終演までは、どうかワルツを。 最終話
「お前だって似たようなもんだろ」
一成の言葉を受けた天馬は、呆れたような笑みを浮かべてそんなことを言う。思い当たる節がない一成は首をかしげる。
まあ、確かに天馬に対しては色々ドッキリを仕掛けて楽しんでいるけれど、さすがに今日は何もしていない。
「『オレのために傷ついて』なんて、お前からのプロポーズだろ」
少しだけ照れくさそうな表情で告げられた言葉に、一成は目をまたたかせた。
あのストリートACTの日、ホテルの一室で伝えた言葉を指しているのはわかったけれど、一成にそんなつもりはなかった。ただ、自分の中の本当を天馬に伝えたかっただけなのだ。
しかし、天馬は一成の反応を気にすることなく続けた。
「あれはお前の覚悟だった。オレと共に生きようって決めたから伝えられた言葉ならプロポーズとおんなじだ」
天馬はあの日、一成の言葉を受け取って思い知った。
一成は、恐らく天馬のために自分が傷つく覚悟ならずっと前からしていた。自分が負う痛みであればいくらだって我慢できた。
だけれど、あの日の一成は違う。
一成は覚悟をしたのだ。天馬のために一成が傷つく覚悟ではなく、一成のために天馬が傷つく覚悟を。自分がいるからついてしまう傷を知っている。それでも、共に生きたいのだと。
「まあ、色々言いたいことはある。そもそも、お前は自分のせいでオレが傷つくって言うけどな。お前を選んだのは誰だよ」
そう言った天馬は、拗ねるような雰囲気を流したあと、一成の鼻をぎゅっとつまむ。思いの外強い力だったので涙目になりつつ、一成は答えた。
「テンテンです……」
うなだれるように告げられる言葉に、天馬は笑みを浮かべた。力強く、どこまでも明るい。真昼の太陽のような笑み。
「そうだよ、オレだよ。それならオレが傷つくのは、オレの選択のせいでもある。だから、勝手に全部引き受けんな」
強い言葉ではあったけれど、口調はやわらかかった。一成を責める響きは一切なく、ただ祈りや願いがにじんでいる。
だから一成は、「うん、そだね」とだけうなずいた。一人で何もかもを背負うのではなく、共に分けあってゆく。それがきっと、自分たちが選ぼうとしていることなのだ。
「――まあ、結構ぐっと来たけどな。一成のプロポーズ」
「え、そうなの?」
それは初耳、という気持ちで問い返すと、天馬は少し照れくさそうな表情を流したあと「まあな」と肯定した。
「お前は基本的に誰にでもやさしいし、それは一成の長所だと思ってる。だからこそ、誰かを傷つけることを極端に怖がるし、それを避けようとする。そういうやさしさがオレは好きだ」
きっぱりと言い放ったあと、真っ直ぐと一成を見つめて告げる。
何も一成は常にやさしいだけの人間ではない。からかう時は本気でからかってくるし、悪ノリだってするし、言うべきことは言うべき人間だ。
ただ、明るい雰囲気で、冗談にまぎれて、誰にも気づかれないやさしさを発揮して自分の心を差し出すことも知っている。
誰かを否定せず、傷つかないように心をくだくことが息をするように自然にできる。
「だけど、そんな一成が『傷ついてほしい』って願った。そんなこと言うのは――自分のために傷ついてほしいなんて言うのは、世界中でオレだけだろ」
それがどれほどまでに甘美な言葉だったか。
一成にとって大事な人間は、きっとたくさんいる。傷ついてほしくない人も笑っていてほしい人も、いくらだって思い浮かべることができるだろう。
だけれど、傷ついてほしい、なんて願ったのは世界中で自分だけだ。
「オレだけの、オレのためだけの特別が嬉しくないわけないだろ」
そう言って、天馬が笑った。目元をほんのりと染めて、太陽の残り日を映したみたいに。この上もなく大事なものを抱きしめるような顔で。
その言葉に胸が詰まった一成は、どうにか息を吐き出して言葉を紡ぐ。
「テンテン、男前すぎるっしょ……。傷ついてほしい、なんてめちゃくちゃ身勝手な話なのに……そんなに喜んでくれるとか」
茶化そうとして上手く行かなかった顔で、一成は言う。あれは全くの本心だったし、特別なたった一人を思う言葉は甘い痛みを伴ってさえいた。
だけれど、それは一成にとっての話であって、天馬からすれば勝手な話でもある。
天馬はきっと受け取ってくれるとは思っていたけれど、喜んでくれるとは思っていなかった。それなのに、こんな風に宝物を見つけたみたいに笑ってくれるなんて。
天馬は一成の言葉に、二度三度まばたきをした。それから、ゆっくりと言った。
「確かに、お前たちと会う前のオレなら憤慨したと思う。オレは、傷一つない完璧な人生が欲しかったから」
MANKAIカンパニーの扉を叩くまでの天馬は、何もかもが完璧な自分でありたいと思っていた。
舞台に立つのだって、トラウマを克服して自分の人生を完璧にするために必要だと思ったからだ。どんな傷一つない、美しいもの。それが皇天馬だと信じていた。
「だけど、お前らに出会って監督と出会って千秋楽まで走り抜けて――それから何度も板の上に立って。完璧じゃなくても最高は作れるって知った」
夏組として多くの舞台に立ち、かけがえのない仲間と時間を過ごした天馬は、今の自分が傷だらけになりながらここまで歩んだのだと知っている。
弱音だって吐いた。みっともないところはたくさん見せた。何一つ完璧じゃなかった。転んで、倒れてしまって、痛みにうめいて、ボロボロになりながらそれでもここまで歩いてきた。
「傷がついたらおしまいだと思ってた。だけどそうじゃないって教えてくれたのはお前たちだ。傷ついても、完璧じゃなくても、それでもいい。きっとオレたちは傷を負わないために歩くんじゃなくて、傷と一緒に歩いていくんだ」
MANKAIカンパニーで出会った大切な人たちも、みんなそれぞれの傷を抱えていた。共に時間を過ごす中でも、何もかもが順風満帆には行かなかった。
壁にぶつかって、戦って負けそうになって、それでも必死で食らいついて、どうにか進んできた。ボロボロになって、悩んで苦しくて、みっともなく泣いて、傷だけになりながら。
「生きてる限り傷はつくだろ。抱えた傷ごとここまで歩いてきたんだ。これから先の人生だってそうだ」
天馬はもう、傷一つない人生を望まない。だって天馬は、自分についた傷がこれまでの道を歩んだ己の軌跡だと知っている。
それは確かに痛みを伴う記憶だけれど、決してなかったことにはしたくなかった。もがきながら苦しんで、痛みにのたうちまわって、それでも歩いた先に今の自分があるのだから。
天馬は小さく深呼吸をしたあと、一成を真っ直ぐ見つめた。ゆらゆらと揺れる瞳は、きっと天馬のありったけの思いを受け止めてくれているからだ。
一成は他人の心に敏感で、天馬の気持ちだって丸ごと全部抱きしめていようとしてくれる。今だってそうだ。向かう心、渡したい気持ち。あらゆる全てを唇に乗せて、天馬は言う。
「生きていくことが傷ごと抱えて進むことなら――オレは、お前のつけた傷がほしい」
きゅっと目を細めて、天馬は告げる。泣きそうな顔で、それでも一成から目を逸らさずに。
これから先、きっと何度でも傷つくのだろうと天馬は思う。それは一成だけのせいだけではなく、生きていく限りきっと、何度だって。
だからそれなら、と天馬は思った。何も進んで傷つきたいわけじゃない。だけれど、この先の人生が傷一つなく進まないのなら、ほしいものは。
「一成はオレの弱みになるかもしれない。お前が理由で傷つくこともある。それでいい。オレの弱さは、傷は、お前がいいんだよ、一成」
心から天馬は言った。無意識の内に、向かい合った一成の両手を握っている。すがるような切実さと、どこか恐れの残る弱々しさで、一成の両手をそっと包み込む。
天馬は思っている。きっとこれから先、何度だって傷つくのだろう。だから、それなら、この身に受ける傷は一成がいい。一成がいるからついた傷なら、いつかきっと愛おしさにすら変えられる。
そんなことを思うのは、世界で一人だけだ。天馬にとっての唯一は、ずっと前から一人だけだ。
包み込んだ両手にぎゅっと力を入れて、天馬は言った。目の前の誰より大切な人に向けて、心の全てで伝える。
「他の誰かじゃだめなんだ。お前がいい。だから一成、オレと一緒に生きてくれ」
真っ直ぐと告げられる言葉がまばゆい。きらきらと、どんなものにも負けない輝きを放ち、一成の胸の奥まで届く。
なんて美しい光景なんだろう、と一成は思う。世界を染めるオレンジ色の中にいる、何よりもあざやかなオレンジ色を宿した大好きな人。
心を取り出して、愛おしさの全てを込めて思いを伝えてくれる。何よりも美しい心を、惜しみなく与えてくれる。天馬の傷であることを一成にだけ許して、傷の意味すら愛おしさに変えてみせる。
ああ、答える言葉なんて、これ以外にあるもんか。思いながら、一成は握られた手に力を込める。放さないよ。離せないよ。
「――うん。オレ、テンテンと一緒に生きるよ」
告げた瞬間視界いっぱいにオレンジ色が広がり、抱きしめられているのだと悟る。首筋に天馬の息がかかってくすぐったかったけれど、それすら愛おしくて一成は背中に両手を回して自分もぎゅっと抱きつく。
すると、天馬がくぐもった声で「――よかった」とつぶやくので、一成は小さく笑った。
「さすがにテンテンも緊張するんだ~?」
「お前は時々予想外だからだ。そもそも、オレは二回もプロポーズする予定はなかったんだよ」
「あはは、めんご~」
一回目が、例の誕生日パーティーの話だということはわかっているので謝った。確かに、あそこで断られるのは予想外だったに違いない。
「――まあ、指輪を用意する時間ができたのは結果オーライだったからいいけどな」
言いながら、天馬は名残惜しそうに体を離した。それから、ポケットから小さなケースを取り出す。
薄型の指輪ケースだということはさすがに察して、一成の顔に緊張が走る。待ってこれ、何かもう一回来るやつでは。
ベルベットの紺地のケースを、天馬がそっと目前に差し出す。丁寧に開かれた先には、シルバーリングが一つ入っていた。
幅は広めで、アームは真っ直ぐで丸みを帯びている。つやのないマットな指輪はシンプルにも思えるけれど、リングの中央には宝石が三つ埋め込まれていた。
あざやかな黄緑色のペリドットと、その両脇に添えられるのは小さなダイヤモンドだった。
宝石自体はそう大きなものではないし数も多くない。加えて、埋め込み式であることも手伝って、あまり華美な印象は受けない。それでも、確かな輝きを宿していることは、一成にもよくわかった。
「え、てかこれ、ダイヤモンド……だよね……?」
こういう時に使われる宝石として最も一般的だったし、無色透明であることからそう判断した。高いんじゃないかな、と心配になってしまう。
天馬は一成の質問にこくりとうなずく。さらに、中央の宝石はペリドットだと告げ、それから照れくさそうに言う。
「お前の目と同じ色ですごく綺麗だと思ったし、8月の誕生石なんだよ」
だから選んだ、という言葉に一成の胸が高鳴る。テンテンってば、本当にオレをどうしたいわけ? もうこれ完全に王子様じゃん。てか、誕生石とか知ってたんだね?
混乱しつつも、素直に「嬉しい」と告げる。
天馬はケースから、うやうやしい手つきで指輪を取り出す。それから、イタズラっぽい笑みを浮かべると指輪の裏側を一成へ見せた。そこには、燦然と光を放つオレンジサファイアが一つ。
「これはお前にしか見えない。お前だけが、いつでもオレの存在を感じるように」
ささやくように告げられて、一成の胸がきゅうっと締めつけられる。
裏側にそっと隠された、天馬と同じ色。指輪をしてしまえば見えない内側に天馬の存在を感じられることが、どうしようもなく嬉しかった。
「――ありがとう。すげー嬉しい……」
気の利いた言葉も思い浮かばず、それだけしか言えない。しかし、天馬はそんな拙い言葉が嬉しかったようで、ぱっと笑みを浮かべる。
ただ、それも一瞬のことで、一つ咳払いをすると神妙な顔つきになる。
「……もう一回プロポーズするみたいで、何か変な感じだな」
「二回したんだから、三回目も同じだって。四回目もする?」
軽口に混ぜて言ってみれば、「一成が相手なら何回だってしてやるよ」と返されて、一成は何も言えなくなる。黙り込んだことを確認した天馬は、改めて一成に向き直る。
「前にも言ったけどな。オレのこれから先には絶対にお前が必要なんだ。オレの人生を共に生きるのは一成だけだ。悲しい時も苦しい時も、世界で一番幸せな時も。オレのそばにいるのは一成で、一成の隣にいるのはオレだ」
きっぱりと言い放つそれは、宣誓のようだった。一成はあふれだしそうな感情で胸をいっぱいにしながらそれを聞いている。
この言葉を知っている。あの時――天馬の誕生日パーティーで聞いた言葉だ。天馬の人生には自分の居場所が作られている。天馬の人生に一成という存在は、もうとっくに不可分なのだ。
忍び寄る感情を一成は知っている。怖かった。だけれど、それでも決めてしまった。怖くても、すくんでも、逃げ出したくても。それでもオレはテンテンと生きたい。
「なあ、一成。あの時の約束を、叶えさせてくれよ」
真剣なまなざしで告げられる言葉。付き合って一年目が近かったあの日、口にした小さな約束。忘れてしまっても当然の、ささやかな会話だった。
一成はそれをずっと覚えていて、天馬もずっと忘れていなかった。そうして今、約束は果たされようとしている。
「――うん」
一成は、天馬の言葉に照れくさそうに笑ってうなずいた。そのあと、少しだけ考えてから自分の左手を天馬に差し出す。
すると、天馬は嬉しそうに笑みを咲かせた。まるで出会った頃のような少年みたいな笑顔だった。しかし、天馬はすぐに真剣な表情になると慎重な手つきで、一成の左手を取った。
胸をドキドキさせながらそれを見守る一成は、何だかダンスでも申し込まれてるみたいだな、と思う。オレとダンスを踊ってくれませんかって誘うテンテンは、めちゃくちゃカッコイイんだろうな、とも。
もっとも、一成はダンスのステップを踏めないから上手く踊れないけれど。むっくんとかロンロンなら完璧なんだろうな、という感想は中庭で見たいつかの光景を思い浮かべたからだろう。
天馬は深呼吸をしてから、うやうやしく一成の薬指に指輪を通した。スムーズに第二関節を通り、ちょうどいい位置でぴたりと止まる。
きつすぎることもなければ、ゆるいこともない。丁度いいサイズであることを確認した天馬が、ほっとしたように息を吐くとその手を放そうとするので。
一成はとっさに、離れていこうとする手を握った。
自分の左手の下に置かれていた、天馬の左手。ぎゅっと握りしめる薬指には、たった今天馬に送られた指輪がきらきらと光っている。それを認識した瞬間だった。
ぼろり、と一成の視界が崩れた。
そのまま、あとからあとから止め処なく涙があふれてきて、天馬が戸惑ったような声を上げる。それでも、つないだ手は離さないでいてくれた。
「か、一成!? どうした!?」
「あー……ごめん、テンテン……なんかめちゃくちゃ嬉しくて」
だって、いつか手放す恋だと思っていたのだ。いつかこの手は離さなくちゃいけなくて、天馬の隣にずっといることはできないと思っていた。
だけれど、一成は今、天馬の手を握ることを許されている。放さなくていい。離れなくていい。これから先の人生を、共に歩いていける。この手を握って生きていける。
「驚かせんなよ……お前が泣くと心臓に悪い」
「めんご~」
未だに涙はこぼれているものの、軽い調子で答えることはできる。ぐすり、と鼻を鳴らして謝れば、天馬は一つ溜め息を吐いたあと、握った手に力を込めて一成を抱き寄せた。
「心臓には悪いけど、泣いてほしくないわけじゃない。嬉し涙なら、オレだって嬉しいしな」
そっと落とされたつぶやきに、一成は涙の残る声で笑った。天馬は右腕を一成の背に回し、自分のほうへ抱きよせる。胸と胸が合わさる。
本格的にダンスみたいだな、と思った一成が小さく笑みを浮かべると、天馬は自分の額をこつん、と一成の額に合わせた。まつげの触れそうな距離。
「無理して笑うくらいなら泣いてくれたほうがいい。だけど、その時は頼むからオレの隣にしてくれ。隣にいれば、いくらだって涙を止めてやれる。オレの知らないところでだけは泣くな」
切実な響きの言葉に、一成の視界が再びぼやける。なんて美しいものをこの人はくれるのだろう、と思いながら、つないだ手に力を込めて一成は答えた。
「うん。でも、テンテンもだよ。オレの知らないところで泣かないで。オレと一緒にたくさん笑って」
悲しい時も苦しい時もそばにいて、幸せな時も隣にいる。これから先、人生を共にするならきっといろんなことが起きる。それら全てを分かち合っていくのだ。
「ああ。約束する」
天馬が笑う。その吐息を感じながら、一成は思っている。
目の前のこの人が愛おしくてたまらない。オレはこの人と生きていくのだ。こんな風に手を取り合って、まるでダンスでも踊るみたいに、二人でステップを踏みながら。
きっと不格好な時もたくさんあって、転んだり衝突しちゃったりすることもあるかもしれない。だけど、それでも、この手を放さないと決めたのなら。
それならいつか、オレたち二人の最期の瞬間まで。幕が下りるその瞬間まで、この手を取って踊るのだ。
終演までは、どうかワルツを。
END