シュガームーン・ララバイ



 二人並んでソファに座っている。
 夜も更けた時間帯だ。高層マンションの最上階ということもあり、リビングの窓からは、眼下に広がる東京の夜景を一望できる。窓の明かりは少ないものの、ビル群に灯る光は確かな輝きを放っている。
 もっとも、今の二人にとって夜景はあまり重要ではなかった。自宅の景色なのですっかり見慣れたから、というわけではない。
 一成はいつだって、新鮮に「きれいだねん」と言うし、天馬だって、一成と見るものは何だってきれいだと思う。だから、自宅からの景色だって飽かずに見ていられる。
 しかし、今は夜景を見るよりも、ただお互いの話を聞きたかった。
 天馬は最近ずっと多忙で、あまり家にもいられていない。今日も朝から外出で、日中もロクに連絡は取れなかった。
 くわえて、一成も近頃は制作が立て込んでいて、生活時間帯が重ならない。かろうじて出掛ける直前に玄関先へ現れて、「いってらっしゃい」「いってくる」というやり取りはできたものの、それだけだ。
 ようやく訪れた二人きりの時間が今だった。一緒にゆっくり過ごしたい、と思うのは当然と言えた。

「今日は本当に、いろんなところから参加してくれたんだ。大勢と楽しい時間を過ごせて、とても楽しかったよ」

 オンライン飲み会の様子を指して、一成は嬉しそうに言葉を並べる。笑みを浮かべた一成に、「よかったな」と言うのは、至って純粋な天馬の本心だ。ただ、どうにも落ち着かなくて声が上ずってしまう。
 理由は簡単で、隣に座る一成が天馬の右腕にぎゅっと抱きついているからだ。
 最初は普通に座っているだけだった。それでも、隣同士ぴったりと寄り添う状態だったので、ずいぶんと距離は近い。もっとも、普段から一成はスキンシップが多いし、すっかりそれに慣れている天馬からすればいつものことだと言えた。
 しかし、である。天馬の一日はどうだったか、と尋ねる一成の様子が何だかおかしい。そわそわした空気を漂わせて、何かを言いたげに天馬を見ているものだから、「どうした?」と尋ねたのだ。やさしい口調で、やわらかく。
 一成は素直に本音を口に出してくれるようになったけれど、心の内をさらけ出すのが得意ではないと知っている。だから、どんな言葉も受け止めてやる、という気持ちを込めての言葉だ。
 すると、一成はおずおずと口を開いた。視線をさまよわせて、恥ずかしそうに。だけれど、しっかりとした口調で言った。――天馬くんに、もっと近づいてもいいかな?
 どういう意味か、と目を瞬かせれば、一成はするりと天馬の腕に手を這わせた。それから、ぴったり体を近づけて「だめかな?」と尋ねるので、さすがに天馬も察した。
 隣同士で座っているだけでは足りない。もっと近くに、隙間なく天馬とくっついていたい、と一成は言っているのだ。
 否、という選択肢なんて天馬にあるはずがなかった。なので「だめなわけないだろ」と答えれば、一成は嬉しそうに笑って、ぎゅっと天馬の腕に自身の腕をからませた。
 それから、ずっとこの体勢である。一成のスキンシップには慣れているし、夏組は誰でも距離感が近いから、いつものことだと言うことはできる。しかし、天馬はどうにも落ち着かない。
 何せ、腕に抱きつく一成の様子は、いつもと違ってひどく落ち着いている。
 テンション高く「めっちゃハグしたい!」なんて言って抱きついてくるなら、いつものことだと笑って受け止めた。冗談めいているけれど、心からの愛情を向けての言葉だとわかっていたし、一成らしい言動だな、とほほえましくも思っただろう。
 しかし、酔った一成は冗談の雰囲気なんてかけらも見せずに言うのだ。抱きしめたい。そばにいたい。離れたくない。近づきたい。言葉自体はいつもの一成のものとさして変わらないのに、まとう雰囲気がやけにしおらしくて、ドキドキとしてしまうのだ。

「――天馬くん?」

 黙り込んだ天馬に気づいて、一成が声を発する。近い距離で天馬を見つめて、そっと言葉を紡ぐ。吐息が触れた気がして、天馬の心臓がドキリと鳴った。

「何か気になることでもあったのかな。それとも、やっぱり離れた方が――」
「そういうわけじゃない。離れなくていい」

 腕の力をゆるめた気配を察して、天馬は即座に答える。落ち着かなくてドキドキしてしまうとはいえ、嫌がっているわけではないのだ。むしろ一成の体温を近くで感じられることは、天馬だって嬉しい。
 だから一成の言葉を否定すれば、ほっとしたような気配を流して再び腕に力を込めた。抱きしめる強さに高揚しつつ、天馬は口を開く。

「一成が近いのは嬉しいから、このままでいい。ただ、あとをついてくるのは珍しいな、とは思った。もちろん嬉しいが」

 嬉しい、ということはきちんと伝えてやりたくて、そう言う。ただ、素直に言葉をこぼすのと同時に、「そういえば」と思い出した疑問も声になっていた。
 一成のかわいさに動揺して、すっかり忘れていたけれど不思議には思ったのだ。
 一成はスキンシップ過多だし、恋人同士として一緒に暮らすようになってからは、よく天馬にキスやハグを仕掛けてくる。天馬もやり返しているので、スキンシップ自体はしょっちゅうしている。ただ、今日みたいにあとをついてくる、ということはほとんどなかった。一体どうしたのか、と思うのも道理だろう。
 一成は天馬の言葉に、大きな目を瞬かせる。それから、唇にたおやかな笑みを浮かべて答える。腕に抱きついたまま、真っ直ぐ天馬を見つめて。

「天馬くんがいなくて、寂しかったんだ。だから、天馬くんが帰ってきたら離れないでいよう、って思ったんだよ」

 静かな口調で、一成は言う。淡々としたとも言える雰囲気で、それでも確かな思慕を奥底に宿らせて。ゆったりとした口調で、自身の心を紡いでいく。

「仕事が忙しいのはわかってるし、仕方ないとも思ってるんだ。天馬くんのことは応援してるし、いろいろなところで活躍しているのは、嬉しいことだとも思ってるしね」

 一緒に暮らすようになって、以前よりともに過ごす時間を取ることはできるようになった。しかし、天馬は一成に輪をかけて多忙だった。
 特に最近は、ほとんど家にいなかったし、帰ってきたところで一成とは生活時間帯がズレているため、顔を合わせることもあまりなかった。
 一成は「テンテンが足りない!」なんてよく言っていたし、天馬だって一成が不足していると思っていた。
 そんな中で迎えた今日だった。一成は目を細めて、記憶を取り出す素振りで言葉を重ねる。

「今日の飲み会では、ご家族と過ごしてる方もちらほらいたんだ。家からの参加だから、たまに画面に登場してくれる人もいて。楽しいゲストだし、面白い体験だったな」

 自宅からの接続ということで、家族の誰かが画面の向こうに現れる場面がちらほらあった。一成は予想外の出来事も楽しむ性質だし、知らない相手と言葉を交わすことも歓迎する人間だ。だから、純粋に楽しく飲み会を過ごしていたのだけれど。
 家族とのわきあいあいとした様子に、一成は思ったのだ。アルコールのグラスを傾けながら、ふわふわと酩酊する気持ちで。

「天馬くんに会いたいなぁって、思ったんだ」

 心から、といった調子で一成は言った。思い出しているのは、数時間前の光景だ。
 にぎやかに進む飲み会の最中。一人の部屋で過ごす一成は、家族と談笑する画面の向こうの様子に、あらためて実感してしまった。
 この部屋には一人きり。一緒に住んでいる天馬とは、最近ほとんど顔を合わせていない。すれ違うだけの生活では、天馬と過ごす時間もあまり取れていない。がらんとした部屋は、一成にその事実を嫌というほど思い知らせる。

「だから、天馬くんが帰ってきたら、離れたくなかった」

 静かな、それでいて力強い意志が宿る声だった。若草色の大きな瞳は、確かな光を宿して天馬を見つめる。ふわふわとした雰囲気は消えないけれど、凛とした決意がはっきりと漂っている。
 それが、一成から向けられる思いの強さだと、わからない天馬ではない。そんな風に言ってくれることが嬉しい。真っ直ぐ気持ちを傾けてくれている、という事実がくすぐったくて幸せで、胸がいっぱいになる。
 感極まって思わず黙り込むと、一成は不安そうに表情を曇らせた。それから、小さな声で「迷惑だったかな」と言うので、天馬は勢い込んで答える。

「そんなわけあるか。嬉しいに決まってるだろ。オレだって、お前と一緒にいたい。離れたくない」

 一成を不安にさせたくなかったし、何より包み隠さず想いを告げてくれたのだ。自分だって素直な答えを返したい、と天馬は心の内を取り出して言った。恥ずかしかったし照れくさかったけれど、一成は喜んでくれるとわかっていた。
 案の定、一成は「よかった」と笑う。
 よりいっそう体を密着させて、ふんわりとした雰囲気で。大きな瞳を細めて、頬を紅潮させて、とろけるような表情で。天馬へのあふれ出す愛情がそのまま形になったような。普段の明るさより、もっとやわらかくて、あどけなさを感じさせる笑顔に、天馬は内心でうめく。
 腕に抱きつく一成。心からの喜びをたたえて、気持ちを真っ直ぐ取り出す。幼子みたいに笑って、天馬のことが大好きだと全身で伝えてくれる。そんな一成が、かわいくて仕方なかった。
 天馬は密かに深呼吸をして、自分をどうにか落ち着かせる。いつもの一成ならばすぐに気づいて「どしたの、テンテン」なんて言ってくるだろうけれど、今の一成はどこかふわふわしているおかげで、天馬の様子に言及することはない。
 ただ、雰囲気が違うことは察したのかもしれない。唇に笑みを浮かべたまま、不思議そうに首をかしげる。
 その様子は、容易く天馬の胸を撃ち抜いた。あどけない仕草が、抱きつく腕の力強さが、ふんわりとしたたおやかな笑みが、一成を取り巻く全てが、どうにもかわいくてたまらない。
 何だこいつはオレをどうしたいんだ、といっそ憤るような気持ちで天馬は思う。
 落ち着け、と自分に言い聞かせなければ衝動のまま動いてしまいそうなのに、そんなことお構いなしに一成がかわいいので、さっきから天馬は困っている。
 傍から見ればただの惚気だが、天馬は至って真剣だった。
 できることなら、衝動のまま動きたい。抱きしめてキスをして、邪魔なものは全部取り払って、一番近くで互いを感じたい。一成だってきっと受け入れてくれる、とわかってはいた。しかし、天馬はそれを選ばない。
 理由は簡単で、一成に「酔ったオレに手を出すの禁止!」と言われているからだ。
 一緒に暮らすようになってしばらくして、酔った一成がかわいくて盛り上がりすぎたことがある。翌朝、かれた声の一成に先の台詞を言われて、天馬はただうなずくしかなかった。
 そのあとも、「テンテンが嫌なわけじゃないんだけど、しばらく大変でマジでやばかったんだもん」と述懐していたくらいなので、よっぽどこたえたらしい。
 手酷い扱いは決してしなかったものの、体力勝負に持ち込んだことは確かなので、天馬は反省するしかなかった。
 くわえて、一成は酔った時の記憶が全て飛ぶわけではない。いつもは見せない表情で、普段と違う口調で天馬を求める様子を覚えているので、どうにも恥ずかしいらしい。
 天馬からすれば、そういうところもかわいくて仕方ないのだけれど、一成本人が乗り気でないのに強行突破するわけにもいかない。
 そういう諸々から、酔った一成に手を出さないこと、という約束が交わされている。
 実際、今も理性を叩き起こしているような状態なので、一成の選択は正しかった、と天馬は思っている。約束がなければ、うっかりやらかしかねない。
 ただ、当の一成はそんな天馬の胸中などどこ吹く風、といった調子で天馬の腕に抱きついている。くっついてくれることは嬉しいので嫌なわけではない。ただ、同時に理性が試されているだけで。

「そうだ。今度は、天馬くんとお酒を飲みたいな。最近は、二人であまり飲んでいないから」

 天馬が密かに葛藤していると、楽しそうに一成が口を開く。すてきなことを思いついた、という顔だ。
 夏組を筆頭としたカンパニーメンバーとは、時折飲み会を実施していることは、天馬も知っている。ただ、天馬は近頃忙しかったので、そんな時間は取れていなかった。
 理性を試されるとはいえ、天馬とて一成と二人で酒を飲むことは好きだ。ささやかな話や、演劇のこと、将来のあれこれを一成とやり取りできることは楽しいし、心が弾む。酒というアイテムは、二人の時間をいっそう特別なものにしてくれることも知っている。
 だから「そうだな。そろそろ仕事も落ち着くから、飲みたい酒を考えておいてくれ」と答える。一成は嬉しそうに、ふわふわと笑ってうなずく。

「美味しいおつまみも用意しないといけないね。天馬くんが食べたいものを教えてくれると嬉しいな。張り切って作るよ」
「一成の手作りなら何でも食べたい」

 本心を真顔で答えると、一成は大きな目を瞬かせてから、ころころと笑った。その表情を天馬はまぶしい気持ちで見つめている。

「ふふ、何がいいかな。サラダも美味しいし、魚もいいね。でも、天馬くんは肉の方が好きかな」

 楽しそうに一成はつぶやいて、あれがいいかこれがいいかと思案している。そんな風に、自分に食べさせたいものを考えてくれることが嬉しい。喜ばせようとしてくれることが、天馬のことを想ってくれることが嬉しい。
 満たされる気持ちで、天馬はじんわりと胸が温かくなるのを感じている。すると、そういえば、という表情で一成が言った。

「やっぱり天馬くんは、定番のものがいいかな。甘いものも美味しいと思うんだけど」

 天馬は比較的、王道の味付けを好む。酒のつまみという意味でもそうで、定番のものを選ぶことが多い。なので、つまみといえば塩気のあるものが常識だった。
 しかし、カンパニーのメンバーには甘味好きも多い。酒のつまみとして、ケーキやらシュークリームが出てくる場面に何度も出くわしていたし、目の前の一成だって甘いものが好きだ。ワインとチョコレートって合うよねん、なんて軽やかに言っていたことを覚えている。

「確かにオレはあまり食べないが、意外と合うんだろ。たまには試すのも悪くない」

 一成を気遣っての言葉というより、純粋な本心だ。
 カンパニーで過ごした日々は、天馬に新しい経験をたくさん連れてきた。だから、自分の知らないことだって挑戦してみよう、という気持ちになるのだ。一成が好きなものなら試したい、という気持ちも当然あるけれど。
 一成は天馬の言葉に、明かりのような笑みを浮かべる。夜に掲げる灯火のような、しんとした雪景色に染み入る光のような。どこまでもやわらかい、しとやかな笑みだった。
 一成はそのままの雰囲気で、「それなら、天馬くんと食べたいものがあるんだ」と続ける。曰く、今日のオンライン飲み会で「これ美味しいよ」とおすすめされた、バタークッキーが気になっていると言う。

「たっぷりのバターと砂糖の甘さがちょうどいいって。日本酒と合うって言っていたかな」
「クッキーと日本酒っていうのは面白いな」
「うん。何だか不思議だよね。でも、まんまるのきれいな黄色をしていて――お月様みたいだったから、日本酒にも合うのかなって思ったんだ」

 画面の向こうで目にしたクッキーを思い出して、一成はつぶやく。
 地方で有名だという、専門店のクッキーだ。手土産として評価が高く、お取り寄せも可能だという。バター、砂糖、小麦粉、卵黄。シンプルであるからこそ材料にこだわっており、一枚ずつ丁寧に作られている。
 あざやかな黄色にきれいな円形のクッキーは、まるで満月みたいだ、と一成は思った。だから、日本酒に合うという言葉にも、月見酒を連想して自然と納得したのだ。

「――今日は満月だから、よけいにそう思ったのかもしれないな」

 笑みを浮かべた一成は、窓へと視線を向ける。つられるように、天馬も同じ方向へ目をやった。
 すっかり夜も更けた時間帯。広がる夜景の上空に、星はあまり見えない。しかし、南の空には、丸い月が明るく輝いていた。

「満月を見ながら、天馬くんと一緒に、あのバタークッキーを食べられたら嬉しいな。お月様を食べているみたいな気持ちになるかもしれない」

 月に視線を向ける一成は、何だか嬉しそうに言う。天馬は月から一成へそっと目を転じた。一成は、静かな口調で言葉を重ねる。

「甘くて美味しいお月様だね、なんて言って食べるのは、昔読んだ絵本みたいでわくわくするな。何より、天馬くんと一緒に食べるなら、きっとすごく楽しいよ」

 そう言う一成の目は、きらきらとした輝きを宿す。天馬は思わずその顔を見つめた。
 濡れたように光る、大きな目。唇にはたおやかな笑みが浮かび、アルコールのせいだけではない薔薇色が、頬を染める。
 快いもの、楽しいこと、弾む心に、わくわくした気持ち。そういうものを、今一成は抱きしめているのだ、と天馬は思った。
 きれいなものを見つけることが上手い。どんな時も、美しいものを掲げて笑ってくれた。一成の持つしなやかな強さや、大事に想って止まない瞬間なら、たくさん知っている。それが今、目の前できらきらと輝いて、天馬の胸にひたひたと満ちていく。
 いっそ圧倒されるような気持ちのまま、天馬の唇からは素直な声がこぼれる。

「――かわいいな」

 嬉しそうにしてくれることも、きらきらと弾ける表情も、いつだって美しいものを抱きしめていることも。
 ぴかぴか明るく、しんとした静けさでやわらかに、子供みたいなあどけなさで。あざやかに、いろんな種類の表情で笑ってくれることも。
 思い浮かぶ全て、一成を形作るものへの愛おしさが、「かわいい」という言葉になって唇からあふれ出る。
 すると一成は、弾かれたように天馬へ視線を向ける。そこで天馬は、無意識で自分が何を口にしたのか悟った。何か言わなくては、と慌てるけれど、それより前に一成が口を開く。

「天馬くんにそう言ってもらえると、嬉しいな」

 はにかんだ調子で、抱きつく腕に力を込めて、一成は答える。
 心から言っていることくらい、わからない天馬ではない。思わずこぼれた言葉を、あふれた気持ちを、一成は受け取ってくれるのだ、という事実がじんわりと胸に染み込んでいく。
 無言で喜びを噛みしめる天馬の様子に、一成はやわらかな笑みを唇に刻む。歌うような響きで言った。

「でも、天馬くんもすごくかわいいと思うよ」
「そんなことないだろ」
「そうかな。新しい台本をもらった時とか、盆栽の手入れをしている時とか、抱きしめてくれる時とか、きらきらしていてすごくかわいいよ」

 おだやかな一成の言葉に、天馬は微妙な表情を浮かべる。一成が好意的に思ってくれることは嬉しいけれど、目指したい方向性と異なることも確かだ。
 一成はそんな天馬の心情を理解しているのだろう。ゆっくりと続けた。

「でも、天馬くんがすごくかっこいいのも知ってるんだ」

 一成はそう言って、天馬を真っ直ぐ見つめた。近い距離で、二つのまなざしが混じり合う。一成は静かな笑みを浮かべて、凛とした響きで、甘さのにじんだ声で続けた。

「毎日顔を見るたびに、天馬くんはなんてかっこいいんだろうって思う。目も鼻も唇も、眉もまつ毛も、みんなきれいで整ってる。神様が丹精を込めて作った最高傑作なんだなって、毎日思うよ」

 視線一つ一つで天馬の顔を辿って、一成は告げる。
 常々一成は「テンテンって、めっちゃイケメンだよねん」やら「男前すぎない⁉」やら騒いでいるし、「テンテンの顔好き!」と言ってはばからないので、好意的に思われていることは知っていたけれど。
 真正面から淡々と告げられて、天馬は何だか照れくさい。冗談や軽口めいているなら、笑って受け取れるけれど、今の一成は至って真剣だ。

「筋肉も骨もしっかりしていてすごくたくましいし、均整が取れてる。まるで彫刻みたいだ」

 言いながら、一成はそっと天馬の腕をなでた。しなやかな肉体を確かめるような、普段のスキンシップとは雰囲気が違う所作。なまめかしささえ感じる指の運びだった。

「美術館に飾られていてもおかしくないなって、思ってるんだ。だから、そうじゃなくてよかった。みんなに見せたい気持ちもあるけど、やっぱり独り占めしたいから」

 あでやかに笑うと、一成はいっそう体を密着させる。隙間一つないように、体の全てでぴったりと寄り添う。
 同時に、一成のシャンプーの匂いが強く香って、天馬の心臓がドキドキとせわしない。一成はそのままの体勢で、そっと言葉を紡ぐ。

「天馬くんはかっこいいよ。もちろん外見だけじゃない。内面だって、誰よりかっこいい人だって知ってる」

 静かな声だった。浮かされる熱ではなく、しんと宿る確かな思いを形にする響き。自身の心を一つ一つ取り出していく、丁寧な口調で言葉を重ねる。

「いつだって真っ直ぐ、上を目指して駆けていく。まばゆい光で周囲を照らす太陽だ。一途な努力家で、力強く先頭を走っていく。どんな時も誠実で、大事なものを大事にしようとしてくれる。天馬くんは、かっこいいよ」

 そう言った一成は、一度言葉を切った。少しだけ沈黙を流すと、天馬を真っ直ぐ見つめた。
 きらきらとした輝きに、奥底からほとばしるような熱を宿して。心の全てを告げるように。

「天馬くんは、僕の弱いところもだめなところも、何もかもをひっくるめて、本音を受け止めてくれた。思ったことを口にすること、心のままに行動すること、僕が僕でいること。そういう全部を当たり前みたいに受け取って、真っ直ぐ向き合ってくれた」

 今までの全てを丁寧になぞるような。大事にしまっていた宝物を、一つ一つ取り出すような。そんな雰囲気で語るのは、今日までともに過ごした日々の記憶だ。
 天馬と出会い、同じ時間を分かち合って、ここまで一緒に歩いてきた。その軌跡の中で、一成は心から思っていた。

「新しい世界を教えてくれた天馬くんは、ずっとずっとかっこいいんだよ」

 天馬によって世界が変わった瞬間を、一成はずっと忘れないだろう。
 天馬にとっては何でもないことだったのかもしれない。それでも、天馬が一成の本音を受け止めてくれたことは。誰かのためではない自分自身の気持ちを、力強く肯定してくれたことは。一成にとって、何よりあざやかな記憶として焼きついている。
 静かに、それでいて熱を宿して伝えられる言葉を、天馬は黙って聞いていた。
 一つ一つが、天馬の胸にすっと染み渡る。奥底が震えて、たまらない気持ちになったのは、これが一成の心そのものだと理解しているからだ。
 ここまでともに過ごした時間、分かち合ったもの。全ての歩みの先頭で、今ここで天馬の隣にいる一成の気持ちを、まるごと取り出して告げてくれた。大事なのだと、大切なのだと、言葉で、声で、触れる体で、重なる温みで、一成の全てで伝えてくれる。
 それがどれほどの幸福か。何かが一つでも違っていれば、きっとこの瞬間は訪れなかった。今、こうして伝えられる全ては、決して当たり前ではない。
 長い付き合いの中で、一成は自身の本音を口にすることができるようになった。自分の心を殺すことなく、あるがままでいてくれる。それでも、本心を言うことが決して簡単ではなかった過去を知っている。
 だからこそ、ためらうことなく、自身の心を取り出してくれることが嬉しい。天馬なら大丈夫なのだと、天馬になら心を広げて見せてもいいのだと、思ってくれることが嬉しい。
 天馬に寄り添う一成は、いつもより静かでおとなしい。たおやかな雰囲気が漂っていて、楚々とした風情だ。明るくハイテンションな面影は見えないし、いつもと違っていることはよくわかっている。
 それでも、何一つ変わらないものを知っている。
 天馬へ向ける、限りない愛情。大事なのだと、大好きなのだと、一成から伝わるものはいつもと変わらない。口調や言葉選びが違っているだけで、一成の心の奥にあるものなんて天馬はよく知っている。
 一成はオレが好きで、大好きで仕方ない。一成の全てで、いつだって伝えてくれる。
 あらためて思った天馬の胸は喜びでいっぱいになり、高揚感が押し寄せる。今なら何だってできる気がした。天高く、どこまでだって走っていけるような。幸せで体中が満たされて、とめどなく気持ちがあふれていく。
 何を言えばこの心は伝わるだろう、と天馬は思う。
 一成が大切だと、自身の心を取り出して伝えたい。オレに愛されているのだと、何度も確かめてほしい。ふさわしい言葉を探しながら、一成への気持ちを形にしようと口を開きかける。
 しかし、それより前に。一成はまぶたを閉じると、頭をそっと天馬の体に預けた。やわらかな声が唇からこぼれる。

「天馬くんにくっついていると、安心するね」

 やわやわと、にじむような響きで紡がれた言葉は、心からといった風情をたたえていた。「安心する」と思ってくれているのだ、という事実に天馬の心は浮き立つ。
 ただ、一成の声はどこかぼんやりしていて、天馬はわずかに首をかしげる。口調が変わり、ふわふわした雰囲気になっても、声の調子は明瞭であることがほとんどなのだ。
 もっとも、ずっとまぶたを閉じていることや、漂う雰囲気から、すぐに「もしかして」と気づく。こんな風におぼろげな空気なら覚えがあった。

「眠いのか?」

 左手を動かして、さらりと髪を撫でつつ尋ねる。一成はわずかに沈黙を流したあと「少しだけだよ」と答えた。
 その言葉に天馬は、そういえば、一成は最近制作に明け暮れていて寝るのが遅かったな、と思う。
 いつまでだって話していたかったけれど、そろそろ寝た方がいいのだろう。帰宅した時点でいい時間だったし、夜もすっかり更けている。だから、「ベッドに行くか」と尋ねたのだけれど。

「もっと天馬くんと話がしたいな。眠ってしまうのはもったいないよ」

 ゆっくりとまぶたを開けた一成は、そう言って天馬へ視線を向けた。
 大きな瞳に見つめられて天馬の心臓は高鳴るし、もっと一成と話していたいのは天馬だって同じだ。しかし、夜更かしをすることで一成に無理をさせたくない、というのも限りない本心だ。
 どうするべきか、と考えた天馬はすぐに結論を導き出す。ゆっくり口を開き、一成に向かってそっと言う。思う限りのやさしい声で、端々に甘さをにじませながら。

「それなら、続きはベッドで話そう。一成が眠るまで、ずっと話をしてやる」

 このまま眠ってしまうのが惜しいなら、ベッドで体を休ませながら話をするのだ。いずれ眠りに落ちるその瞬間まで、どれだけ一成が大切なのかを伝えて、二人だけの特別な時間を過ごす。
 ソファで無理に起きていようとするより、きっとその方がいいだろうと思えた。
 一成は天馬の言葉に、やわらかく瞳を細めた。若草色の目には、瑞々しい輝きが宿る。それから、唇に笑みをのぼらせると、やわやわと告げる。
 落ち着いた雰囲気で、たおやかな風情で。だけれど、天馬のよく知る、生命力に満ちた明るさを身にまとって。

「眠る瞬間まで、天馬くんの声を聞いていられたら、幸せだな」

 夜に染み渡るような声だ。ハイテンションでぴかぴかと明るい、いつもの様子とはまるで違っている。
 だけれど、一成は何一つ変わらない。いつだって、どんな時だって、天馬への深い愛情を抱き続けている。
 どれほど一成が喜んでくれているか、心から幸せだと言っていてくれるか。どれほど自分を好きでいてくれるか。声の響きだけで、天馬には充分伝わった。

「ああ。オレの声ならいくらでも聞かせてやる」

 指先に愛おしさを込めて、頭を撫でながらそう言う。
 一成は嬉しそうにうなずいて、ゆるゆると天馬の指を受け入れる。甘さを宿した沈黙が流れ、二人は身動きすることなくただお互いの体温を感じている。
 ベッドへ向かうまで、あともう少しだけ。寄り添う二人を、満月が見守っている。