「雨宿り連盟」兵頭九門:サッカー少年(10歳未満・小学生)




 地面にボールを置いた。深呼吸をしてから、思いきり踏み込んでボールを蹴る。インサイドで打ったボールは壁に向かって飛んでいって、勢いよく跳ね返った。
 戻ってきたボールを足で止める。真っ直ぐ蹴ったつもりだったけど、ちょっと曲がってたな、と思う。気をつけないと蹴りやすいところ使っちゃうし、それだと真っ直ぐにならない。当てる場所もうちょっと意識しないと。
 思いながら、何度も壁に向かってボールを蹴る。家の周りだと近所迷惑になるからだめってお母さんに言われてるけど、橋の下なら人もあんまりいないから、集中して練習できる。
 中学入ったら、部活でグラウンドとか使えるらしいから楽しみ。小学校は遊んでるやつが多くて、練習って感じじゃないし。ちゃんとしたクラブチームだったら、練習する場所もあるみたいだけど、僕が入ってるの地元のやつだから、土日くらいしか練習できない。
 だから、平日はこういうところで練習するようにしてる。ドリブル練習とかも好きだけど、僕は結構壁当てが好き。ボールを蹴って、止めるだけっていう、シンプルなのがいい。ずっと続けてると、いろんなことがどうでもよくなって、ボールと僕しかいないみたいになる。
 ボールを蹴る。返ってきたボールを止める。蹴る。止める。方向とかを確認しながら、テンポよく繰り返す。ずっとやってて、ちょっと休憩しようかなって思ったら、ぽつぽつ雨が降ってることに気づいた。
 端っこに停めたチャリが濡れるかもって思って、移動させることにした。ついでに空を見たら、黒っぽい雲でいっぱいだった。太陽なんかどっかに行っちゃったみたいに暗いし、ぽつぽつだった雨はもっと強くなってた。これ、すぐ止むのかな。ずっと降ってたら困るな、と思った。まあ、最悪濡れて帰ればいいか。あったかくなってきてるから、風邪は引かないだろうし。あ、でも、お母さんに怒られそう。
 チャリのハンドルを握って、空を見上げてた。ザーザーって音がして、他の音はみんな消えたみたいだ。車の音とか人の声とか、遠くの電車の音とかときどき聞こえてたけど、今は何もしない。今なら、もっと思いっきりボール蹴っても平気かも。どうせ帰れないし練習しよって思って、チャリを押す。
 そしたら、ザーザー降る雨音に混じって別の音が聞こえた。ばしゃばしゃ、って音。長靴はいて水たまりで遊んでたときみたいな……とか思ってたら、もっと別の音がした。誰かの声みたいな、そういう音だなって思った。後ろの方から聞こえるなって振り返る。そしたら、橋の下に人が飛び込んできた。
「うわ、めっちゃ濡れた!」
 ぷるぷる、思いっきり頭を振る。体を洗ったあとの、おっきな犬みたいだった。でも、金色の目はどっちかっていうと猫っぽいかも。紫色の髪は短くて、耳にピアスをしてる。見たことある制服着てて、何だっけこれどこの学校だっけ――って思ったけど、たぶんつく高だ。サッカー一緒にやってくれた近所のお兄ちゃんが通ってる。
 いきなり飛び込んできた人にびっくりして、ついじっと見てた。そしたら、僕が見てることに気づいたのかも。空を見てたその人は、僕の方へ顔を向けた。ばちって目が合う。
 金色の目が僕を真っ直ぐ見てる。やばいって思った。こういうのガンつけたって言われるんじゃないかなって思ったから。どうしよう。ピアスしてるし不良なのかも。カツアゲとかされたらどうしよう。チャリあるしこのまま乗って逃げる――あ、だめだ、サッカーボール置いてけない。
 どうすればいいかわからなくて固まってた。そしたら、金色の目のその人は、少ししてからにかって笑った。おっきな口開けて、何かすごく嬉しそうに聞いてくる。
「サッカーの自主練?」
 わくわくっていうのはこういう表情のことって言いたくなるような、そういう顔で。勢いよく言われるから、「え、うん」ってうなずいてた。その人はきらきらの増えた笑顔で、「そっかー!」って言った。
「オレもよく河川敷で自主練してた! オレは野球だったけど!」
 雨がザーザー降ってるのに、太陽を背負ってるみたいな笑顔で言う。野球。そう言われると、何か野球やってる人に見えてきた。髪も短いし、野球の帽子とかユニフォームとか似合いそう。
「てか、練習してるのにオレじゃまだよね!? ごめん、ちょっと雨宿りしたくて来ちゃったんだけど……」
 さっきまでの笑顔が消えて、しょぼんとした空気で言う。そわそわした感じで、ちらちら空を見てる。まだ雨は止んでないけど、何かそのまま飛び出していきそうな感じがした。だから、つい言ってた。
「別に、ここ僕の場所とかじゃないから平気」
 誰かのものってわけじゃないし、雨宿りするなとか僕が言うことじゃないし、わざわざ濡れなくていいし。ぼそぼそそんなことを言ったら、その人はぱっと笑った。ぴかぴか太陽みたいだ。
「そっか! ありがと! でも、オレのこと気にしないで練習してね――っていうのも難しいかもだけど!」
「まあ……」
 人がいると何となく練習しづらい、という気持ちでうなずく。でも、試合中なんて人がいっぱいいるわけだし、逆にこれも練習にいいのかも、と思い直す。だから僕はチャリを停めて、置いたままのサッカーボールのところまで行く。たぶん、僕が何をするつもりなのかってわかったんだと思う。金色の目のその人は、すすっと場所を移動して、僕の前を広く開けてくれた。
 壁と向き合って、深呼吸をする。勢いよく踏み込んでボールを蹴ると、少し曲がって壁に当たって跳ね返る。ボールを足で止めて、ちょっとずつ修正しながら何度も壁に向かってボールを蹴った。
 何回も繰り返して、ちょうどいい所で一回止める。そしたら、「おー!」って声と一緒に拍手の音がした。何かずっと見てたっぽい。
「すげー! コントロールばっちりじゃん!」
「ちょっと曲がってたし、そんなすごくないと思う」
「でも、ちゃんと修正してたよね!? ちょっとずつ真っ直ぐになってたし、めっちゃコントロールできてるじゃん」
 テンション高めで言われて、僕はちょっとびっくりする。修正してたの気づいてたんだ、と思ったから。その人は楽しそうに「足だけでできるってすげーよな!」と言う。
「コントロールならオレもいっぱい練習したんだけどさ。あ、ピッチャーやってたから」
 笑いながら言って、野球ボールを投げる仕草をする。僕は何となく打者かな、とか思ってたから「ピッチャー?」ってつぶやく。その人は、「そう!」と大きくうなずいた。
 ぴかぴかの明るい笑顔で、だけどちょっとだけ今までと違う感じのする笑顔にも見えた。だけどそれも一瞬だった。
「コントロールの練習でさ、こういう壁当てみたいなのもやってたよ。最初は全然できなかったけど、思った通りのところに当たると楽しいよね」
「――うん。どうやって足動かしたらボールが飛ぶかとか、わかると楽しい」
 にこにこしながら言われて、僕はうなずく。クラブの練習は、「面倒」とか「だるい」とか言うやつが多いから、僕も「だよな」って言ってる。でも、練習することが僕は結構好きだった。それ言うと、変な顔されるから黙ってるけど。
「できないと悔しいし、苦しくていやになることもいっぱいあって、楽しいだけじゃないけど。でも、できることが増えるの楽しい」
 誰にも言ったことなかった。だけど、何でか今なら言えると思った。全然知らない人で、サッカーじゃなくて野球やってる人だから。これから会うことはないだろうなって人だから。たぶん、ちゃんと気づいてくれる人だから。
 いろんな理由がごっちゃになって、僕は練習するのが好きだって言った。そしたら、金色の目をした、つく高に通ってるピッチャーやってたその人は。ザーザー降る雨なんて消しちゃえそうな、明るい太陽みたいに「うん!」って笑った。