Street Note Secret




※イベント「スカイギャラリー」のネタバレがあります








 一成の姿を見つけて、天馬はバルコニーの扉を開けた。一人で椅子に座る背中に「一成?」と声を掛ける。一成はぱっと振り向いて、軽やかな声で尋ねた。

「もしかして、もう稽古始まる系?」
「いや、まだだ。あいつらが帰ってくるまでは、もう少しかかるだろ」

 答えた天馬は、ちらりと周囲へ目を向ける。
 バルコニーから見える空は次第に暮れ始めて、辺りはすっかりオレンジ色に染まっている。この時間はまだ、天馬と一成以外の夏組は学校やアルバイトだ。全員がそろうのはもっと暗くなってからだろう。
 だから特に急かすつもりはなかったけれど、夕暮れのバルコニーで一人何をしているのか、と疑問に思って声を掛けたのだ。

「こんな所で何してるんだ?」

 少し考えてから空いた椅子に座った天馬は、落ち着いた口調で尋ねる。まだ時間もあるし、特に急ぐ用事もない。一成と話をするのもやぶさかではないのだ。せっかくなので、腰を据えることにした。
 一成は天馬の質問に楽しげな空気を漂わせて、笑みを刻んだ唇で答える。

「ちょっと外の空気吸いたいな~って思って。今はインステのチェックしてたとこ!」

 明るい笑顔で告げられた言葉に、天馬はまじまじと一成を見つめた。
 常に笑顔が標準装備みたいな人間である。実際、楽しいことを見つけるのが上手いので、大体いつでも機嫌がいいのは嘘ではない。ただ、ときどき何かをごまかすように笑うこともあると知っていた。
 もっとも、最近では一成もそんな素振りを見せることは少なくなってきた。様子がおかしい、とわかる態度を取ることが増えてきたのでいい兆候だと天馬は思っている。とはいえ、ごまかすための笑顔がなくなったわけではないので、注意深く一成の様子を観察したのだ。
 幸い、夏組をはじめとしたカンパニーメンバーであれば、一成の笑顔が心からのものかどうかくらいわかる。じっと見つめた一成の笑顔は、何かを隠すためのものではないようだった。たとえば、心を痛めているのになかったことにしようとして笑っているような。そういうことはなさそうだったので、天馬は息を吐いた。
 一成はその様子に、すぐ事態を察したらしい。勘のいい人間なので、天馬が何を見ていたのかも、どういう判断をしたのかも理解したのだろう。

「テンテンってば心配性~」

 からかうような素振りで言うので、天馬はいささかむっとした表情を浮かべる。これは正当な反応であって、からかわれるようなことではない。何せ確かな実績があるのだ。そう思った天馬は、重々しい雰囲気できっぱりと言う。

「これくらい当たり前だろ。お前が絵のことを考えられない、なんて言い出したのはSNSがきっかけなんだから」

 インステはSNSの一種だし、一成のことなのでコメントをチェックしていたことは予想がついた。いたっていつも通りの一成の行動と言えるけれど、それがきっかけで起きた事態を天馬は知っている。
 第九回公演の稽古が本格的に始まる少し前。一成の描いた絵が公募展に入選し、多くの人の目に触れることになった。その際、一成の父親のコネで入選したのではないか、とSNSで噂されていたという。
 それを見たことで、一成の様子は明らかにおかしくなっていた。「絵のことを考えられない」なんて一成が言い出したのだ。異常事態に違いなかった。
 その時と同じく、SNSをチェックしているというのだから自分の心配はもっともだ、と天馬は思っている。例の一件からだいぶ時間が経っているならまだしも、そこまで昔のことではないのだからなおさら。

「別にSNSを見るなとは言わないが、また変な投稿見つけて落ち込んでないだろうな」

 一成を真っ直ぐ見つめて尋ねれば、一成は明るい笑顔で「大丈夫だって!」と答える。心底楽しそうな、面白がった表情だ。さっきの様子とあわせて考えても、何か不穏な投稿を見つけたわけではないだろう、と天馬は思う。

「それならいい」

 鷹揚にうなずくと、一成はさらに笑みを深めた。いたずらを仕掛ける時のような、茶化すような、それでいてどこか真剣な雰囲気を乗せて。

「もしもまた同じようなことがあってもさ。そしたら、デジタルデトックス連れてってくれるっしょ?」

 軽やかな言葉は、からかうような調子だ。しかし、一成の目はやさしく細められている。思い出しているのは、一成を連れ出した旅先の光景なのだろう。
 悩んでいる様子の一成に何かできることはないか、と考えて夏組と監督で出掛けた。気分転換とリラックスのため、スマートフォンを触らずに過ごすデジタルデトックスの旅行を提案したのだ。
 川辺で水遊びをして、見晴らしのいい高台で絶景を眺めた。夏組全員で絵を描いて、特別な時間を過ごした。
 あの時間は、一成の確かな力になったのだ。だからこそ、もしもまた落ち込んでしまうことがあったら――と一成は言うのだ。あの時と同じように、また力になってくれるでしょ?と、当然みたいな顔で。
 それは、一成から天馬への確かな信頼だ。普段あれだけにぎやかで、何でもかんでも明け透けに口にしているような顔をしているくせに。本音を言うことが苦手で、助けてと言うことも不得手な人間だと、天馬や夏組は知っている。
 最近では自分の意見も言うし、相談することも覚えているので昔ほどひどくはないけれど。それでも、簡単に「助けて」を口にできる性分でもない。
 そんな一成が当たり前みたいに、天馬は助けてくれるのだと言う。一成は、夏組の自分たちが助けてくれることを疑っていないのだ。理解しているから、天馬は素直にうなずいた。

「まあな。いくらでも連れてってやる」
「テンテン、頼もし~!」

 あはは、と笑う様子は心底楽しそうだ。一成はそのままの調子で、天馬に向かって言葉を紡ぐ。

「てか、SNSも悪いことばっかじゃないんだよ。この前はあれだったけど、褒めてくれる人もいっぱいいるし!」

 言いながら、スマートフォンの画面を天馬に向けると、一成はあれこれと解説を始めた。スマートフォンに表示されているのはインステで、夕暮れの海辺の写真が表示されている。雑誌『VELUDO』の特集に関しての写真で、コメントも雑誌を読んだ感想などであふれている。

「雑誌だけだと紹介して終わりになっちゃうけどさ。SNSだとコミュニケーション取れるじゃん? 実際に行ってみた人が感想つけてくれたり、オレらの紹介の何を魅力的に思ったか、とかも教えてくれたりするんだよねん」

 きらきらした表情で告げられる言葉を、天馬は興味深く聞いている。一応インステの投稿に目は通すけれど、一成ほど頻繁ではない。あまり詳しくは理解していない自覚もあったので、インステに熟知している一成の話は、素直に面白かった。
 最近の投稿傾向だとか、よく投稿されるコメント内容だとかを一通り話した一成は、画面を操作しながら言葉を続ける。

「リアルタイムでどういうところがよかったって教えてもらえるの、マジでありがたくて。次のフライヤーにどうやって活かすかって、ソッコーで反映できるし」

 言った一成は、スマートフォンを天馬に向けていくつものコメントを見せてくれる。好意的な言葉がいくつも並んでおり、どれもがMANKAIカンパニーの今後の活躍への期待だ。
 何が見たいのか、どんなものを求めているのか。届けたい相手からの直接のコメントというのは、確かにマーケティングという意味では大きい。カンパニーでも特にSNSに精通している一成は、よりいっそう実感しているのだろう。
 観客の望むものを届けたい。希望に応えたい。そのためのヒントがインステをはじめとしたSNSには詰まっている、というのが一成の弁だ。
 ただ、一成は一旦言葉を切る。マーケティングについて熱く語っていた表情がふっとゆるんだかと思うと、ぽつりと言った。

「コメントしてくれる人って、オレたちに興味あるっていうのが前提になるから、そうじゃない層のことも考えなきゃいけないんだけど――純粋に、やっぱり嬉しいよねん」

 ふふ、とやわらかな笑みを浮かべて一成がつぶやく。丁寧にそっと抱きしめるような表情だ。一成が思い浮かべているものを理解した天馬は、心からの答えを返した。

「ああ。応援してくれる人がいるっていうのは、ありがたいよな。それを、こうして言葉として届けてもらえるのは、やっぱり嬉しい」

 天馬の場合、SNSの運用は専門スタッフに任せることがほとんどだ。それでも、ときおりコメントを目にすることもある。全てを見ることはできなくても、天馬の活躍を喜んでいてくれることや、天馬に対する好意はしかと感じることはできる。
 一成が思い浮かべたのは、きっとそういう類のものなのだと察した。
 届けられるコメント。感謝の気持ちや引き締まる思いも当然あるけれど、読むたびに感じるのは純粋な喜びだ。ただ真っ直ぐ、好きだと思ってもらえることが嬉しかった。
 一成は天馬の言葉に、ぱっと華やぐ笑みで答える。同じ気持ちでいることを、きちんと受け取ったのだろう。

「だよねん! 夏組舞台の投稿とかも、めっちゃ歓迎してくれるし! フライヤー発表すると盛り上がるのもすげー嬉しい!」

 わくわくした表情で言うのは、カンパニーの舞台に関してインステを更新した時の反応だ。新作公演のフライヤーを披露すればコメントは大にぎわいだし、稽古期間中の様子をあれこれ更新すれば、公演を心待ちにしてくれる人たちの言葉が並ぶのだ。
 今回の公演も例外ではなく、一成主演ということもあっていつも以上にインステは大盛り上がりしているという。舞台を見るのが楽しみだ、早く幕が開いてほしい、といったコメントが大量に届いている、と一成は嬉しそうに告げる。
 一つ一つが確かな力になり、もっと頑張ろうという気持ちになる。あふれるような喜びが胸いっぱいに満ちて、嬉しくてたまらないと一成も思っている。だから、天馬の言葉に大いにうなずいたのだ。
 一成ははち切れんばかりの笑みを浮かべて、さらに言葉を重ねる。

「それに、オレの絵が好きって言ってくれる人がいるのも嬉しいんだよねん」

 一成のアカウントはカンパニー専用というわけではないので、日常的な写真はもちろん、制作した絵の投稿なども行っている。
 もともと絵に興味があってフォローしてくれた人はもちろん、カンパニーがきっかけで一成を認識した人も、投稿すれば一成の絵を見てくれる。ええなをつけたり、コメントを残してくれたりと、展示会とは違った反応が見られることも、一成の胸を弾ませている。

「SNSだと結構気軽に、好きって気持ち出してくれるのもテンアゲ! コメントとかじゃなくてもさ、これがよかったって感想言ってくれてたりとか!」

 一成は日課のようにSNSを巡回する。その際確認するのは、自身のアカウントに届いたコメントだけではない。カンパニーや公演名、春夏秋冬の各組、はたまた一成の名前をキーワードに検索してヒットしたものにだって目を通している。
 一つ一つを思い出しながら、一成は言葉を継ぐ。

「結構熱い感想言ってくれてる人とかもいてさ。アンケートとかじゃないから、気軽に書けるっぽいよねん。そういうのSNSのいいところだな~って思うし、めっちゃ嬉しい感想とかはシェアしちゃう」
「ああ、たまに一成から回ってくるよな。そういえばあれ、SNSの投稿か」
「そそ。勝手にシェアしちゃってめんご~って感じもあるんだけど。すっごいちゃんと見てくれて細かいポイントまで考察してくれたり、どれだけ大好きかって熱意たっぷりに語ってくれたりしてると、みんなにも読んでほしくって!」

 にこにこ言う一成は、ときどき「見て見て~!」とコメントの類を見せてくれることがある。公演に対する感想や、MANKAIカンパニーとして出演したイベントについてのコメントなど種類はさまざまだけれど、どれも好意的なものばかりだ。
 それは一成がSNSを検索して見つけたものだという。カンパニーや一成のアカウントに届いたコメントではなく、それぞれが自由気ままに書きこんだ言葉だ。
 本人の許可なくシェアしている、ということを一成は悪いと思っているようだけれど、Webに投稿している時点で誰の目にも触れることが前提になっているはずなので、それは仕方ないだろうと天馬は思う。

「まさか、オレたちが見てるとか思ってないだろうけどねん」

 ちょっとだけ困ったような笑顔で、一成は言う。前提条件として誰もが見られる、と思っていても実際関係者が見ていることを想定している人は少ないだろう、というのが一成の見解だ。
 まあ、それも一理あるか、と天馬は思う。天馬からすれば、該当するキーワードを出している時点で、関係者の目に入るのは当然じゃないか、と思うのだけれど。SNSとの付き合い方は人それぞれだし、個人的なメモ帳や日記のような気持ちで利用している人もいるのかもしれない。

「何か不思議だよね。オレ宛てのメッセージじゃないのに、オレについての話が読めるのってさ。街中の内緒話とか、そういうのが耳に入ってくるみたいな感じ」

 ぽつりと言った一成は、スマートフォンの画面をじっと見つめる。慣れた手つきでスクロールしているのは、インステの検索画面だろうか。
 フォロワー数も多い人間だし、何かとイベントなどにも顔を出している。舞台にも立ち、日本画方面でも名前を出して活動している。「三好一成」という名前は、決して無名の存在ではない。検索すれば、当人がヒットするくらい。

「オレに向かっての言葉じゃないのに、オレの話をしてる人がいる。手紙とかメールとかみたいに、宛先がはっきりしてるわけじゃない。自分の日記に書いてるみたいな、友達同士の交換ノートに書いてあるみたいな感じ。オレの話なのに、オレ宛てじゃない言葉が並んでる」

 画面を見つめた一成は、静かにこぼした。
 スマートフォンには恐らく、一成についての言葉があふれている。アカウントに書き込まれたコメントではなく、当人に読まれることを前提としていない言葉たち。明確な一成宛てのメッセージというより、思いついたものを単純に書き連ねたようなものなのだろう。
 届くことを前提とはしてない、ノートの切れ端に何の気なしに並べたような。友達同士の会話で、その場にいない人物を話題にするような。SNSの書き込みは、そういう側面がある。

「だからなんだよね。全然違うオレの話になるのはさ」

 そう言った一成は、スマートフォンから視線を上げた。じっと天馬を見つめる。声の調子が、雰囲気が変わったことを天馬は察する。何の話をしているのかなんて、すぐにわかる。
 一成を連れ出した高台で言っていたことを、天馬は覚えている。絵のことを考えられないなんて、明らかに様子がおかしくなった一成。その原因は、父親のコネで入賞したんじゃないか、とSNSで噂されたことだ。
 一成は心に残る作品を描きたいと思って、絵を描いた。実際に入選という評価を受けたのは、それだけの力があると認められたということだろう。しかし、SNSで飛び交ったのはその評価が正当なものではなかったのではないか、という憶測だ。
 確かな根拠があるわけではない、勝手な噂話だ。一成や一成の父親のことをよく知っていれば「そんなわけはないだろう」と言って終わりになる。ただ、SNSでその話を口にする人たちは、一成のことなんて何一つ知らない。
 だからこそ、自分が思うままに言葉を連ねるのだ。相手に届くなんて、微塵も思いもしないで。心に浮かんだものを、日記帳に書きつけるような素振りで形にしていく。一成は、ただそれを見ていることしかできなかった。
 もしも対面して言われたなら、「違う」と言える。コネなんて知らないし、ただ全力を傾けて絵を描いたのだと答えられる。一成に向かって問うてくれたら、はっきり否定の言葉を返せたのに。だけれど、SNSのコメントはあくまでただ流れていくだけ。一成を直接知らない人たちが、好き勝手に語る言葉を目にするだけだ。
 静かな気配を漂わせて、一成はぽつぽつと言葉を落とす。口にするのは、あの時のSNSにまつわる出来事だ。天馬は注意深く、一成の言葉に耳を傾ける。

「見ちゃだめってわかってても、スマホから手が離せなくて、SNSのコメントを見てた。オレの話をしてるはずなのに、全然違うオレの話ばっかり流れてきて。絵のことなんて、誰も話してないんだ。パピーのこととかそういうのばっかりで、絵以外の部分が切り取られてさ。三好一成って人間に対する憶測が、本当のことみたいに広まっていく」

 そこまで言って、一成は一度口をつぐんだ。天馬を見つめる瞳は、しんとしていた。普段のにぎやかさはかけらもない。憂いを含んだまなざしは、ゆらゆらと揺れる。それでも決して目をそらさずに、一成は再度口を開く。

「――そういうの、結構きつくって。テンテンはさ、怖くないの」

 静かな目で、一成は問いかける。その声は落ち着いて、丁寧だった。
 受け取る天馬は、これが一成のやわらかな心から発せられた問いだと理解している。
 最近ではそうでもなくなったとはいえ、一成は本音を言うことが得意ではない。本心を隠して煙に巻くのが上手い人間だ。軽やかに、冗談めいて本当のことを口にすることだってできるのに、一成はそうしなかった。ただ静かに、自身の心を取り出して素直に渡してくれた。
 今回一成は、ありもしない話がまことしやかにささやかれる、という事態に直面した。SNSで語られるのは、絵に関係のない一成の話ばかり。
 勝手な推測で、悪意を持った噂話が広がっていく様子を、ただ見ているしかできなかった。上手く距離を取ることもできず、ただ心を疲弊させる。その経験は一成にとって苦しいものだったろう。
 だからこそ、聞きたかったのかもしれない。芸能人として長く活動している天馬に。
 多くの人の目に触れる職業ということから、誰もが勝手に天馬について語るのは日常茶飯事だ。根も葉もない噂話を流されたことなんて、数え上げればきりがない。自分勝手な想像で心ない言葉を掛けられたことだって、何度もある。
 SNSという媒体において、ありもしない話をささやかれる機会は、とうてい一成の比ではない。天馬はずっと、そういう環境で生きている。
 だからこその問いかけであると、天馬は理解している。冗談めかして告げられた言葉ではない。ただ素直に、自身の心のやわらかいところから取り出したような。本心を打ち明けるような響きは、あの高台で感じた一成の空気に似ていた。