Specialty Lesson



 こっそりと、天馬の姿をスケッチしている。手元のスケッチブックには、バルコニーから街並みを見つめる天馬の横顔が写し取られていく。
 小さな額に、きりりとした眉、すっと通った鼻筋。くっきりとした目元や引き結ばれた唇が、夕暮れのオレンジに染められている。一成は胸中でこっそりと息を吐いて、しみじみと思う。

(やっぱりテンテンって、めっちゃカッコイイよねん)

 もともと一成は天馬のことをイケメンだとは思っているけれど、スケッチをするためにじっと見つめていると、よけいにその気持ちが大きくなったのだ。特に今、何も言わずに目の前に座っている姿は、よりいっそう魅力的に映る。
 夏の気配が遠ざかり、夕焼けの色合いも少しずつ変化した。切なさを誘うようなオレンジに照らされる様子は、某かの芸術品のようにさえ思ってしまう。もっとも、その気持ちがどこから来るものなのか、一成は理解していた。

「一成?」

 熱心に見つめていたからだろう。視線を感じた天馬が、一成のほうへ顔を向けると名前を呼んだ。一成は慌ててスケッチブックをめくり、さっきまで描いていたページを開く。目前に広がる絵を目に映した天馬は、わずかに眉根を寄せて口を開いた。

「全然進んでないんじゃないか。オレがいないほうがいいなら、そう言ってくれ。お前の邪魔をしたいわけじゃない」
「そんなことないよん! 今はちょっと考え事してただけ!」

 真剣な顔で言い募り、天馬のせいではないと伝える。天馬はしばし考え込んでいたものの「そうか。ならいいんだけどな」とうなずいてくれたので、一成は息を吐く。「邪魔になるなら」と、部屋へ戻ってしまうんじゃないかと思ったけれど、まだバルコニーにはいてくれるらしい。

「全然平気だよん。テンテンの役作りに協力できるなら、オレ的にも嬉しいし!」

 満面の笑みで言いながら、一成は十分ほど前のことを思い出す。

 大学の課題のため、バルコニーでスケッチをしていた。空と街並みの風景を切り取って、スケッチブックへ落とし込んでいると、不意に天馬が訪れたのだ。ドキドキと高鳴る心臓の音を聞きつつ、「どしたの?」と聞けば「一成が絵を描いてるところが見たい」と言われた。
 一際大きく心臓が跳ねたのは仕方ない、と一成は思った。テンテンにいきなりそんなこと言われたたら、ドキドキしちゃうに決まってるじゃん。
 ただ、「今度出る映画で、絵を描くシーンがあるから参考にしたい」と続いたので、高鳴る胸はすぐに落ち着きを取り戻した。絵を描いてるところが見たい、なんて何か特別な意味があるんじゃないか、と期待してしまったけれど。単純に役作りとして参考になる人物を考えた時、日本画専攻の一成が最適という結論に達したということだろう。
 もっとも、天馬の役に立てるなら一成としては充分嬉しいので、嬉々として協力を約束した。

「いい感じの風景見つかった? どういう構図を選びそうかとか考えてみると、役作りリアリティ出ると思うんだよねん!」

 最初は純粋にスケッチを観察していた天馬に、その役の人物が風景画を描くならどんなものになると思うか、と一成は尋ねた。バルコニーから見える景色を指して、天馬演じる人物は何を構図として選ぶのか、と。
 絵を描くというキャラクターなら、実際の筆の運びはもちろん、思考回路もなぞった方がいいのではないか、と思ったからだ。天馬は素直にうなずいて、バルコニーからの景色を丹念に見つめていた。
 何に対しても真面目に向き合う人間だと知っている。天馬は案の定、目の前の景色のどこを切り取ろうかと真剣に考えていて、気づけば一成はスケッチブックの新しい一ページに天馬の横顔を描き始めていた。見つめられていることに気づいていないうちに、この瞬間の天馬を描きたいと思ったのだ。
 紫色の瞳の、きらきらとした輝きだとか。涼しくなってきた秋風に揺れる前髪だとか。意志の強さを感じさせる眉だとか。真っ直ぐとしたまなざしに宿る誠実さだとか。全身を包み込むような、演技に対する情熱だとか。天馬を形作るものたちを、絵に残しておきたかった。

「確かにな。人間を描くか、自然物を選ぶか、逆に無機物だけを選択するか、でだいぶ人物像も変わる」

 一成の言葉に、天馬はゆっくり答えた。その目は真剣でありながらどこか楽しそうで、どうやら役作りの手助けにはなれたようだ、と一成は察する。その事実に自然と心が浮き立って、勢いのまま口を開いた。

「何ならマジで何か描いてみる? オレめっちゃ教えるけど!」

 一体どこまで絵を描くシーンがあるかわからないし、そもそも何の絵を描く人物なのかも知らされていない。だけれど、簡単なスケッチだとかなら手ほどきできるのではないか、と一成は思った。それは純粋に天馬の役に立ちたい、という気持ちがほとんどだ。まあ、多少の下心も含まれていることは、自覚もしている。
 天馬は一成の言葉に、一つまばたきをした。それから、面白そうに笑って「まあ、そういう手もあるよな」と答える。

「道具の扱いには慣れたいから、ある程度練習はするつもりだった。だからまあ、絵を描いてみるのも悪くないとは思う」
「え、じゃあマジでカズナリミヨシお描き教室やる?」

 わくわくとした調子で言えば、天馬はいっそう深く唇に笑みを刻んだ。「なんでお前がそんなに楽しそうなんだよ」と言うから、「テンテンとお絵描き教室なんて、楽しいに決まってるっしょ」と真顔で答える。大好きなものが二つもそろったら、楽しくなる以外の選択肢などあるはずがないのだ。
 天馬は一成の言葉に肩をすくめると、「まあ、それはそれでいいけどな」と言ってから、ふと視線を一成のスケッチブックへ向けた。天馬が来た時まで描いていた、未完成のバルコニーからの景色。鉛筆一本だけではあるけれど、次第に夕暮れへ向かっていく街並みが、見事な濃淡で描き出されていた。
 それを見つめる天馬は、しみじみとした口調で「やっぱりお前、絵上手いよな」とつぶやく。一成は面白そうに「美大生だかんね!」と答える。すると天馬は一瞬難しい顔をするので、一成は首をかしげるけれど。

「……美大生だからっていうのも否定はしない。でも、純粋にお前の絵が好きだと思う」

 いささかぶっきらぼうな口調ではあるけれど、それが照れ隠しであると察することができるくらいに、一成と天馬の過ごした時間は長かった。だから、天馬の言葉がどこまでも真剣なもので、心から言ってくれているのだと、一成は理解している。
 たとえば、役作りのために真摯に物事へ向き合うように。ただ真っ直ぐと、心の内側へ迎え入れるように。一成の描いた絵を好きだと言ってくれた。その事実に、一成の胸はぎゅっと詰まる。
 悲しみや苦しみではない。感じたものや抱いた感情を形にするなら、それは一成にとって絵になる。自分自身の心を預けるように絵を描いてきた。だからこそ、真っ直ぐとそれを好きだと言われるのは、心に触れられるようだった。
 胸がいっぱいになって、一成はほとんど衝動で口を開く。だって、天馬が言ってくれたのだ。他の誰でもない天馬の言葉だったから、思いはあふれて声になる。

「テンテン、好き」

 無意識のうちにこぼれた言葉は、紛れもない一成の本音だ。一成は天馬のことが好きだった。友達として、夏組のリーダーとして。それからもっと、特別な意味で。
 自覚したのは最近だけれど、気づいてみればすんなりとその感情は自分になじんだ。誰も彼も、一成にとっては特別な人であることは間違いないけれど、天馬へ向かう感情はそのどれとも違っていた。
 だから、他でもない天馬に絵を好きだと言われて、一成の心はいっぱいになってしまった。思わず言葉がこぼれてしまうくらい。衝動的に好きだと言ってしまうくらい。
 正面から一成の言葉を受け取った天馬は、大きく目をまたたかせた。紫色の瞳が不思議な色をたたえている。一成の言葉を飲み込んで、咀嚼するような沈黙。
 ただ、それも時間にすればほんの数秒だ。天馬はすぐに笑顔を浮かべた。くすぐったそうな、面映ゆそうな、少年らしいあどけない笑みで口を開く。

「ありがとな。正面から言われると、結構照れるな」

 白い歯をこぼして言った天馬は、それから少し声の調子を変えた。噛んで含めるような、注意喚起を促すような口調で、大真面目に続ける。

「でも、オレ相手だからいいけど、場面と相手は選べよ。そんなに簡単に好きだって言ってると、そのうち本当に勘違いされるぞ」

 真顔の天馬は、あくまでも一成の「好き」を友情の延長として受け取っていた。そこに含まれる特別な感情など一切関知せず、あんまり意味深なことを言うと勘違いされるから気をつけろ、と結論づける。
 その反応に、一成は心から思う。勘違いじゃないんだよね~!?
 なので、さらに言い募ろうとした時だ。廊下のほうから、天馬の名前を呼ぶ声が響いて二人は思わず視線を向ける。のんびりとしながらよく通る声は、どうやら三角らしい。
 しきりに天馬を探す声に、天馬は椅子から立ち上がる。何度も呼び続けるくらいだ。緊急の用事なのかもしれない。さすがに一成も、この状態で天馬を引き留めるつもりはなかった。自分のことは気にせず行ってほしい、と言えば「悪いな」と言って、バルコニーから出て行った。
 天馬の背中を笑顔で見送った一成は、一人になってから真顔になる。それから、盛大に溜め息を吐き出した。
 思い出すのはさっきまでのやり取りだ。天馬に好きだと言って、思いっきりスルーされた。疑い一つなく友人としての好きなのだと思われた。
 思わず難しい顔になってしまうけれど、テンテン鈍すぎない!?と憤っているわけではなかった。むしろ、呪いたいのは過去の自分自身である。なぜならば、天馬の態度に思い当たる節しかないからだ。

(過去のオレ、あの辺全部「友達なら普通じゃん」とか言ってたもんね!?)

 天馬は確かに、妙なところで鈍さを発揮することはある。ただ、案外感情の機微には聡い人間なので、いつもと違った雰囲気で「好き」と言われればそれが友情の好きではないことくらいは察するタイプだ。
 だけれど、天馬は一成の言葉は全て友情として受け取っている。その理由は、一成自身が何よりも理解していた。

(なんでオレ、告白にぴったりのシチュエーションみたいなところで、ことごとく好きって言ってるんだろう……)

 遠い目になって思い出すのは、過去のあれこれだ。
 夏組としてのつながりを結び、掛け替えのない仲間になった。天馬のことは、友達としてもずっと大好きだったのだ。だから、ふとしたタイミングで天馬への好意は伝えていた。だって、大事な友人だ。天馬本人は自ら好意を伝えるタイプではないから、それなら自分が目いっぱいに大好きだと伝えようと思った。
 天馬を見かけたらダッシュで近づいて、思いっきりハグする。「テンテン、ちょーラブ!」なんて言って、ツーショを撮る。天馬の好きそうなお菓子があったら、「オレからのラブだよん!」と言ってプレゼントする。それくらい日常茶飯事だ。
 さらに、みんなで出かけることもよくあったのだけれど。その中で天馬と二人きりになった時、一成は心からの言葉を告げている。
 夕暮れの海辺だとか、隣同士で花火をしている時だとか、星を見に行った帰り道だとか。些細な瞬間に、二人だけの時間が訪れる。
 世界から切り離されたみたいな、ここには二人だけしかいないんじゃないか、と思ってしまいそうな。そんな時間は、一成をセンチメンタルな気分にさせる。心は無防備になって、内側があふれだしてしまうのだ。
 だから、一成は本音を口にした。天馬と出会えてよかった。天馬と過ごした時間がどれほど大切か。同じ未来を目指せることが嬉しい。諸々の気持ちを込めて、一成は「テンテンのことめっちゃ好き」だとか「テンテン、好きだよ」とか言っていたのだ。
 心からの親愛の言葉だった。一切他意なく、友情としての好意を伝えていたつもりだった。ただ、天馬からすればそうは思えなかったらしい。
「もしかして、一成はオレのことが別の意味で好きなのか……?」と思い悩んでいたようで、それを聞かされた一成は明るく告げたのだ。こういうのはさ、全部友達なら普通じゃん!と力強く。

(だってあの時は、マジでテンテンのこと友達だと思ってたし!)

 一成は自分自身に盛大に言い訳した。
 ことあるごとに抱きつくのも、何かとプレゼントをあげることも、天馬のことをしょっちゅう気にかけるのも、好意を伝えることも、全ては友情の一環であると一成は告げた。実際本当にそう思っていたから嘘は一つもない。すると天馬は「そういうものなのか」と納得したわけである。

(テンテン、マジ素直でかわい~って感じだけどそうじゃなくて)

 結局天馬は、今でも一成の言葉を素直に受け取ったままだ。つまり、一成からの「好き」という言葉はことごとく友情に変換される。夏組として、全員距離感が近いということも加味されて、天馬にとって一成の行動はあくまで友情の延長でしかない。
 恐らく、最初に天馬が「もしかして」と思った時点で一成が違う答えを返していたら、事態は違っていた。友達に対するものとは別の「好き」の可能性を、きちんと考慮してくれた。
 だけれど、一成があまりにも自信満々に全ては友達に対するものである、と明言したものだから、天馬は素直にそれを受け取ったわけである。
 当時の自分にとっては、あくまで自然な答えだったので仕方ない、とは一成も思っている。強がりだとか嘘でも何でもなく、あの時は本当に友情百パーセントだったのだ。
 まさかその後、天馬に対する感情が変化して、たった一人の特別になるなんて思っていなかった。その上、天馬がそれまでの自分の言葉を素直に信じすぎて、全部友情扱いされるなんて、それこそ予想外だった。
 身から出た錆、自業自得、因果応報。そんな言葉がぐるぐる浮かんで、一成は盛大に溜め息を吐いた。