終演までは、どうかワルツを。 05話


 デザイン事務所との打ち合わせを終えた一成は、目星をつけていたカフェに赴いた。
 魔法使いの家をイメージしたカフェは、レトロさとミステリアスな雰囲気が融合していて心が躍る。まだオープンしたばかりだけれど、すぐに人気が出るだろうな、と一成は思う。
 オーナーにSNSで店を紹介する許可を取ってから、カフェの片隅に腰を下ろす。
 タブレットの電源を入れて、ざっとメールを確認する。海外ギャラリーへ送るための連作について問い合わせがあったので、それについて返信を書きつつ、各種SNSアカウントをチェックした。
 コメントはついているけれど、さすがにひと月前ほどの数はない。

 好き放題の夏組配信は、反響が大きかったので結局アーカイブとして残してある。
 どうやら、MANKAIカンパニー劇団員たちも拡散に協力してくれたようで、最終的には夏組以外のファン――MANKAIカンパニー関係や純粋な演劇ファンにも届き、さらに「興味はあったけど見たことがなかった」層まで広がり、膨大な数の人が視聴してくれていた。
 トレンドも夏組関連とMANKAIカンパニーが占めたので、あとで左京からは「よくやった」と言われたくらいである。
 熱愛記事への反響よりも、確実にこちらのほうが大きな反応だったため、「皇天馬」のトレンドを追っても配信の話題のほうが出るだろう、ということがわかった時は一成も心底ほっとした。
 天馬はといえば、夏組の予想通り自分だけ配信にいないことを拗ねた。
 もちろん、仕事中だから無理だということは理解しているし、夏組が天馬を仲間外れにしようとしたわけではないことはわかっている。それでも、やはり自分だけいなかった、ということに対しては複雑な思いがあったのだ。
 ただ、アーカイブを見せればそれなりに機嫌は回復した。確かに天馬はいないけれど、各々が天馬の好きなところを話したり、天馬の姿を演じたり、天馬だったらどうするかについて議論したりと、話題の中心は間違いなく「皇天馬」だったので。
 アーカイブを見せる時、一成はそれとなくコメント機能をオフにした。
 数が多いと気が散るっしょ、と言ったのは嘘ではないし、天馬はあまりコメントの類を気にする性質ではないので深く問われなかったのは幸いだった。
 視聴者数に比例して、コメントの数は膨大だ。ほとんどは夏組ファンやMANKAIカンパニーを応援してくれている人たちのもので、好意的な言葉が並ぶ。
 だけれど、その中に混じるものを一成は知っている。
 配信中、流れるコメントをチェックするのは習慣になっている。挨拶のような気軽なものから熱い感想、好意を伝えてくれているものなど、多種多様なコメントは大体認識していた。だから、この前の配信中に寄せられたコメントは決して好意的なものばかりでないことも知っていた。
 途中から、一成はそれを意識的に黙殺した。
 見ていたところでできることがなかったということもあるし、そちらに気を取られるよりも、現在の配信に力を入れることが先決だと判断したからだ。
 皇天馬の名前を使った売名行為だとか、どうせ自作自演でしょ、だとか。一成への非難の声ならまだよかった。
 一番こたえたのは、一成との関係を理由に天馬を貶める言葉だった。

「恋人が男とかマジでない」「皇天馬も終わりでしょ」「気持ち悪すぎ」「皇天馬はテレビに出るな」「男相手とかきもい」「皇駄目じゃん」「全然王子様じゃないしみんなのこと騙してたんだ」「男を恋人にする皇天馬とか最低」「ポスター全部捨てた」「一生恋愛ドラマ出ないで」「皇天馬も終わったな」

 膨大なコメントの中で、その類の言葉はあまり多くない。それなのに、一成の頭にはこびりついて離れなかった。
 SNSでの感想を思い出す。天馬のファンというわけではないだろう人たちの、関係性を揶揄する声。男の恋人を選んだ、ただそれだけで大罪を犯したように騒ぎ立てる人たち。
 それが全てではないし、ほんの一部分だけの話だと理解している。だけれど、どうしても思ってしまう。
 だってこれは、オレじゃなければ。同性のオレでなければ出てこなかった言葉だ。
 三好一成でなければ、女優や女性アイドルであったなら、こんな風には騒がれない。ゴシップだとしても、こんな言葉は投げつけられない。
 怖かった。
 たゆまぬ努力と燃え盛る情熱で、これまでの道を歩んできた皇天馬。誰よりも演技に真摯で、いつだって誠実。まぶしくなるほどの向上心でただ上を目指していく。
 天馬は誰からも愛されて、称賛されるに値する人間だ。それなのに。三好一成という恋人がいるのだと、世間に知られた瞬間から途端に全ては表情を変える。
 一成は怖かったのだ。
 誰からも愛されて、大事にされるべき存在である皇天馬が、自分のせいで貶められる。自分自身が天馬の弱みになってしまう。
 突き刺さるようなコメントに、SNSでの感想に、一成は思い知らされた。
 このコメントを知ったら、テンテンは真っ直ぐと怒る。こんなものには屈しないと、前を向いて胸を張る。だけどきっと、同じくらいに傷つくのだ。心の奥の一番やわらかい場所を、オレのせいで傷つける。
 笑っていてほしいのに。ずっと幸せでいてほしいのに。他でもないオレがそれを奪うのが怖いんだ。

「――お待たせしました。夏至祭のケーキセットでございます」

 かけられた声に、はっと我に返る。
 銀色のお盆に、イチゴとハーブの乗ったケーキ、セットの紅茶であるニルギリが乗っている。お皿もフォークも繊細な飾りがほどこされていて、魔法使いの所有物のようだった。
 一成は礼を言い、スマートフォンを取り出す。一番綺麗に映る角度を探し当て、何枚か写真を撮る。
 もっともよく撮れたものを選んで、余計な部分をトリミングしてからSNSへと投稿した。店名もタグ付けももちろん忘れない。
 ケーキは見た目もかわいらしかったけれど、味のほうも抜群だった。これは今度おみみに教えなくちゃ、ヒョードルも喜ぶかな、と思いながら舌鼓を打ち、紅茶を飲んでほっと息を吐き出す。
 物思いに沈んでいたことを思い出し、首を振って気合いを入れ直す。
 夜には世話になっている画廊へ顔を出すのだ。それまでの時間、仕事をするつもりだったのだからぼんやりしている場合ではない。
 タブレットを操作してメールを返信したあと、今度は別のメールを開いた。
 今度受ける雑誌インタビューで、事前に答えてほしいと言われていた質問一覧だ。内容としては、「日本画家」「グラフィックデザイナー」「役者」など多彩な顔ぶれを持つ一成へ、そこに至るまでの話やそれぞれの仕事に対する考えを尋ねたいようだった。
――日本画を選んだ理由は何ですか?
――グラフィックデザインにおいて大事にしていることは?
――芝居を始めたきっかけは何ですか?
 この辺りの質問は、それはもうしょっちゅう聞かれることなので一成の中である程度の文章が形になっている。ただ、それは随時変化するものでもあるので、自分自身に再度問いかけることは必要だ。毎回文章をコピーすればいいというものではない。
 それ以外の質問について目を通していると、一成の目は一つの文章に吸い寄せられた。
――人生の分岐点はどこでしたか?
 分岐点。人生の分かれ道。あの時その道を選ばなければ、別の人生を辿っていたような。そういうところ。
 父に誘われて出掛けた先で、美術館へ行った時だろうか。
 綴に連絡先を渡したこと――綴からの依頼を受けたことだろうか。
 夏組へ入ると決めたこと、それまでの自分じゃ駄目だと本音を言おうと決意したこと、ウルトラマルチクリエイターという選択肢を見つけたこと。
 思い浮かぶ選択肢はいくつもあったけれど、決定的な分岐点というのは一体どこなのだろう。自分自身の人生を決定づけたのは、一体いつの瞬間なのだろう。
 ふと思い浮かぶのは、あざやかなオレンジ色だった。
 いつだって自分たちを引っ張って、先頭を駆けていく。三つ年下の、だけれど誰より頼りになる夏組のリーダー。
 夏組との出会いは、決定的に一成の人生を変えた。だから、その象徴とも言うべき天馬を思い浮かべるのも自然なことだろう。
 ただ、一成の場合はもう一つの意味も含んでいた。
 皇天馬に恋をした。
 叶えるつもりは毛頭なくて、墓まで持っていくつもりだったのに。天馬があまりにも思いつめた顔をして想いを告げるものだから。震える睫毛がとても綺麗で、アメジストの瞳に吸い込まれそうで、金縛りにあったように動けなくなってしまった。
 いつもなら軽快に言葉を吐き出す口が、冗談みたいに重かった。
 真っ直ぐと告げられる言葉がどうしようもなく真剣で、心を全部取り出すみたいで、茶化すなんてできなかった。
 だからうなずいてしまったのだ。天馬が同じように自分を思ってくれている喜びには抗えなかった。
 あれは分岐点だったんだろうな、と一成は思う。
 あの時うなずかなければ、きっと今天馬の恋人の位置にいるのは自分ではなかった。
 さっきまでの思考が再び戻ってくる。
 天馬にはもっと相応しい相手がいるのだ、きっと。天馬の愛を疑ったことはないけれど、ただ純粋に思うのだ。
 天馬には、周りから賞賛されるような相手が相応しい。存在が発覚しただけで失敗みたいに言われる恋人じゃない。隙あらば群がって引きずり降ろそうとする悪意に餌を与える弱みじゃない。
 天馬が知ったら烈火のごとく怒るだろうな、という自覚はあった。だけれど、一成は至極当然の結論を出すように思ってしまった。
 天馬の告白を受けたあの日から、今日までの日々。あれからずっと、オレは分岐点の選択を間違えているような気がする。

(――って、だからそうじゃなくて)

 ぶんぶんと首を振り、タブレットに向き合う。ひとまず埋められそうな質問は埋めていこう、と指を動かす。合間のケーキがほどよく作用したのか、指は止まらず軽快に進んでいく。
 しばらくの間質問に没頭していると、傍らに置いていたスマートフォンに通知が入ったことに気づく。
 メッセージアプリの差出人は椋だった。思わずほっと息を吐くのは、椋を相手にすると気持ちがやわらいでいくからだろう。
 愛すべき元ルームメイトは、住む場所が別れてからも一成にとって安心できる存在であり続けている。
 タップしてメッセージを確認すると「丞さん、出席の確認が取れました!」という言葉が躍っていて、一成の唇が思わず引き上がる。
 出席というのは、今度の天馬誕生日パーティーのことだ。
 一成メインで夏組協力体制のもと、今回は久しぶりにMANKAI寮でのパーティーを計画していた。ただ、すでにMANKAI寮から出ているメンバーも多いし、そもそもスケジュール的に参加できるかわからない人たちもいる。
 その辺りの出席確認は椋の役目で、最後の一人だった丞の出席が決定したという連絡だった。映画やドラマに引っ張りだこで多忙な丞だけれど、「せっかく全員集まる機会だしな。どうにか調整する」と都合をつけてくれたらしい。
 これで、久しぶりに二十四人の団員がそろうはずだった。
 最初は二十人、それから四人が増えて二十四人になった。監督と共に多くの舞台を作り上げて立ってきた。道は少しずつ分かれても、あの時一緒に過ごした人たちは今でも大切な存在だ。
 それは天馬も同じだから、全員が出席しての誕生日パーティーを心底喜んでくれるだろうことは想像できた。
 出会ったころはこんな未来を想像していなかった。
 あの頃から数えて、十年の歳月が立っている。十年後も変わらずに大事だと言えるようになるなんて。人生においてMANKAIカンパニーがこんなに大きな位置を占めるなんて。天馬と恋人同士になるなんて。何一つ思っていなかった。
 十年、と一成は内心でつぶやく。
 十年のタイミングで催される、天馬の誕生日パーティー。全員がそろって天馬を祝うなんて、まるで集大成みたいだ、と思う。
 プレゼントをたくさん用意して、カントクちゃんのカレーとおみみの料理を並べよう。今回だけはニンジンちょっと少な目で。サンカクいっぱいの飾りをつけて寮を彩ろう。楽しいパーティーにしよう。テンテンがたくさん笑ってくれるように。絶対成功させよう。
 決意を新たにした一成は、だって、と言葉を続ける。
 だって十年だ。きっとこれが期限だった。