群青の幕が上がる
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海外での仕事を終えて帰国した一成は、自宅に戻らずMANKAI寮へ向かった。
軽やかに挨拶をしながら談話室の扉を開くと、ソファに座る天馬の姿を見つける。お互い寮を出てしばらく経っているし、忙しい身の上だ。連絡は取り合っていても、直接顔を見るのは数か月ぶりだった。
一成と同じく、もうすぐ帰ってくる監督を待つという天馬の隣に座ると、一成はぴかぴか輝く笑顔を浮かべる。挨拶もそこそこに、明るく言い放った。
「生テンテンとかめっちゃレアじゃね!?」
「生ってなんだよ……」
一成の言葉に、天馬は呆れたようにつぶやく。ただ、声には冗談の気配が混じっていたから、一成は笑顔のままで「だってテンテン、どこ見てもいるじゃん!? さすが売れっ子!」と答えた。
テレビをつければドラマやコマーシャルに出演しているのは当然として、Web上でも宣伝やら配信やら至るところで天馬は活躍しているし、街中のショーウィンドウやデジタルサイネージでも天馬の姿は頻出だ。公開を待っている映画も複数あるし、あらゆるところで天馬を見かけるのだ。本人には会えずとも、天馬の顔ならいつでも視界に入ると言っていい。
天馬は一瞬だけ黙ってから、「まあな」と言って誇らしそうに胸を張った。冗談めいた一成の言葉だけれど、これは天馬の活躍を讃えた言葉だと、すぐに理解したのだ。
隔たった時間が障害になるような、そんな関係ではないのだ。夏組として、MANKAIカンパニーの一員として共に過ごした時間はかけがえのない大切なもので、いつまで経ってもきらきらと光を放っている。
たとえ住む場所が変わって、毎日のように顔を合わせることはなくなっても、一たび同じ空気を吸ったならいつだってあの頃の続きが始まっていく。
「一成の活躍も見てるぞ。二週連続のドキュメンタリー番組、かなり深く密着取材されてただろ。絵の向き合い方だけじゃなくて、色の選び方とか使ってる画材の話とかも印象深かったし――この前は大きいコンクールで賞取ってたよな。そういえば、授賞式だったか」
「そそ。式終わって、帰ってきたとこ~☆」
軽やかに言った一成はブイサインを掲げる。先日発表が行われた国際的な絵画コンクールで、一成は大賞を受賞していた。日本人として初めての快挙ということで、メディアでも大きく取り上げられている。授賞式に出席するという話と帰国したばかりという話が天馬の中できちんとつながったのだろう。
「カントクちゃんたちにお土産買ってきたんだよねん。あ、もち夏組のみんなにもあるよん!」
監督をはじめとしたMANKAI寮のメンバーには、あれこれお土産を買ってきた。しかし、それとは別に夏組の分も用意するのは自然なことだった。
だって夏組だ。初めて一緒に舞台に立ったあの瞬間も、みんなで迎えた千秋楽も、九門を迎えて六人になってからの初舞台も、それから過ごしたたくさんの時間も、何もかもが一成にとっては大切な思い出で、いつだって取り出せる記憶だ。宝物みたいなみんなには、特別に何かを用意するのは当然だった。
「でも、テンテンに会えるとは思ってなかったな~。テンテン用のお土産もあるから期待しててね!」
「待て、何を用意したか教えろ」
「え~、言っちゃったら面白くないじゃん」
「面白くなくていい!」
これまで一成から仕掛けられたあれこれは、天馬の記憶にしっかり刻み付けられているのだ。何らかのドッキリ製品の可能性がある、ということはよくわかっているので強い口調で言うけれど、一成は気にしない。「開けてからのお楽しみだよん! あ、その時はオレも呼んでくんね?」とぴかぴか笑って言うので、天馬はますます「絶対変なもの買ってきてるだろ……」と渋い顔をするしかない。
一成はその様子に、満面の笑みを浮かべる。
いくつになっても、天馬はこうして一成のイタズラにもきちんと反応してくれるのだ。真面目なテンテンらしいなぁと一成は思うし、だからこそからかいたくなるのだけれど。あまり続けていると天馬も拗ねるし、一成とてそれは本意ではないのだ。空気を変えて口を開いた。
「夏組みんなで開封式とかできたらいいんだけどね~。みんなめっちゃ忙しそうだから、集まるのは難しそうだよねん」
「三角は海外ロケ行くって言ってたしな。わりと長期になるんだったけか」
「そそ。どのサンカク持っていくかって選抜してるっぽい!」
軽やかな口調で話題を投げれば天馬がスムーズにつないで、夏組の動向に話が広がっていく。
それぞれ忙しいため、直接会う時間はほとんど取れない。それでも、やり取り自体は頻繁にしているので、近況は自然と把握していた。一緒にいなくても離れたとしても、夏組はいつだって夏組なのだと六人はわかっている。
「てか、一番忙しいのテンテンじゃん!? たいっちゃんから、今度どっか遊びに行こうって連絡来てたけど、テンテンのスケジュール空けるの一番大変じゃね?」
はっとした顔で一成が言うと、天馬はぽつりと「万里さんにも言われてるんだよな」とつぶやく。趣味も近い同年代ということで、四人で出かけることはたびたびあった。ただ、最近ではとてもスケジュールが合わないので、四人そろって出かける機会はほとんどない。特に天馬の忙しさは群を抜いているのだ。
「連ドラの主演終わったと思ったら、配信ドラマも始まってるし、映画のロケも行ってるっしょ?」
「ああ。今は都内の撮影がメインだが、まだいくつかロケは残ってるな」
「余命わずかの青年役だったよね、テンテン。ああいう感じの役って最近見ないから、どんな映画だろって公開楽しみにしてるよん」
真っ直ぐとしたまなざしを向けて、一成は心からの言葉を告げた。
天馬の動向なら、当然一成も把握している。製作が発表され、現在日本各地でロケを行って撮影しているのは、余命を宣告された青年によるロードムービーだった。生きる意味や死と向き合う姿を描くヒューマンドラマで、天馬は繊細な演技で主役の青年を演じるのだ。
夏組として共にコメディの舞台に多く立ってきた。しかし、天馬の芝居は決して笑い一辺倒でないことはよく知っているし、天馬の持つ演技力なら体中でいつだって感じてきた。
主役として力強くみんなを引っ張る姿も、主役を支える姿も間近でずっと見てきたのだ。一成の演技を何度も受け取って返してくれた。主役を演じる時、天馬がいてくれたことがどれだけ心強かったかと、夏組のみんなからも聞いている。一成自身にその経験はないけれど、天馬の芝居はいつだって夏組の太陽で光でいてくれた。
だから、今度の映画ではどんな顔を見せてくれるだろうかと楽しみだった。心の奥が震えるような、世界を塗り替えていくような、そんな芝居を見せてくれるだろう。
天馬はそんな一成の気持ちをきちんと受け取ったのだろう。「ありがとな」とはにかんでから、「一成の個展ももうすぐだよな」と言葉を継いだ。一成は大きく笑みを広げて「そそ、これから最後の確認するとこ!」と答える。
飾る絵はすでに決まっているし、どんな順番でどんな風に絵を置くのかというレイアウトも、一成がデザインを手がけた様々なグッズも、何もかも準備は万端だ。最終チェックが通れば、あとは開催を待つばかりという現状である。日本画家三好一成の名前はずいぶんメディアでも騒がれているので、天馬の耳に個展情報が入ることは至って自然と言える。
ただ、そうでなくても天馬は一成の個展のことを把握していることはわかっていた。天馬をはじめとした夏組は、一成の個展には必ず来てくれるのだ。
特に天馬は一番忙しいにもかかわらず、ほとんど欠かさず毎回訪れるのだ。無理をしてるんじゃないか、と心配を告げれば「お前の絵が見たいだけだ」と堂々と答えてくれた姿を、一成はよく覚えている。
「それに、今度は都内の美術館の企画展もお前の特集だっただろ。一成の日本画モチーフの和菓子も発売するって聞いてるし、お前の名前もだいぶあちこちで見るようになったよな」
しみじみした言葉に、一成は「そうなんだよね~」とうなずく。ここ最近、あれこれと増えた仕事はいくつかある。そのどれもが日本画家としてのものであり、やっぱり受賞という成果は大きいんだな、と思う次第である。
「他にもいろいろあるよん。今度三冊目の画集出るし、ギャラリーの登壇イベントとかにも呼ばれてるんだよねん」
「まあ、一成なら話すのには問題ないだろうしいいんじゃないか」
「まね~!」
一成は明るく答えて、それ以外にもあれこれ最近の仕事を口にする。天馬には及ばないとは言え、あちこちから声をかけてもらっているのは事実だ。ただ、一成の仕事は圧倒的に日本画関係が多い。デザインもその関係から頼まれることはあるものの、芝居は別だ。ときどき客演として呼ばれたり端役としてドラマに出演したりすることもあるけれど、ほとんど例外と言っていい状態だった。
だから、天馬に話す内容にも芝居にまつわることはほとんどなかった。天馬もそれをわかっているから、個展の話を口にしても舞台の出演情報だとかを聞くことはないのだろう。一成も、天馬に見てもらいたい芝居が特に思いつかない。
役者を辞めたつもりはなかったし、今も舞台に立つと心が躍る。デザインも手掛けているし、UMCを目指す気持ちも変わらない。しかし、三好一成を語るとしたら圧倒的に「日本画家」としての肩書が大きいことも事実だった。
それはきっと、MANKAI寮に住んでいたあの日々で下した決断に端を発している。芝居も絵もデザインも何もかもやりたかった。しかし、何かを選ぶとしたら――と考えた時、一成は絵を選んだ。
夏組第五回公演。忍者を題材とした公演で、一成は主演を務めることになった。しかし、大学から海外留学の話を打診され、夏組のみんなに相談しながらさんざん悩んだ結果として、一成は留学を選んだのだ。
留学先では大きな実りを得ることができた。新しい表現はもちろん、自分に足りない技術を貪欲に吸収し、自分の絵のレベルが一段二段と上がっていくことも感じた。何より、若手アーティストの登竜門といわれる展覧会に絵を出品するチャンスに恵まれ、末席ながら受賞することもできた。これがきっかけで、一成の絵は一躍評価されることになったのだ。
留学から帰ってきた一成のことを、夏組をはじめとしたMANKAIカンパニーは温かく迎えてくれた。変わらず夏組の一員として舞台に立つことになったのだ。
ただ、その頃にはすでに一成は日本画家としての道を歩み始めていた。留学先で確かな結果を出したことが、転機だったのだろう。卒業前にもかかわらず、展示会への出品を打診されたり日本画の依頼がやって来たりするようになったのだ。
今後日本画家として活動していくためには、どの依頼も決しておろそかにはできない。さらに、日本画家として注目されるのと同時に、デザイナーとしての仕事も複数舞い込んできていた。
制作のための時間が必要なのは、傍目に見ても明らかである。絵と芝居を続けるためにどうすればいいか――。考えた結果、一成は主演以外の立場で夏組の舞台に立つことになった。
夏組の舞台に立ちたい。しかし、主演を務めるには時間も余裕も圧倒的に足りていなかった。絵を求められる機会も増えており、常に制作と並行するのが日常になっていく。どうにか公演の時間は捻出できても、主演となれば話は違う。その重さは段違いで、かけるべき時間も比べ物にならない。迂闊に引き受けようものなら、舞台も絵も共倒れすることは一目瞭然だ。
だから、絵の依頼に応えながら夏組の舞台に立つには、主役を支える立場で役者として関わるのが一番だと判断したのだ。
そんな風に、一成は夏組の名脇役として数々の公演に出演してきた。しかし、日本画家としての名前が上がっていくのに比例するように、役者としての仕事は少しずつ減っている。個展のグッズを手掛けていることもあり、デザイナーとしての面も評価はされているけれど、三好一成といえば大多数の人は日本画家という認識なのだ。
「この前のテンテン、完成披露試写会の時も絶好調だったよねん。ツッコミも冴えてたし、めっちゃ笑い取ってたじゃん」
「ああ、配信あったやつか。あれはだいぶ評判よかったんだよな。内容的にも、コメディ寄りだからこそできたことだが」
一成の言葉に、天馬は楽しそうに答える。当意即妙、キレのあるツッコミは夏組の舞台で何度も受け取ってきたアドリブを思い出させた。まるで、舞台の上のような――夏組公演みたいだ、と一成は思ったのだ。
同時に胸に広がったのは懐かしさで、一成はどこかで納得もしていた。
MANKAIカンパニーはいつまでだって大事な場所で、過ごした日々は宝物だと胸を張って言える。夏組のみんながどれだけ特別かなんてことは、わざわざ確認するまでもない。これから先、どんな未来だって夏組がそろっていれば最強で、笑顔でいられる。
それは一成にとって間違いのない確信で、六人全員同じ答えだとわかっている。直接顔を合わせることは難しくても、つながりは決して失われない。お互いの時間に、お互いの存在がいるのは間違いなくて、これから先もずっと大切で特別な人たちだろう。
当たり前のように一成は思っているし、それは目の前の天馬や夏組のみんなも同じだ。わかっている。しかし、同時に理解もしていた。
少しずつ、少しずつ、あの頃の世界が離れていく。
みんなで同じものを見て同じ場所に立っていた。体中の全てで演じる芝居を、心を広げて分かち合った。舞台の上で同じ世界を生きて走り抜けた。あの熱も、高揚も、まばゆい光も、何もかもが今の一成には遠い。
最後に芝居をしたのはいつだったか。板の上であの熱さを感じたのは、自分ではない誰かになって人生そのものを生きたのは。果たしていつだっただろうか、と思ってしまうくらい、芝居が少しずつ遠ざかっていく。
天馬は役者として芝居の道に邁進して、着実な成果を上げている。己の血肉に芝居があり、日常と表裏一体だ。最後に演技をしたのはいつだったかなんて、思いすらしないのだ。
ただの純粋な事実として、一成は理解している。あの頃――MANKAI寮で共に過ごしていた日々。きっとあの時、自分たちの世界はぴたりと重なっていた。同じものを見ていたし、呼吸さえも同じだった。しかし、今はどうしたって違うのだ。少しずつ芝居の領域が狭くなっていく一成と天馬では、見ているものも立っている場所も少しずつ違っている。
懐かしさとは、今はもうないものへの郷愁だ。あんなにも同じものを隣で見ていたのに、今のオレはきっと違うんだな、と天馬の言葉に一成は理解する。
特別で大切な存在であることは、何一つ疑っていない。天馬だって同じ気持ちだと素直に信じられる。それでも、少しずつ世界は遠くなるんだな、と一成は思っている。