スウィートホーム・シンフォニー 32話
皇事務所の一室で、天馬と一成はインタビュアーと向き合っている。
モダンなトーンで統一された、落ち着いた部屋だ。長机を挟んで重厚な椅子が置かれており、壁にはテレビモニターが架かっている。会議室や打ち合わせにも使えるものの、インタビューを受ける際によく利用される。
「浅き春のカノン」は無事に完成を迎え、マスコミ向けの試写会を行った。前評判の高さに加え、実際の作品はそれを上回る出来と言っていい。結果として、続々と取材依頼が舞い込んでおり、特に主役二人へのものが圧倒的に多い。
スケジュールを調整する手間も考え、二人そろってのインタビュー依頼は皇事務所の一室で行うことが通例だ。今日は、朝からいくつもの取材を受けており、今二人のインタビューを行っているのは、映画系メディアのライターだ。
二人とも面識のある相手だったし、掲載メディアに登場するのも初めてではない。それもあって、インタビューは和やかに進んだ。
四十代後半のライターは、朗らかに二人の話を広げていく。「浅き春のカノン」の話題だけではなく、過去の出演作にも精通しており、話題には事欠かない。MANKAIカンパニーについても当然熟知しており、懐かしい話もたびたび飛び出した。
「――なるほど。夏組公演での経験が、やはり映画にも現れているんですね。食事のシーンは、夏組ファンとしても注目度が高くなりそうです」
夏組の話にからめて、「浅き春のカノン」の内容についても言及する。撮影のことを思い出しながら質問に答えていくのは、天馬と一成にとっても心が弾む時間だった。
クランクアップを迎えてから、染井監督をはじめとしたスタッフたちは順調に制作を続けた。途中で追加シーンの撮影を挟みつつ、無事に「浅き春のカノン」は完成したのだ。
キャストやスタッフ、宣伝会社などを集めた初号試写会で、いざ実際の映画を視聴した時は感無量だった。どんな映画でも、この瞬間は天馬にも一成にも特別な時間だ。舞台公演とは違って、時間を掛けて完成する作品を目の前で見られることは、何事にも代えがたい喜びだった。
それからライターは、いくつか映画の話をしてから、わずかに雰囲気を切り替える。少しくだけた調子で「今回の映画出演で、三好さんを取り上げるメディアもずいぶん増えましたね」と言う。
「もともと、多方面で活躍されている方ではありましたが、最近では顔を見ないことがないくらいです。皇さんともども、今年の顔と言える活躍ぶりですね」
「浅き春のカノン」出演以降、一成の周囲は一気に慌ただしくなった。さすがに、発表当時ほどの熱狂は落ち着いた。しかし、映画撮影時期は夏だったものの、季節を重ねて秋になり、冬になっても変わらず一成へのオファーは絶えない。
一成の演技力に加え、本人の持つキャラクター性やそこから発生する明るいやり取り、聡明なコメントが受けて、一定のポジションを確立しつつあるのだ。天馬の活躍ぶりは毎年のことながら、そこに一成も加わる形となっている。
「現在はフリーランスとして活動していらっしゃいますが、今後は事務所へ所属する可能性もあるのでは? 映画撮影中は、一時的に皇事務所の扱いとなっていたとお聞きしていますが」
丁寧な口調で尋ねられて、一成は「そうですね」と答える。皇事務所の世話になっていたことは、特に隠してはいない。映画撮影中の利便性を考慮した結果である、とも公表しており、クランクアップ後は円満に契約を解除したことも正式に発表していた。
「今後のことを考えると、その可能性はあります。やっぱり、いろいろとありがたいことも多いので」
「そうなると、やはり皇事務所?」
「そこなんですよね。皇事務所には、本当にお世話になってて――特に、テンテンのマネージャーさんは、オレのことも昔から知ってるっていうのもあって、めちゃくちゃ助けられました」
明るい笑顔で一成は答える。かっちりした話し方も当然できるけれど、今日の取材は比較的くだけて受け答えしていた。インタビューが掲載されるのは、エンタメ系の雑誌だったしたびたび一成のことを取材しているので、こちらの話し方の方が馴染み深いと踏んだのだ。
「本当、ちょっとオレの専属として引き抜きたいくらい!」
「待て、井川はオレのマネージャーだぞ」
冗談めいておどけて言えば、天馬が突っ込んでくれる。一成は軽やかに笑った。本気でないことは、天馬だってわかっているだろう。
後ろでずっと控えていた井川が、若干驚いたような空気を流したものの、冗談の気配はすぐに感じ取ったらしい。何も言わず、二人のやり取りを見守っている。
「でも本当、優秀なマネージャーさんがいてくれるのはありがたいなって、今回実感しました」
「そうだろ」
「なんでテンテンが自慢げなのかな~」
「オレのマネージャーだからな」
胸を張って天馬が答えて、一成は声を立てて笑う。気心知れた二人のやり取りに、ライターも唇をほころばせる。夏組としての二人を知っているからこそ、まるで昔のような様子にほほえましい気持ちになったのだろう。
「でも、すみーの所とかもどうかって言われてるんですよね。すみーの事務所、わりとマルチに強いので」
ライターに向き直った一成は、少しトーンを変えて言った。天馬の事務所との契約を解除したあと、あらためて事務所を検討しようと一成は思ったのだ。
今回の一件で、事務所に所属する利点は大いに感じた。この先の仕事量の増加を考えると妥当な判断だろう。天馬にも相談しているので、いろいろと意見はもらっている。
「別にうちでもいいだろ」とは言うものの、一成の才能を存分に活かすという意味では、芝居メインの皇事務所とは別の選択肢があることは、天馬とて理解している。
その中で、三角の所属する事務所が候補にも挙がっているのだ。三角がのんびり「うちにおいでよ~」と言っていたこともあるし、事務所側も乗り気らしい。
所属するのは役者以外にも多岐に渡るので、芝居以外の多方面に強いのも事実だ。日本画家やデザイナーとしての顔を持つ一成の活動をサポートするのに向いているだろう。
ライターは一成の言葉に興味深そうに相槌を打ち、一成の役者以外の活動についても話を広げる。役者としてのメディア出演が最も多いとは言え、当然一成はマルチに活躍していた。
「三好さんの手掛けたコスメパッケージも話題になりましたし、この前の個展も大盛況だったとお聞きしました。連日満員、作品の写真撮影やアップロードも歓迎ということで、SNSでも盛り上がっていましたね」
「本当にありがたいことに、たくさんの方が来てくれました。いろんな人が見てくれて、感想もたくさんいただけて。ただ、来られなかったという声も多くあったので、別日程での開催も計画しているところです」
にこにこと答えれば、ライターが楽しそうに「それは吉報です」と答える。ただでさえ、日本画家としての評価は高かったところに、最近のメディアでの露出ぶりだ。
いつもより大きな会場を押さえたものの、来場者は予想よりも多かった。最終日まで盛況で、一成がデザインした関連グッズも全て売り切れたくらいだ。
「『浅き春のカノン』では、三好さんの絵が見られるということでも評判になりそうです。作中でも大変印象的な絵でしたし、もっとじっくり見てみたかったですね。そういった声は、ファンからも上がりそうです」
完成した作品では、随所で一成の絵が効果的に使われていた。蒼生の心情と重なるようなカットが差し込まれ、美術館のシーンでもよりいっそう魅力的に映るよう調整がされており、見るものの心に強く残る仕上がりとなっていたのだ。
映画作品のアイテムとしても、実際の絵が見たいという声が上がることはうなずける。加えて、日本画家三好一成の作品としても、今までにない表現によって描かれているのだ。ファンにとっては垂涎の作品と言える。
「あの作品は、映画の小道具として保管されているのでしょうか。それとも、三好さんの作品ですし、三好さんの手元にある?」
一応映画の小道具ではあるので、制作を行った染井監督の会社が保管するのが道理である。ただ、日本画家三好一成の作品とも言えるので、一成に所有の権利が発生することも考えられる。その点に関しては、染井監督が一成の意向に従うと言ってくれた。
一成は「ああ」とうなずいて、笑顔で答えた。
「あの絵は、染井監督の自宅に飾ってもらってます」
染井監督は、クロッカスの絵を殊の外気に入っていた。映画のアイテムとして、というより純粋に作品として心が惹かれたらしい。染井監督はその話を素直に一成に伝えていたし、ことあるごとに作品の前にたたずんでいる様子から、周囲も理解していた。
なので、染井監督に話を切り出された時も、驚きはなかった。話し合いの末、クロッカスの絵は三好一成の作品という扱いになったあと、もしも良ければあの絵を手元に置きたい、と。
染井監督は購入の意志を伝えたし、相応の額を支払うつもりではあった。ただ、一成としては、あの絵は映画がなければ生み出されなかったものである。言うなれば、染井監督も作品の一部を担っているので、そんな人から金銭を受け取るのは気が引けた。
もっとも、染井監督もちゃんとお金を払いたい人間である。双方なかなか譲らないので、事態が膠着しそうになったものの、最終的には譲渡という形に落ち着いた。間に入ったのは天馬で「なんでオレなんだよ」と言いつつも、面白そうではあった。
そういうわけで、クロッカスの絵は染井監督の自宅で、大切に飾られている。リビングに掛けられて、部屋に彩りを添えているのだと、嬉しそうに報告してくれていた。
ライターは一成の言葉に「なるほど」とうなずいた。天馬が間に入った経緯も含めて、興味深そうに聞いていて、監督と主役陣の関係性を伝えるエピソードだと思ったのかもしれない。
さらにいくつか、絵にまつわる質問をしたあと、ライターは言葉を継いだ。
「アクシデントにより、三好さんが手掛けることになったとお聞きしていますが、主役として撮影に臨みながらの制作は、何かと大変だったのではありませんか」
クロッカスの絵を制作する経緯については、染井監督が詳しく語っていた。もとからその予定だった、とすることもできたけれど、わざわざ嘘を吐く必要はないと正直に説明していたのだ。
一成は、ライターの質問に少しだけ考える。
「日数少なかったのはちょっと大変だったかな、くらいですね」
そこまでの労力ではなかった、と一成は思っていた。実際の日数が少なかったこともあり、体感として過ぎ去っていった時間があっという間だったからだ。
ただ、隣の天馬が呆れたような表情を浮かべていて、ライターはそれを見逃さなかった。
「皇さんは別の意見がおありのようですが」
「隣でずっと見てましたからね。撮影中以外、休憩時間はずっと絵の構想練ってましたし、移動中も同様です。家に帰ってからは、他のことは一切せず絵を描くことだけに没頭する。ロケ前日には徹夜して完成させてたくらいです。見てる方としては、ちょっと大変だったどころじゃなかったんですよ」
しみじみとした口調で、天馬は答えた。
全ての神経を研ぎ澄ませて、深く集中した状態で作品に向き合う姿は、静かながら凄みがあった。軽い調子で「ちょっと大変だった」で済む話ではない、と天馬は思っている。もっとも、一成本人は本気で大したことだとは思ってないだろうけれど。
ライターは天馬の言葉にうなずいて、一成の様子を質問する。集中しすぎていると言える状態なら、隣でずっと見ていたのだ。食事を忘れるだとか寝るタイミングを逃すだとか、そんな話はいくらでもできた。
「――まあ、この辺は日本画家三好一成のブランディングイメージとして、表に出すかどうかは一成の判断ですけど」
「なら最初から言わなくて良くない!?」
「事実を話しただけだ。それに、お前この辺のエピソードには事欠かないだろ。最近少なくなってきたとは言え」
「そうだけどさ~」
昔はよく無理をしていた、という体で語られるエピソードに近いのは確かだ。ただ、それを現時点で公表するかどうかは、一成の判断に任せる、と天馬は言う。
もっとも、取り立てて隠さなければならない内容であるとは思っていないし、今回の作品に対する意気込みとしては、適切だとも思っていた。ライターは二人のやり取りに笑みを浮かべたあと、口を開いた。
「その辺りの取捨選択は、あとで三好さんに判断していただきますね。ただ、皇さんが三好さんのサポートを行っていた、という点についてはもう少しお聞きしたいです」
一成の状態を語るとなると、必然的に天馬のサポートにも話が及ぶ。食事や水分補給の世話、移動中の介助、適度な所で睡眠を取らせるなど、天馬が一成の日常生活を支えていたのは事実なのだ。
一成はライターの言葉にぱっと顔を輝かせる。
「今回、テンテンがたくさんサポートしてくれて! ずっと絵描いてて、食事忘れてた時に持ってきてくれたおにぎりめっちゃ美味しかったです」
「オレは一日撮影で、一成が一日絵を描いてる日があったんですよ。撮影を終えて帰ってきたら、集中しすぎて休憩も食事も取ってなくて」
スープとおにぎりを持ってきたくだりを、一成は楽しそうに説明している。それ以外でも、随所で発揮される天馬のサポートは的確で、だからこそ絵を描き上げることができたのだ、と告げる。
「スケジュールとかを調整して、絵を描く時間を作ってくれたこともそうです。いろんな人の協力があって、あの絵は完成したのでオレだけの力じゃないと思うし……一番はやっぱりテンテンかなって感じです」
「一緒に住んでるんだから妥当だろ。お前とは付き合いも長いし」
一成の言葉に天馬が胸を張って答える。夏組として、長い間近くにいたからこそ的確なサポートができたのだ、というのは紛れもない事実だった。恋人云々だとかではなく、友人として当然なのだから隠す必要はない。
ライターはその言葉に、大きく相槌を打ってから「役作りとしての共同生活が、思いがけない形で効力を発揮したんですね」と納得している。
二人が役作りとして、映画撮影の前から共に暮らしていることは周知の事実である。結果として、一成のサポートに役に立ったのだから、僥倖だったのだろう。
ライターは少し何かを考える素振りをしたあと、あらためて二人に向き直る。
「それでは、共同生活についてもいくつかおうかがいしたいのですが、役作りとして生活を共にすることで、作品にどのような影響がありましたか」
天馬と一成の仲の良さは、昔から夏組を知る人間にとっては当然の事実だ。MANKAIカンパニーの一員として、夏組は特別なつながりを結んでいる。
なので、初対面同士が親交を深めるための共同生活というわけではないのだ。それでも、いざ共に暮らすことの意味があったはずだ、という質問だった。
ライターの言葉に、天馬が「そうですね」とつぶやく。少しだけ考えてから、口を開いた。
「もともと長く寮生活をしていましたから、慣れている部分があったのは確かです。ただ、やはり二人で暮らすというのはまた違いますね。他の人がいない分、距離が近くなるというか――まあ、一成はもとから距離は近いですが」
苦笑を浮かべてから、天馬は落ち着いた表情で言葉を続ける。共に過ごした日々を、思い出して丁寧になぞるような雰囲気。
「生活の一部に、もう一人分のスペースがある、というのを意識するようになりましたね。自分以外のもう一人が、同じ場所で生活している。二人だけだからこそ、もう一人の存在感が増すんですよ。だから、自然と二人単位で動くようになりました」
買い物中に選ぶものが二人分になる。一成だったら甘い方が好きだろう、という理由で品物を決める。一成が洗濯をしているなら、代わりに自分が掃除をしよう。
生活していく上で、当たり前のように一成と自分という単位が出来上がっていくのを感じていた。
「オレもそんな感じです。テンテンがいるっていうのを前提にして、家事とかもしてたし。意外と家事ちゃんとできるんですよ、テンテン」
おどけたように一成も続けば、天馬は「意外っていうのはどういう意味だよ」と答えるけれど、その唇には笑みが浮かんでいる。一成は軽やかに受け止めて、「セレブイメージが強すぎるんだよね~」とからから笑った。
「そうやって、二人の生活が体に馴染んだ、というのが大きかったと思います。遼一郎と蒼生も二人を単位として生活していた。相手のいることが当たり前になっている、というのが理屈よりも体で理解できましたから」
「料理中のサポートが自然にできるとか、食事の時に空になったグラスに気づくとか、そういうところ褒められたもんね」
「そうだな。染井監督にも、二人の生活感がよく出ている、と評価してもらえました。互いの存在が生活の一部になっている、というのを実際に表現できたと思います」
静かでありながら、確かな自負を宿して天馬が答える。一成も隣で同意を示し、ライターは「なるほど」とうなずいている。
寮生活が長いとは言え、同室でなかったことも事実なのだ。仲のいい友人だとしても、あえて二人きりで暮らすことで、恋人らしい親密さに説得力を持たせたのだろう、と納得しているようだ。
そんなライターの様子を見ていた天馬は、ふと思い出した、といった調子で声を発した。ささやかで、さりげない響き。
「二人暮らしはなかなか新鮮だったし、居心地が良くて。一成相手なので気心は知れてますし、特にストレスになることもなかったんですよね。だから結局、解消する理由がないんですよ」
世間話の一端のような言葉だった。しかし、ライターは「え?」という表情を浮かべたし、一成も思わず目を瞬かせた。
ただ、もちろんその理由は双方で違っている。
ライターは戸惑うように「今も二人暮らし中なんですか」と尋ねるし、一成は思わず井川へ視線を向けた。すると井川は、全てを受け入れたような顔で、こくりとうなずくので一成は察した。マジか。皇事務所公認じゃん。
「ええ、そうですね。二人の方が何かと効率もいいですし、家事の分担もできますし。一成相手なら、特に心配することもないので」
何でもない顔で天馬が言う。一成はくすぐったいような思わず笑い出してしまいたいような気持ちになるけれど、そんな表情は一切見せない。いつもの明るい笑顔で「そうなんですよ」と口を開いた。
「テンテンと一緒に暮らすの、めっちゃ楽しくて! 面白いことあったらすぐ話せるし、ちょっと新しい料理試してみたいなってなったら、テンテンも巻き込めるし!」
「ほどほどにしてくれ。食べられないもの作らないのはわかってるが」
「おけまる~! でも、何だかんだ言って食べてくれるもんね、テンテン!」
冷蔵庫にあるものを組み合わせて、創作料理と称して出された食事をいぶかしみつつ食べてくれた話だとか、お互いおすすめの映画を選んで鑑賞会をしただとか。実際の出来事を、天馬も一成もライターへ話した。
仲が良いことは周知の事実だから、特に隠す必要はなかった。
寄り添って手をつないでいるだとか、お互いに触れ合っている内に盛り上がってキスを交わすだとか、そういう話は伏せるけれど、二人が慕わしい時間を過ごしていることを、天馬も一成も素直に口にする。
ライターは相槌を打ちながら、二人の仲の良さを語るエピソードに耳を傾けている。
「あとやっぱり、帰ってきたら人がいてくれるの大きいよねん。一人暮らしの時は、部屋真っ暗だったけど、テンテンの方が早いとお迎えしてくれるの、めっちゃ嬉しいです」
にこにこと一成が言って、天馬も「それはオレもだな」とうなずいた。天馬は寮で暮らすようになって初めて、「ただいま」と言えば「おかえり」が返ってくる生活をするようになった。しかし、一人暮らしの家では、それも叶わない。
「帰ってきて、誰かがいるとほっとするんだなっていうのをあらためて感じました」
しみじみとした言葉に、一成も大いにうなずく。天馬は「そういうわけなので」と言葉を継いだ。
「今はかなり快適な生活を送ってます。映画撮影がきっかけですけど、ラッキーだったなと思いますね。一成との共同生活は思った以上に居心地がよくて。どっちかが結婚するまでは、このままなんじゃないですかね」
「マジそれな~。テンテン、ずっと結婚しないでほしい」
天馬が冗談めかして言えば、一成も同じような響きで返した。明らかに軽口だとわかる、真剣な雰囲気の一切ない言葉。しかし、天馬も一成も理解している。
これは白々しい嘘だ。だって、人生を共にする相手はお互いだとわかっている。法律という確かな関係は築けなくても。結婚するのは、これから先、共に歩むのは隣にいるただ一人だけだ。
しかし、天馬と一成はあくまで友達同士の顔をしている。いつかお互いに結婚する可能性はあるかもしれない、なんて雰囲気で冗談めかした言葉を口にする。これからのことを考えて、口をつぐむと決めたからだ。
「テンテンと暮らすの、本当楽しくって。すぐエチュード始まっちゃうのもテンアゲだし、昔の公演見ながら今ならどんな風に演じるかとか、そういう話もできるし、毎日楽しいです」
「一成はいろんな視点から物を見られるので、結構参考になる意見が多くて。あと、単純に面白いものを見つけるのが上手いから、明らかにオレの笑う回数が増えましたね」
楽しそうに、嬉しそうに、二人の生活を語る。あくまで友達の顔をして、恋人らしい雰囲気は一切出さずに。それでも、一緒にいることを隠さないでいようという意志で、エピソードを取り出していく。
事実にほんの少しの嘘を混ぜて、天馬と一成は二人の日々を口にする。
周り相手に、一芝居打つことはとっくの昔に決めている。一緒にいるためなら、共に生きていくためなら、嘘だって何だって吐いていくのだ。
「オレもテンテンと一緒だと、いっぱい笑ってるかも。さすがは夏組じゃね?」
「コメディの夏組の本領発揮で、大正解だよな」
楽しげに言葉を交わして、二人は笑い合う。それはあくまで友人としての話で、互いを深く思い合う姿は一切見せないし、口にもしない。
本当のことを語ってない、という事実に罪悪感がまるでないわけではないけれど、覚悟はすでにしている。これくらい、何てことないし、当然だ。言葉にしなくても、天馬も一成も同じ決意を抱いていることを理解していた。
オレたちは役者だ。一芝居打つくらい、息をするみたいにできる。嘘を吐こう。絵空事を口にしよう。フィクションを語ろう。
オレたちは役者だ。板の上で、カメラの前で、数多の作品の中で、何度だって演じてきた。作り物が幸せを連れてくるって、ずっと前から知っている!