんな天馬くんにきゅんきゅんしてて、天馬くんがどれだけかっこいいのかってボクにいっぱい教えてくれたんだ」

 きらきら目を輝かせた椋は、大好きな少女漫画を熱心に語るような風情で一気にまくしたてる。

「二人でソファに座ってるだけでも絵になってたし、言葉はなくてもお互いのことが大事なんだって伝わるんだ。談話室でこっそり手つないでるところなんて、そのまま映画のワンシーンみたいですごくすてきで……! あ、あと、カズくんの誕生日サプライズの時は、天馬くんすごく頑張ってたよね。あの時って、天馬くんとっても忙しかったのにカズくんが喜ぶって思ったら、疲れなんて全部なくなっちゃうんだって言っててかっこよかったなぁ……!」

 夢見るような表情の椋は、それからも「カズくんが描いてた天馬くんの横顔シリーズ、そろそろ三冊目突入だね」だとか、「天馬くんがよく聞いてる音楽教えてくれないって言ってたけど、あれはカズくんの出演してるラジオのゲスト回だよ」だとか、二人にまつわるエピソードをこれでもかというほど並べていく。
 これまでの流れから考えて、語られる内容は椋のアドリブではなく実際の出来事であることは察しがついた。何せ、一成はあくまで意外そうな表情を浮かべて芝居を続けているものの、うっすら耳が赤い。まさかそれを話すとはだとかそんなことあったの!?だとか、内心では動揺しているのだろう。エピソードの豊富さは、さすが長年二人のそばにいた夏組ならではの実績である。

「――だからね、カズくんが天馬くんのことがわからないなんて、とんでもない一大事なんだ」

 これまでの熱っぽい表情から一転して、真剣な顔をした椋はそう言った。冗談の類ではなく心からの言葉であることは、一成にも伝わったのだろう。神妙な顔で椋を見つめている。

「病院で診てもらった方がいいと思うし、その前に天馬くんに顔を見せて安心してもらわなきゃ」

 つぶやいた椋は一成の手を取ると、「行こう、カズくん」と歩き出す。一成は「え、待ってむっくん」と戸惑っているけれど、椋は手を離さない。有無を言わさない強さで一成の腕を取って、ずんずん歩き出す。迷いなく舞台まで上がると、そのまま下手へとはけていった。



 二人の背中が舞台袖へ消えるのと同時に、照明が切り替わる。観客席が暗くなり、舞台上が明るく照らし出された。誰もいない舞台がスポットライトで照らされる。上手から現れたのは、おしゃれなスーツに身を包んだ幸とタキシード姿の天馬だった。

「一成が消えたなんて。結婚式直前になって逃げられたか」
「別に逃げられてない」

 やれやれ、とため息を吐いた幸に向かって、天馬はふてくされたようにつぶやく。幸は肩をすくめて答えた。

「まあ、そうだろうとは思うけど。一成が結婚式楽しみにしてたのは知ってるし」

 あっさりうなずく幸は、一成がどれだけ今日を心待ちにしていたのかを知っていた。だから、「逃げられた」なんて言ったけれど、そんな可能性は微塵も考えていない。単に天馬をからかっただけである。それを察した天馬は何とも言えない微妙な表情を浮かべていた。
 幸は天馬の表情の意味にもちろん気づいているけれど、スルーして口を開く。いつも通りに見えて、真剣な口調で。

「だからまあ、何かあったんじゃないかって思うのはわかるし。探しに行くならオレも手伝う」

 いつも通りのクールな表情ではあるものの、長年共に過ごしてきているからこそ奥底ににじむ心配に気づくことはたやすい。だから、天馬は心からの言葉を答える。

「悪いな、助かる」
「別に。タキシード作ったし、結婚式ちゃんとやってほしいだけだから」

 そっけない台詞は、幸の照れ隠しである。本当はただ心配しているのだということを、天馬はよくわかっている。あくまで衣装のためという口ぶりだけれど、幸は二人の結婚式を心から望んでいるのだ。
 共に探すという申し出も真剣に言ってくれている。だから天馬は、自分なりの考えを口にする。

「椋が探しに行ったのとは別方向へ行ってみるつもりだ。見つかるといいんだが……」

 ぽつり、と言葉を落とした天馬は少し不安げな表情をのぞかせる。大切な人の行方がわからないのだから、それも当然だろう。幸は天馬の様子にしばしまばたきをしたあと、視線を天馬から外した。水平方向に移動し、一点でぴたりと止めてからわずかに上へ目を転じる。

「今日は天気もいいし、探し歩くにはちょうどいいんじゃない」

 何もない空間だ。しかし、幸の視線と言葉から窓の外を確認したことがうかがえる。幸の目には晴れた空が広がっているのだろうし、それは天馬を勇気づける言葉でもあった。
 さらに幸は、窓の外へ目を凝らす仕草を続けた。はっきりと言うわけではない。それでも、天馬の力になるものが何かないか探しているのだと、視線だけで伝わる動きだった。

「――あそこに黒猫がいる。黒猫って本当は幸運を運んでくるんだって一成も言ってたし、ちゃんと見つかるでしょ」

 きっぱり言うと、幸は一歩踏み出す。今すぐ一成を探しに行こうという意志表示だ。
 空は晴れて、外を歩き回るには申し分にない。幸運の黒猫だっている。幸運は天馬の味方だ。一成は見つかる。言外に伝えられるものを、天馬はしかと受け取った。
 だから、すぐに不安を拭い去ると「そうだな」とうなずく。力強い意志を宿したまなざしで、自分の気持ちを確かめる響きで告げる。

「必ず一成を見つける」

 きっぱり言うと、天馬は幸と共に下手へはけていった。