木曜日にはラフマニノフを
こぢんまりとした古書店だった。間口は小さく、奥に向かって伸びているものの、そう広い店ではないだろう。
店の前にたたずむ銀杏の近くには本棚が置かれていて、文庫本が行儀よく並んでいた。道路に立つ天馬は、開け放たれた硝子戸の先――やわらかな明かりに照らされる店内へ視線を向ける。
高く積まれた古本の塔。一人がやっと通れるような細い通路の突き当たりには、古びた木製のレジカウンター。奥に座って本に視線を落としているのは、一成だ。
唇を結び、長い睫毛をわずかに伏せて本の世界へ没頭する様子からは、ひどく静謐な雰囲気が漂っている。彼の外見から連想されるような軽い空気はなく、どこまでも理知的で澄んでいる。
普段の一成を知っていれば、意外だと思う場面なのかもしれない。だけれど、天馬は一成の真面目さや頭の回転の速さなら何度か目の当たりにしているし、中学までは勉強に専念していたという話は本人から聞いている。
何より天馬は知っているのだ。一成がいつもはうまく隠している、明るさの裏に潜むものだとか。声高な騒がしさで装飾される、しんとした静けさだとか。
普段の彼からは想像もつかない、だけれど天馬の前でだけは見せてくれる表情を知っているから、一成の様子はすんなりとなじんだ。
静寂を壊さないように、天馬はそっと店内へ足を踏み入れる。屋外の陽光が遠ざかり、わずかに視界が陰る。古書のにおいが鼻をくすぐる。客は他にいないようだ。
古本の塔を崩さないよう、足音を立てないよう、ゆっくり足を進める。上手くできていたはずだけれど、狭い店内だ。何より、一成は人の気配に敏感な性質である。
「テンテン?」
本から顔を上げた一成は、天馬の姿を見つけると嬉しそうに名前を呼んだ。さっきまでの静謐さはやわらかく溶けて、抑えきれない喜びが満ちていく。
その変化が天馬には嬉しくて、だけれどあまりにも真っ直ぐと向けられる好意がくすぐったくて、上手く表情を作れなかった。
気にすることもなく、一成は言葉を続けた。軽やかな、弾むような声。
「テンテンも来てくれるとは思わなかったよん」
いつもより、ほんの少し押さえ気味の声は古書店という場所柄だろう。天馬も同じようなトーンで答えた。
「まあ、大学からわりと近いしな」
「うん。たいっちゃんとか、つづるんとか、ヒョードルも来てくれたし」
「古本屋で店番してる一成とかレアだからだろ」
「木曜日の午後オンリーだけどねん」
ぱたりと本を閉じた一成は、面白そうに言った。それから続くのは、この前古書店を訪れたMANKAIカンパニーメンバーとのやり取りだ。
どうやら、天馬以外のカンパニー葉星大組は先週の木曜日に一成のもとを訪れたらしい。
「てか、テンテン一人で来たの?」
そういえば、という顔で一成はきょろきょろと辺りを見渡す。同じく葉星大の誰かがいるのでは、と思ったのだろう。天馬は不満げな顔で口を開いた。
「オレ一人じゃまずいのか」
「全然! ただ、テンテン一人で来られたんだな~って思って」
軽やかな返答に、天馬は黙る。
天馬自身は、断じて自分のことを方向音痴だとは思っていない。目的地に辿り着くまでに人より時間がかかったり、どうしてなのか予想しているのとはまるで違う場所に到達してしまったりするだけだ。
一成はその事実を知っているので、「いくら葉星大から近いとはいっても、一人で来られたんだな」と感心しているわけである。
子ども扱いするな、と天馬は言いたかった。しかし、事実として今日ここへ辿り着くまでに、予行演習という名の道案内を頼んでいるためあまり強くは出られなかった。
天馬は一人だけで、この古本屋に来たかった。他の誰かと一緒ではなく、自分だけで。
だから天馬は大学の空き時間に、古本屋までの道案内をしてくれないかと頼んだのだ。時間の関係から、主に世話になったのは十座だった。
十座は当然、必要な時に呼んでくれれば連れていくくらいできる、と言ってくれたのだけれど、天馬は首を振った。十座さんの申し出はありがたいけど、と言って。
数回同じ道を辿ったおかげで、多少は道に迷ってもどうにか一人で辿り着けるようになったことは、今一成と相対しているという事実が証明している。
どうしてそこまでして一人で来ようとしていたのかなんて、理由は簡単だった。
「――テンテンが来てくれて、めっちゃ嬉しい」
ほんのりと頬を赤く染めた一成が、目を細めて言う。やわらかく、溶けてしまいそうなほほえみに、天馬の胸がぎゅうっと苦しくなる。
だってこんな風に笑うのだ、一成は。
いつもの突き抜けた明るさでも、楽しくて仕方ないと跳ね回るような軽やかさでもなく。心の奥の、取って置きの場所から生まれたみたいな、まろやかな甘ささえ感じさせる表情で、目の前の恋人は笑ってくれる。
恋人、と天馬は心の中でつぶやく。改めて形にすると照れくさくなってしまうけれど、同時に途方もない幸福感が胸を満たすことも間違いなかった。
二人の関係が明確に形を変えたのは、ついこの前のことだ。紆余曲折はありながら、互いの気持ちを確かめあって、夏組、友人に恋人という関係性が加わった。
自分だけが持っていると思っていた心を、同じように持っていてくれたこと。恋人という特別な位置に自分がいられること。その全てが、嬉しくて新鮮で、毎日天馬は言いようもない喜びに胸を震わせる。
ただ、一成は案外人目を気にする性質だし、天馬は気恥ずかしさが先に立つので、あまり大っぴらに恋人同士だと主張するつもりはない。
結果として、二人きりになった時だけ、恋人らしい振る舞いをすることが暗黙の了解になっていた。カンパニーの団員たちには察しのいい人がいるので、気づいている可能性は察しているけれど。
もうしばらくは、二人だけの秘密にしておくことにしたのだ。
一人で店を訪れれば、一成は自分にしか見せない顔で笑ってくれると知っていた。
そんな風に笑ってほしいという望みと、自分だけが知る笑顔を見たいという独占欲で、天馬はこうして一人で古書店を訪れたのだ。
「オレだって、お前に会えて嬉しい」
ぼそり、と天馬は言葉を吐き出す。まだ上手く表情を作れなくて何だかぶっきらぼうな物言いになってしまったけれど、真実心からの言葉であることは間違いない。一成は、とろけるような声で「うん」とうなずいた。
同じ寮に住んでいるので、顔なら毎日のように見ている。どちらかが忙しくて顔を合わせない日もあるけれど、一つ屋根の下で暮らしている以上、まったく顔を見ないなんてことはほとんどない。
だけれど、それはあくまで「友人」「夏組」という顔なのだ。人目を盗んで部屋で二人きりになった時は、恋人の顔を見せることはあるけれど、その機会はあまり多くない。
だからこそ、今こんな風に誰の目もない場所で、恋人として互いの前にいられることが嬉しいのだ。
「そだ、テンテンは何時までいられる感じ?」
はた、とした顔で一成が尋ねるのは、大学の空き時間に店を訪れたのだと理解しているからだ。一成が店番を任された古書店は、天馬たちが通う葉星大と近い位置にある。空き時間を利用すれば、ふらりと訪れることができるくらい。
些細な時間を見つけて顔を出してくれたことが嬉しい。だけれど、天馬はすぐに大学へ戻らなくていけないから、何時までここにいてくれるのだろうと思っての言葉だ。天馬は、唇の端に笑みを浮かべて答えた。
「今日は休講になったから大学には戻らなくて平気だ」
本来なら、この時間天馬は講義の最中だ。ただ、教員の都合で休講になった今日に限っては、すでに天馬は自由時間である。
一成は、ぱっと顔を輝かせた。もしも尻尾がついていたらぶんぶん振っていただろうな、と思わせる雰囲気。
「じゃさ、テンテン、ちょっと待っててくんね? 5時になったらお店閉めるから!」
目を輝かせながらも、どこかにうかがうような雰囲気を忍ばせて一成は言った。
天馬の負担にならないだろうか、と心配しているのだろう。素直にそういうところを見せてくれることが嬉しい、と思いながら天馬はうなずいた。
「もともとそのつもりだったんだ。お前が店閉めるの待って、一緒に帰ろうと思ってた」
気恥ずかしく思いながらも、ここはきちんと言わなくては、とそう告げる。案の定、一成は頬を薔薇色に染めて笑ってくれるので、天馬の胸も同じ色に染められていく。
「ならさ、テンテン。向かいの喫茶店で待っててよ。ここでずっと待たせちゃうのも悪いし」
言った一成が指差す方向を辿って、天馬は視線を向ける。
道路を挟んだ向かい側には、木製の出窓が印象的な建物がある。くすんだ茶色の外壁に、暗い赤色をしたビニールのひさし。飾り窓のついたドア付近には、メニュー表らしきものが出ていた。
ここで待っていても問題はなかった。ただ、一成は恐らく天馬を店内で待たせることを申し訳ないと思うだろうことも予想がついたので、「わかった」とうなずいた。
喫茶店には、静かに曲が流れている。クラシック音楽だろうか。ピアノが印象的な曲でどこかで聞いたことがある気がした。
出窓の近くに通された天馬は、運ばれてきたコーヒーを飲んで一息つく。視線を投げた先は、一成が店番をしている古書店だ。
近くにたたずむ銀杏の木が印象的で、「銀杏堂書房」という看板が掲げられている点からも、店のシンボルであることがうかがえた。
決して大木ではないけれど、大通りから一本入った通りにある木はいささか目を引く。黄葉が始まっており、緑から黄色へのグラデーションがあざやかだった。
ここからでは、店内にいる一成の姿は見えない。けれど、そこにいることさえわかっていれば充分だったのだ。
閉店時刻まではもうすぐだったし、そう長時間待つわけではない。喫茶店の雰囲気も落ち着いているし、ぽつぽつといるお客さんも天馬の姿を認めても特に反応はない。それが天馬にはありがたかったし、居心地の良さを感じさせた。
しばらくの間、流れる音楽に耳を澄ませながら時間を過ごす。気づけばすっかり日も落ちていて、辺りは薄墨色に染まっていた。
窓から視線を向けると、古書店の明かりは消えている。そろそろ待ち人が来るだろうか、と思っていると喫茶店の扉が開く。ドアベルのやわらかな音とともに入って来たのは一成だった。
一成は店主に何かを告げたあと、店内を見渡す。天馬の顔を見つけると、花咲くようにぱっと笑った。あまりにもあざやかなそれは、天馬の胸の奥まで真っ直ぐ届く。
心臓がドキドキと鳴ってしまうのは、天馬を見つけた、それだけでこんなにも嬉しそうに笑ってくれるからだ。その笑顔一つで、どれほどまでに一成にとって自分自身が特別なのかわかってしまう。
「待たせちゃってごめんね!」
「いや、そんなに待ってない」
ぱたぱたと駆け寄って来て、向かいの席に腰掛けた一成へゆるやかに首を振る。
一成はお冷を持ってきてくれた店主と和やかな会話をしてから、コーヒーを注文していた。慣れた様子に、恐らく初めて訪れたわけではないんだろうな、と思う。
「ここのマスターと、古本屋のおじいちゃん古くから知り合いなんだって。ここのコーヒーは美味いぞって言われたら、行かないわけにはいかないじゃん!?」
面白そうに言う一成は、持ち前のコミュニケーション力で、喫茶店の店主とも何やら意気投合したらしい。あれこれと店の歴史やらおススメのメニューを語っていて、すっかりなじみ客といった装いだ。
その話を聞く天馬は、しみじみとした気持ちで言葉を落とした。
「お前の人脈って、そうやって広がるんだな。古本屋の店主と知り合いっていうのも驚いたけど」
一成が古書店の店番を任された、という話は二週間ほど前に聞いていた。だからちょっと、帰る時間遅くなるかも~という話は、談話室で何気なく交わされていた雑談の一つだ。
葉星大の近くなんだよん、と言ってその場にいたカンパニーメンバーに場所を教えてくれたし、経緯についても語ってくれた。
曰く、木曜日の午後だけ店を離れなければいけない用事ができた。あまり客は来ないものの、どうしても欲しい本があるという来客には応じたい。二ヶ月ほど、留守番がてら来客対応と戸締まりをしてくれる人がほしかったところ、白羽の矢が立ったのは一成だったらしい。
何だかんだで真面目な人間であるし、来客への対応も難無くできるだろうから、適当な人選であると天馬は思う。
二人きりになった時にそれを告げて「頑張れよ」と言えば、一成は気の抜けた顔で笑った。何だかそれがやけに可愛らしかったことを、天馬はよく覚えていた。
「まね~。でも、大学近くの古本屋ってレアな本置いてあるから、結構穴場なんだよねん」
大学が持つ学部によって、古書店の品揃えも変わるという。天美近くの古書店には画集なども置いてあるため、時々のぞいては絶版になった画集を探すこともあるらしい。
「だから天美の近くの古本屋とは結構顔見知りなんだけどさ。そしたら、葉星大のほうにある古本屋の話聞いて。オリジナルデザインのブックカバーがめちゃんこ可愛くて!」
きらきらとした輝きで言う一成の言葉に、天馬はなるほど、と思う。最初はオリジナルデザインのブックカバーから興味を持って店を訪れ、店主と仲良くなったらしい。
一成は読書も好きだし、古書という存在そのものにも心を惹かれるという。その辺りもあいまって、店主と仲良くなって店番を任されるまでになったのだ。
それはとても一成らしい、と天馬は思う。明るい笑顔で誰とでも仲良くなって、新しい関係を結んでいく。老若男女問わずに発揮される能力を天馬はすごいと思うし、素直に尊敬している。
ただ、同時に理解もしている。それらは決して簡単に成し遂げられるものではなく、自身の心を砕いて相手に差し出すことを厭わない性質があるからこそだ。
天馬には時々、それがひどく悲しくなることがある。一成自身は、辛いとも苦しいとも思ってないことはわかっていても。だからせめて代わりに、そういう一成の心を守ってやりたいと天馬は密かに思っている。
「古本屋の店番とか、やったことないから新鮮で楽しいし!」
一成の言葉に嘘はないだろう。新しい体験を素直に楽しめる人間だし、一成はどんなことからだってプラスを見出すことに長けている。今の体験だって、全ては楽しい思い出に分類されていく。
古書店の仕事や、訪れる客とのやり取りを嬉々として一成は語る。知らないことを素直に楽しんでいる様子は天馬にとっても嬉しいものだ。相槌を打ちながら聞いていると、一成は唇に小さな笑みを浮かべた。
それまでの、光を放つようなものではなく、何かをそっと取り出す素振りで告げる。
古書店の店番を始めて知ったこと、楽しかったこと。たくさんある中でも、一成の心を震わせたことの一つは。
「それに、テンテンと待ち合わせできるのも嬉しい」
ささやくように一成が言った。ほろりとこぼれる笑みがやわらかくて、天馬の心臓を高鳴らせる。一成が天馬を見つけた時のことを思い出した。
「寮から一緒なのも楽しいんだけどねん! テンテンが待ってるな~って思ったら、めっちゃウキウキしちった」
同じ寮に住んでいるので、二人が一緒に出掛ける時は連れだって出ていくのが常だ。どこかで待ち合わせをして合流する、という段階を踏まなくていいのは、時間を有効に使えるということでもあるのだろう。
ただ、だからこそ一成は言うのだ。
「テンテンがオレのこと待っててくれるとか、めっちゃ贅沢じゃん?」
ふわふわと、自身の心を抱きしめるような素振りで言葉を落とす。
喫茶店で時間を過ごす天馬は、一成が来るのを待っている。その事実が一成には嬉しい。だってきっと、待っている間に、一成で心がいっぱいになってくれる瞬間があると思えるから。
「待たせたいわけじゃないんだけどねん」
ちょっとだけ困ったような顔をして言う一成に、天馬は何かを言おうと思う。
待ち合わせをしてなくたって、お前でいっぱいになる瞬間なんていくらだってある。お前のことを考えて身動きが取れなくなりそうなことだってたくさん。
どんな言葉で伝えればいいかわからなくて、天馬は戸惑うように視線をさまよわせる。すると、ちょうどそのタイミングで一成が頼んでいたコーヒーが運ばれてきた。
礼を言う一成は、それまでの空気を変えていつもの明るい雰囲気をまとってしまう。改めて何かを言うのは気恥ずかしくて、天馬は結局口を閉じた。
「テンテン、夕飯どーする? ちょっと早いけど食べてっちゃう? ここ、19時には閉まっちゃうんだよねん」
そういえば、という顔で一成が尋ねる。ただ、メニューに手を伸ばしている時点で答えはほとんど決まっているのだろう。
天馬とて、ノーと答えるつもりはなかった。この店で過ごす時間が増えるということは、一成と一緒にいられる時間が長くなるということなのだから。イエスの返事に一成は嬉しそうに笑っている。
「オムライスがおススメだよん! オレは、こっちのドリアセットも気になってるんだよね~」
嬉々としてメニューを示す一成は、心底楽しそうだ。ウキウキとした雰囲気が天馬にまで伝わってくるので、自然と天馬の心が弾む。
二人でいられる時間を心底喜んでいることはよくわかるから、もっとそんな顔をしてほしいと思う。だから、天馬はさっきからずっと考えていたことを声にする。
「なあ、一成。店は5時までなんだよな」
「そだよん」
軽やかに答えた一成は、先の言葉を待っている。何か言いたいことがあることは察しているのだろう。天馬は少しだけ考えてから、声を絞り出す。
「木曜日は4限までなんだ。5時は過ぎるけど、その、来週もこの店で待ち合わせしないか」
今日は休講だったので、5時前には一成のもとを訪れることができた。来週以降は講義が入っているので、この時間にここへ来ることはできない。
だけれど、もしも一成が待っていてくれるなら、またこうして二人きりの時間を作りたかった。
一成は、緑色の目をぱちりとまたたかせた。珍しく素の表情のまま驚いているらしい。天馬はしどろもどろに言葉を重ねた。
「いや、一成に用事があるなら別に平気なんだ」
「ないない! 用事ナッシング!」
慌てた様子で一成は言って、それからうかがうような表情で天馬を見つめた。恐る恐るといった調子で、しかし瞳の奥にはいくらかの期待を潜ませて。
「――えっと、むしろいいの、テンテン」
「何がだよ」
「オレと待ち合わせしてくれるんだなって」
テンテンが来てくれるなら、いくらだって待っちゃうよ、なんて。冗談めいた言葉ではあるけれど、それは紛れもない本心だと天馬は思う。
きっと一成は、そうやって天馬のための時間を設けて、天馬のための場所を作ってくれるのだろう。心の中に、一成の内側に。
「当たり前だろ」
きっぱりと天馬は答える。待ち合わせしてくれるだなんて。まるで一成のために天馬が何かをしてあげたみたいな言い方をしなくてもいいのだ。だってこれは、天馬の望みでもあるのだから。
むしろ、待ち合わせはできるけれどそれだけしかできないことが天馬にはもどかしかった。だから、ぼそりと言葉を落とす。
「本当なら、どこかに出かけられたらよかったんだけどな」
せっかく待ち合わせをするのだし、そのままどこかへデートに行くという選択肢だってないわけではない。
ただ、時間も中途半端だし、天馬もあまり人混みに出ることを推奨したい境遇ではないのだ。二人きりで出かけてデートだとは思われるかどうかはわからなくても、騒がれることは目に見えている。
一成は何てことはない顔で「だいじょぶだよん」と笑った。どこに行っても天馬が目立つことはよくわかっている、という素振りだった。
「遠出するにも微妙な時間じゃん?」
「まあな。でも、この辺にも色々あることはあるだろ」
「大通りのほうのイルミネーションとかあんね。銀杏並木がライトアップされてすげー綺麗っていうのは聞いたよん」
そういえば、という顔で一成が答える。やっぱりそういう情報はちゃんと認識してるんだな、と天馬は思うし、それを制限させているのが他でもない自分であることを天馬は理解している。
普通の恋人同士なら、きっとそのまま大通りに赴いて銀杏並木を歩くことだってできる。だけれど、天馬がその通りにしたなら騒ぎになってしまうことは確かだ。
だから天馬は、一成といかにも恋人同士といったことをしてやれないのだ。
「でもオレ、ここでテンテンとのんびりできるのめちゃくちゃ嬉しいよ」
目を細めた一成が、ふにゃりと表情を崩して言った。きっと、天馬の憂いももどかしさも全て知った上で、それでも言ってくれた言葉なのだと天馬は理解している。
無理をしているわけではなく、心から言っている。できないことを嘆くのではなく、今持っているものをきちんと見つめて大切にしてやれる。
それは一成を好きだと思うことの一部で、天馬にとってはこの上もなく大事にしたいものだ。
「――オレも嬉しい」
同じ気持ちだと伝えたくて、天馬はぽつりと言葉を落とす。
落ち着いた喫茶店で、静かに流れる音楽に耳を傾けながら。思いを通じ合わせたばかりの恋人が目の前にいてくれるのだ。これ以上の幸いはないのかもしれない、なんて馬鹿みたいなことを半ば本気で天馬は思っている。
一成は天馬の言葉にいっそうほほえみを深くして答える。
「うん。だからさ、テンテン。来週も、一緒にここでコーヒー飲もうよ」