秋桜と揺れる日々




「冬組オーディション、楽しみッスね!」

 高校からの帰り道、わくわくした表情で太一が言う。
 紆余曲折ありながら秋組公演は無事に千秋楽を迎え、次は冬組が始動する。そのためには、まずメンバーを集める必要があり、オーディションの開催が決定したのだ。

「そうだな。秋組の公演もずいぶん評判が良かったし、興味を持ってくれた人も多いんじゃないか」
「……だといいが」

 太一の言葉に天馬が答え、十座も続いた。秋組が始動した当初は、同じ高校に通っているとはいえ、何となく壁のようなものがあった。しかし、時間を重ねた今となっては、欧華高校生組として三人で一緒に帰るのが当然のようになっているのだ。
 もちろん、それぞれ用事があったりして常に一緒というわけにはいかないけれど、時間が合えば三人で寮までの道を辿る。寄り道して買い食いをするなんて、天馬には初めての経験で、三人での帰り道をひそかに楽しみにしていた。

「そういえば、夏組のオーディションってどんな感じだったの? 天チャンが来るとか、大騒ぎになっちゃったんじゃないッスか!?」
「……そうでもないぞ」

 期待に満ちた表情で問いかけられた天馬は、若干遠い目をしてつぶやいた。

 二歳の時から子役として活動して、テレビにも引っ張りだこである。有名人としての自負もあったから、サングラスで顔を隠してMANKAI劇場を訪れた。
 名乗りと共に素顔を見せれば、咲也が反応してくれたし、監督や椋もはっとしたような表情を浮かべたけれど。幸はまったくピンと来ていなかったし、その他のメンバーも大げさに騒ぐようなタイプではないのだ。
 咲也や椋はきらきらとしたまなざしを浮かべていたものの、声に出すことはなかったし、監督も落ち着いてオーディションを進行していた。

「別にそんなに騒いでなかった。まあ、監督とか椋とか咲也とかはそういう人間じゃないだろ。幸はそもそもオレのこと知らなかったしな」
「幸チャン、あんまりテレビ見ないもんね。でも、カズくんとかは盛り上がりそうだけど――あっ、オーディションはいなかったんだっけ」

 はっとした顔で、太一がつぶやく。一成は基本的に明るいし、にぎやかしのようなタイプと言える。そんな一成がいれば、芸能人である天馬の登場に盛り上がってサインの一つでもねだったのではないか、と太一は言うのだ。
 それを聞く天馬は、「確かに」と思っていた。もしも一成がずっとこちらの世界にいて、天馬が芸能人として活躍していることを知っていたなら。何かの経緯で夏組オーディションを受けることにして、同じ会場に天馬が現れれば大騒ぎする姿が想像できた。
 ただ、実際の一成はオーディションを経て夏組に加入したわけではない。あちらの世界に皇天馬という芸能人はいなかったから、初対面の際特別盛り上がるようなこともなかったのだ。

「三角サンも、オーディションじゃなくて寮に住んでたんスよね?」
「そう考えると、夏組もよく五人集まったなという気がする」

 太一がつぶやいて、十座も重々しくうなずく。あらためて言われると、天馬もしみじみするしかない。春組が五人集まった経緯もなかなかだけれど、夏組も特殊と言える。秋組がちゃんとオーディションで集まっているのとは、訳が違うのだ。

「カズくんは合宿からの加入で、みんなより遅れての合流なのにめっちゃ仲良くって、最初からずっと一緒だったみたいッスよね~」
「ああ、確かに。夏組は全員仲がいい。椋も一成さんと同室で喜んでるし、ずっと一緒に過ごしてたみたいだなと思う」

 こくり、と十座も同意するように、一成は一人だけ加入時期が遅れているなんてことを微塵も感じさせないのだ。まるで、最初のオーディションから夏組にいたんじゃないか、と錯覚してしまいそうなくらい。
 それは一成のコミュニケーション能力の高さと、夏組との相性の良さもおおいに関係しているのだろう。
 しみじみした気持ちで、夏組全員が仲良くやれていてよかったな、と思っていると太一がさらりと言う。

「天チャンも、カズくんと仲良しだよね! カズくんに何かあるとすぐ天チャン気づくし、よく一緒にいるし!」

 いきなりの言葉に、天馬は思わず太一を見つめ返す。そんな自覚は一切なかったのだ。太一はにこにこ笑顔を浮かべて、「無意識なんスか?」と尋ねるのでこくりとうなずいた。

「大体いつも隣同士のイメージだし、どっか行って帰ってきたらカズくん天チャンのこと探してるし……。天チャンも、カズくんに『今日は何してたんだ?』ってよく聞いてるよね」

 よどみなく言われて、天馬は黙り込む。言われてみれば思い当たるものの、完全に無意識だった。ただ、十座もうなずいているし天馬が気づいていないだけで、周りの人間にとっては自然なことだと思われている可能性がある。

「昨日も、カズくんが投稿する写真選んでる時とか仲いいな~って思ってたッスよ! 十座サンも見てたよね?」
「――ああ、談話室のソファでスマートフォン見てたな。インステの投稿写真だったか」

 十座もうなずいて同意を返すので、天馬は昨日の光景を思い浮かべる。
 一成は相変わらず熱心にSNSを投稿しており、フォロワーは順調に増えている。Webサイトも頻繁に更新しているし、カンパニーの宣伝活動に余念がない。左京にも褒められて、一成は嬉しそうにしていた。
 昨日は夕食後、談話室で何でもない話をしていた。ソファに隣同士で座っていると、一成が思い出したようにスマートフォンを取り出したのだ。「今日の投稿するんだけど、テンテンどの写真がいい?」と画面を見せられたので、一緒に選んでいた。
 カメラロールにはたくさんの写真が並んでおり、一体どれがいいか、カンパニーの日常がわかるものがいいんじゃないか、と話をしていた。
「じゃあ、今日の夕飯がいいかな~」と言って、臣がキッチンに立つ様子や配膳するカンパニーメンバー、特製ビーフシチューなどの写真を天馬に見せてくれたので、「これがいいんじゃないか」なんて話をしていたことを、よく覚えている。

「二人でスマホ見てて、おでこくっつきそうなくらいだったから――何か実家の弟と妹思い出しちゃったッス!」

 太一の弟妹は、兄の撮った写真を見る時ぎゅうぎゅうと体をくっつけてスマートフォンをのぞきこむという。それを思い出してほほえましい気持ちになった、と言う太一は屈託がない。十座も自分の弟を思い出して、「そういえば九門もそうだな」とうなずいている。
 あくまで二人は、弟たちの姿を思い浮かべているだけで、深い意味はない。わかっているけれど、天馬は何とも言えない顔をするしかなかった。特に何も意識していなかったものの、周りから見れば思わず指摘するくらいには、どうやら距離が近いのだ。
 あらためて言われると気恥ずかしいし、そもそも血縁関係があるわけでもないのに、そこまで至近距離で接するのはどうなのか、という問いがぐるぐる頭に浮かぶ。
 自重するべきか、と天馬は思う。二人の指摘はあくまで一成だけで、他の夏組とはそこまでくっついてはいないはずだ。それなら、もっと適度な距離を取った方がいいんじゃないか、とも考える。ただ、天馬は別に一成の近くにいることが嫌なわけではないのだ。
 とはいえ、一成がどう思っているかはわからない。もしももう少し距離を取ってほしいと思われているならそうしなければいけないけれど、一成なら「そんなことないよん!」と笑ってくれるかもしれない。
 一成は一体どういう気持ちなのか。そもそも、一成も気づいていなくて無意識なのだろうか。そわそわした気持ちで思っていた時だ。

「……あれ、一成さんじゃないか」

 十座が小さくつぶやいて、天馬の心臓が思い切り跳ねた。あまりにもタイミングが良すぎる。十座の言葉に視線を向ければ、数メートル前に見慣れた後ろ姿が歩いていた。すらりとした体躯にきれいな金髪。天馬が見間違えるはずもない。一成だった。

「カズくんも帰るところッスかね――カズくーん!」

 方向から考えてこのまま帰宅すると踏んだのだろう。太一が声を張り上げて名前を呼ぶと、一成の背中が揺れる。立ち止まると、きょろきょろ辺りを見渡す。それから後ろへ視線を向けて数秒後、ぱっと笑みを浮かべた。くるりと振り返って、通りを軽やかに駆け戻ってくる。
 その様子に、天馬の心臓はさらに速度を増す。寮に帰れば一成と顔を合わせることはできるけれど、思いがけず帰宅中に出会えたことが嬉しかったのだ。
 一成は息を切らして走ってくると、三人の前で立ち止まる。にこにこ笑みを浮かべていて、天馬の唇も自然と弧を描く。そのまま、「一成」と声を掛けようとしたのだけれど。

「たいっちゃん!」

 満面の笑みの一成は、太一の名前を嬉しそうに呼んだ。それから「ちょい待っててねん」と言って、ポケットをごそごそと探っている。その様子を見つめる天馬は、笑顔のまま表情がこわばるのを感じていた。

「ねね、たいっちゃん、前探してたのこれじゃない!?」

 取り出したのは、太一が好きなキャラクターのキーホルダーだった。太一はぱっと顔を輝かせて「これ、ビンテージシリーズの赤ぽよクンじゃないッスか!」と叫ぶ。一成は嬉しそうにうなずく。

「そそ。ダブりだから欲しいならあげるって言われて、もらってきたよん!」
「うわ~、カズくんありがとう! 嬉しいッス!」

 そう言って、太一は一成からキーホルダーを受け取った。きゃっきゃっと楽しそうにしていて、一成は太一にこれを渡したかったんだな、と思う。だから真っ先に太一に声を掛けたのだ。
 そもそも、太一が一成を呼んだのだから、真っ先に太一に反応するのは何ら不思議ではなかった。わかっているのに。
 一成が駆け寄ってきて三人の前に立った時、天馬は一成が自分の名前を呼ぶのだと信じて疑わなかった。しかし予想は外れて、天馬の胸は大きくざわめく。
 そして、真っ先に声を掛けるのが自分ではなかったという事実と、ざわざわと落ち着かない自分自身に、天馬は明らかに戸惑った。
 だって天馬は思ってしまったのだ。太一に声を掛けた瞬間、一成が自分ではない相手の名前を呼んだ時。「オレじゃないのか」なんて思ってしまった。
 そんなことを思うのはおかしい、と慌てて何でもない表情を浮かべたけれど、胸のざわつきは収まらなかった。
 ただ、一瞬の出来事だったし、天馬とて演技だと思えば表情を取り繕うことだってできる。誰も天馬の様子に気づくことなく、いつも通りの顔で帰り道を辿ることになった。

「カズくん、これどうしたんッスか?」
「一緒の講座受けてる人でさ、ガチャガチャ好きって人がいるんだよねん。それで、赤ぽよクンの話してたら、『ダブりでよければ持ってくるよ』って!」
「わー、ありがたいッス~!」

 太一は両手を合わせて一成を拝む。一成は「あはは、オレは全然何もしてないし! 今度お礼言っとくねん」と答えて、太一も「よろしくッス! これくれたの、どういう人なんスか?」と尋ねて話は大いに盛り上がる。

 数週間前から、一成は近くの美大である天鵞絨美術大学で公開講座を受けている。独学で絵の勉強をしていたけれど、本格的に絵を学びたい、という気持ちが芽生えてきたのだ。
 天馬も相談を受けたし、監督や左京にも話をした結果、天鵞絨美術大学で公開講座が開講されていることを知り、受講する運びとなった。そこで一緒になったのが、今回キーホルダーをくれた人物なのだろう。
 一成のコミュニケーション能力の高さなら、天馬とてよく知っている。天馬自身それに助けられてきたし、夏組とすぐに打ち解けた理由の一つでもあるだろう。だから、同じ公開講座を受けている人間とすぐに仲良くなるなんて、想定の範囲内だ。

「フリーランスで活動してる人で、面白い話いっぱい聞かせてもらったよん。あと、美味しいお店も知っててランチおごってもらったりとか!」

 件の人物について、一成は楽しそうに語る。それ以外にも、新しく仲良くなった人たちについてあれこれと一成は話している。
 公開講座という場所柄、集まる人たちは多種多様だ。学生だけに限らないので、年齢も性別もバラバラだという。その誰を相手にしても一成は屈託なく話しかけているようで、順調に親交を深めているらしい。

「みんな絵描きたくて来てるからさ、絵の話もだし美術館とか画集の話もできるのが楽しいんだよねん。特に好きな画集は何かで盛り上がったり、今度みんなで美術館行きたいねって話もしたりしてるし」

 わくわくとした表情で言う一成の横顔を、天馬はじっと見つめる。瞳はきらきら輝いて、頬も紅潮している。新しい出会いが心底嬉しいのだろうし、一成が楽しそうでよかったと思う。同じ志を持つ人たちと過ごす時間は、きっと一成にとって掛け替えのない時間だ。

「あ、テンテンのファンって人もいるんだよん! 同じ劇団ってだけじゃなくて、組も一緒でめっちゃお世話になってるとか、うらやましがられちゃった」

 にこにこ、明るい笑顔を浮かべた一成は、天馬に向かってそう言う。「テンテン、マジ面倒見いいじゃん? いっぱいお世話になってるから、オレが言うことの説得力が違うんだよねん」と続けて、いたずらっぽい表情を浮かべた。
 確かに天馬は一成に対して、あれこれと世話をしている自覚はある。そういうことを、講座で出会った人たちに話をしているのかもしれない。
 仲のいい相手ができてよかった、と言えばいいとわかっている。寮での出来事を口にして、天馬との日常を屈託なく話題にできるような。同じ趣味を持って好きなものの話で盛り上がれるような。些細な雑談も楽しんで、一緒に食事を囲めるような。
 そんな相手ができたのは喜ばしいことだし、一成の持つコミュニケーション能力から鑑みれば至って順当な結果と言える。
 何一つ不思議に思うようなことではないし、ただ素直に「よかったな」と言えばいい。実際今まで、一成から講座での出来事を報告された時は、「楽しくやれてるみたいだな」なんて言っていた。今まで通りの反応を返せばいいのだと、頭ではわかっているのに。
 真っ先に声を掛けるのが自分じゃないことだとか、以前聞いた時よりさらに親密になっている様子だとか。そういう諸々が積み重なったせいだろうか。
 ただ素直に、一成が楽しく過ごしていることを喜べばいいとわかっているのに。胸によどんでいくもやもやのせいで、すぐに「よかったな」と返してやれなかった。