「On ne voit bien qu'avec le coeur.」向坂椋:書店(30代・会社員)




 久しぶりの本屋だった。最近本買おうって思っても大体電子書籍で済ませるから、本屋自体来るの久しぶり。どこに何があるんだろうな、と思いながら店内を進む。
 入り口のところに地図あったから、見とけばよかったかな、と思ったけど今さら引き返すのもな、と思ってそのまま進む。ものすごく大きな本屋ってわけじゃないし、適当に歩いててもその内着く。
 ぶらぶらしてると、ビジネス書系の本棚の前に出る。「読書の秋」ってポスターが貼ってあって、そういえば十月だったなと思う。
 入社したての時とか転職する時とかは結構こういうの読んでたけど、そういえば最近読んでない。何か読んでみるのもいいかもな、というわけで「書店員おすすめ」というポップのある本を一冊手に取った。思考術に端を発して、問題解決の手法をわかりやすく解説するという本だ。
 そのままさらに店内を移動すると、文庫のコーナーに出た。多彩なデザインの表紙が並んでいて、見てるだけでも楽しい。小説も読みたいなって気分だったし、表紙だけを見て本を買ってみるのも面白い。そう思って、黒をベースにしたシックな雰囲気のある文庫を手に取った。
 リアル書店は、こういうのができるから楽しい。電子書籍ストアでも他の本おすすめされるけど、あれよりもっと偶然って感じが強い。何かのデータに基づいたものじゃなくて、本当にたまたま出会ったってだけの本っていうのは、それだけでちょっとした意味があるように思える。
 俺は二冊の本を手に持って、さらに店内を進んだ。電子書籍でもよく買ってる、少年漫画の本棚。見慣れた表紙を横目に通過すれば、途端に雰囲気が変わる。ここは、少女漫画のコーナーだ。
 高校生くらいの女の子が表紙をじっと見つめていて、俺はその後ろを通り過ぎた。それから、少年漫画の棚まで戻って、深呼吸をする。
 うん。女子高生に混じって少女漫画選ぶとか無理じゃない?
 サラリーマンが選ぶ本として、ビジネス書とか文庫ならわかる。でも、少女漫画を買うのは何だかハードルが高い。
 こういう時こそ、電子書籍を活用すればいいってわかってる。そもそも、今日発売の最新刊との出会いだって電子書籍だ。販促で期間限定三巻まで無料になってて、暇だからちょっと読んでみた。「少女漫画とかどうせみんな同じようなものだろ」って思ってたら甘かった。
 主人公はもちろん、出てくるキャラクターがみんな魅力的で、一癖も二癖もあるのに一生懸命で応援したくなる。恋心はもちろん、それぞれの友情や家族間での葛藤なんかも描写されていて、気づいたら無料以外の巻まで全部買っていた。
 そして、最新刊が発売されるということで、心待ちにしつつ電子書籍で買おうと思ったら知ってしまったのだ。書店限定の特典ペーパーの存在を。
 しかも、単なるイラストじゃなくて四コマ漫画つき。さらに、個人的に俺がいいなと思ってるキャラクターの日常が描かれるっぽくて、絶対に読みたい。だから今日、わざわざ本屋に来た。カモフラージュとして、ビジネス書と文庫まで装備して少女漫画を買う準備はできている。
 恥ずかしいと思ってるから不審者になるのであって、別にこんなの普通のことだって顔をしてさっと選べばいいと思った。だけど、いざ女子高生に混じるのはあまりにもハードルが高すぎた。
 せめて他の人がいないタイミングで……と思って、俺はそろそろ移動する。少女漫画の棚が見えるドリルの棚で、ちらちら様子をうかがって、人がいなくなったタイミングでそそくさ本棚の前に移動する。
 出版社と作者を素早くチェック。既刊はすぐに見つかったけど、新刊がない。今月の新刊ってポップのところを探すけど、俺の欲しいコミックがない。不自然にぽっかり空いた箇所があるから、もしかして売り切れた? 特典つきは数量限定だからか? 待ってれば並ぶのか? 早くしないと誰かが来てしまう。焦りながら本棚を必死で探していると、後ろに人の気配がした。やばい、誰か来た。
 思わず振り返ると、そこにはピンク色の髪をした男の子が立っていた。……男の子だよな? ふわふわの髪に青みがかった大きな目。やさしそうな顔立ちで、やわらかな雰囲気をしている。高校生くらいだろうか。身長はそれなりにあるし、男の子ではあると思う。
 俺はさも、間違えてこの棚に来てしまったのだ、という顔をしてそのまま移動しようと思ったんだけど。男の子が手にしている本に気づいて、思わず「あ!」と声を上げた。
 それはまさしく、俺が探していたコミックの新刊で、ばっちりペーパーが封入されている。どこにあったんだ!?と思ってまじまじ見つめてしまった。だからだと思う。
「あの……『春色ラプソディ』の新刊ですか? 特典ペーパー付きなら、レジの方のコーナーにありますよ」
 きらきら目を輝かせて教えてくれるから、俺は「ありがとう」と口を開く。なるほど、そっち側から来なかったからわからなかった。もしかして手に入らないんじゃないか、と思ってたから思わず声が明るくなる。男の子は俺の言葉に、ほっとしたように笑ってからさらに言った。
「今回のペーパーはアキくんの四コマが入ってるんですよね。あんまりプライベートのことが描かれていないアキくんだから、ボクすごく楽しみで……!」
 そう言う男の子は心底嬉しそうで、本当に漫画が大好きなんだなってことが伝わってくる。俺が高校生の時は、たぶん少女漫画が好きだとして、こんな風に素直に楽しみだとか新刊がほしいだなんて言えなかった。だけど、目の前のこの子はさも当たり前のように言うから。
 何だか、恥ずかしいとか思ってカモフラージュまで用意してたのが、すごく小さいことのように思えてきた。自分の狭量さが身に沁みて、思わず黙り込む。すると、男の子ははっとした表情で口を開く。
「は! すみません、いきなりこんな……! もしかして、お兄さんも『春色ラプソディ』がお好きなのかもと思って……! すみません」
 勢いよく言って、頭を下げた。俺は慌てて「いや、大丈夫」と答えれば、男の子はほっとしたように顔を上げるから、それで充分のはずだった。だけど、俺は何かを言わなくちゃいけないような気がした。
 男の子は、いきなり話を始めた非礼を詫びている。俺が『春色ラプソディ』を好きかなんて確証がないから、興味のない話を聞かせてしまったかも、と思ったからだろう。ペーパー付きの新刊を探してたのだって、誰かに頼まれただけって可能性はある。
 別にそのままにしたって、何一つ問題はない。むしろ、いい年のサラリーマンとしてはその勘違いに乗っかった方がいいのかもしれない。
 頭ではわかってたけど、そうしたくないな、と思った。手の中のビジネス書と文庫本。一応本当に興味は惹かれたし読む気はあるけど、カモフラージュのため手に取った。こんな風に、まるで隠さなくちゃいけないものみたいに、俺の好きな漫画を扱いたくなかった。だって、俺が恥ずかしいことみたいに扱えば、途端に漫画まで恥ずかしいものになってしまう気がする。そんなことはないのに。
 まあ、サラリーマンが少女漫画読んでるって、やっぱりおおっぴらに言いにくいけど、それでも今だけは。少なくとも、目の前の男の子は俺がこの漫画を好きだってことを、当たり前のように受け取ってくれるだろう、と思えたから。
「……このペーパー絶対読みたくて、わざわざ本屋まで来たんだ。だから、教えてくれて嬉しかったし――新刊もペーパーも楽しみだよな」
 ドキドキしながらそう言った。好きだとハッキリ言えたわけじゃないけど、他の誰でもない俺がこの漫画を好きだってことは伝わっただろうか。思いながら視線を向ければ、男の子は頬を紅潮させて思いきりうなずく。きらきらの瞳はいっそう輝きを増して、まぶしいくらいだ。
 その様子を見つめる俺は、こんなにきらきらしてるなんて、この子は少女漫画に出てきてもおかしくないよな、と思っていた。









*On ne voit bien qu'avec le cœur. 「心で見なくては見えない」「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えない」――「星の王子さま(Le Petit Prince)」より