「未完成地図」皆木綴:天鵞絨駅前(50代・パート)
高校を卒業してからふらふらしていた息子から、手紙が来た。普段連絡なんてたいして寄越さないし、寄越すとしてもスマホでメッセージを送ってくるだけなのに。一体何かと思ったら、手紙には演劇のチケットが入っていた。
昔から、あっちこっちにふらふらする子だった。じっとしていることが苦手で、興味のあることがあればすぐにそっちへ行ってしまう。小学校へ入るまでは本当に大変で、目を離すとそのまま帰ってこなくなるんじゃないかって心配で仕方なかった。
学校へ入ってからは少しずつ落ち着いてきたのか、発散する友達を見つけたからなのか、とにかく少しはマシになった。とはいっても、勉強は得意じゃないし部活にひたむきに取り組むというわけでもない。どこかをほっつき歩いて遊び回っていることがほとんどだった。
中学の時は、ちょっと悪いグループと関わっていてこっちも気を揉んだ。幸い、高校入学とともに自然と縁は切れたみたいでほっとしたけど。高校へ入ってからはしょっちゅう赤点ばっかり取っていて、補習の常連だった。
本人も大学へ進学する気はなかったし、どうせ進学しても遊びほうけるに違いない、というのはお父さんと私の共通見解だったから、高校卒業後の就職先が決まって、留年することもなく卒業式を迎えた時は長い間の肩の荷が下りたような気持ちだった。
ただ、その後息子は高校のツテで決まった会社を辞めた。一体これからどうするのか、と問いただせば「東京へ行く」と言って、さっさと地元から出ていってしまった。
絶縁したわけじゃないから、時々連絡は来る。一応アルバイトはしているみたいで、相変わらずいろいろ遊び回ってはいるらしい。何度か息子に会いにいこうと思ったことはあるものの、友人の家を点々としているのかあちこち旅行をしているのか、はっきりとした住所を教えてくれることはなかった。
一応、時々送られてくる写真を見る限り、元気そうではあった。一緒に写っている友人という人たちも、気の良さそうな雰囲気で「もしかして悪い人のところで働いているんじゃ」という可能性はなさそうだった。まあ、見た目に反して実は……ということがないわけではないけど。
どうやらあの子は楽しくやっているらしい、というのは何となく感じていた。それでも、やっぱり心配で、いつか東京へ行かなくちゃと思っていた。そんな矢先に送られてきたのが、手紙と演劇のチケットだった。
チケットには東京の天鵞絨町にある劇場名が書いてある。同封された短い手紙には、その舞台に出演するから見に来てほしい、ということが書かれている。舞台に出る? そういえば、天鵞絨町というのは演劇の聖地といった名前があったかもしれない。あの子は、役者になりたかったんだろうか。
意外なことばかりで動揺したものの、せっかくの機会だしあの子の顔が見られるはず。そう思って、私は天鵞絨町へ行ってみることにした。もっとも、お父さんはムスッとしていて「芝居なんて興味がない」と言って、一緒には来なかった。勝手に仕事を辞めて、さっさと東京へ出ていってしまったことを、未だに怒っているのだ。
とはいえ、あの子のことが気になっているのも事実だから、私を止めるようなことはしない。何だかんだ言いながら、私があの子のことを確認してくれば安心するはずだから、「はいはい、わかりました。私一人だけで行ってきますよ」と言って、えっちらおっちら、朝早くから電車に乗って来たのだ。
慣れない電車を乗り継いで、途中で何度か路線を間違えながら、天鵞絨駅に到着する。東京はどこも人でいっぱいで、何だかめまいがしそうだった。天鵞絨駅も人は多いしやたらとカラフルだし、地元の駅とは全然違う。飾りもいっぱいついているし、今日は何かお祭りでもあるのかもしれない。
改札を出て、ひとまず駅前のベンチに腰掛ける。あの子からもらった手紙には、チケット以外に演劇のチラシも入っていた。そこには、芝居をやるという劇場への地図が載っていた。
天鵞絨駅からのシンプルな地図を確認する。ええと、ビロードウェイっていう通りがあって、そこを真っ直ぐ進んだら途中で右に曲がって、それからどう行くのかしら。
よくわからないから、チラシを持ったまま駅前にある案内図まで移動する。チラシと案内図を交互に見比べるけど、チラシの地図がシンプルすぎていまいちわからない。天鵞絨駅から伸びているのがビロードウェイだっていうのはわかるけど、どこを曲がればいいのか全然わからない。目印になるこの建物が何なのか、全然書いてないじゃない。
劇場なんてたいしてないだろうから、行けばわかるだろう、と思っていた自分の間違いをここでようやく悟る。駅の案内図には、いくつもの劇場名が書かれていて、ここには数多くの劇場があるのだ。もしかして、ここから息子の劇場を探さなくちゃいけないのかしら……字が小さくてよく見えないのに……。
溜め息を吐きつつ、そうするしかないと思っていたら、「あの」という声がした。もしかして案内図を見たい人かもしれない。「すみませんね」と言ってどこうと思ったら、「もしかして劇場とか探してますか」と聞かれた。
「え?」
「いえ、チラシと案内図を見てるからどこか探してるのかなって思って。違ってたらすみません」
申し訳なさそうに言ったのは、大学生くらいの男の子だった。緑色のパーカーを着ていて、やさしそうな雰囲気。まじまじ見つめると、男の子は慌てた様子で言った。
「いきなりこんなこと言って、あやしいですよね。俺天鵞絨町の劇団に所属してて、この辺りに住んでるので……もし困ってるならって思ったんですけど」
心からといった調子で言うから、思わず感心してしまった。この子は、私が困っていると思って声を掛けてくれたらしい。息子なら十中八九、困っていることに気づかない。案内図の前にいる人間なんて目にも入っていないし、万が一気づいたところで声なんて掛けないと思う。
男の子のやさしさに感動しながら、「そうなの」と口を開いた。チラシを見せて「ここに行きたいんだけど」と言う。
「この地図だと、どこを曲がればいいかわからなくて。あなた、ここ知ってる?」
「ああ、ここなら知ってます。ちょっとわかりにくいですよね」
男の子はほっとしたように笑って、「まず、ここがビロードウェイなんですけど」と言って目の前の道を指す。煉瓦にも似た赤い色をしていて、三角形の飾りがついている。別にお祭りというわけじゃなくて、いつでもこんな感じらしい。
「この建物は、今ラーメン屋が入ってますね。ここを曲がってしばらく行くと、左側に古着屋があるんですけどその地下になると思います」
一つ一つ目印を確認しながら教えてくれるので、「ありがとう」とお礼を言った。男の子は「いえ」と首を振るとはにかんだ。
「近くまで行けばこのチラシと同じ看板が出てると思います。それに、時間前になったらここに来る人もいると思うんで」
そう言う男の子は、どうやらあの子の劇団のことを何となく知っているらしい。そういえばこの子も劇団に入ってるって言ってたし、天鵞絨町ってところに住んでるんだから、この子も役者なのかもしれない。
「あちこち移動しながらお芝居やってる劇団で、今回期間限定だけど常設で上演するっていうんで、観に行きたくて。新しい劇団員の紹介もあるらしいんで、楽しみなんですよね」
嬉しそうな男の子の言葉に、私は目を瞬かせる。別に息子とは全然関係ない話かもしれないけど、今までのあの子の行動だとかが結びついていくような気がして、何だかふわふわと心が浮き立つ。
そこでようやく、そういえばどんな芝居なのかしら、と思った。あの子のことばっかり気にしてたけど、舞台を見にきたんだもの。何だか楽しみになってきて、「私もよ」と答えた。