最後の苺はきみにあげたい
Scene:01――Kazunari
バレンタインのチョコレート売り場は戦場である。
デパートの催事場で、一成は心の底から実感する。どこを見渡しても人ばかり、一メートル進むにも難儀してしまうほどだ。ほとんどの人が、目当てのチョコレートを入手しようと、虎視眈々とした雰囲気を放っている。
ただ、一成はにぎわいや活況にテンションの上がる性質なので、うんざりすることはなかったし、むしろわくわくしていた。もっとも、休憩スペースで休んでいる幸が、辟易とした面持ちだったことも理解はできる。それくらい人は多い。
(むっくんとヒョードルは、お目当てのチョコ買えたかな)
事前に店をチェックして、入手したいチョコレートについて作戦会議を練っていた、従兄弟組を一成は思い浮かべる。どこのブースも盛況で、二人の姿を見つけることはとうてい叶わないけれど。
甘いものとチョコレート好きの二人が、どれほど今日を楽しみにしていたかはよく知っているので、無事に手に入れられたらいいよねん、と一成は思う。
(カンパニー用は買えたし、あとは大学用にいいのあるかな~)
椋と十座と違って、一成には取り立てて目当てがないので、比較的のんびりとした気持ちで周囲を見渡す。
一成も甘いものは好きだし、当然チョコレートも好きだった。ただ、今回チョコレート売り場を訪れたのは、どちらかというとインスピレーションのためという側面が大きい。
バレンタインにおけるデザインは、キュートなものから、エレガンスやポップ、シックな雰囲気など、多様な種類が展開される。だからこそ、一度に多くのデザインが見られるチョコレート売り場は、インプットのいいチャンスだと思ったのだ。
それは幸も同じで、二人してパッケージやディスプレイを見ながら「あの色遣い新鮮じゃね?」「意外と喧嘩してないよね」なんて言い交わしていた。
なので、一通りイベント会場を巡った幸は、休憩スペースに座っている。カンパニー用のチョコレートは買えたし、デザインも観察できたので、ひとまず用事は済んだのだ。
椋と十座は評判の店に並んでいるので、もう少しかかるはずだった。なので一成は、もう一周してくるね、と再び催事場に舞い戻ったのだ。
(普通のチョコじゃ面白くないよねん。さっきクマのチョコとかあったし立体物とかいいかも!)
ブースには多種多様なチョコレートがいくつも並んでいる。
シンプルな板チョコ一つとってもカカオの配合率が違っているし、アソートボックスにしても数から種類まで様々だ。その他、意匠を凝らしたものやジョーク系の菓子など、バラエティーに富んだ品物がいくつも並んでいる。
一成は大学の友人にちょうどいいものはないだろうか、ときょろきょろ辺りを見渡しながら催事場を進む。その時だ。
どきん、と心臓が一つ鳴った。ブースに並んだ一つのパッケージが、やけにあざやかに目に飛び込んだ。
(向日葵だ)
ショーウィンドウの中ほどに、陳列された箱。縦型の細長い箱には、太陽に向かって燦然と輝く向日葵が一本描かれている。
シックな色合いの黒い箱に、黄色の向日葵は強い印象を与える。ただ、それは色合いからのものなのか、描かれた花に由来するものなのか、一成には判然としない。
向日葵といって思い浮かべる一人。MANKAIカンパニーの人間なら、夏組なら、当たり前のように答えられる。
オレンジ色の髪もあざやかな、強い意志を抱いて未来へ進んで向かっていく、我らが夏組リーダー、皇天馬だ。
(思わず見ちゃうのも、変じゃないよね)
言い訳のように自分に言い聞かせながら、一成は箱へと目をやる。遅々として進まない人混みのおかげで、じっくりと見ることはできた。
細長い箱は六つに区切られて、シンプルな丸形や、向日葵を模したもの、葉の形をしたチョコレートが品よく収まっている。これくらいなら個数も少ないし、テンテン思い出しちゃったって買っていっても不自然じゃないかも。
思って値札を見た一成は、しばし固まった。想定外に高級品だった。
今回の催事場でもメインの価格帯からは、ずいぶん上に位置する。そこでようやく店名を確認して、なかなか有名なチョコレートブランドであることに気づく。ここならまあ、それくらいするな、と納得した。
とは言え、出せない額ではなかった。確かにちょっと値は張るし、六で割ったら一個の値段は結構な金額だ。ただ、払えるかどうかで言えば充分払えたし、天馬が喜んでくれると思えばこれくらい出してもいい、と一成は思う。思うのだけれど。
(いやいや、これはちょっとガチすぎるよね~)
苦笑を浮かべて一成は首を振った。テンテンっぽくね?なんて言って、チョコレートを買って帰ることはやぶさかではない。天馬は喜んでくれるだろうし、夏組だって盛り上がる。ただ、万が一値段が判明した場合、天馬がどう思うかが気がかりだった。
一成のいつものことだと思ってくれればいい。テンション高く、イベントごとに惜しみなくお金を使っているだけだと思われるのならいい。
だけれど、もしも、奥底に隠した特別を見つけられてしまったら。他とは違った気持ちで、天馬を思っていることに気づかれてしまったら。そうしたら、きっと今までの関係が変わってしまう。
(もうちょっと、冗談にできそうな感じのチョコレートがいいよねん)
カンパニーのみんなにチョコレートは渡すし、夏組みんなにも何か贈ろうと一成は思っている。それに紛れて、天馬にもちょっとばかり特別なものを渡すつもりだった。
「リーダーだからねん!」なんて言えば、一人だけプラスされたチョコレートだって受け取ってくれるだろう。ただ、その時はあくまでも「ちょっとだけ特別」を演出する必要がある。
値段について言及するなんて、無粋な真似をする人間はいないと思うけれど。何の気なしに漏らした言葉からそこそこ値段が張ることはバレるかもしれないし、そうでなくてもチョコレートブランド名から値段は推察できる可能性がある。
天馬は意外と聡い人間だ。だから、特別扱いされていることに気づいてしまうかもしれない。冗談にしてしまうには高価な贈り物を、一人にだけ用意するなんて。詰め込んだ気持ちの大きさを、悟られる可能性はある。
だからこそ、あまりにも高いチョコレートを贈るのは見送るべきだ、と一成は結論を下す。
じりじりとした列はようやく進んで、ブースからは遠ざかっていく。瞼の奥には、あざやかな向日葵のパッケージが焼きついて離れない気がしたけれど、一成は無理に思考を切り替える。
いいんだ、このまま離れよう。もっと別のチョコレートを探そう。
(――って思ってたはずなんだけどなぁ)
202号室で、自室の椅子に腰かけた一成は目の前の紙袋を見つめる。思わず吐き出した息は、人のいない部屋にやけに大きく響く。
お洒落なロゴがデザインされた袋はしっかりとした作りで、一成が見ていた例の向日葵のチョコレートを売り出していたブランドのものだった。
中には当然、件のチョコレートが入っていた。
(買っちゃったんだよね~)
一つ息を吐き出した一成は、当時のことを思い出す。
別のチョコレートを探そうと思ったのは本当だ。チョコレート売り場は多種多様な品揃えなので、もっと手頃な値段のものはいくつもあった。友達であり夏組のリーダーとして渡す分には、問題なさそうな選択肢は豊富だった。だからその中から選ぼうと思ったはずなのに。
どんなチョコレートを見ても、一成の脳裏にはさっきの向日葵がちらついて仕方がなかった。
向日葵。天馬を思い出すもの。一度結びついてしまえば、消してしまうこともできやしない。それどころか、頭から追い出そうとすればするほどくっきりと姿がよみがえってしまう。さっき見かけた向日葵の箱も、力強い光を放って笑う天馬の姿も。
あのチョコレートはテンテンに似合うな。まるで、テンテンのためのチョコレートみたい。
そう思った一成は、同時に確信もしている。テンテンは、あのチョコレートを渡したら喜んでくれる。
向日葵みたいに真っ直ぐ空に向かっていくのが天馬だと、みんな知っている。いつだって上を目指して、ただ空だけを見つめて、力強く立っている。挫けそうになってうつむいても、再び空を見上げる姿は、太陽に向かう向日葵みたいだ。
だから、描かれた花に天馬を思い出したのだと告げて、このチョコレートを選んだと言えば、まぶしいくらいに笑ってくれるだろう。
だけれど、天馬には別のチョコレートを渡すつもりだったのだ。たった一人の特別だとわかってしまうものではなく、もっと友達らしいものがいいだろう、とブースをあちこち回っていた。
目についたチョコレートにこれはどうかな、とショーケースをのぞきこんで、品物を吟味しようとしていたのに。頭に浮かぶのはさっきのチョコレートばかり。
こっちは箱もかわいいし、こっちは種類が豊富だし、これはちょっと変わってるかも! 一つ一つ、心をくすぐるポイントがあって、どれも贈り物にはふさわしいとわかっているのに。
どうしたって、向日葵のチョコレートが離れない。それどころか、次第に頭を埋める割合が大きくなって、何を見ても比較してしまうことに気づいて、さすがに一成は観念したのだ。
人混みを搔き分けて、さっきのブースへ戻った。見つかりませんように、という緊張なのか天馬を思い浮かべたからなのか。ドキドキ高鳴る心臓の音を聞きながら、チョコレートを購入した。
(って言っても、渡すかどうかはまだ決めてないし!)
目の前に現物があるものの、一成は未だに往生際悪くそんなことを思っている。
向日葵のチョコレートを買った場面は誰にも見られなかったし、そのあと大学の友人用のチョコレートも購入しているため、紙袋はそちらに混ぜてしまった。
わざわざ中を開ける人もいないので、天馬用のチョコレートの存在は誰も知らないのだ。だから、天馬に渡さず自分で食べてしまうことだってできる。
(だって、どんな顔して渡せばいいかわかんないもん)
紙袋を見つめながら、一成は胸中でごちる。
それなりに有名なブランドのチョコレートで、実際そこそこの値段のする代物である。別に天馬が値段を気にする人間だとは思わないし、そもそも天馬の金銭感覚からすると大した額ではないかもしれない。だから、値段だとかを知ったところで深い意味は見出さないかもしれない。
その可能性に懸けてもいいのかもしれないけれど、一成は危ない橋を渡りたくなかった。
友達として近い位置にいる自負はある。友人らしい友人のいなかった天馬にとって、夏組という存在の大きさは自他ともに認めるものだし、その中の一人であることは素直に信じられる。そして、天馬が友達というものをことさら大事にしていることだって。
わかっているからこそ、余計に一成は友達の枠から自分がはみ出してしまうことを選べない。
だってきっと天馬は、友情以外の感情を向けられることに困惑してしまう。情の厚い人間だから、むげに切って捨てることはしないだろうけれど、その分戸惑わせて葛藤させてしまうのではないか、と一成は思っている。
天馬を煩わせたくない。天馬の悩みの種になりたくない。天馬が心苦しい思いをする原因になりたくない。それは一成の心からの願いだった。
(テンテン相手に、嘘の顔作れるか自信ないし)
一成は笑顔でいることが得意だ。不調や悲しみだって笑顔の裏に閉じ込めて、明るい表情を浮かべるなんて息をするように自然とできる。だから、あくまで友達の顔で「友チョコだよん!」なんて言って渡すことはできるかもしれない。
だけれど、一成は天馬が案外鋭いことを知っている。普段はわりと鈍感で、一成の嘘にも引っかかってくれるのに、肝心なところで一成の本心を見抜くようなところがある。
だからこそ、一成が隠した本音を見つけられてしまうかもしれない。友達のフリをして渡したチョコレートに潜んだ気持ちくらい、簡単に見抜いてしまうかもしれない。そう思うからこそ、一成は気軽にチョコレート渡せない。
(――って言って、自分で食べちゃおって決められないんだもんね~)
自嘲めいた笑みを浮かべた一成は、紙袋からチョコレートの箱を取り出した。
手触りもいい箱は、紙製とはいえしっかりとしている。木箱のような趣さえあって、高級な雰囲気が漂っている。それでいて向日葵の姿はあざやかで圧倒的なオーラがある。やっぱりテンテンにはぴったりだよねん、と思う一成は細長い箱をそっと撫でた。
向日葵のチョコレート。天馬に渡すならこれだ、と思った瞬間からどうしたって頭から離れなかった。天馬のために用意されたみたいな。あの場所で導かれるように出会ったもの。
渡せないと思っているなら、早々に自分のものにしてしまえばいいとわかっている。買った時点で満足して、夏組のみんなと分けるという選択だってある。それなのに、結局まだ迷っているということは、天馬に渡さないと決めてしまうこともできないのだ。
(テンテンに渡したいなぁ)
心の中でそっと言葉がこぼれる。唇に浮かぶのは自嘲に似ていて、だけれど少しだけ違った。どこかに甘さを潜ませるような微笑は、隠しきれない心の内がのぞいているからだ。
友達の顔をしていようと思った。友情以外の感情を見せたら、きっと天馬は困ってしまう。今まで通りの顔をしていることが正しい選択だ。確かにそう思うのに、奥底に宿る望みはもっと別の形をしていることに、一成はとっくに気づいている。
特別なのだと言いたい。天馬のために、他の誰とも違うものを用意したのだと言って、「テンテンにあげるね」とこのチョコレートを渡したい。天馬のことが特別なのだと告げたい。
自分の心が形になったようなチョコレートの箱を、一成はそっと撫でている。