秋桜と揺れる日々
雑誌の撮影は順調に進み、明るい内に寮へ戻ってくることができた。送ってくれた井川に礼を言って、天馬は寮の扉を開ける。すると、目の前には一成と椋が立っていた。
二人とも、手には店のロゴが入った袋を持っているし、靴を履いたままだ。休日ということで外出していて、ちょうど帰ってきたのだろうと天馬は察した。
「テンテン!」
「天馬くん!」
天馬が何かを言うより早く、ぱっと明るい笑顔を浮かべた一成が言えば、椋もふわふわとやわらかい笑みで名前を呼ぶ。
二人が嬉しそうに「おかえり」「おかえりなさい」と言ってくれるので、天馬はくすぐったく思いながら「ただいま」と返す。それから、「どこか行ってたのか」と声を掛ける。
「むっくんと、ちょっと本屋行ってたんだよねん」
「漫画の新刊が出たから買いに行きたいなって言ったら、カズくんが一緒に来てくれて……」
「オレもちょっと出掛けたかったかんね。ちょうどよかったって感じ!」
朗らかな空気からは、互いへの親愛が伝わってくる。天馬はその様子に、内心でほっと息を吐いた。
椋は穏やかな性格だし、一成も人当たりがいいから険悪になることはないだろうと思っていたけれど。実際に親交を深めている、という事実が天馬にも嬉しかった。
「『贈りものをさがして』の挿絵画家さんの展示会情報も聞けてよかったね」
「だよねん! あの挿絵もめっちゃ印象的だったな~」
靴を脱いで室内に上がり、洗面所へ向かう間も二人は楽しそうに話をしている。話の内容は、一成が好きだと言っていた児童書のことだ。挿絵を描いた画家の展示会がある、という情報は書店で知ったらしい。
椋は当然『贈りものをさがして』を知っていたし、一成が「好きな本」として挙げた時に「ボクもすっごく好きなんだ」とはにかんで答えていた。一成が『贈りものをさがして』を購入して、テンション高く喜んでいた時も一緒になって喜びを分かち合う姿を、天馬も覚えている。
あの時、一成は興奮しきりで本を抱きしめていた。「よっぽど欲しかったんだな」と周囲の人間は思っていたし、確かにそれはその通りだけれど。一成があんなに喜んでいた理由は、出会えるはずのない本を手にすることができたからだ。
一成にとって『贈りものをさがして』は、絶版になっており二度と巡り合えないはずの本だったのだから。
一成が今まで暮らしてきたのは、天馬たちが生きるこの場所とは別の世界だ。
大多数は似通っており、ほとんど同じと言っていいけれど些細な違いがある。たとえば、『贈りものをさがして』が絶版になっているか今でも書店で入手できるかとか。たとえば、皇天馬が芸能人として活躍しているかいないかとか。
そんな風にわずかなズレのある世界から、一成はこちらへとやって来た。馬鹿げた話だし、普段の天馬であれば夢の話かはたまた映画の脚本か何かだと思うだろう。だけれど、天馬は実際に一成が別世界からやって来たことを知っている。
合宿所近くの向日葵畑で、不自然に現れた一枚の絵。絵には一人の青年が描かれており、この絵は何だ、とまじまじ見つめていると、突然絵の様子が変わった。絵だったはずの青年が生き生きと動き始めたのだ。それが一成だった。
もちろん面食らったものの、実際目の前で起きた出来事なら信じるしかない。
天馬は絵の中の人間でしかなかった一成と言葉を交わすようになり、次第に心が近づいて、大事に思うようになった。一成があちらの世界で、自分自身の存在を丸ごと否定され傷ついていることを知り、「オレのところに来い」と手を伸ばした。
一成は天馬の手を取ることを選んだからこそ、今こちらの世界で生きているのだ。
(一成一人養うくらいの稼ぎはあるから、どうとでもするつもりだったが――やっぱり、カンパニーに入団できてよかった)
洗面所で手を洗う天馬は、楽しそうに笑っている一成を見つめて思う。
明日には合宿所から天鵞絨町へ戻るという日に、一成はこちらの世界にやって来た。
旗揚げ公演に向けて最後の一人を探している状況ということもあり、天馬は一成を夏組へ加入させるつもりだった。とはいえ、自分の一存だけでは決められない。監督や夏組に許可を得る必要がある。
緊張しきりの一成を連れて合宿所へ戻った天馬は、「こいつを夏組に入れたい」と全員の前で申し入れた。
当然夏組も監督も面食らっていたものの、天馬の真剣さと一成の明るさが功を奏したのか、はたまた五人目が見つかる気配がなかったからなのか。それとも、監督の心の広さとおおらかさのおかげか。
諸々の条件が上手く重なり、一成は無事夏組の一員として迎え入れられる。そこで、持ち前のコミュニケーション能力を大いに発揮して、あっという間に全員と仲良くなったのはさすがに天馬も舌を巻いた。
一成はどんな会話も上手くつなげて、笑顔で話題を広げていく。言葉は停滞することなく、間に入ることでぎこちない空気も溶けていき、ささやかな雑談もぽんぽんと弾むのだ。
結果として、お互いのことを少しずつ知っていく時間が増えていったし、おかげで今までにないほど稽古もスムーズに進んだ。
天馬自身言い方を変えていこうとしていたこともあるし、きつくなってしまえば一成がすかさずフォローを入れる。幸と天馬の言い合いも軽やかな冗談で仲裁に入るし、椋のネガティブも明るく受け止めて、三角の気が散ってしまっても否定せず一緒にサンカク探しをする。
当たり前の顔で全てをやってのける一成はいつだって明るくて、笑顔を絶やさない。言葉足らずでコミュニケーションが上手くいかない瞬間を、誰より早く察知して、上手に拾い上げて丁寧につなげていくのだ。
お互いのことを理解するアシストも正確で、今まで知らなかった姿を、それぞれがどんな思いを抱いているかを知っていけば、距離は縮まる。アクティビティとして用意された花火をみんなで楽しむ頃には、見違えるほど打ち解けていたのだ。
天鵞絨町に戻ってきてからも、日々は慌ただしく過ぎた。夏組旗揚げ公演に向けて、時間はいくらあっても足りない。特に一成は集中的に特訓する必要があり、監督や春組にも大いに助けられた。
合宿所から戻ってきたら、四人だった夏組が五人に増えているのだ。春組も言いたいことは山ほどあったに違いない。ただ、誰もあまり深く突っ込むことはしなかった。
シトロンという、なかなか怪しい先例が存在していることも効いたのかもしれない。「合宿所で天馬が拾ってきた」ということになっているので、何か事情があるのだろう、と察したのかもしれない。何も言わず、旗揚げ公演のために尽力してくれたのだ。
とはいえ天馬と一成は、監督にだけは真相を伝えている。信じられない話だとわかっていたけれど、いつだって一生懸命に支えてくれて、自分たちを真っ直ぐ信頼してくれる彼女に嘘は吐きたくなかったのだ。
二人の話を聞いた監督は、驚いていたものの「そうなんだね」とうなずいてくれた。荒唐無稽な話だ。頭から否定することはないと思っていたとはいえ、戸惑ってもおかしくはない。しかし、あまりにもすんなりと信じてくれて、二人の方が面食らったくらいだ。
どうしてなのかと尋ねれば、「天馬くんと一成くんは、嘘を吐くような人じゃないでしょ?」と当たり前のように笑っていた。
真っ直ぐの信頼を受け取って、天馬や一成たち夏組は旗揚げ公演へ邁進した。天馬の降板騒動やトラウマにまつわるゲネプロの失敗はあったものの、夏組は全員で一丸となって、無事に大成功の千秋楽まで辿り着いたのだ。
「そだ、テンテンもむっくんおすすめ少女漫画読む会来るっしょ?」
手洗いを終えて談話室へ向かう道すがら、一成がにこにこと問いかけた。今までのことを思い返していた天馬は、はっとした顔をしてから、すぐ「その予定だ」とうなずく。
一成が言っているのは、202号室に集合して少女漫画を読む、というイベントだ。これは、今までほとんど漫画を読んでこなかった一成に、椋があれこれとおすすめを紹介するのに端を発している。
雑談の一端でその話を聞いた時、幸が「オレもあんまり読んだことないけど、少女漫画っていろいろ参考になるかも」と参加を表明し、三角も「新しいサンカクあるかな~」と興味を示した。こうなれば、天馬も交えて夏組全員でおすすめ少女漫画を読む会を開こう、ということになったのだ。
「むっくんのおすすめって、マジで面白いのばっかりだから楽しみなんだよねん」
「確かにな。少女漫画が原作の作品に出ることも多いし、椋の話はけっこう参考になる」
「そんな……! ボクなんてただ好きなものを紹介してるだけだよ……!」
二人の言葉に、椋は慌てたように首を振る。ただ、実際椋の少女漫画に懸ける情熱は相当なものだったし、誰もがそれは認めているのだ。
一成は「そんなことないよん」と笑って、椋におすすめされた少女漫画でも特にあれがよかった、こっちはここのシーンが好き、なんてことを言えば椋は目を輝かせてうなずいている。
嬉しそうに話す二人は、202号室で起居を共にしている。
一成が夏組へ加入したので部屋割りを再考する必要があり、公平性を期すということでくじ引きを実施したのだ。結果として、201号室が天馬と幸、202号室が椋と一成、203号室が三角となっている。
椋と一成は、ルームメイトとしてすぐに仲良くなった。二人とも人とぶつかるような性格でもないし、気遣いもできる。何より心根のやさしい人間だ。親しくなるまで、そう時間はかからなかった。お互いのことを大事にしあって日々を過ごしていることは、傍目からでもよくわかる。
仲がいいね、と周囲にも言われるくらいだし、天馬としても一成がカンパニーに迎え入れられている、という事実をしみじみ感じてほっとするのだ。