「お茶を一服差し上げます」有栖川誉:出版社の事務員(30代・会社員)
受付の電話が鳴る。すぐに受話器を取れば、はきはきとした声が流れてきた。抑揚のある大きな声で、少し芝居がかった口調。聞き取りやすい声に、よく知った名前に、自然と笑みが浮かんでいた。
受付でお待ちいただくよう伝えてから受話器を置き、担当編集者へ内線をつなぐ。年度末も近づくこの時期、どこの部署も殺気だっている気がするけど、名前を告げればどこか雰囲気がやわらかくなった気がする。
「有栖川さん?」
「そう。すごく聞き取りやすく話してくれるから、ありがたいよね」
受話器を置いたわたしに声を掛けたのは、向かいに座る経理課の女の子だ。総務課のわたしとは仕事内容が違うけれど、年齢も近いし何となく話が合う。わたしがいない時は電話も取ってくれるので、聞き取りやすさは共通の重要項目だった。何度も聞き返すのは失礼にあたるから、なるべく一回で聞き取りたいと思っているけれど、あまり電話と相性が良くないお客様がいるのも事実。何と言っているかわからなくて、必死で頭を働かせて推測しながら対応することも多い中、有栖川さんを間違えることはない。
「有栖川さんは口調っていうか、話し方も特徴あるもんね」
経理課の彼女は、心からといった調子で言う。何度か電話での応対もしたことがあるし、対面したこともあるから有栖川さんの話し方についてはよくわかっている。わたしはこくりとうなずく。
「うん。はきはきしてるし、抑揚があるし、詩を詠む時の感じで話すからかな」
「いきなりポエム始まるのはびっくりしたよね。慣れたけど」
「慣れたねぇ。最初は何かと思ったけど」
「思うでしょそれは。何言ってるのかよくわかんないし――でも、だんだんあれが癖になるところはある」
ころころと笑って言うので、わたしも「わかる」とうなずいた。
有栖川さんは、うちの出版社で詩集を出している詩人だ。有栖川誉というのはペンネームではなく本名だという。何でも、とても有名な家の方だそうで、大きな出版社でも複数本を出しているらしい。うちみたいな小さな出版社と関わりになる機会なんてなさそうなのに、一体どういうツテなのかはよくわからない。
もっとも、有栖川さんは会社の規模を気にするような人ではない。作家によっては、大きな出版社で本を出していることをことさら誇りに思って、高圧的な振る舞いをする人もいる。こんな小さな出版社から本を出してやっているのだ、ありがたく思え、という態度でこちらにも接してくるのだ。
しかし、有栖川さんにそんな様子は一切ない。誰相手にも丁寧で紳士的。実際の編集に携わることのないわたしたちに対しても、敬意を持って接してくれる。直接の仕事相手ではないのでそっけない態度を取る人もいるけれど、「本を作るという過程において、誰一人欠けてはならない存在だからね」と、バックヤード部門に対しても丁寧だ。
それは有栖川さんの気遣いというより、単純な本心なのだということは担当編集からも聞いていた。ただの事実としてそう思ってくれている、というのは嬉しいものだった。
「――ごめん、ちょっとお茶の用意してもらっていいかな!?」
忙しい合間の息抜きにささやかな話をしていると、扉が開いて件の担当編集が顔をのぞかせる。応接室に有栖川さんを通したので、お茶を持っていてもらいたい、という。用意する資料などがあるようで、手を放せないのだろう。総務課として来客対応は仕事の内だ。わたしは「わかりました」とうなずいて、立ち上がる。
「ごめんね、ありがとう! 有栖川さんにはいつも通りお茶をお願い。あとこれ、お土産でもらったから、みんなで分けて!」
一息にまくしたてると、箱を渡して足早に去っていく。受け取った箱は、どうやらクッキーか何かの詰め合わせのようだ。お洒落なロゴマークがデザインされている。有栖川さんは、ときどきこうして会社にお菓子を持ってきてくれるので、毎回ありがたく受け取っていた。大体いつもセンスがよくて、なかなか高級なお菓子だ。今回もその類だろう。
わたしは経理課の彼女に箱を渡して、給湯室へ向かった。給湯室には、お客様へお出しするため、コーヒーから日本茶、ペットボトルの水やお茶など多様な種類のドリンクが常備されている。有栖川さんへ出すのは、いつも日本茶と決まっていた。
有栖川さんは紅茶がお好きらしいけれど、初めて来社した時に出した日本茶をいたく気に入ったのだと聞いている。日本茶はわたしも好きでよく飲んでいるので、何だか嬉しい。社長が何種類かの茶葉を用意してくれているので、選ぶ楽しさもあって、お茶を用意する時間がわたしは案外好きだった。
丁寧にお茶を入れたあと、応接室へ向かった。ノックをして扉を開き、お茶をお出しする。有栖川さんは優雅な雰囲気でお礼を言った。
「こちらで飲む日本茶は格別だね。普段は紅茶をたしなんでいるけれど、日本茶もいいものだと思うようになったよ」
そう言って、湯呑を手に取る姿は洗練されている。まるでここが舞台の上になってしまったような、そんな錯覚を覚えるくらいだ。有栖川さんがいると、そこだけ雰囲気が変わってしまう。華々しいスポットライトで照らされているように思える。
「――やはり美味しいね。いつもありがとう」
二口ほどお茶を飲んだ有栖川さんは、ぱっと明るい笑みを浮かべてそう言った。わたしは「いえ、そんな」と首を振る。
「ただお茶を入れているだけですし、たいそうなことはしていないので……」
「謙遜することはないよ。いつも美味しいお茶を入れてくれていることは、知っているからね」
優美な笑みを浮かべた有栖川さんは、担当編集の名前を挙げた。わたしを指して、日本茶が好きなことや、社内で一番美味しいお茶を入れることができる、と言っていたらしい。そんな話をしているとは思っていなかったから、目をまたたかせる。
「美味しいものを用意できる、というのは胸を張るには充分値することだろう?」
目を細めて、誇らしそうな表情で有栖川さんは言う。心から思っているんだろうな、ということは有栖川さんの様子からすぐにわかった。
来客のためにお茶を入れる。業務の内のほんの一つでしかないし、それも決して大事な仕事だとは言えないと思う。その一杯で会社の命運が決まるなんてことはないし、大きな利益に結びつくこともない。手をつけられないことだってあるし、マナーや気遣いという面では大事だと思うけれど、それだけと言えばそれだけだ。
だけれど、有栖川さんは心から言う。お世辞やごまかしではなく、本当に思っているのだ。美味しいお茶を入れられることは、胸を張っていいのだと。取るに足りないものではなく、確かなわたしの仕事の成果であると。
「ありがとうございます」
心からの気持ちが、声になってこぼれていった。有栖川さんの言葉はいつだって真っ直ぐだ。仕事でしかつながりがないからこそ、向けられる言葉は仕事に対する嘘偽りのない評価だとわかっている。そんな風に、ささやかな一場面を当たり前みたいに拾いあげてくれることが嬉しかった。
有栖川さんは私の言葉に、にこりと笑った。アシンメトリーの髪型や嘘みたいに整った顔立ちは、作り物みたいな雰囲気を感じることもあるけれど。笑うと何だか人懐こい雰囲気になる。だからなのか、思っていたことがするりと声になった。
「お土産もありがとうございます。有栖川さんからいただくお土産、いつも美味しいのでみんな楽しみにしてるんです」
「そうかね! あれはおすすめだと人から聞いていたもので、案外日本茶にも合うと評判で――」
そこまで言ったところで、有栖川さんの顔がぱっと輝いた。あ、これはいつものあれかな、と思っていたら案の定「詩興が湧いた!」と嬉しそうに言うので。何だか弾む気持ちで、有栖川さんから紡がれる詩に耳を傾ける。