スウィートホーム・シンフォニー 最終話
全ての仕事を終えて、自宅へと帰り着く。扉を開けると一成が勢いよく「ただいま~!」と飛び込んだ。人感センサーが反応し、玄関は明かりで満ちる。天馬もあとに続いた。
室内に上がった一成は、笑顔で等身大ラクダのオブジェに近寄った。頭を撫でて「今日もかわいいねん」とコメントしてから、洗面所へ向かっていく。
帰ってくるたび、ラクダに話しかけていることは天馬も知っていた。おかげで、天馬も最近では何となくラクダを気にするようになっていた。さすがに話しかけはしないものの、まあオレの相棒だしな、という気持ちになっているのだ。
一成の影響をしみじみと感じつつ、天馬も洗面所へ向かった。帰宅後はすぐに手洗い・うがいが習慣になっているのは、寮での生活のたまものだった。
広い洗面所は、二人が並んでも余裕がある。一成は「ハンドソープもうちょっとでなくなりそうかも~」と言いながら、備え付けの棚を開けていた。在庫を確認しているらしい。
「あれ、詰め替えなかった。買い忘れたかな」
「明日買ってくるか? 他にも何か買うものあっただろ」
手を拭きながら天馬が言えば、一成が「そだねん」とうなずいた。買い物リストはアプリで管理しているので、あとで確認しようということで落ち着く。
遅い時間だったので、夕食は外で取っていた。風呂を沸かしている間に、天馬はキッチンに立つ。室内は適度な温度に保たれているものの、外はすっかり冷えていた。温かいものを用意しようと思ったのだ。
「ありがとねん。テンテンが淹れてくれるドリンク、いつもめっちゃ美味しい」
にこにこと嬉しそうに言って、一成は天馬が差し出したマグカップを受け取る。透き通った黄色い液体は、ホットレモネードだ。ほかほかと湯気を立てており、両手で包んだカップも温かい。
「はー、すごいあったまるし、甘くて美味しい」
心から、といった調子で一成は言葉をこぼす。その顔は心底幸せそうで、隣に座った天馬も自身のマグカップを傾けつつ、「ならよかった」と答えた。
何だかんだで、天馬が一成に飲み物を用意することが多いのは、一成がこうやって喜んでくれるからだろうな、と思いつつ。
「このはちみつ、テンテンがこの前買ってきたやつ?」
「ああ。番組で紹介されて気になったんだ。レンゲって言ってたな。他にもいろいろあって、桜のはちみつとか、樹液をもとにしたものもあるらしい」
「そうなんだ。もしかして、はちみつ取れる木もあるのかな」
興味深そうに一成は相槌を打ち、それから庭へと視線を向けた。
やわらかな明かりで照らされるのは、すっかり馴染んだ風景だ。丸みを帯びたヤマモモは、冬になっても変わらぬ姿で葉を茂らせている。ただ、葉を落とした木々もいくつかあり、庭は夏と違った顔を見せていた。
落ち着いた色彩でまとめられて、洗練された空気があるのだ。夏のまぶしさとも、秋の切なさを誘う雰囲気とも違って、凛とした気配が漂っていた。
「どういう植物なのかとか、もっといろいろ詳しくなりたいよねん」
「そうだな。さすがにヤマモモの木は覚えたが、他はちょっと曖昧だ」
「芝生の手入れとかも、自分たちでもちょっとはできるようになりたいし!」
楽しそうに言う一成は、暇を見ては庭の様子をスケッチしていた。染井監督にあれこれ話を聞いたり、紬に質問をしたりして、少しずつ庭の植物を把握しているのだ。
元来勉強熱心な人間なので、気づけばだいぶ詳しくなっている。天馬が「あれは何ていう木だ?」と尋ねれば「アセビだねん」なんてすぐに答えてくれる。
「いろんな木があって面白いし、何か森の中みたいだよね。キャンプしたくなっちゃう」
「まあ、小さいテントなら張れそうだよな」
そこまで大きなものでなければ、テントを張るくらいの余裕はあるだろう、と天馬が言う。一成は唇に笑みを浮かべて「おうちキャンプやっちゃう?」と楽しそうだ。
「電源ならあるから、寒さ対策はばっちりできるし! ミニこたつとか持ってきたら、めっちゃいい感じになりそう! 囲炉裏っぽくとかしたいかも」
うきうきとした調子で言う一成の頭には、いくつものアイデアが浮かんでいるのだろう。輝きを宿す瞳、ほころぶ唇。一成が嬉しそうで、楽しそうで、天馬の胸もつられるように弾んだ。
「やりたいこといっぱいあんね。今年の冬だけじゃ足んないし、来年もめっちゃ楽しみ。春になったらお花見もしたいし、ガーデニングパーティーとかもやりたいし」
真っ直ぐ庭を見つめる一成が言って、天馬は相槌を打った。
やりたいことも、見たい景色も、たくさんある。これから先、それを二人で叶えていくのだ。言葉にしなくても、天馬も一成も同じ気持ちでいることはわかっていた。
一成は天馬へ視線を向けると、くすぐったそうに笑った。さっきまでのはつらつとしたものより、やわらかく。天馬も同じようにほほえむ。二人は隣同士で寄り添って座り、明かりに照らされる庭を見つめていた。
しばらくの沈黙が流れたあと、一成がつぶやく。ホットレモネードの入ったマグカップを両手で包んで、しみじみとした調子で。
「今日はいっぱい話したね」
「朝からずっと取材だからな」
自分のホットレモネードを飲んだ天馬が、ゆったりとした調子で答えた。一成は「うん」とうなずいたあと、こくり、こくり、とマグカップを傾ける。それから、思い出した顔で口を開いた。
「てかさ、テンテンまさか一緒に暮らしてるって話、言うとは思わなかったな~」
面白そうに、きらきらと顔を輝かせて一成が言う。意外に思ってはいるけれど、当然嫌がっているわけではない。天馬はそれを受け止めて、ニヤリと笑みを浮かべる。
「隠しておく方が面倒だし、妙な勘繰りをされる可能性があるからな。映画にかこつけて公表しておいた方がいいだろ」
「それはそうだけど! 事務所的にNG出るかと思ってたんだもん」
「まあな。わざわざ表に出す必要はないんじゃないか、聞かれたら答えればいい、とは言われた。それも一理はあるだろうが――オレが言いたかったんだ」
きっぱりと、天馬は答えた。
事務所からは、全面的な賛成を得られたわけではなかった。
友人としての顔で、あくまでルームシェアしている、という体で話をするとしても、わざわざ公表する必要はない。隠すわけではないのだ。いずれ周囲も知ることになるのだから、その時に正直に話せばいい。自分から話を切り出せば、余計な詮索を招くかもしれない。
スキャンダルの芽は極力つぶしておきたい、というのはもっともな話だと天馬も思ったのだ。それでも、天馬はあえて自分から口にすることにした。どうか言わせてほしい、と頭を下げたのだ。
「一緒に住んでるんだって、同じところに帰るんだって言いたかった」
ライターの食いつきから考えても、十中八九、二人が一緒に住んでいるという話は記事になるだろう。恋人としての顔は見せないから、当然ルームシェアでしかない。あくまで友人、夏組の関係性だ。
そうやって嘘を吐くと決めたから、何を聞かれても友人の顔をしている。仲の良さだとか親密さに、冗談めかして恋人みたいだと言われたって、首を振る。
だからこそ、天馬はたった一つの事実を自分から言いたかった。嘘を吐いて、本当のことは隠していく。それでも、これだけは本当だ。
一緒に暮らして、これから先まで共に生きていく。オレたちは、同じ場所に帰るのだ。
聞かれたから答えるのではなく、自分の意志で告げたかった。宣言するみたいに、誓うみたいに。何一つ隠すことなんてないのだと、間違ってなんかいないのだと、堂々と胸を張って。
一成は天馬の言葉に、数度目をまたたかせる。だけれど、すぐに笑みを浮かべた。きゅっと目を細めて、ふわふわとやわらかに唇をほころばせて。天馬の気持ちなら、真っ直ぐと伝わった。
「うん。おんなじところに帰れるの、オレも嬉しい」
心から一成は告げた。天馬はあえて自分から「一緒に住んでいる」という話をした。それは天馬の決意だ。
この関係に違う名前をつけて公表するとしたって、大事なことは変わらない。二人にとっての、一番大切な部分は何一つ嘘にしない。そういう決意だ。
受け取ったのだと伝える笑みで、一成は言葉を続ける。
「テンテンと仕事できるとか、現場が一緒とかも、めっちゃ嬉しいけど。おんなじ家に帰ってこられるのが、一番嬉しい」
何があっても、家に帰れば天馬がいてくれる。その幸福を、一成は何度だって感じている。
仕事を終えて、用事を済ませても、別れなくていいことが嬉しかった。疲れた体で帰宅すれば、天馬が出迎えてくれてほっとした。個展の初日、いってこいと送り出してくれた笑顔が力強かった。
同じ家に帰って、同じ家で過ごして、同じ家で生きていくのだと、今日までの日々で一成は強く思う。
朝一番に天馬に会えること。一日の終わりに、直接おやすみと言えること。楽しくて笑いだしそうな日も、悲しくて涙をこらえた日も、胸が痛くて苦しい日も、心が弾んで仕方ない日も、どんな日も、天馬と一緒にこの家で過ごしていくのだ。
「ね、テンテン。オレ、テンテンにたくさん、ただいまもおかえりも言うよ」
真っ直ぐ天馬を見つめて、一成は言う。きらきらとまばゆい、こぼれだしそうな笑みを浮かべて。天馬は力強いまなざしで、輝きの全てを受け止める。
同じ家に帰る。これから先の未来まで、二人で共に日々を営んで生きていく。その事実を抱きしめるような一成の言葉に、天馬は大きくうなずいた。
「ああ。何回だってオレが答えてやるから、一成もオレに言ってくれ」
ただいま。おかえり。天馬にとっては慣れなかった言葉も、MANKAI寮で暮らす内に、すっかり体に馴染んだ。今その言葉は、特別な人と交わす誓いになった。
だからこそ、心から一成に告げた。何回だって、ただいまもおかえりも繰り返していこう。一番身近で、何より強い愛の言葉を、二人でずっと交し合おう。
誓うような答えに、一成は嬉しそうに笑った。まばゆい光があふれるみたいな天馬の言葉。それを受け取る一成は、ただ静かに思った。誓いにも似た敬虔さで、当然の出来事を語る自然さで。
ああ、これから先の未来まで、オレはずっとテンテンといるんだ。
「約束だよ、テンテン」
たくさんのただいまとおかえりを紡いで、二人で暮らす家に帰ろう。
この場所で、オレたちの愛しい我が家で。オレたちの選んだ未来を、いくつも重ねて生きていこう。
スウィートホーム・シンフォニー END