mellow my room



 夕食までには時間があるので、一成と天馬はソファでくつろいでいる。一成の淹れたコーヒーを飲みながら交わすのは、何でもない雑談だ。
 久しぶりに訪れたMANKAI寮の様子だとか、お互いの仕事場で目にした面白い出来事だとか。あまりにもささやかで、どんな実にもならない話だけれどそれが心地良かった。
 成果を求められるわけではなく、理論的な道筋だとかわかりやすい話の運びだとか、そんなことを考える必要もない。心に浮かんだ言葉を取り出して、思うままに形にする。
 それだけの会話は、この上もなく二人の心を満たしていく。

「一成、髪伸びたよな」

 飲み干したマグカップを、目の前のローテーブルに置いた天馬がつぶやく。
 金髪はもはやトレードマークと化しているので、髪色を変えることはあまりない。ただ、長さに関してはマチマチで短髪にすることもある。もっとも近頃美容院に行っていないので、襟足まで伸びていた。

「タイミングなかったっていうのが一番だけど、ちょっと懐かしくてさ。久しぶりにこの髪型にしよっかな~」

 浮き立つような調子で言ったのは、MANKAI寮にいた頃――天馬と出会って、掛け替えのない日々を過ごした頃の髪型に似通っている自覚があるからだ。恐らくそれは天馬もだろう。

「だよな。最近わりと短めが多かったから、余計に昔の一成みたいだなって思った」
「あの時のロンTとか着る?」
「まだ持ってんのかよ」
「あれ結構動きやすいかんね。制作の時とかわりと着てるよん」

 素直に答えると、天馬が面白そうに息を吐いた。懐かしい姿を思い浮かべたのだろう。
 一成も笑みを浮かべつつ「でも、当時の格好って気持ち的にコスプレ感あるんだよね~」と続けた。出会った時まだ学生だったので、その時の印象が強いのだ。
 天馬は一成の言葉を受けて、少しだけ沈黙を流したあと言う。

「でも、当時眼鏡は掛けてなかっただろ」

 あらためて、といった様子で一成を見つめた天馬は言った。
 今の一成は部屋着のスウェットという格好だったし、何よりも眼鏡姿である。ファッションに重きを置いたものではなく、よくある形のフレームで、ベーシックなモノトーンカラー。純粋に視力を補強するためのものだ。
 一成は基本的に、コンタクトで生活している。出掛ける時はもちろん、自宅でも眼鏡を掛けることはあまりない。
 制作に没頭して、一切のことをシャットアウトしているような時くらいにしか見られない姿である。つまり、今回はよっぽど根を詰めていたということの証拠だ。
 出会った頃は、一成の視力が悪いことすら天馬は知らなかった。実はコンタクトをつけていることはあとから聞いたのだ。
 ファッションとして眼鏡を着用することはあれど、純粋な視力的な意味での眼鏡姿は貴重だった。なので、思わずまじまじと見つめてしまった。
 一成はその視線を照れくさそうに受け止めて、こくりとマグカップを傾けた。
 眼鏡自体は中学まで掛けていたとは言え、それ以降はほとんどコンタクトで過ごしているのだ。自分でも見慣れない姿という自覚はあるので、あらためて天馬に見つめられるのは照れてしまう。
 顔を隠すように傾けていたマグカップは、すぐに空になってしまった。ただ、天馬の視線は未だ外れない。
 まあ確かにしょっちゅうは掛けてないけど、と思った一成は少しだけ考えたあと口を開く。天馬の姿を見つめ返して、思い浮かんだことがあったからだ。

「オレはね、テンテンがそういう格好してんの好き」

 マグカップをローテーブルに置いた一成は、隣の天馬に向けて言う。そういう、というのは部屋着として着用している上下スウェット姿を指している。
 天馬とてこういう格好をまるでしない、というわけでもない。ただ、最近では比較的きっちりとした装いが多く、部屋着でもそのまま外出できそうな服がほとんどだ。なので、いかにも部屋着です、とでも言うような格好は最近珍しい。
 天馬は突然「好き」と言われて、うろたえるような空気を流す。恋人としての付き合いも長くなったというのに、こういう所が変わらないなぁ、と思う一成はほほえましい気持ちのまま言葉を続ける。

「うちにお泊まりって感じでテンアゲだよねん!」

 声が弾んでしまうのは、帰るはずだった天馬が泊まっていける、という事実を噛みしめているからだ。

 ほんの数十分前のことだ。ソファに並んで座って何でもない雑談をしていると、天馬のスマートフォンに連絡があった。見れば井川からのもので、天馬は「悪い」と言って立ち上がる。
 廊下に出て何やら話をして、戻ってくると言ったのだ。「明日のスケジュールが変更になった」と。
 ロケ先でのインタビューでの予定だったけれど、先方の都合で変更があり、明日の早出はなくなったのだと言う。となると仕事は夕刻からとなるので、「明日は早いから泊まらない」という前提は崩れる。それが意味することは一つだ。
 何の障害もないのに、わざわざ自宅に戻る必要はない。天馬は予定を変更して、一成の家へ泊まることにしたのだ。

「テンテンのお泊まりセットは基本スウェットだかんね。これ着てると、テンテンうちに泊まるんだな~って思うし、こういう格好わりと珍しいからレア感あるよねん」

 ときどき泊まる天馬のため、お泊りセットと称してあれこれと準備はしてある。
 その一環として部屋着も当然用意していた。帰る必要がないのなら着替えた方がリラックスできるだろう、というわけで早々に着替えを完了させたのだ。
 ちなみにお泊まりセットに関しては、めちゃくちゃ派手なスウェットとかにしようかな、と一成は思ったのだ。しかし、天馬は予想していたらしく先回りで拒否されたので、グレーのスウェットで一応落ち着いている。
 まあ、天ぷらとうさぎが合体した謎のキャラクターだとか、NEKOという立札を持った犬だとかがワンポイントでプリントされてはいるのだけれど。
 天馬は毎回「どこで見つけてくるんだ……」と言いつつ、一応着てくれるので一成はニコニコしている。

「何かさ、うちに泊まる時しかこういう格好しないじゃん? だからさ、何か嬉しいんだよねん」

 笑みをこぼして一成は言う。そもそも天馬は、自宅ではスウェット姿になること自体珍しいし、もしも着るとしたって、妙なキャラクターがプリントされたものを選ぶことはない。
 あくまでも今は、一成が用意したから着てくれるのだろう。それは天馬が心を許してくれているのだ、という限りない証のように思えるのだ。

「いつもはきっちりしてるテンテンがさ。オレの前だとわりと気の抜けた感じでいてくれるの、オフの姿だ~って嬉しくなっちゃう」

 どんな時もファンの姿を意識するのは、天馬にとって当然のことだし、一成にも自然と身についた姿勢だ。自分たちはファンあってこそ活動していけるのだから、恥ずかしくない姿でいることは義務の一つでもある。
 だから、休日やオフであっても気の抜けた格好はしない。それが高じて、自宅でも比較的きちんとした格好をしているのだけれど。
 一成の家に泊まる時に用意されるのは、普段天馬が着ないようなスウェットだ。ずいぶんとラフな格好で、おかしなキャラクターがプリントされている。
 世間一般の皇天馬のイメージとはかけ離れているし、確かに気の抜けた格好であることは事実だろう。
 一成は最初こそ、変なスウェット着てたら面白いんじゃね、という発想で用意したのだろうけれど。次第に別の意味も持ち始めたのだ、ということは一成の照れるような表情が教えていた。

「――何かレア感あるじゃん。このテンテンはオレの前だけなのかなって」

 恥ずかしそうな言葉に潜むのは、紛れもない独占欲だ。自分の前でだけ見せる姿があること。他の誰も知らない姿が見られること。優越感を口にされて、天馬の胸は甘く騒ぐ。
 一成はあまり自分のワガママを表に出さない。独占欲や優越感なんて持っていないんじゃないか、というくらい誰に対しても平等に接することができる。
 わかっているからこそ、そんな一成が見せた感情の片鱗が嬉しい。一成の気持ちを疑っているわけではないけれど、自分自身に向けられる強い感情に心が震えるのだ。
 だから天馬は、ほとんど反射的に口を開いていた。一成の気持ちに呼応するように、自分だって同じ思いを持っているのだと伝えたくて。

「オレだって思ってる。お前のそういう姿が見られるのは、オレだけなんじゃないかって」
「そういう――ってスウェットとかはたまに着てるよオレ」

 一成は比較的多様なファッションをするので、確かにスウェットもおしゃれに着こなせるし制作過程の取材で作業着姿を撮られることもある。だから、比較的ラフな姿を見せる機会はあるのだ。
 ただ、天馬が言いたいのはそこではなかったので、隣に座る一成に真っ直ぐ視線を向けると簡潔に言った。

「違う。眼鏡だよ」

 真顔で告げられて、一成は黙った。何かやたらと見られていると思ったらそういうことだったのか、と思ったからだ。天馬はさらに言葉を続ける。

「オレといる時は、ときどき眼鏡掛けてるだろ。でも、誰かが来るって時はコンタクトつけにいったりする」

 天馬と二人でくつろいでいて、お客さんが訪れる時間になると「ちょっと身支度してくんね」と言って、コンタクトを装着しに行く、なんてことは何度もあった。一成にとって眼鏡というのは、プライベートの中でもいっそう私的な部分なのだろうと天馬は思った。

「今日だって、オレが来るまで時間はあっただろうけど眼鏡のままだった。それが嬉しかった。お前の心の内側にいていいんだって思えた」

 天馬相手なら何も構える必要はないのだ、と伝えられているように思えた。気を許してくれているのだという確信になった。だから、天馬は一成の眼鏡姿を見られることが嬉しかった。
 切々と落とされる言葉に、一成は何を言おうと思う。
 だって、天馬のことが特別だなんてずっと前からそうだった。心の内側になんて、とっくの昔に入れている。天馬が特別になるなんて当たり前なのだ。
 一成の心を、取り繕わない本音を受け止めて、真っ直ぐと返してくれた時から。
 胸がいっぱいになって、上手く言葉が見つからない。いつもならよく動く口が、こんな時にはちゃんと声を吐き出せない。それでも黙ったままではいたくなくて、一成は隣に座る天馬の右手を握る。
 天馬は一瞬だけ驚いたような表情を浮かべてから、ぐい、と手を引いた。一成は当然抵抗することもなく、体はすっぽりと天馬の腕の中に収まった。ぎゅ、と抱きしめられる。

「一成」

 そっと名前を呼ばれるのと同時に、密着していた体がわずかに離れる。天馬が一成の顔をじっと見つめていて、恐らく眼鏡姿を眺めているのだろう、ということはわかった。
 だから一成は、レンズ越しに目を細めて言った。やっぱり何だか照れくさいのだ。

「テンテンが眼鏡フェチだとは知らなかったな~」

 なるべく明るい調子で言えば、天馬は一瞬虚を衝かれたような表情を浮かべるけれど。すぐに調子を取り戻して、きっぱり言った。

「別に眼鏡が好きなわけじゃない。一成が掛けてるから好きなんだ」

 あまりにもストレートな言葉に、一成は思わず固まった。耳どころか首まで赤く染まる様子に、天馬は嬉しそうに笑ってから、少し眉根を寄せて言った。

「――まあでも、こういう時は少し邪魔だな」

 言いながらそっと眼鏡に手を伸ばす。両手で丁寧に外すと、ローテーブルの上に置くのでさすがに一成も次の行動は察した。思わずぼそりとことぼす。

「今からキスしますって予告されてる感じでめっちゃ恥ずかしいんだけど」
「たまにはいいだろ」

 軽やかな笑い声を立てて言うと、天馬は一成の頬に手を添える。濡れるような瞳に見つめられると、別に初めてではないのに、この瞬間はいつもドキドキしてしまう。
 ああ、本当にテンテンってカッコイイ。心から思いながら天馬の背中に腕を回した一成は、やがて訪れる感触を待っている。








END

2023/01/07 七草粥の日