第一章:On Your Marks
夜明けまでのエトランゼ 01話
あくびをかみ殺して、天馬は教室に入った。朝の挨拶を交わす声が響いているけれど、天馬は誰かに声を掛けることもなく自分の席に座る。無視をされているわけではなく、単純に気軽に挨拶をするようなクラスメイトがいないのだ。
二年生に進級して一ヵ月後という、中途半端な時期の転入だった。すでにクラスの人間関係も出来上がっていたし、取り立てて友達が欲しい性質でもなかった。
どうせ卒業したら顔を合わせなくなる関係だ。問題を起こす気はないけれど、適度にやりすごせばいい。学校なんて毎日つまらないのが当たり前だ。そう思っている天馬は、わざわざ労力をかける必要はない、と判断した。結局、六月に入った現在まで友達らしい存在はいない。
もともと、両親の都合で転校が多かったのだ。小学生の時はアメリカを転々としていたし、中学以降日本に戻ってきてからも、何度か学校は変わった。友人を作ったところで、その内自然消滅していくだけだということを、天馬は今までの経験で学んでいた。
仲良くなる意味も見出せなかったし、今までだって一人でどうにかしてきたという自負もある。仕事が忙しい両親に頼るよりも自分で対処した方が早かったし、友達なんていなくたって問題はなかったのだ。クラスで仲のいい人間を作るより、自分でできることを増やした方がいい。
天馬は何だって自分で乗り越えてきた。英語ができなくて悔しくて、必死で猛勉強した。馬鹿にされたくなくて、運動も勉強も完璧にやり遂げた。そうやって、自分の力であらゆることを克服してきたのだ。わざわざ仲間なんて作る必要はない。
どこへ行ったって、オレなら一人でどうにかできる。今までの経験がそう教えていたから、学校が変わることにも特に異を唱えることはなくなっていた。今回も言われたまま編入試験を受けて、私立四季崎学園に転入している。
私立四季崎学園は、歴史のある名門高校だ。自主自律を重んじる校風で比較的自由度は高いものの、学力は高く運動部も強豪がそろっている。もとは男子校だったが現在は共学化しており、生徒の大半は寮に入っている。男子寮と女子寮が二つずつ、合計四つの寮があり、天馬は最も歴史があるという満開寮に入寮していた。
学校は市内の西側に位置する高台の上に広がっている。おかげで空が近い気がするのはいいことだな、と天馬はぼんやり窓の外を眺めた。気持ちのいい夏空が広がっていて、一成のことをふと考える。一成は夜しか活動できない。朝になれば意識は消えてしまうし、日が昇っている間は眠っているようなものなのだろう。
不思議な相手だった。クラスメイトというわけではないし、ただ何でもない話をしているだけ。それなのに、夜を共に過ごすことを心待ちにしている。
仲間なんかいなくていい、というのは本心だ。それでも、一成と一緒にくだらない話をしているのが楽しかった。人間ではない存在で、恐らく幽霊と呼ばれる類だろう。今までの自分なら、馬鹿なことを言っていると切り捨てるだけだったろうけれど。今の天馬にとっては、一成が一成であることが重要で幽霊であることなんて些細な問題でしかなかった。
「――旧校舎の幽霊?」
始業前のざわついた教室で、突然そんな声が飛び込んできて天馬は思わず視線を向けた。隣の席のクラスメイト――瑠璃川幸の声だった。女の子のようにかわいらしい容姿をしているものの、言いたいことはきっぱり言う人間で、クラスメイトからも一目置かれていることは、天馬も何となく察していた。
「うん、そうなんだ。幸くん知らない? 九ちゃん、グラウンドから帰る時近く通るから、ちょっと気にしてるみたい」
答えたのは、ふわふわのピンク色の髪をした人間――向坂椋だった。確か瑠璃川と向坂は寮で同室だったな、と天馬は思う。椋は椋でやさしい顔立ちをしており、幸と椋はかわいい二人組だと評判だった。ただ、クラスは違うはずなので何か用事があって訪れたのだろうと察した。
「先輩たちがいろいろ噂してたんだ。でも、幽霊さんもずっと一人なのは寂しいよね……」
「幽霊の心配するのは椋らしいけど」
肩をすくめながら、幸は社会科の資料を手渡す。恐らくこれを借りにきたのだろう。恐縮しながら受け取った椋は、「旧校舎の幽霊」について幸に話している。夜になると白い影が現れるだとか、勝手に窓が開いているだとか、いろいろバリエーションがあるらしい。十中八九それは一成のことなんじゃないか、と思う天馬は詳しく話を聞きたかった。
ただ、普段人に話しかけることに慣れていないからだろうか。一体何を言えばいいかわからなくて、口ごもってしまう。まずはこういう時、何から話すべきなのか。思っている内に予鈴が鳴って、椋は慌てた様子で自分のクラスへ戻っていく。
背中を見送った天馬は、結局何も聞けなかったがまあいいか、と思う。雑談程度できなくてもどうってことはない。それより、一成に話すネタができたな、と天馬の胸は弾む。噂になっていたと教えてやったらどんな顔をするだろうか。きっと楽しそうに笑ってくれるだろう、と放課後を楽しみにしている。
◆
案の定、幽霊として噂になっていることを知った一成はうきうきした表情で言った。「やっべ、オレめっちゃ有名人じゃん!?」と、心底楽しそうだ。果たしてそれを有名人と言うのか謎だったけれど、一成が喜んでるならいいか、と天馬は思う。
「てか、オレのこと見えてる人他にもいるのかな」
「どうなんだろうな。旧校舎って言っても、具体的に場所が指定されてるわけじゃなさそうだから、見えてない可能性もある」
「なる~。あ、テンテンそこは断定の助動詞じゃなくて完了の助動詞だよん」
さらりと指摘したのは、天馬が解いている古典の課題プリントだった。
主に雑談をしてばかりではあるものの、必要とあらば勉強もしているのだ。成績を落とせば面倒になることはわかっているので、学生としてやるべきことはやっている。それに、夏休み前の定期試験が二週間後に迫っている。普段から手は抜いていないので取り立てて慌てる必要はないものの、一切勉強をしなくていいわけではない。
「テンテン、古典は苦手な感じ? 英語はめっちゃ得意なのに」
「英語は使ってれば覚える。でも、古典は日常で使わないだろ」
「じゃあ、会話は古語縛りでやってみる?」
「お前ならできそうだから止めろ」
真顔で言うと、一成は楽しそうに笑った。外の明かりが差し込むだけの教室が一気に華やいだような、まぶしい笑みだった。思わず目を細めてから、天馬ははっとした顔で言う。
「まあ、でも、一成に教えてもらえるのはありがたいと思ってる。自分でも一通りできるが、わかってる人間に教わる方が効率はいい」
心からの言葉だった。不得意とは言え、勉強のコツはわかっているからできないわけではない。ただ、マンツーマンで間違いを指摘して解説までしてくれる存在はありがたい。天馬がつまずいた箇所を難なく解いていくし、一成は明らかに天馬よりも頭の回転が速かった。おかげで、苦手分野である古典の理解度が格段に増していた。
「いつも助けられてるな。もちろん古典だけじゃないし、本当に感謝してる」
「そんなことないよん。テンテンが頑張ってるからだし、オレが助けたことなんて――あ、最初はそんな感じかも?」
にやり、といたずらっぽい笑みを浮かべての言葉。出会いの時を指していることを、天馬はすぐに察する。
転入してきて間もない時期だった。別棟として独立している図書館へ行こうと、外に出てきたところで天馬はおおいに迷った。もらった校内地図を見比べつつ「図書館はあっちだろ……ってことは、こっちの方角か」と言って足を踏み出した時、不意に声が響いたのだ。「待って待って、絶対そっちじゃないでしょ」と。
声の方を見れば、旧校舎の中から一成が天馬を見ていて、しばらく二人は見つめ合っていた。天馬はまさかそこに人がいるとは思っていなかったし、一成は自分の声が聞こえて見える相手がいると思っていなかったからだ。
結局その時は、地図を見ながら場所を教えて別れた。その後は、天馬がノートを旧校舎へ置き忘れたことに気づいて戻ってきて、何となく話をするようになったのだ。
「テンテン、びびりのわりにオレには全然びびらないんだもんな~」
「びびりじゃない。――まあ、一成は別に怖くないからな」
ホラー映画は好きじゃないし、暗い所も好んで行きたいとは思わないだけでびびりじゃない、と天馬は否定するけれど。それを置いておいても、一成を怖いと思ったことはなかった。
話している内に、不可解な点が判明してさすがに人間でないことは理解した。一成と話しているのに天馬が一人だと思われる場面に遭遇したし、触れ合うこともできない。わざと姿を消して天馬をからかうし、一成が現れるのは日没から日の出までだけと決まっている。旧校舎内は自由に動けるものの外に出ようとすれば必ず建物内に戻される。現実として目の当たりにすれば、どれだけ荒唐無稽でも、一成が人間ではないことは信じるしかない。
ただ、その頃には一成と過ごす時間を心待ちにするようになっていた。誰一人心を許す相手がいない場所で、初めて気兼ねなく話せる相手だからろうか。一成との時間は、大切なものになっていたのだ。幽霊であることは関係なく、もはや変わった個性を持っているくらいの認識だった。
「テンテン、オレいないと友達ゼロだもんねぇ。まだ二年生だし、友達作った方がいいと思うけどな~」
「幽霊に言われたくない」
「オレにはいるもん。たぶん。友達だと思う」
唇を尖らせた一成の言葉は、いささか心もとない。なにせ、幽霊である一成の記憶はほとんどがぼんやりしている。唯一はっきり覚えていたのは名前だけで、「三好一成! カズナリミヨシって呼んでくれていいよん」と言われたけれど、あとは全て曖昧だった。
生前はもっと地味な容姿で黒髪だった気がするだとか、家族仲は良かったと思うし一人っ子じゃなかったかもしれないとか、絵を描くことが好きだったはず、ということはおぼろげながら記憶していた。ただ、正確な年齢も住んでいた場所はもちろん、幽霊になった原因もわからなかった。
個人につながることは、何もかもがあやふやな中で、自身の名前以外に唯一引っかかっているものがあった。それが、一成の言う「友達」だ。
「さんかくが好きな友達か。どういうやつだよ」
「わかんないけど――忘れてないってことは、きっと大事な相手だと思うし、友達だったんじゃないかなぁ」
一成の記憶にあるのは、三角形が好きだという友達だ。友達の名前も容姿も何一つ覚えがない。ただ、身の回りにある三角形に反応していたようで、一成はたびたび「あの三角形はいいさんかくかな」とつぶやいている。自分の名前以外ほとんどがわからない中で、たった一つ一成の過去に連なる相手だと言えた。
「あ、それにほら、旧校舎って猫も来るし! オレのこと見えてないけど!」
「それは友達か?」
時々やって来るという猫を友達として挙げるものの、相手に認知されていないなら友達じゃないだろ、と天馬は思う。一成は「オレ的には友達なんだけどな~」とぶつぶつ言っていた。それ以外にも、誰かはいないだろうかと頭をひねるものの、旧校舎は誰も使っていないのだ。訪れる相手がいなければ、友達も何もないだろう。
「やっぱ、オレの一番の友達はテンテンかな~」
嬉しそうな笑みを浮かべて言われるので、天馬の心臓はドキリと鳴る。友達。あの日最初に出会って言葉を交わすようになって、今日まで時間があれば旧校舎を訪れた。重ねた時間は、交わした言葉は、確かに積み重なっている。友達だと言っていいのだろうか。うなずいていいだろうか。ドキドキしながら口を開きかけるけれど、その前に一成が叫んだ。
「あ、テンテン、もうすぐ門限!」
焦った声で天馬のスマートフォンの画面を示すので、天馬ははっと我に返る。門限である二十一時まで、あと五分だった。点呼にそろっていなければ無断外泊として親に通告が行き、反省文と処罰が待っている。その前に帰らなくてはいけない。
天馬は「悪い」と言うと、課題やスマートフォンをつかんで窓から外へ降り立った。「気をつけて帰ってね」という声を背に、全速力で走り出す。本当ならもっと遅くまで一成と話したかった。もっと長く一緒にいたかった。タイムリミットをもどかしく思いながら、天馬は寮までひた走る。