おやすみナイチンゲール 最終話




 202号室の扉をノックすると、軽やかな一成の声が響いた。ゆっくり扉を開ければ、布団の上に座った一成が「いらっしゃいテンテン!」と嬉しそうに言った。

 事件現場の公園を訪れてから、一成はほとんど以前通りの生活を送っている。
 自分が死んだ場所を実際に訪れて、その場所には何もないことを確認した。
 血だまりもなければ、当然自分自身の遺体も存在しない。頭では理解していた全てを、事実として自分の目で確認したことは、大きな意味があったのだ。
 殺された記憶はあるけれど、同時に、今ここで自分は生きていることは紛れもない現実だ。殺された場所に生きている自分自身が立つことで、過去と現在は別物である、ということを事実として納得することができたのだ。
 中庭のガーデンライトはだいぶ数を減らしたし、夜中に風が吹いて梢を揺らしても恐慌を来たすことはなくなった。多少身構えてしまう瞬間はあっても、落ち着いて対処ができている。
 薬を飲んで眠る日はほとんどなく、浅いまどろみをたゆたっていたことが嘘のようだ。
 完全に悪夢を見なくなったわけではないけれど、それでも頻度はだいぶ減ったし、最近では電気を暗くしても眠れるようになった。

 だから、そろそろ椋が部屋に戻るという話になった。
 一成はほとんど夢を見ないし、明かりをつけていなくても眠ることはできる。万が一夢を見ても、ルームメイトの椋が対処してくれる。
 毎晩夏組が交代で部屋を訪れていたけれど、その役目は椋に任せて充分だろう、という結論だった。

「みんな、めっちゃ気利かしてくれるよねん」

 天馬が一成の隣に座ると、やわらかなものを抱きしめるような笑顔で一成がこぼした。天馬は数秒考えてから「そうだな」とうなずく。
 何だか少し気恥ずかしいのは、夏組一同に笑顔で送り出された経緯がしっかり記憶に焼きついているからだ。

 椋は明日から202号室に戻ると言う。てっきり今日からでも戻るのでは、と思っていたので天馬が意外に思っていると、椋はきらきらした笑顔を浮かべて言ったのだ。
 大好きな少女漫画のワンシーンを語る時の表情で、それはもう力強く。「今日は天馬くんに、カズくんと一緒に寝てほしいなと思って!」と。
 続いたのは九門だ。「うん! 天馬さん、あんまりカズさんと一緒の時間取れなかったでしょ」と親切心100パーセントで、とびきりの笑顔とともに言った。
 三角はにこにこと「かずとてんま、頑張ったからご褒美だよ」と屈託がない。
 幸は淡々とした口調で、それなのに唇にははっきりと笑みを刻んで「そういうわけだから」と言ったのだ。最後くらい、二人きりにさせてあげる、と。

 別に今までも、二人きりの時間がないわけではない。仕事の関係から、一成と眠る役目にはあまり高頻度で参加できていなかったのは事実だ。
 ただ、ゼロではないし寮内でも多少の時間を見つけては二人きりになることはあった。
 それに、天馬はいつだって一成のことを心から大事に思っていたし、その事実を一成はきちんと受け取っていた。
 たとえ二人きりの時間を取れなくても、向けられる愛情を何一つ疑ってはいなかったのだ。だから、ことさら二人きりになれる時間が取れない、と悩んでいたわけではないのだけれど。

「――まあ、ありがたいと思う」

 素直な言葉が天馬の唇からこぼれ落ちる。二人だけの時間がなくたって、天馬は一成の気持ちを疑わないし、一成だってそうだ。
 だけれど、それとこれとは別問題で、二人だけでいられる時間が嬉しくないはずがなかった。
 最近は夏組と一緒にいることが多いので、こうして二人きりになることが久しぶりということもあって、何だか余計にドキドキしてしまう。一成も何だか照れくさそうな笑顔で、天馬の言葉にうなずいている。
 天馬は、すっかり眠る準備をして、布団の上に座っている一成へ視線を向けた。目が合うと、一成がまなざしで「どしたの」と問いかけてくるので、とっさに口を開いた。

「その、体調は大丈夫なのか」
「問題ナッシング! めっちゃ元気だよん!」

 ブイサインを出してくる一成は、はつらつとした雰囲気で答える。もっとも、天馬は常に一成の調子は気にかけているので、問題がないことも元気であることも察してはいたのだけれど。
 本人の口から聞くとやっぱりほっとするな、と思いつつ天馬は「ならよかった」と答えた。
 思わず浮かんだ笑みは、心からの喜びにあふれている。一成が元気でいてくれることが、憂いなく毎日を過ごしてくれることが嬉しくて仕方なかった。
 一成は、向けられた笑顔に数秒固まったあと、慌てたように口を開く。明るくて騒々しい、いつもの一成の言動だ。

「最近は夢とかも全然見てないよん! あ、普通の夢はわりと見るし結構面白いのもあるんだけど! でも、殺される夢は、ほとんど見てないから安心してね」

 完全に悪夢が去ったわけではない、ということは一成から聞いている。それでも、「見ていない」と言っていいくらいだし、万一見るとしても、少しずつ輪郭がぼやけているのだと言う。
 まるで自分自身がそこにいるような、体験した全てを再生するような夢は、曖昧になって遠ざかっている。
 いずれただの夢になる。見たあとは少し落ち込むかもしれないけれど、朝目覚めてしまえば次第に形を失って消えていく。日常に紛れて吹き飛んでしまうような、そんな夢になる。

「やっぱりみんなが一緒に寝てくれるからかな~。今回みんな添い寝してくれたのマジ感謝だし、添い寝屋できるってアズーも言ってたよん」
「東さんのお墨付きって妙な説得力あるな……」

 どこかワクワクした響きの言葉に、天馬は思わずといった調子で答える。一成は嬉しそうに「でしょ!?」と笑った。それから、ほんの少し遠いまなざしを浮かべて口を開いた。

「ゆっきーはね、わりと淡々としてるんだけど。オレがずっと話してても付き合ってくれるんだよね。あんまり話してると『早く寝ろ』って言われるんだけど、オレの話遮らないで聞いててくれる」

 そっとしまった思い出を取り出すような素振りで、一成は言葉を紡ぐ。
 幸はいつもの調子で隣の布団で横になる。特に一成に向かって何かを言うこともないのだけれど、取り止めのない一成の話をいつだって聞いてくれた。一つだって遮らず、言葉の全てを受け取ってくれた。

「むっくんとも色んな話したな~。アロマオイルの作り方とかテンテン知ってた? オレ初めて知ったし、花選んだ理由とかも教えてくれて嬉しかった」

 今日も椋は部屋にアロマオイルを用意してくれていた。ラベンダーの香りは部屋をやさしく包み込んでいるし、リラックス効果があるという。
 椋は、一成が安心できるように、憂うことなく眠れるよう願って、いつもアロマオイルを用意してくれた。その事実が、一成には嬉しい。

「くもぴとは、いつもめっちゃ盛り上がるんだよねん。海行きたいねって話すげーしてるし、ディンギーって小型ヨットとか興味あるんだって。ウェイクボードもやりたいって言ってたけど、くもぴ絶対めっちゃカッコイイと思う!」

 きらきらした表情で、一成は九門と交わした会話を語る。
 落ち着いた雰囲気の時も当然あるけれど、九門が部屋に来た時はこれから何がやりたいかなんて話をすることが楽しかった。あれがやりたい、こっちはどう?と、屈託なく未来の話をしてれる九門に、何度も勇気づけられたのだ。

「すみーはサンカクの話色々してくれるんだよね。どこでどういうの見つけたとか、今日のサンカクは何点だったとか。すみーワールドでめっちゃ楽しいし、オレが寝落ちするまでいつも話しててくれる」

 一成の隣で横になる三角は、いつも「今日のサンカク~」と言って取って置きのサンカクを一成に見せてくれた。見つけた時の状況だとか、どうしてこれが今日一番のサンカクなのかを教えてくれる。
 それを聞くのが一成は好きだったし、三角の声を聞きながら眠りに落ちていくと、不安が溶けてゆくようだった。
 夏組のみんなが一緒に眠ってくれたことは、一成の心を何度も救い上げた。
 殺される夢を見て目覚めてしまって、それに気づいて起こしてしまうのが申し訳なかった。そう言えば夏組のみんなはきっと首を振って、当然のことをしているだけだと答えるだろう。
 わかっていたし、一成にとっても隣で一緒に夏組が眠ってくれることは、お守りと同じだった。だから、夏組の好意に甘えてきたのだけれど、きっとそれを彼らは嬉しいと笑ってくれるだろうな、と今の一成は思っている。

「テンテンはね、ぎゅーってしてもらうのが好き。めちゃくちゃ安心する」

 頬をほんのり染めた一成は、くすぐったそうに言葉を続ける。
 天馬が一成と一緒に眠る回数は、あまり多くない。その内の何回かを、一成は天馬に抱きしめてもらって眠っていた。それはこの上もなく一成を安心させたのだ、と照れくさそうに言った。

「そういえば、ぎゅーってしてもらったのはテンテンだけかも」

 何かを思い返していた顔で、一成が言った。天馬はぱちりとまばたきをして、思わず「そうなのか」とつぶやく。
 スキンシップが多い一成のことなので、自分以外でも抱きしめてもらっている可能性は考えていたのだ。だけれどそれは自分だけだと知らされて、天馬の心は否応なく弾んだ。

「うん。手つないでもらったことは結構あるんだけど、抱きしめてもらうのはテンテンだけだねん」

 記憶を取り出して何かを確認したらしい一成が、力強くうなずいた。
 悪夢を見たあとなどは手をつないでほしい、と言っていたらしいけれど、同じ布団に潜り込んで抱きしめて眠りに落ちたのは、天馬だけだと一成は言う。
 基本的に夏組としての距離感を保っているとは言っても、天馬に対してだけは近い距離で身を寄せてくれている、という現実に天馬の気持ちが浮上していく。
 意識してそうしたわけではないらしい、という事実も天馬の心をくすぐった。
 恐らく一成は、無意識で天馬にだけ抱きしめてもらいたいと望んだのだ。それは、どんな言葉よりも雄弁に、一成の心が天馬を求めているという事実を伝えている。

「あ、だからかな」

 恋人からのストレートな好意にそわそわしていると、一成が何かに気づいたような声を発する。一瞬で意識を引き戻された天馬が視線を向けると、少しだけ困ったような表情が目に入る。
 どうしたのか、という意味のまなざしを一成はきちんと受け取ったのだろう。わずかに逡巡したあと、ゆっくり口を開く。

「テンテンと寝ると、殺される夢見ないんだよねん。テンテンだからだと思ってたけど、ぎゅーってしてもらってたのも関係あるかも?」

 さらりと告げた一成は、何でもない口調で言葉を続けた。
 夏組と一緒に眠っても殺される夢を見ることは見る。だけれど途中で気づいたのだ。天馬と一緒に眠った日には夢を見ないと。その言葉に、天馬は思わず口を開いた。

「言えばいいだろ。そしたらオレがずっと一緒に寝てやるのに」

 確かに天馬は、一緒に眠っている間に一成が悪夢で起きた気配を感じたことはなかった。夜中に目覚めた時、こっそり一成の様子を何回か確認しているけれど、すやすやと穏やかに眠る姿しか見ていない。
 ただ、それは自分が鈍いだけかもしれないという可能性は考慮していたので、積極的に問いただすことはしなかった。わざわざ殺される夢を思い出させたくもなかったからだ。
 しかし、事実として天馬と眠れば夢を見ない、と気づいていたなら、天馬や夏組に言えばいいじゃないかと思うのは自然の道理だろう。一成は慌てたように、言い訳めいた口調で言葉を発した。

「気づいたの、マジで結構あとになってからだし! そのころは夢見る回数も減ってたし、それ以外は体調も良くなってたから、まあこれくらいなら平気かな~って思ってたんだよん!」
「お前はまず、耐える以外の選択肢を選べ」
「えー、だって、これ言ったらテンテン一緒に寝れない日は気に病むし、他のみんなだってテンテンがいればって思うじゃん。それはちょっと嫌かな~」

 あっさりと返された答えに、天馬は口をつぐんだ。
 一成が「天馬と眠れば夢を見ない」と言ったとして、毎回天馬が一緒に寝られるわけではない。その場合他の誰かが一緒に眠るけれど、そこで一成が殺される夢を見たのなら。
 天馬は自分が一緒にいられなかったせいだと思うし、共に眠った夏組の誰かは「自分じゃなくて天馬がいれば夢を見なかったのに」と、自分を責めるだろう。一成が予想した通りだ。

「でも、今はもうほとんど夢見ないからさ。だいじょぶだよん!」

 明るい笑顔で、天馬を励ますような調子で一成が言った。この場合、励まされるのはお前であってオレじゃないだろう、と天馬は思うのだけれど。
 当然のように天馬や夏組の心を慮って、自分自身より優先させてしまうのが一成という人間なのだと、天馬はよく知っていた。なので、天馬は一つ息を吐き出すと、強い目で口を開く。

「もしもまた、お前が傷つく夢を見たら絶対オレに言え。嫌だって言っても一緒に寝る」

 一成が心配した理由はよくわかった。だけれど、今後もしも同じ状況になったとして、黙ったままにしておけるはずがない。
 一成が何を言おうとも、仕事の都合はどうにかつけて協力が必要なら誰かの手を借りてでも、安心させてやりたいのだ。一成は面白そうな顔で笑った。

「嫌だとか、オレが言うわけなくない? 夢見なくても、テンテンにぎゅーってしてもらうの好きだもん」

 当たり前のことを語る口ぶりで一成は言うのだ。
 テンテンに抱きしめてもらうと、すごく安心するし嬉しい。だから、夢を見なくたって嬉しいのに、怖い時にテンテンがぎゅーってしてくれたら、オレ絶対大丈夫じゃん。
 信頼と好意を隠しもしないで紡がれる言葉に、天馬の胸には際限なく愛おしさがあふれていく。
 大事だと思う気持ちにはきっと限りがないんだな、と思いながら一成に手を伸ばした。額にこぼれ落ちる髪の毛を辿って、頭を撫でる。やわらかく手のひらを行き来させると、一成がふわふわと笑った。
 こんな風に笑っていてほしい。幸せしか知らないみたいに、ずっと笑っていてほしい。
 思いながら、天馬は手のひらを頬へ滑らせた。やわらかな温みが伝わって、胸が詰まる。
 一成が笑っている。光の全てで紡いだみたいな、やわやわとしたまばゆさで。確かな温もりをこの手に宿して。これからずっと、この笑顔を守っていくのだと思う。オレの大事な宝物を、人生の全てで。
 誓うような気持ちで思った天馬は、「一成」と名前を呼んだ。今までずっと思っていたことを口にするならきっとこの場面だ、と思ったからだ。一成は、やわらかな笑顔のまま「どしたの?」と問いかける。

「ずっと考えてたんだけどな。カンパニーのみんなに、オレたちのことをちゃんと報告したい」

 今回の一件で、MANKAIカンパニーのメンバーにはたくさん世話になった。その過程で、恐らく二人の関係に気づいた人たちがいるであろうことは察しがつく。
 そこまで積極的に隠していたわけではないし、天馬の行動からはどれだけ一成を大事に思っているかが如実に伝わるだろうから、気づく人間がいてもおかしくはない。
 だけれど、直接自分たちから言葉にしたわけではないことが気にかかったのだ。大事なMANKAIカンパニーのメンバーに隠し事をしているようで。

「黙ってるからって何かを言う人たちじゃないってことはわかってる。だけど、オレたちの力になってお前を大切に思ってくれてる人たちだ。隠したままじゃなくて、ちゃんと報告したい。だから、一成の許可がほしい」

 これは天馬一人だけの話ではなく、一成と二人に関わることだ。だから、独断で決めることはできない、と真剣なまなざしで一成に言ったのだけれど、当の一成は目をまたたかせている。

「オレは全然いいんだけど、テンテンこそいいの?」
「オレが言いたいんだよ」

 芸能人皇天馬としてはどうなのか、という意味で問いかけるも即答された。
 まあ、MANKAIカンパニーのメンバーがことさら吹聴するような人間ではない、ということはわかっているので、特にスキャンダルのことを配慮する必要がないというのも事実ではある。
 なので、テンテンがいいならオレももちオッケーだよん!と一成は答える。天馬は嬉しそうに笑ったものの、すぐに遠い目をしてつぶやいた。

「……まあ、大部分は察してると思うけどな」
「あー……まあね~。ロンロンは絶対気づいてるし、アズーとかチカちょんとかも確実」
「紬さんと万里さんも気づいてると思う。咲也はどうだろうな……」
「サクサクはピュアでいてほしい~。でも意外と敏感なとこあるよね」

 二人はカンパニーのメンバーを思い浮かべて、誰が気づいているかについてあれこれと言葉を交わした。
 二人の予想では、むしろ気づいていないメンバーを挙げたほうが早いのでは?という結論になって、そろって噴き出した。

「やべ~。オレらだだ漏れすぎじゃね?」
「幸辺りには何か言われそうだな」
「『気づいてない人間がいることのほうが奇跡』とか言われそう」

 幸の声真似で答えれば、天馬が楽しそうに笑い声を上げる。その声を聞く一成の心はふわふわと舞い上がるし、一成が嬉しそうでいてくれれば天馬の胸も弾むのだ。
 駆け出したくなるような気持ちのまま、天馬は言う。

「もしかしたら改めて言う必要はないのかもしれないけどな。でも、オレの言葉でちゃんと言いたいんだ。一成のことを、これからずっと大切にしていくんだって、ここでみんなに誓いたい」

 頬を包み込んだ手のひらからは、一成のぬくもりが伝わってくる。天馬を真っ直ぐ見つめる瞳はきらきらと輝いて、この上もなく美しい。
 それら全てが当たり前ではないと天馬は知っている。だからこそ、その全てを守って大切にしていくのだと、大事な人たちが集うこの場所で誓いたかった。
 一成は天馬の言葉を受け取って、はにかんだ表情を浮かべる。そっと笑みを乗せた唇で、やわらかな声を紡ぐ。

「なんかプロポーズみたいで照れんね」

 これから先の未来を誓うなんて。大事な人たちのいる場所で、特別なたった一人を大切にする決意を口にするなんて。確かにプロポーズみたいだな、と思った天馬は素直に口を開く。

「間違ってないだろ。これから先の人生、お前とずっと一緒にいるって誓うんだから」

 ここで出会った自分たちは、特別なつながりを結んで、これから先の未来まで共に歩むと決めたのだ。
 MANKAIカンパニーがなければきっと出会うことはなかった。だからこそ、未来を誓うのに、MANKAIカンパニーのメンバーほどふさわしい相手はいないだろう、と天馬は思う。

「――うん。そだね」

 一成はぱちり、とまばたきをしたあと、静かな声で答えた。笑みは浮かんでおらず、真剣なまなざしを天馬に向けるのは、揺るぎのない決意を受け取ったからだ。
 これからの人生をともに分かち合い、自分の思う全てで大切な人を守って生きていく。天馬の心からの言葉を一成は抱きしめるように受け取って、口を開く。

「オレもおんなじ気持ちだよ」

 丁寧な声だった。一つ一つの言葉を確かめて、やさしく紡いでゆくような。天馬の耳に届く声が、何もかも美しくあるように願うような。震える心をそっと形にして伝えられる言葉は、まばゆい光を宿している。
 同じ気持ちだと、一成は答えた。
 共に人生を歩み、未来まで一緒にいるのだと。大事なのだと、宝物だと思っているのは天馬だけではない。
 一成だって、天馬のことをこれから先の未来まで、人生の全てで大切にしていくのだと誓っている。
 届けられる言葉があんまり綺麗で、光の全てで紡がれるようで。天馬の胸には愛おしさがあふれだして、ほとんど衝動で一成の腕を引いて抱きしめた。
 両腕で掻き抱けば、一成も背に手を回して同じように力強く答える。離れない。離さない。言葉よりも確かに伝わって、二人はただ互いの存在を分かち合う。
 腕の中の温もりを、合わさる鼓動を、抱きしめる力強さを、確かにここで生きている全てを。一つだってあますところなく、体中の何もかもで感じている。
 
 時計の秒針だけが響く部屋で、二人はしばらくそのまま互いを抱きしめていた。

 ただ、ずっとこの状況でいるわけにもいかない、ということくらいはわかっていた。どうにか動いたのは天馬が先で、抱きしめる腕をゆっくりほどいた。
 離れてしまう体を名残惜しく思ったけれど、ずいぶん時間が経っていることに気づいたからだ。
 一成の体調が良くなっていることは事実と言えど、夜更かしをさせるわけにはいかない、というのはもはや夏組に染みついた習慣だった。そろそろ寝るぞ、と言えば一成が息を漏らすように笑った。

「体調管理バッチリだねん、テンテン」
「お前を大事にしたいんだよ」

 本心を伝えると、一成の笑みが深くなる。やわらかな光をこぼして、「ありがと、ダーリン!」と告げる様子は心からの喜びをたたえている。

 それから二人は寝る準備をととのえて、布団に入った。こうこうとついていた電気を消すと、部屋は小さな明かりで満たされるものの薄暗い。ただ、一成は恐慌を来たすことがなかったので、天馬は内心でほっとしていた。
 隣の布団で横になっている一成へ視線を向けると、一成も天馬のことを見ていたらしい。ばちりと目が合う。すると、一成は何だか曖昧な笑顔を浮かべるので、天馬は怪訝な顔をする。
 言いたいことでもあるのか、と尋ねようとすれば、それより早く一成が口を開いた。何かをうかがうような、少しだけ口ごもった雰囲気で。

「テンテン、あのさ、夢見なくてもテンテンのところ行ってもいい?」

 おずおずとした調子でこぼされた言葉に、天馬が思わず目を見張ると、その空気を察したらしい。「だめだったら全然平気だけど!」と続けるので、とっさに声になった。

「だめなわけないだろ」

 むしろ、なぜ断られると思うのか、という気持ちで答える。驚いたのは一成が普段こんな風に甘えてくれることが少ないからであって、内容自体はむしろ歓迎したかった。
 恋人の可愛らしいお願いを断るわけがないし、そもそも天馬は一成が望むことなら何だって叶えたいのだ。ノーという選択肢は最初からなかった。ただ、一成は天馬の返答にほっとしたように「よかった」と言うので、本気で心配していたらしい。
 天馬が無言で自分の布団を持ち上げると、傍目にもわかるくらい雰囲気を明るくして布団に潜り込んでくる。
 二人で寝るには狭いけれど、近い距離に一成がいてくれることが嬉しかったし、その一成も楽しそうに笑っているのでそれだけで天馬の胸はいっぱいになる。

「色々話しよって言ったらだめなやつ?」
「一成と話すのは楽しいけどな。今日は寝ろ、明日起きたらいくらでも聞く」
「さすがテンテン、めっちゃやさし~」

 向かい合った一成からこぼれる笑い声が、耳に心地よい。こんなに近くにいてくれること、その体温を感じられること、明日の約束ができること。それら全てが、どうしようもなく愛おしくて大切だった。

「そんじゃ、今日はおとなしく寝よ。おやすみ、テンテン」

 唇に笑いのかけらを残しながら、一成が言う。その声に「ああ」と答えた天馬は、そっと一成へ手を伸ばした。やわらかな金髪をゆっくりと撫でると、一成は一瞬驚いたような顔をしてから目を閉じた。
 天馬の手のひらを、体中で感じようとするみたいに。大事な人のぬくもりを一つだって逃すまいとするように。
 まぶたを閉じた一成を、天馬は見つめる。
 永遠に閉じられたままだった過去を知っている。だけれど、明日になればこのまぶたは開くのだ。緑色の綺麗な目で天馬を見つめてくれるのだ。だから。

「おやすみ、一成」

 やさしい声で、天馬は言った。思う限りの全ての愛おしさと、心からの祈りを込めて。
 もう二度と、悪い夢を見ることなく眠ってほしい。夜に怯えて泣くこともなく、傷つけられた痛みを抱え続けることもなく、安寧の眠りが訪れるよう願っている。だからどうか、と天馬は祈る。
 誰よりも大切な、オレの宝物。この世界で一番大事にしたい。どうか夜がやさしくあってほしい。ただ穏やかな眠りを受け取っていてほしい。そしてまた明日、朝の光に目覚めて笑ってほしい。

 だからどうか愛しい人よ。今夜は、夢も見ずにおやすみ。







END