終演までは、どうかワルツを。 01話
いつか手放す恋だった。
「あ、そだテンテン。これ、この前の写真」
朝食の食器を片付けた一成が、キッチンから戻ってくるなりそう言った。
ソファに座る天馬の隣に自然な動作で並ぶと、クラフト用紙の封筒を差し出す。天馬は持っていたコーヒーカップを目の前のローテーブルに置いてから、封筒を受け取った。
「みんなで久しぶりに出かけたじゃん? 次の写真はやっぱこれかなーって!」
弾けるように明るい声を聞きながら、天馬は封筒を開いた。数枚の写真が出てくる。
青空を背景にして、サンカクポーズを取る三角と椋。木洩れ日の落ちるベンチに座る幸と自撮りしている一成。水辺ではしゃぐ九門と天馬。
この前、久しぶりに夏組全員で自然公園へ出掛けた時の写真だ。平日午前中という時間帯のおかげか、ほとんど人がいなかったので、短い時間ながら思う存分遊ぶことができた。
夏組は二人や三人であればしょっちゅう一緒に出かけているけれど、全員となると中々難しいのが現実だった。基本的に天馬が多忙であるため時間が取れないし、他のメンバーも舞台があったり仕事との兼ね合いがあったりと、それなりに忙しい。
だからこそ、この前の貴重な時間を部屋に飾る写真に選んだことは理解できた。
一成は写真を撮るのが好きだ。出会った頃からやたらと写真を撮る人種だったし、それは今でも変わらない。
それが高じた結果なのか、一人暮らし中の天馬の部屋には、気づけば多種多様なフォトフレームが持ち込まれて、ローボードには夏組専用スペースが出来上がっていた。
基本的に、その写真を更新するのは一成の役目だった。天馬の家を訪れては、せっせと写真を新しいものに入れ替えている。
「いい写真っしょー? めちゃくちゃ評判良くて、アップしたらコメントいっぱいついたし!」
天馬が手にした写真を楽しそうに見つめる一成は、遊びに行った時のことを思い出しているのだろう。目をキラキラさせて、言葉を紡ぐ。
「くもぴがいきなり水の中入ってった時はびっくりしたけど、水冷たくて気持ちよかったよねん! ゆっきーちょっと疲れてたし、丁度よかったかも!」
「まあ、三角が『あっちにサンカク! こっちにも!』って走り出したからな。しょっぱなから体力削られたのは確かだ。後半は椋が手綱握ってたからよかったけどな」
「あははは、さすがむっくん!」
一成は楽しそうに笑ったあと、ポケットからスマートフォンを取り出す。「いい写真いっぱいだったから、どれ印刷するか選ぶのつらたんだった~」と言って画面をスライドさせる。
指を止めると、満面の笑みで天馬へ言葉を放つ。
「オレ的にこれとかおススメ!」
そう言って一成が見せたのは、ソフトクリームが崩れそうになって慌てている天馬と、最終的にソフトクリームが落ちるまでの連続写真だった。天馬が顔をしかめる。
「なんでこれがおススメなんだよ」
「えー、だってこのテンテンかわいいじゃーん!」
「かわいくなくていい」
きっぱり言っても一成はケラケラと笑うだけだ。全く堪えていない。だからといって、このまま言われっぱなしはシャクだった。
天馬は手にしていた写真をローテーブルの上に置く。体を一成のほうへ向けると、それまでの雰囲気を一変させて、艶めいた空気を漂わせて言った。
「かわいい写真なら、オレはお前のほうがいい」
一成が「え、なにテンテン」と焦っているのを確認しながら、わざとらしく肩を抱きよせる。体が密着した状態で、耳元へ吐息を紡ぐような声を落とした。
「かわいい一成の写真なら、寝室に飾ってくれるんだろ」
色気をにじませてささやけば、一成の動きがわかりやすく停止する。天馬はそれに息を吐いて笑い、体を離す。快活な雰囲気が戻ってくる。
「朝からその顔はずるくない!?」
我に返ったような顔で言う一成の耳は少し赤い。天馬が愉快そうに「一成がオレの顔に弱いからだろ」と言えば、一成は「そうだよテンテンかっこいんだからさー!」と叫んだ。
勝ち誇ったような表情を浮かべた天馬は、しかしすぐにいつもの調子で尋ねる。
「でも、寝室用の写真は実際あるんだろ」
一成も、すぐに調子を取り戻したようで軽やかな口調で答えた。
「今日は印刷してないけど……いい感じの色々あるよん! ほら、これとか、花とハートの葉っぱでかわいくない?」
言いながら示されたスマートフォンには、ライラックと共に写る天馬と一成の姿があった。二人になった瞬間を狙って撮られたもので、この写真は寝室のフォトフレームに収める予定だという。
明確な決め事があるわけではない。しかし、リビングに飾られるのは「夏組」としての写真で、寝室に飾るのは「恋人同士」の二人と、一成は意図的にそういった分け方をしていた。
それが一成の気遣いであることを、天馬は理解している。
二人が単なる夏組の仲間以上の関係――恋人同士であることを明確に知るものは数多くない。
夏組全員とMANKAIカンパニー主宰であり彼らの恩人でもある監督、それから長年天馬を支えてきたマネージャーの井川には報告しているが、それ以外には特に伝えていないのだ。
MANKAIカンパニーのメンバーには察しているものも多いだろうけれど、少なくともおおっぴらに喧伝するつもりはなかった。
だから、誰かが訪れる可能性の高いリビングには、ただ夏組として和気あいあいとした写真を選び、最もプライベートな、入る人間が制限された寝室にだけ、恋人同士の写真を飾っている。
小さな喫茶店の二人席で向かい合っているところ。苺狩りに行った時、天馬に「あーん」と苺を差し出す一成。つないだ手。ベッドの上でじゃれつくように抱き合うところ。ソファでうたたねをする天馬。キッチンで料理中の一成。頬を寄せて笑い合う、二人の姿。
ささやかな瞬間を切り取った写真は確かな二人の軌跡だったし、寝室のフォトフレームには重ねた時間が宝物のように仕舞いこまれていた。
スマートフォンの写真をあれこれと見ていた一成は、ニコニコと笑顔を浮かべて天馬に言う。
「いーっぱいサイコーな写真撮れたし。無理かも! って思ったけど行けてよかったよねん」
「そうだな。椋の休みが取れるかどうか最後までわからなくて焦らされた」
「テンテンの休みにオレらが合わせるしかないからねー」
急きょ天馬のオフが決定してから、緊急招集を掛けての夏組全員参加だったのだ。
必然的に天馬以外のメンバーが休みを取れるか否かを待つ形になり、最後まで分からなかったのが椋だったので、椋から「お休み取れました!」と報告があった時は一成が喜びのスタンプ爆撃を行い、幸から怒られていた。
「テンテンはもちろん、むっくんとかゆっきー、くもぴとすみーもいい写真ばっかりだからさ。あれもこれも飾りたいって思ったんだけど、フォトフレーム足りないんだよね。テンテン、もっと増やしちゃだめ?」
言った一成の視線が向かうのは、ローボードの上に並んだいくつもフォトフレーム。
四角形に円形、複数窓など、シンプルな部屋の中でそこだけカラフルに彩られている。収まっているのは、もちろん夏組の写真だった。
全員集合の写真から、一成が隠し撮りした写真に、自撮りしたものまで。種類は多くあるけれど、どれも心底楽しそうで、見ているだけで笑顔になってしまうものばかり。
疲れて帰ってきた時も、この写真を見れば元気が出るような気がする。――と言ったことはないけれど、一成のことなので薄々察してはいるのかもしれない。
だからこその提案なのだろうか、と思いつつ天馬は口を開く。
「置く場所ならあるから、別にいいぞ」
「やったー! それじゃ今度買ってくるねん! テンテン、おススメのフォトフレームとかあったら教えて教えて!」
「フォトフレームにおススメもなにも……あ」
「え、なになに?」
何かを思い出した、といった様子の天馬に尋ねれば、天馬は天鵞絨町にあるアクセサリーショップを挙げた。どの店なのか、一成はすぐ察する。
MANKAI寮から少し歩いたところ、商店街の裏通りに位置する店だ。まだ二人がMANKAI寮で過ごしていたころに開店しており、ハンドメイドのアクセサリー作家である女性が一人で切り盛りしている。
「あそこ、フォトフレームとか置いてたぞ」
こぢんまりとしていながら、一成が好むデザインの品ぞろえが多い店だ。だから気に入るものがあるだろう、と思っての言葉だった。一成は一瞬意外そうな顔をしたあと、「そうなんだ!」」と言ってぱっと笑った。
「それじゃ今度のぞいてみようかな~。テンテンの誕生日プレゼントも見たいし!」
「――お前、この前もオレの誕生日プレゼント買ったとか言ってなかったか」
「プレゼントが一個って決まりはないんだよ?」
もうすぐ天馬の誕生日ということで、一成はことあるごとにプレゼントを購入している。
出会ってからしばらくはサプライズなどを仕掛けていたけれど、最近ではもはや隠すことを止めて「盛大に祝われる覚悟をしてねん♪」という事前予告制になっていた。
「テンテンが喜ぶかな、びっくりするかな、楽しんでくれるかなって考えたら、あれもこれも欲しくなっちゃって!」
明るい笑顔で告げる一成は、元々他人に贈り物をするのが好きな人間である。
それが、とても大事な仲間である夏組で、さらには恋人である天馬のためとあれば、あれもこれもとプレゼントを用意してしまうのは必然なのかもしれない――と思える程度には、天馬も一成との付き合いは長かった。
それに、天馬とて一成からプレゼントを贈られることに悪い気はしないし、純粋に嬉しい。
時々得体の知れないもので驚かされるとしても、嬉しいものは嬉しいので、「まあ、無理はするなよ」とだけ言うにとどめた。
「やった、テンテンお墨付き! がんばっちゃお!」
「頑張りすぎるなって言ってる」
やっぴー!とテンション高く言うので、釘を刺す意味でそう言うと、一成が笑った。突き抜けるような明るさではなかった。とても静かな、やわらかな笑み。
時々一成はこういう顔をするのだと、天馬は長い付き合いの中で少しずつ知っていった。
「――頑張っちゃうよ。だって、テンテンのためだもん」
やわらかく目を細めて、一成は言う。
視線の先は机の上に置かれた写真。自然公園の人工池で九門と天馬が水遊びに興じている。九門と一緒に大きな口を開けて、頬を上気させて笑う姿に、一成はしんとした言葉を落とす。
「オレ、テンテンが笑ってるとこすげー好きなんだよね」
天馬に聞かせるための言葉ではなかったのかもしれない。小さなささやきは、単なる独り言だったのかもしれない。
それでも、天馬の耳は確かにそれを拾い上げた 同時に胸が詰まったのは、こぼれ落ちた声があまりにも愛おしそうだったからだ。
天馬への、あふれだしそうな心を隠しもせずに紡がれる声。何か答えてやりたくて、だけれど上手な言葉が思いつかない。それでも何もしないままではいたくないと、天馬は突き動かされる衝動のまま、隣に座る一成へ手を伸ばす。しかし。
「あー! 時間! やっば、オレそろそろ出ないと!」
思い切りよくソファから立ち上がった一成によって、伸ばした手は行き場をなくす。ついでに天馬の心情的にも不完全燃焼だったが、一成はそれどころではないらしい。
慌てた様子でバタバタと鞄に荷物をまとめている。天馬の迎えまではまだ時間があるし、一成のことだからそれはちゃんと把握していただろう。しかし、自分の出立時間はいささか失念していたらしい。
ただ、事前準備は抜かりない人間なので、軽いチェックだけですぐに出かけられる状態が整ったようだ。
「それじゃ、テンテンいってきます! テンテンも仕事頑張ってねん!」
荷物を担いだ一成がそう言って玄関へ走り去るので、天馬もあとを追った。まだ自分が出るまでは時間もあるし、燃焼しきれないモヤモヤを抱えたままだったので、離れがたく感じたのだ。
「あれ、どしたの、テンテン。玄関に用?」
「違う。せっかくだから、見送りにきてやった」
姿見で全身を確認していた一成は、天馬の言葉にぱっと華やぐように笑った。
こんな風に、自分の言葉で一成が笑うのが好きだ、と天馬は思う。他の誰でもなく、オレの言葉で一成の心が動くのが嬉しい。
「そういえば、一成。今日はどうするんだ。うちに帰ってくるのか?」
はた、と思い出した顔で尋ねるのは、今日は出掛けたあとでここへ戻ってくるのか、という問いかけだった。
大体において夏組の人間は誰かしら天馬宅を訪れてはいるものの、一応天馬は一人暮らし中である。六人くらい同居できそうなマンションに住んでいるとしても。
「うーん……しばらくは、自分ん家かなぁ。仕上げたい絵が何個かあるんだよねー……」
一成はMANKAI寮を出てから、アトリエ兼自宅として郊外にガレージ付きの一軒家を借りている。創作活動中は基本的に自宅での作業となるので、天馬の家にはしばらく訪れないのだろう。
「――そうか」
わずかに硬くなった表情に気づいて、一成がほんの少し困ったように笑った。天馬の憂いに胸を痛めるような、甘い痛みを享受するような。それを振り払うように、明るい声で一成は告げる。
「ちょっとばかし会えなくなっちゃうけど、連絡はガンガンするから!」
「当然だろ。むしろ、連絡入らなかったら様子見に行くからな。作業ぶっ通しで倒れた前科があるんだ、心配する」
「オレってば愛されてる~」
ケラケラ笑う一成に天馬はわずかに眉を上げてから、不意に腕を取る。それから自分のほうへ引き寄せると、やわらかい唇に己の唇を押しあてた。ついばむようなキスをして、軽くリップ音を立ててからゆっくり離れる。
天馬は、目を丸くした一成向かってにやりと笑って言う。
「身に染みたか?」
「はい……っていうか不意打ちはダメ、ゼッタイ」
顔を赤くしながらもいささか厳しい顔で、「スキャンダルには気をつけないとなんだからね!」と念押しをされるので、天馬は「家なら別にいいだろ」と唇を尖らせる。
「まあ、テンテンの家ならセキュリティーばっちりだけど……って時間!」
はっとした様子で叫んだ一成は、もう一度姿見で自分を確認すると、ドアノブに手を掛けた。
「それじゃ、テンテン、いってきます!」
はつらつとした表情で出掛けていく恋人に、天馬はわずかに目を細めて「行ってこい」と答えた。