Fall for you



「それで一成、どうするんだよ告白の返事」

 談話室に入ろうとしたところで、聞こえてきたのは万里の声だ。天馬はドアノブに伸ばしかけた手を思わず止めた。

「――うーん、そうなんだよねん。一応考え中~みたいな?」

 続いた声は一成のものだ。いつもの明るい口調に似ているけれど、トーンが少し暗い。顔を見なくても、困ったように笑っているのだろうと察しがついた。
 深夜というにはまだ早い。ただ、夜遅い時間であることは違いないし、団員のほとんどは眠っているだろう。いつもなら天馬も眠っている時間だけれど、課題と台本の確認に追われてこんな時間になっていた。眠る前に、少し飲み物でも――と談話室へ向かえば、予想外の事態に出くわしたのだ。

「まあ、一成が悩んでるのはオレもわかってるし、だから相談乗ってるんだけどな。でも、あっちも返事、結構待ってるみてえだからさ」
「ああ、そだよね。うん、好意を持ってもらえるのは嬉しいんだけど、付き合うってなると簡単に答えられないっていうか……」
「はは、一成意外と真面目だよな」

 しんとした寮内では、扉越しのささやかな会話も思いの外よく聞こえる。万里が楽しそうに笑った気配がして、一成は明るい口調で「カズナリミヨシは真面目です~!」と茶化したように答えていた。
 天馬はと言えば、このまま談話室に入っていいものか、それとも部屋に引き返したらいいものか、と扉の前で立ち尽くしていた。

 告白、と天馬は思う。
 どうやら一成は誰か――万里も知っている相手のようなので恐らく大学の友人である可能性が高い――に告白されたらしい。それはつまり、いわゆる男女の交際に発展するか否かというあれで、ドラマやら映画やらで天馬が何度も演じてきたシーンだ。
 好意を伝えて、恋人になりたいという願いを口にする。相手が受け入れてくれたなら二人は晴れて恋人同士だ。ハッピーエンドの物語としてなら、天馬もよく知っている。作られた世界の中でなら、告白されたことも、告白したことも、何回だってある。
 ただ、現実世界に適用するならば、天馬にはそんな経験がほとんどなかった。仕事が忙しいということもあるし、そもそも周囲の人間とそこまで積極的に関わってきたことがなかったから、関係が深まることもなかったのだ。
 しかし、天馬はMANKAIカンパニーに所属して、夏組としてカンパニーの一員として、大事なつながりをいくつも結んだ。その中には、愛や恋を口にしてはばからない真澄もいて中々新鮮ではあったけれど、実際恋人がいるという団員はいなかった。
 だから、天馬にとって恋愛とやらはどこか遠い世界の――作りものめいた存在だったのだ。
 ところが、である。
 何の前触れもなく突然、恋というものが身近にあるのだと思い知らされた。同じ夏組に所属する一成は、天馬の知らないところで恋愛ドラマを展開していたのだから。
 考えてみれば、大学生の恋愛なんて映画やドラマでも題材になっているし、極めてよくあることだと言える。しかし、天馬は一成が誰かに恋をするとか誰かに恋されるだとか、そういう可能性をなぜかまったく考えていなかった。
 だからなのだろうと思う。いきなり、一成が誰かに告白された、恋心を向けられているという事実を知って、何だか落ち着かない気持ちになるのは。
 天馬には、友情でさえも手探りで進んできた自覚がある。その発端とも言える存在が一成だったので、天馬にとって一成といえば「友達」と言って思い浮かぶ一番の顔でもあった。そんな彼に恋の要素が追加されるのは不思議であるような、新しいラベルに中々なじめないような、何とも言えない気持ちだった。
 だからこうして、そのまま部屋に入っていいものかどうか、頭を悩ませているのだ。
 一体こんな時、友達というのはどんな顔をしていればいいのだろう。何も知らないふりをするのが正解か、自分もその話に加わるべきか。
 どんな振る舞いを選べばいいのかわからず考え込んでいたから、談話室の扉が突然開いた瞬間天馬は思わず飛び上がった。

「うわ!?」
「えっ、あれ、テンテン!?」

 目を丸くした一成が、扉の向こうに立っていた。どっど、と鳴る心臓の音を聞きながら、天馬は努めて平静を装って、ぶっきらぼうに言い放つ。

「突然開けるなよ。驚くだろ」

 口から出たのはそんな言葉で、あくまでも自分はたった今ここに来たのだ、という顔をするべきだ、と天馬はとっさに判断していた。一成は明るい調子で言葉を返す。

「あはは、めんご~。てか、テンテンどしたの、こんな時間まで起きてるの珍しくね」
「課題とか台本とか、確認することが色々あったんだよ」

 嘘でも何でもないのでそう答えると、一成はぱっと笑った。楽しそうな、面白そうな笑み。心の内側まで明るく照らすような、暗い影なんて一切見せないような。

「さっすがテンテン。頑張っててえらい! でも、あんまり根詰めちゃだめだよん」

 朗らかに天馬の努力をたたえたあと、無理をしないようにとの言葉が続く。しかし、それはあくまでも軽い口調で、気遣いの雰囲気はほとんど感じれられない。
 だからこそ軽薄にも思える言動なのだけれど、天馬はすでに知っている。それが一成の本心であることも、気遣いを気遣いだと悟られないように振る舞うのが得意なことも。

「ああ、わかってる。だからもう寝るところだ」

 だから天馬は素直に答えた。気遣われるのはむずがゆいけれど悪い気はしなかったし、心配させたいわけではないのだ。案の定、天馬は一成の言葉に「それがいいよん」と嬉しそうに笑うので、ひとまずこの返事で正しかったのだろう、と天馬は思う。
 もっともそのあと、「いい子のテンテンには、オレがご褒美あげっちゃおうかな~」と続くので、「子ども扱いすんな」と顔をしかめることにはなったのだけれど。









 何だかモヤモヤする。
 朝の身支度をしながら、天馬は腹の底に溜まっているような、胸の奥によどんでいるような感覚に、思わず顔をしかめる。
 体調が悪いわけではない。最近睡眠時刻が遅くなった日があるとは言え、それも数日のことだ。そもそも、収録が重なってロクに睡眠が取れないこともあるのだ。そんな日々に比べれば充分すぎるほど眠れているし、朝の目覚めも悪くはない。
 食欲がないかと言えばそんなこともなく、監督のカレーだって他の料理だって(特定の野菜を除き)完食している。太一と買い食いをして帰ることもあるし、健康な男子高校生らしく旺盛な食欲は健在だ。
 それに、天馬にとって体は商売道具の一部でもある。思った通りに動かすことができなければ問題なので、自分の体の状態くらい常に把握している。だから、至って健康であることはよくわかっていた。
 つまりこのモヤモヤは、体ではなく心の問題だ。

「――また辛気臭い顔してる」

 顔を洗って戻ってきた幸が、呆れたようにそう言う。ここ最近、天馬が自分の中にあるモヤモヤを自覚しては顔をしかめる場面を何度か目撃しているからこその言葉だ。

「何なのか知らないけど、いい加減どうにかして。同じ部屋でしょっちゅうそんな顔されると、オレも気が滅入ってくるんだけど」

 棘のある言葉に反射的に言い返そうとするものの、どうにか口をつぐむ。完全な言いがかりでもないことくらい天馬にもわかったからだ。確かに、同室の人間がやたらと顔をしかめているのは、あまり喜ばしい事態とは言えないだろう。

「朝っぱらから一成みたいにテンション高くしろとは言わないけど。もうちょっとどうにかして」

 天馬が反論しなかった理由を何となく察した幸は、いささか語気をゆるめてそう言う。どうやら、洗面所で一成に会ったらしく、朝から元気で本当にうるさい、とこぼす。それは心からの言葉だろうけれど、だからと言って嫌がっているわけではないことくらい、天馬も理解している。
 ただ、天馬は幸の言葉に自分の表情が硬くなったことを悟る。薄々理解していたのだ。モヤモヤとわだかまるようなこの感情の原因なんて。

「……なあ、一成は、その、お前に何か言ってきてないか」
「はあ?」

 片眉を跳ね上げた幸の言葉に、「聞いてないならいい」と天馬は返す。
 胸の奥に何かがつっかえているようで、気分が晴れない。それを自覚した時から、天馬はあれこれと原因を考えていた。結果として、どうやら一成が告白されたと知ったあの日以降から発生していることには気づいたのだ。
 ただ、それがどんな意味を持つのかわからなくて、余計にモヤモヤが募っていったのだけれど。もしかして、という予想はついていた。

「そこまで言われて、はいそーですかって言うと思った? 何なの、まさかまたポンコツ、一成に余計なこと言ったわけ」
「言うわけないだろ」

 余計なこと、というのは十中八九、天馬が一成に対してキツイことを言ったのではないか、という意味だろう。前科があるだけに幸にそう言われることは仕方ないと思うけれど、今回は本当に何も言っていないのだ。だから全力で否定した。そう、天馬は一切何も言っていないのだ。

「――というか、あいつが何も言ってこない」

 一成が何か天馬に言ってくれたなら、天馬だって何かを言うことはできる。だけれど、一成はどんな言葉も口にしなかったから、天馬は何を言うこともできずにいる。困ってるとか、相談したいことがあるとか。言ってくれたら、ちゃんと力になるのに。

「よくわかんないんだけど。ポンコツは、一成が何か話してくれないから不貞腐れてるわけ?」
「そういうわけじゃない! ただ、その、万里さんに相談するならオレに相談してもいいだろ。その、と、友達なんだから……」

 若干、語尾が口の中に溶けていくのは自分で言いながら恥ずかしくなってきたからだ。改めて「友達」という言葉を口にしたことはもちろん、「話してくれない」と駄々をこねている現実も。
 ただ、言葉自体は嘘偽りない天馬の本音だ。モヤモヤする、とずっと思っていた。一成が告白されたという話をうっかり聞いてしまったあの夜から。どうしてなのかと考えた天馬は、恐らく、と理由を推察した。
 一成は天馬のことを初めて「友達」だと言ってくれた存在だ。だから、天馬にとって一成は間違いなく友達の一人だし、大切に思っている。だからこそ困っているなら助けてやりたい。頼ってほしいし、相談だってしてほしい。友達なんだし夏組のリーダーでもあるのだから。
 しかし、実際一成が相談相手に選んだのは万里だった。頭ではわかっている。万里のほうが一成と年が近いし、大学だって同じだ。恐らく相手のこともそれなりに知っている。人間関係だってソツなくこなせるだろうし、天馬よりよっぽど有益なアドバイスもできそうだ。だから、一成の選択は充分理解できる。
 だけれど、頭ではなく心が言う。困っているなら。頼るなら。友達なら、相談してくれてもいいのに。

「――馬鹿じゃないの?」

 心底呆れた、といった調子で幸が言う。冷ややかな目をして天馬を見つめていて、何を言ってるんだこのポンコツは、と顔に書いてあった。

「普通に考えて適材適所なだけでしょ。オレだって、デザインのことなら一成に相談するけど、裁縫の話なら馬鹿犬とかオカンに話すし。だけど別に一成を蔑ろにしてるわけじゃない。ポンコツだって、盆栽の相談なら紬にするっていうのと同じ。一成の場合、今回は万里が一番向いてたんでしょ」

 ただそれだけのことで、何深刻ぶっているんだ、とでも言いたげな顔だ。確かに、事実としてはその通りなのだと天馬は思う。
 状況から見て万里に相談するのが一番だと思っただけで、別に天馬が頼りないからとかそういうことではないだろう。素直にそう思う程度には一成とはきちんと付き合いを続けて来られたと、天馬は自負していた。

「そもそも、ポンコツって相談するのに向いてないし」
「どういう意味だよ」
「忙しくて捕まえられないし、落ち着いて話す機会とかあんまりないでしょ。最近、ポンコツ一成と二人で話した?」

 天馬の人となり云々ではなく、純粋に時間が取れるかどうか、という話だった。
 天馬は幸の言葉に、改めて自分の行動を振り返った。ここ最近は、ドラマの収録で帰宅時間も遅かったし、休日は雑誌の取材やら何やらで出かけていることがほとんどだ。
 そういえば、一成は「見て見て、これめちゃかわなケーキ!」だとか「ねね、このブックカフェちょーよさげじゃん?」だとか言いながらインステを見せてきて、「テンテン一緒に行こうよ!」と誘ってくれていた。ただ、スケジュールを確認すれば空きがなかったので、一緒に行くのは難しい、と答えた記憶があった。

「――話してない」

 夏組の基礎練だとかで顔は合わせるし、談話室でくだらない話に混ざることもある。だから一切会話が発生していないわけではないけれど。一成と二人だけで話をした記憶は、そういえば最近全くなかった。確かに、この状態で相談事ができるとは思えない。
 幸は天馬の言葉に「ほらね」とでも言いたげな表情を浮かべる。悔しいことに、幸の指摘はもっともだ。相談なんてデリケートな話、雑談の片手間にできるわけもない。ちゃんと向き合う時間を取れない天馬では、そもそも最初から選択肢に入ってはいなかったのかもしれない。
 その事実に少なからずショックは受けていたけれど、同時に天馬は解決策も見出していた。それならば、時間を作ってやればいいのではないか、と思い至ったからだ。確実に話をしてくれるとは限らない。それでも、少なくとも一成を気にしているのだと伝えられるのなら、それだけでも充分なのではないか。
 思った天馬は、ひとまず当面のスケジュールを確認しないとな、と考える。