群青の幕が上がる




― 3 ―



 個展は無事に終わり、一成は次の制作に向かっていた。とはいえ、まだどれも下絵の前段階といったところで、具体的に形になっているわけではない。
 日々を過ごしながら閃きの切れ端をつかまえようとしている頃に、天馬から電話があった。内容は簡潔で、いくつかの日付を示したあと、どの日ならスケジュールが空いているか、というものだった。幸いながら空いている日はあったのでそれを答えると、天馬は静かに言った。
 ――お前を連れて行きたいところがあるんだ。







 森から抜けるのと同時に、明るい日差しが降り注ぐ。目の前に広がるのは、どこまでもあざやかな青い海と青い空だった。

「やべー……めっちゃキレーじゃん……」

 一成の唇からは、思わずといった調子で感嘆の声が落ちる。奥には見晴らし台があり、木製の柵の眼下には森が広がっていた。さらにその奥にはきらきらと光を弾く海。高く澄んだ空は、まばゆいほどの青を宿している。
 目を輝かせて辺りを見渡す一成に、天馬はこの辺りでも絶景スポットとして有名な高台なのだと教えてくれた。

「いいところだねん。テンテンに森の中案内されてる時は、遭難すんじゃね?って心配だったけど!」
「ちゃんと着いただろ」

 テンション高い言葉に、天馬は苦笑を浮かべて答える。一成が「だねん!」と言って歩き出すので、天馬もそれに倣った。
 高台を突っ切り、柵の前に二人で並んだ。何も言わず、目の前の景色を眺める。観光地というわけではないからなのか、平日だからなのか、辺りに人の気配はない。髪を揺らす風には、どこか潮の匂いがしていた。

「テンテン、よくこんな場所知ってたねん」

 ゆったりとした沈黙の中、ぽつりと一成が言った。目を細めて周囲を見渡して、静かに。天馬は落ち着いた調子で答える。

「映画のロケで全国飛び回ってるって言っただろ。ちょうどこの前のロケで、こっちの方に来たんだ。その時、休憩時間に散策してたら辿り着いたんだよ」

 撮影場所は少し離れた位置であり、ここは偶然訪れた場所らしい。「そうなんだ」と一成は相づちを打つ。ただ、そこから一体どうして自分をここに連れてきたのだろう、と内心で首を傾げた。天馬はそれを察したのだろうか。

「いい景色だなと思ったんだ。海の青と空の青が両方混ざるような場所で――森を抜けた時、一成の絵みたいだなって思った」

 淡々とした調子で、しかしどこかに確かな熱を秘めて、天馬は言う。以前、一成の個展で目にした青空の絵。あの青は天馬に強く刻み込まれていて、目の前の景色にその絵を思い出したという。真っ直ぐ一成を見つめて告げられる言葉に、一成の心臓は大きく跳ねた。

「だから、一成にこの景色を見せたいと思った」

 強いまなざしを向けて、天馬は言う。
 一成の絵を思い出した。だから、ここに一成を連れてきた。その事実に、一成の心臓はどくどくとうるさいし、体温も上昇していく気がした。七月も下旬というこの時期に太陽の下にいるから、それだけが理由でないことはわかっている。
 たった今告げられた言葉。それは、天馬の中に一成の絵がきちんと宿っていることの証明だ。天馬がいつだって一成の絵を大事にしてくれることはわかっていたけれど。一成が思っているよりもっと深く、もっと強く鮮烈に、天馬の中で一成の絵は生きている。その事実を、一成は噛みしめる。

「一成とは一緒にいろんなことをしてきたよな。夏組としてもそうだし、そうじゃなくたって一緒に遊びに行ったり何でもない話をしたりした。お前は本当にうるさいし、オレのことを子供扱いしてやたらからかうし、文句を言いたいこともないわけじゃないが、それすらひっくるめて一成と過ごす時間は大切なものだと思ってる」

 照れくさそうな表情を浮かべながらも、天馬はよどみなく告げる。
 普段から、天馬が一成を含めた夏組やカンパニーのメンバーを大事にしてくれていることは知っている。昔に比べれば素直になっているから、こんな風に言葉にすること自体も、そこまで意外というわけではない。
 ただ、こんな風に二人きりで、何だか特別な場所で取って置きの言葉を取り出すように言われた経験はなくて、一成は戸惑いを浮かべるしかない。かろうじて「ありがとねん」とは答えられたものの、一体どう反応すればいいのかがわからない。
 そんな一成の戸惑いを気にすることなく、天馬は動いた。ポケットを探ると、手のひらサイズの箱を取り出した。黒い小箱は布張りで、高級感がある。一成は目をしばたたかせて箱を見つめて、それから天馬へ視線を向けた。一体これは何なのか。天馬は何をしようとしているのか。

「もうすぐ誕生日だろ。必要なかったら突っ返してくれていい。ただ、これを見つけた時、お前に渡したいって思ったんだ」

 そう言って、天馬は小箱の蓋を開いた。一成の目が思わず吸い寄せられる。中には円柱型の小瓶が一つ。透明なガラス瓶は、深い青色をした細かな粒子で満たされている。和紙で作られたラベルには、筆文字で「天然 岩群青」と書かれていた。
 一成は弾かれたように、天馬へ顔を向けた。
 これは日本画で使う岩絵具だ。一成の仕事道具でもあり、一成の心が動いた瞬間を描き出すために、何度だって手に取ってきた。自分自身に深く連なるような存在を見間違えるはずもない。箱の中身を疑う必要は一つだってなかった。

「仕事で行った先に画材屋があって、きれいだなって思った。一成は仕事で使ってるし、オレがわざわざ贈る必要なんてないのはわかってる」

 熱を宿したまなざしを向けて、天馬は告げる。画材屋に並ぶたくさんの岩絵具。一成はこれを使って日本画を描いてるんだな、と思いながら一つ一つを眺めていた天馬の目は青のコーナーに吸い寄せられた。一成のあの空の絵が念頭にあったからなのか、それとも。

「密着取材の時、群青の岩絵具は特別だって言ってただろ。天然物は高価だからっていうのもあるが、空も海も昼も夜も、たくさんの青を内包する色だからって言ってたのが、ずっと頭に残ってた」

 だから、天馬は思わず群青の岩絵具を購入していた。理性では、一成は必要な群青は持っていると言っていたし、いつも使う画材は決まっているかもしれないと思ったけれど。もうすぐ誕生日だという事実も後押しになって、天馬は贈答用に群青色の岩絵具を買い求めた。

「これは一成への誕生日プレゼントだ」

 まだ少し早いけどな、と言い添えながらきっぱり告げる。真剣な表情で、どこかに照れくささを交えながら、それでもどこまでも凛として。強く揺るぎない紫色は、真っ直ぐ一成を射抜く。その強さに、宿る光に、一成は魅入られたように立ち尽くしていたのだけれど。
 沈黙を通り過ぎる風が埋め、どこからか鳥の声がしている。ざわざわと木々が揺れて、一成ははっと我に返る。天馬は一成の反応を待っているのだ。

「ちょっと予想してなさすぎて、びっくりしちった! 指輪でも取り出すのかと思っちゃったよね~」

 軽口をたたきながら、一成はそっと手を動かした。黒い小箱を受け取り、自身の手のひらに乗せる。少し傾けると、小瓶の粒子が揺れてきらきらと光を弾くように思えた。
 天馬はと言えば、一成が受け取ったことにほっとしたような空気を流す。
 拒否されたりするなんてことは思っていなかっただろうけれど、必ずしも一成が求めているものでもないので心配だったのかもしれない。日本画家として活躍している一成は、種々様々な画材を持っているのだ。金銭的に余裕のなかった学生時代ならいざ知らず、今では必要とあらば値の張る画材も用意できるほどの財力はあるのだから。

「――ありがとね、テンテン」

 深呼吸した一成は、心からの礼を口にした。
 一成は天然の群青岩絵具なら、自分でも所持している。必要なだけの量はあるし、あえて人からもらう必要はない。しかし、天馬が一成のために、一成を思い出して、贈り物として用意してくれた群青の岩絵具はこれだけだ。それだけで、この小瓶が特別になる理由は充分だった。

「わざわざこれを使うことはないかもしれないが――できるなら、この群青でどんな青を描くのか見てみたいと思ったんだ。一成の目には、いろんな青が見えてるだろ」

 はにかむような笑みを浮かべて、天馬は岩絵具を選んだ時の気持ちを語る。
 一成の描く絵。どれもがよく描けていると天馬は思っているけれど、中でも強く胸に残るのはあざやかな青だった。夏の空はもちろん、密やかな深海も、遥かな宇宙も一成の筆は描き出す。それを体現するのが、あらゆる青を宿すような群青なのだろうと、密着取材を見た天馬は思ったのだ。

「お前なら、この群青でどんな青い風景を描くんだろうな。できるならそれを見てみたいって思ってるし、オレはお前が絵で世界を表現するのが好きだ」

 そう言って、笑う天馬が。
 心からの愛情を向けているのはわかっている。疑う余地もなく、一成が絵を描くことを大事にしてくれている。そうでなければ、こんな風に日本画の画材を贈り物として用意するわけはない。
 それなのに、一成を見つめて笑う天馬は、何だか今にも泣き出しそうに見えた。

「――テンテン?」

 一体どうしてそんな顔をしているんだろう、と思いながら名前を呼ぶ。すると、天馬は一瞬だけ困ったような空気を流す。何かをこらえるような、ためらいを含んだような。しかし、それもほんのわずかな時間だ。

「一成」

 深呼吸をして紡がれた名前。凛として、力強くて、声そのものが意志を持ったような、そんな声。
 もう天馬は、泣きそうではなかった。困ってもいないし、ためらいもない。何かを決意したのだと、一成は理解する。天馬は自分自身に宿ったものを見つめ直して、そうして決めたのだ。
 きらきらとした光を弾く、紫色の瞳。射抜く強さで一成に届き、胸の奥まで届くようだ。それを見つめる一成に向かって、天馬は言う。

「オレは、お前が主演の舞台が見たい」

 静かな声だった。それなのに、まるで殴り倒されるようだと一成は思った。
 主演の舞台。あの夏の日、留学と舞台を天秤にかけた。そうして留学を選んだ一成は、見事に絵の世界で結果を出した。それに伴って、日本画へ専念する時間が必要となり、主演ではない立場で舞台に立つことになった。
 一つだって手は抜かなかった。大事な夏組の仲間と作り上げる舞台だ。主演じゃなくたって、一成はいつだって全力で役を演じきった。だからこそ最高の千秋楽を何度だって迎えてきた。今まで立った舞台は、一成にとっていつだって最高の思い出だ。
 だけれど同時に、揺るぎのない事実もある。絵を描くための時間が必要だった。だから、一成は今まで一度も主演を務めたことはない。それが絵と芝居を両立するための手段だったからだ。
 そんなことは天馬だってよくわかっている。留学の結果、日本画家としての確かな道が開けた。だからこその決断で、誰もが納得していた結論だ。しかし、天馬は今一成に言うのだ。

「オレはお前が描く絵が好きだ。それは間違いじゃないし、これから先もずっと応援していくと決めてる。それでも、やっぱりオレはお前の芝居が見たい。一成と舞台に立ちたい。一成が主演の舞台で、お前と一緒に千秋楽を迎えたいんだ」

 静かに、落ち着いて、それなのに触れれば火傷してしまいそうな熱を込めて、天馬は告げる。心の全てを取り出すように、何もかもを一成に差し出すみたいに。

「夏組の舞台はずっと特別だ。全員で作り上げる芝居は、他の何にもまねできない。今までの公演全部が宝物だってみんな思ってる。でも、一成だけが真ん中に立ったことがない。それがお前の選択だってことはわかってるし、否定するつもりはないんだ」

 その結果の現状が今の一成の立ち位置だ。日本画家として国際的な賞も受賞し、メディアにも大きく取り上げられ、個展も盛況。努力は実を結び、華々しく活躍していると言ってもいいだろう。
 しかし、それと同時に天馬は痛感していた。一成と交わす言葉の内、芝居に関するものはほとんどない。絵にまつわるものばかりで、共に過ごしたあの舞台上の情熱はすっかり遠いものになっていた。
 少しずつ離れていくのだと、天馬は理解する。このまま絵の領域が広がっていくのかもしれない。芝居を辞めることはないだろう。それほど大切にしていることはわかっている。
 だけれど、それでも。少しずつ芝居と遠ざかっていく。仕方ないのかもしれない。そうやって、少しずつ何かを諦めて、何かを捨てていくことが、大人になるということかもしれない。理性がそう言ったところで、心はうなずきやしないのだ。
 淡々と落ち着いた調子で、天馬は自身の心を告げた。一つとして目をそらすことなく、紫色の輝きで。

「一成自身は何も変わってないだろ。もちろん、多少は大人になって変わったところもあるが、お前は昔から変わらず、夏組やオレのことを大事にしてくれてる」

 交わした言葉やそそがれるまなざしは、何一つ変わっていないのだ。
 一成の個展を訪れた夜、しんとしたロビーで過ごした時間。あの時天馬は、「ああ、こいつは本当に変わらないな」と思ったのだという。MANKAI寮で共に過ごした日々と、一成は変わらず心を広げて天馬を抱きしめようとしてくれている。あの頃と同じだ。それなのに、共に立つ舞台だけが存在しない。

「――お前と舞台に立ちたいって思った。一緒に芝居がしたい。同じものを見て、同じ世界を生きたい。一成が舞台の真ん中に立つ姿が見たい」

 揺るぎない誓いを口にする響きで言った天馬は、いったん言葉を切る。ゆっくり深呼吸をすると、一成の心が変わらないからこそ、欠けたものはより大きな喪失に思えた、と続けた。
 夏組は特別なつながりで結ばれていて、六人がそろっていればなんだってできると思えた。どこまでだって走っていける。六人で見た景色がどれだけ輝いていたかなんて、思い出すまでもなく取り出せる。
 全員でいつだって手をつないでいるような。誰かが怯んだら他の誰かが手を引いて、みんなで並んで駆けていくような。そんな夏組だからこそ、天馬の心の奥底にくすぶっていたものがある。
 夏組の中で、ただ一人一成だけが、主演として舞台に立ったことがない。天馬は、幸は、椋は、三角は、九門は、誰より強い輝きで主演として見事に世界を生き切ったのに。全員一緒だったはずの自分たちの中で、一成だけがその輝きを知らないなんて。それは、たった一つの大きな空白のようだった。
 真剣な表情で言った天馬は、一度口をつぐんだ。それから、少しだけ冗談めいた響きで言葉を継ぐ。

「それに、もしもオレが余命わずかだったならきっとこれを後悔する。一成の主演が見たかったって思うだろ」

 現在天馬が撮影中の映画を一成は思い出す。余命わずかの青年役。天馬の念頭にあるのも、きっと同じものだろう。主人公の思考を辿る過程で、もしかしたら天馬は自分に残された時間がわずかしかなかったら、と考えたのかもしれない。その上で、出てきた答えが一成の主演舞台だと言うなら。
 その意味を理解した一成の唇から、ぽろりと言葉がこぼれ落ちる。

「――はは、すげー殺し文句」

 だって天馬は言うのだ。まるで、人生で一番大事なものみたいに。これからの人生の、たった一つの望みみたいに。
 胸の奥が熱くなる。体の奥に火が入ったようだった。真っ白のキャンバスに向かう時。初めて絵筆を握る時。色をくわえて世界をあざやかに彩る時。インスピレーションを形にした時。
 ――初めて本をもらった時。舞台の上で、最初の声を発した時。全身で芝居を受け取った時。今まで感じてきたものと同じ熱が、一成の体を巡る。天馬の熱をそのまま受け取ったように。
 一成は深く息を吐き出すと、ゆっくり口を開いた。天馬に返したい言葉が、あふれるように胸の中に浮かんでいる。

「あの時の選択を後悔したことはないんだよね、オレ。留学を選んだことで、確実に描けるものは増えたしオレの世界は広がった。結果も出せたし、未来につながった」

 静かな口調で、一成は言う。宿る炎をまなざしに乗せて、今までの日々を辿りながら。日本画家として歩んだ道のりは、一成にとっての誇りであり嘘偽りなく胸を張れる。後ろめたさはないとためらいなく言えたし、後悔をしたことはないというのも強がりでも何でもない本心だ。

「――だけど、ときどき思っちゃうんだよね。あの時、主演を選んでたらどうなってたのかなって」

 第五回夏組公演。主演舞台と留学どちらを取るのか、一成は必死で考え抜いた。その結果選んだ答えに心から納得しているけれど、それでも選ばなかった未来はいつだって一成の中に残っていた。
 もしもあの時主演を選んでいたら。主演として舞台に立っていたら、今もまだ同じ世界を生きていただろうか。隣同士で板の上に立って、同じ呼吸をしていただろうか。世界は遠ざかることなく、をきちんとつかまえていられただろうか。それはきっと、この上もなくまぶしいかけがえのない日々だっただろう。
 時間を重ねて、日本画家としての領分が増えていくにつれて、一成の中でその気持ちは確かに育っていっていた。しかし、過去に戻ることはできないのだ。今の自分を後悔しているわけではないし、どうしたって時間は巻き戻らない。それなら、なくしたものへの憧憬に寄り添いながらこの先を歩いていくのだと、一成は思っていた。

「選んだ道を後悔してるわけじゃないし、オレは今の自分の選択にも胸を張っていられる。主演を選ばなかった道を歩くんだって決めたんだから、このまま進むんだって思ってたんだ」

 だけど、と一成は言った。真っ直ぐ天馬を見つめて、受け取った熱の力強さと抱きしめるようなやわらかさで、天馬に告げられた言葉を思い返しながら。自身の心が告げたたった一つの答えを口にする。

「未来なんて、本当は何回だって選び直せるんだよねん」

 悩んで悩んで出した答えに一成は納得している。
 主演と留学。留学を選んで歩み始めた道は一成にとって大切な軌跡で、やり直したいわけじゃない。だからこの道を歩くのが正解だ。時間は戻らないのだ。あの時の選択で失った答えは、いずれ過去になっていく。
 そう思っていたのに、天馬は言う。自分自身の心を取り出すみたいに、一世一代の告白みたいに。一成の主演舞台が見たいと、一成と同じ世界を生きたいと、真っ直ぐと熱を宿して。
 もしも今の自分を後悔していたなら、過去に戻りたいと願ったのかもしれない。しかし、一成は一つだって自分の選択を悔いていなかったから、振り返らずにただこの道を真っ直ぐ歩くのだと思っていたのに。
 天馬は力強く告げる。たとえ今の自分に悔いがないとしたって、なくしたものは取りに行ける。一直線に進むだけが未来の歩き方じゃない。何度だって、いつからだって、未来は選べる。
 気づいてしまえば至って簡単で、シンプルな答え。難しいことなんか一つもなくて、「ああ、そうか」と納得してしまう。それでも、天馬の言葉にまるで目を開かれるような気持ちだった。未来に向かう道は一本だけではないのだと、後悔していなくたって戻ってもいのだと。それは、今まで見えていなかった選択肢はここにあるのだと、新しい道を力強く掲げるようだった。
 その事実に、一成は心から思っている。
 天馬と出会った旗揚げ公演。自分の本音を初めて天馬が受け止めてくれた時、世界は新しくなった。あの時と同じだ、と一成は思う。
 これから歩いていく未来の道は、真っ直ぐ先にばかり伸びているわけじゃない。過去にだって行ける。どこにだって行ける。どこだって行っていい。そんな未来があるのだと、天馬は一成に示したのだ。
 あの頃みたいに今もまた、テンテンはオレの世界を新しくしちゃうんだなぁ、と思いながら一成は口を開いた。ぴかぴかと明るい、今までの調子を一転させた軽やかな声で、天馬に言う。

「ね、テンテンだけお願い言うの不公平じゃない? オレのお願いも聞いてくれなくちゃ!」

 一成への願いごとを口にしたなら、一成だって天馬にお願いしてもいいはずだ、と言うと天馬は数秒黙り込む。一成の言葉にも一理ある、という納得と、はぐらかされているのか、という不安がないまぜになったような空気だ。
 しかし、結局「まあ、それはそうだな」と答えるので、一成はますます笑みを深くした。自分の心配より一成への肯定を選ぶ天馬の誠実さをつくづく感じたからだ。
 深呼吸をして、一成は言う。きらきらとまばゆい笑みで、他の何にも負けないほど、ただ明るく何もかもを照らしていく。弾んだ心がそのまま形になったみたいな、光そのものでできたみたいな声で、力強く。

「準主演はテンテンにやってほしい!」

 青空の下に言葉が放たれた瞬間、天馬が大きく目を瞬かせる。真っ直ぐ一成を見つめる。見つめ返した一成は、じわじわと笑みを浮かべた。
 準主演を天馬に望む。その言葉の意味を、天馬が理解できないはずがない。天馬が準主演なら、主演はつまり。舞台の真ん中で光を浴びる。0番に立つ。「お前が主演の舞台が見たい」と告げた天馬への、一成からの揺るぎない答え。
 理解している天馬は、すぐに笑みを浮かべた。太陽みたいに明るく力強い、目も開けていられないほどのまぶしさで。

「ああ、次の公演はオレとお前で組むぞ」

 その言葉に一成は軽やかに笑った。夏組全員のスケジュールや、MANKAI劇場の使用日程の調整だとかやるべきことは山積みで、すぐに舞台が始まるわけではない。しかし、誰もが全員この答えにうなずいてくれることはわかっていた。
「やべー、めっちゃ楽しみ!」と言って、うきうきした調子で言葉を続ける。気持ちがはちきれそうで、居ても立っても居られなかった。これからの未来を、いくらだって天馬と話したくて、声が形になっていく。

「ねね、どんな話がいいと思う?」
「やっぱり絵の話なんていいんじゃないか。一成らしい」
「それな~。でも、そのまますぎるしあえてオレは絵を描かない役とか!?」
「なるほど。逆に他の五人が画家っていうのもおもしろいかもな」

 天馬も同じ調子で答えを返してくれるので。青空と青い海に彩られた青い世界で、二人はこれから訪れる未来の話をしている。













END