赤い糸なら信じない




 リビングに入ってきた天馬は、明らかに雰囲気が暗い。いつもの力強さはどこにもなく、重苦しい空気が周囲を漂っている。理由はわかっていたので、一成はわざとらしいほど明るい声を上げた。

「いらっしゃい、テンテン! めっちゃ張り切っておつまみとか用意しちった☆ ほらこれ、テンテンが気になるって言ってたフレーバーナッツとか、燻製チーズの詰め合わせだよん!」

 言いながら、ソファの前にあるローテーブルを示した。そこには、多種多様な味付けのされたナッツや、燻製方法にもこだわったチーズに、ピクルスやオリーブの実、ソーセージやウインナーなどが並ぶ。一成が張り切って用意したので、お取り寄せのおつまみがテーブルいっぱいに広がっている。アルコールよりも明らかにおつまみの方が多いけれど、これは想定内だ。今日は酔うまで飲むのが目的ではない。
 ローテーブルへ視線を向けた天馬は、小さく息を吐き出した。唇がゆるんで、わずかに笑みの形を作る。その事実に、一成は内心でほっと息を吐いた。
 天馬の笑みに勇気づけられるような気持ちで、一成はさらに言葉を継いだ。

「明日はオフっしょ? オレも用事とかないし、遅くまで話聞くからねん!」

 きらきらと明るい笑顔で言って、任せてほしいと胸を叩いた。天馬は二度、三度まばたきをしてから静かに答える。

「――悪いな」
「全然おけまる! てか、テンテン放っておく方が嫌だし」

 申し訳なさそうな言葉に、一成は勢い込んで答えた。天馬が悪いと思う必要なんてどこにもないのだ。これは一成が好きにやっていることだし、むしろ何もなかった顔をされるより全然いい。一成にできることがあるのだと、思えることが嬉しかった。
 諸々の気持ちを込めて、一成は言う。何かをごまかすための笑顔ではなく、天馬を安心させたいという気持ちを乗せた笑みで。

「オレの役目って感じじゃん? 別れちゃったテンテン慰めるのは!」

 力強く告げるのは、一成の純粋な本心であり事実でもあった。天馬が恋人と別れると、一成が話を聞くのが通例となっているのだ。
 だから三日ほど前、天馬から「家に行っていいか」と連絡が来た時点ですぐピンと来た。二人ともしばらく前にMANKAI寮を出て一人暮らしをしている。天馬は都内の高級マンションに、一成は郊外の一軒家だ。その一成の家に行く、と天馬が言う。
 夏組グループトークではなく、天馬個人から、理由も言わず「家に行きたい」と言われるのはどんな時なのか、一成は理解していた。普段の天馬であれば、どういう理由で家に行きたいのかも一緒に伝えてくる。それがないのは、天馬が恋人と別れたサインだ。



 MANKAIカンパニーに入団した時は高校生だった天馬も、今ではすっかり大人になった。重ねた年月と共に順調に活躍の場を広げて、MANKAIカンパニーに籍を置きつつ、世界を舞台に華々しく日々を過ごしている。三十歳を過ぎてからは大人の魅力が増したと評判で、よりいっそうファンの幅を広げていた。
 そんな天馬は、一時期を境に芸能界で浮名を流すようになった。女優やアイドル、歌手など様々な相手との熱愛報道がたびたび芸能界をにぎわせている。最初こそは、皇天馬の初スキャンダルだと大騒ぎだった。ファンの衝撃もすさまじく、ちょっとした社会現象になったくらいである。
 その時の恋人とは破局を迎えたものの、天馬は何かを吹っ切ったかのように、次々と恋人を作るようになった。ファンは戸惑っていたし、「天馬くんのイメージじゃない」と離れていった人たちも多かった。ただ、天馬は天馬だったので、一人一人に対して誠実に向き合う姿勢は変わらない。浮気なんて持ってのほか、交際中の様子がたびたび報道されてもスマートな様子がうかがえるだけだ。結果として、今では魅力的なプレイボーイとして扱われているし、男性ファンが増えたともっぱらの評判である。
 ちなみに、カンパニーメンバー(特に夏組)からは、「あの天馬くんが……」とおおいに驚かれて今に至る。
 特に夏組は「頭打った?」だとか「こういう天馬くんもかっこいい」だとか「大人のさんかくあげる~」だとか「天馬さん、めっちゃ大人って感じ!」だとか、最初の報道からにぎやかだったしそれは今も変わらない。恋人の話題が出れば、監督も含めて「大人になったんだね……」と反応されるので、天馬は毎回「大人だ!」と憤慨している。その様子は子供っぽくて、今までの天馬のようだと笑い合うまでが定番の流れだ。
 一成だってその場にいれば一緒になって笑っている。だけれど、同時に心から思ってもいた。テンテンの反応は昔と変わらなくて子供っぽいけど、すっかり大人になったなぁ、と。外見的にも年齢を重ねた深みを増しているとか、所作も洗練されて大人としてのたしなみを感じる、ということもあるけれど。純粋に思うのだ。天馬の華々しい恋愛遍歴を全て知っているからこそ。

 最初に恋人と別れた時、天馬を慰めたのは一成だった。誰にも彼にも言うような話ではなかったからだろうか。天馬は一成にだけ、「実は」と打ち明けた。その時の天馬がひどく気落ちしていたものだから、一成は一生懸命元気づけた。天馬の初めての失恋なのだろうと思ったし、どうにかして傷を癒してほしかった。その頑張りを受け取ってくれたからだろうか。天馬は、恋人と別れると必ず一成の家へやって来るようになった。おかげで、一成は天馬の恋人を全員把握している。
 全てが週刊誌に載るわけではないし、カンパニーメンバーにも逐一報告しているわけではない。だから、本当に全員把握しているのは一成だけだろう。別れるたびに聞いているので、冗談は抜いて天馬の恋愛事情なら一番詳しい自信があった。交際期間まで知っているし、順番までばっちりだ。
 天馬のこれまでの交際相手は、誰を取っても超有名人ばかり。名前の知られた女優から、世界を股にかけるアーティスト、熱狂的なファンを抱えるアイドルなど、交際が発覚しただけで大騒ぎになるような相手なのだ。そんな恋人と過ごす天馬は、夏組の天馬よりもっと大人っぽくて洗練されている。デートコース一つ取ってもセレブならではの場所だし、ドラマのワンシーンみたいな光景が繰り広げられるのだ。
 天馬がぽつぽつ話してくれた言葉からそれを知った一成は、「大人になったなぁ」と思うしかない。ドラマみたいなことを平然と、照れもしないでスマートにできるようになっているのだ。恋愛遍歴全てを網羅している一成は、感心しながら天馬の成長を感じるしかなかった。多くの人が思い描く「皇天馬」らしいデートをして、洗練されたプレイボーイとしてふるまうことできるのだから。

「――お似合いのカップルなのにねん」

 並んでソファに座った一成は、天馬に向かってしみじみ言う。度数の低いカクテル缶を開けて、二人で乾杯した。今日の目的は酔うことではないから、お互いお酒はほどほどにするつもりだった。案の定、天馬はほとんどグラスを口にすることはせず、ぽつぽつ言葉を落としていく。
 一成が来訪の理由に気づいていることは、天馬もとっくにわかっている。だから、さらりと恋人と別れたのだ、と告げる。相手として名前が出てきたのは、実力派と名高い女優だった。一成も舞台で共演したことがあるので、人となりは知っている。さっぱりした気質の人で、華やかなオーラもある。天馬と並べばとてもしっくり来るだろう、お似合いの二人だ。恐らく世間も同じように思うだろう。天馬と女優の交際報道が出れば、納得の声が上がるに違いない。

「話も合ったし、お互いに刺激を与えられると思う。だが、今は芝居に専念したいって結論になった」

 淡々と言う天馬曰く、話し合いの末円満に別れを選んだのだという。相手の女優も性格上恋人にこだわるタイプではないようで、別れ話もあっさりしたものだった。天馬の報告を受けた一成は、心からの感想をこぼす。

「さすがテンテンだよね~。別れ話が全然修羅場にならないの」

 感心しきりで言ってしまうのも仕方ない、と一成は思う。なにせ、毎回別れ話を聞いている一成は、それはもうきれいに別れていることを知っているからだ。数多の浮名を流しているのだから、どこかでこじれてもおかしくないだろうに、天馬は一切そんなことがない。天馬に負担がかかっていないので喜ばしいことだと思っているけれど、純粋に「すごくね?」と思っているのだ。
 一成とて、恋人との別れは経験している。納得するまで話し合った結果だから、どろどろした展開になったことは一度もない。天馬と同じだと言うことはできるけれど、いかんせん数が違う。一成と比べ物にならないくらい、天馬は恋人との別れを繰り返しているのに、一切泥沼にならないのだ。
 お互い悪い感情を持っての別れではないようで、恋人関係を解消したあともやり取りしているとは聞いていた。その内よりを戻すんじゃないか、と密かに一成は思っていたのだけれど、今まで一回もそんなことがなかったのは、一成が一番よく知っている。

「映画の撮影ももうすぐ始まるしな。しばらく海外だって言ってたし、集中したいんだろ」
「そういえば、超大作もの出るって話聞いたかも! テンテンも、もうすぐクランクインじゃなかったっけ?」
「来月だな。ロケも多くなると思うし、久しぶりにアクションもやるから楽しみにしてる」

 無邪気な笑みを浮かべた天馬は、撮影開始を心待ちにしているようだ。新しい作品で新しい役を生きることは、天馬の心を何より弾ませる。そんな天馬を近くで見られることが誇らしいと一成は思うし、これからもずっと見守っていきたいと思っている。
 今度の映画について、一成は脳内情報を検索する。天馬関係の情報は逐一更新しているから、すぐに該当作品がヒットする。小説が原作のアクション映画で、豪華な顔ぶれが評判だった。出演者を思い浮かべた一成は、内心で微妙な気持ちになる。もちろん顔には出さないけれど、そうそうたるメンバーにすぐ気づいた。――テンテンの元カノ、めっちゃいるんだけど。
 天馬の仕事柄か、歴代の交際相手は女優が多い。結果として、同じ作品に出演するなんて事態がたびたび起きるのだ。もっとも、全ての交際相手が報道されているわけではないし、お互いことさら吹聴する性質でなければ、付き合っていたことは当人しか知らない。だから、元カノがそろっていることに気づく人間は多くないだろう。気づくのは恐らく天馬本人と、全てを聞いている一成だけである。
 別れ話も円満だし、その後も至って普通にやり取りをしているくらいだ。元恋人だとは言っても、特に弊害が起きるようなことはないだろう。プライベートを持ち込んで作品に影響を与えるようなことを天馬がするはずもないし、天馬の選んだ相手なら同様に違いない。だから、元恋人と天馬が共演していたところで、何の問題もない。
 頭では一成もわかっているのだけれど。何となく――本当に何となく、見る気にならなかった。どうしてなのか、一成にも上手く言葉にできないけれど。裏側の人間関係を知っているから、気まずく思ってしまうのかもしれないし、まったく別の理由からかもしれない。はっきりとはわからないけれど、とにかく何だか微妙な気持ちになってしまうのだ。だから、今度の映画はもしかしたら見られないかも、と一成はうっすら予感している。
 ただ、そんな気配を天馬には悟らせたくなかった。一成はぱっと明るい笑顔を浮かべて言う。

「テンテン、マジで大人になったよねん。オレ的には予想外の方向性だけど!」

 告げた言葉は、前から思っていることだ。この場限りだけの、何かをごまかすためのものではない。天馬相手にそんなことはしたくないから、あくまでも本心を口にした。
 天馬との付き合いもずいぶん長い。幸運なことに、ずっと近くで成長を見守ってきた。だから、今天馬が立派な大人になっていることは充分知っているし、天馬なら魅力的な大人になるだろうとは思っていた。ただ、まさかここまで数多の浮名を流すようになるなんて思っていなかったのだ。

「恋多き男として有名じゃん? プレイボーイのテンテンかっこいいし、恋愛って言ったらテンテン的な?」
「一成は最近そういう話ないな」
「まあね~」

 そういえば、といった顔で言われて一成は肩をすくめた。現在一成に恋人はいないし、最近そういった話とも縁遠いのは事実だった。別れ話を聞くたび、天馬は一成の恋愛事情を尋ねるから、天馬も一成の恋人の変遷には詳しい。だから、恋人がいなくて久しいということも知っていた。

「仕事が忙しいっていうものあるけど、今はいいかなって感じ」

 グラスの酒をほんの少し飲みつつ、一成は天馬の言葉に答える。恋愛をしたくないわけではないし、恋人のいる生活が充実したものだということは知っている。ただ、最近特に仕事が忙しくなってきてプライベートに割いている時間がなかった。くわえて、どうしても恋人が欲しいという気持ちがあるわけではなかった。だから、あえて恋人作りに励むこともしていないので、天馬の別れ話を聞く時が唯一の恋愛的なイベントだと言える。

「――テンテンとこういう話してんの、なんか不思議だねん」

 へらり、と笑みを浮かべて一成は言う。思えば、恋人の話をすることが普通になっているけれど、昔の天馬は(莇ほどではないにしろ)恋バナ一つで恥ずかしがっていた。そんな天馬と、今ではお互いの歴代恋人まで把握している始末なのだ。まさかこんなことになるなんて、きっと昔のオレは思ってなかっただろうな、と一成は思う。それと同時に脳内に浮かぶのは、そもそもの発端になった時のことだ。
 初めて天馬が一成に「実は付き合ってる相手がいる」と言ったのは、一成に恋人ができて少し経ってからのこと。照れくさそうな顔がかわいかったし、天馬のハッピーな話に一成の胸も弾んだ。恋人がいる者同士の話ができるのも楽しくて、夏組で過ごす時とも少し違う、恋人の顔をする天馬が新鮮だった。
 ただ、それからほどなくして、天馬は恋人と別れたことを一成に報告した。どんな言葉を掛ければいいのか戸惑ったけれど、天馬が想像以上に凹んでいたので、一成は懸命に天馬を励ました。悲しい顔をしないでほしくて、いつもみたいに笑ってほしくて、できる限りのことをしたのだ。結局それが毎回の恒例行事となり、今日まで続いて今になっている。
 天馬に恋人ができたと知らされれば一緒に喜び、別れたと聞けば天馬が元気になれるよう励ましの言葉を掛ける。ループするように何度も繰り返しているので、良くも悪くも一成もすっかり慣れてしまった。もはや恒例行事のような趣さえある。
 だからきっと、昔のように楽しいだとか新鮮だとか、そういう気持ちだけでいられなくなっちゃったのかな、と一成は思っている。もちろん天馬の幸せは嬉しいし、天馬が悲しい顔をしたり傷ついた顔をしたりすれば、一成の胸が痛むことは変わらないけれど。ただ、それだけではない複雑な気持ちが胸にうずまいているのも確かだった。
 天馬に恋人ができたと知らされても、何だか素直に喜べない。今までの実績から考えて、またすぐに別れちゃうんじゃないか、そしたらテンテンが悲しい思いをするんじゃないか、と思ってしまうからかもしれない。
 それとも、天馬も一成も結婚を視野に入れてもおかしくはない年齢だからだろうか。天馬に恋人ができたと知った時の焦るような気持ちは、不甲斐ない自分を直視させるからかもしれない。
 はたまた、別れ話を聞いた時には悲しみの中にささやかな安堵が混じるのは、まだ独身仲間がいると思ってしまうからだろうか。ちらほらと身を固める人が増えてきた中で、置いて行かれなくてよかったと思ってしまうのかもしれない。
 具体的な理由はわからない。ただ、最初の頃のように無邪気な気持ちで天馬と恋の話をしていられているか、と問うてみればノーと答えるしかなかった。もちろん天馬にそんな素振りは見せないけれど、もやもやとした気持ちがわだかまっていることは一成も自覚している。
 とはいえ、それを表に出すつもりはない。天馬と話をすること自体は楽しいのだし、二人で過ごす時間が好きなのも事実だ。だから一成は、普段通りの顔で何でもない話をしている。
 用意したおつまみを肴に、思い出したようにグラスを傾けた。たいそうな話は一切なく、聞いた端から忘れてしまうような。ささやかな会話を交わしている内に、何だかふわふわした気持ちになってくる。そんなに飲んでないつもりだけど、お酒のせいかな、と思う一成の口からはするりと声がこぼれた。

「なんでテンテン、彼女と続かないんだろうねぇ」

 意図せず声になった言葉だけれど、これは一成の純粋な本心だった。天馬は少し意外そうな表情を浮かべたものの、不快に思っている気配はない。それを確認した一成は、さらに言葉を続ける。どうやらこの話は広げても問題がなさそうだ、と判断したのだ。

「テンテンはやさしくて、誠実で、めちゃくちゃかっこいいのに」

 しみじみとしながら言うのは、本当に不思議で仕方ないからだ。天馬の魅力なんて、一成はよく知っている。天馬が高校生の頃から、ずっと近くで見てきたのだ。天馬のひたむきさや意志の強さ。あふれんばかりの情熱にたゆまぬ努力。心を真っ直ぐ受け止めてくれること。夏組として友達として、天馬のやさしさや格好良さをずっと見てきた。
 こんなにすてきな人はいないと、一成は心から思っている。みんなが好きになるのは当たり前だ。天馬を大好きになるのなんて、疑いようもない単なる事実でしかない。それなのに、天馬は恋人と長続きしない。

「こんなにいい男なのにね」

 天馬をじっと見つめて、一成は言葉をこぼす。ソファに座ってグラスを傾ける姿も当然様になっていて、某かのワンシーンのようだ。単なる日常ですらも、天馬はドラマチックなものに変えてしまう。顔の良さはもちろん、持っている雰囲気もあわさって、天馬のいる場所はいつだってスポットライトが当たっているように思えるのだ。
 くわえて、天馬の性格である。外見だけの人間で中身が空っぽだなんてことはなく、年齢を重ねて深みを増しているくらいだ。ますます魅力的になっていく天馬なのに、一体どうしてすぐに別れてしまうのか、一成はさっぱりわからなかった。
 天馬は一成の言葉に、グラスをゆっくり傾ける。何かを考え込む沈黙を流したあと、静かに答えた。

「まあ、原因オレだからな」
「えっ」

 あっさりとした言葉に、一成は声を上げて固まる。大きな目を見開いて、まじまじ天馬を凝視したのは仕方ない。驚きを貼りつけて「何したのテンテン!?」と叫ぶように尋ねた。一成が知らないだけで、何かとんでもないことをしているのだろうか、と思ったのだ。天馬は肩をすくめる。

「別に何もしてない。ただ、何か違うなって思うだけだ」
「何が?」

 尋ねると、天馬は口を閉じた。ふいっと視線を下げて、うろうろと床の辺りをさまよわせたあと、大きく息を吐き出す。それから、一成の方へ顔を向けるとぼそりとつぶやく。うっすら目元を染めて、わずかに震える声で。

「――運命」

 ささやきみたいな声だった。聞き間違いだろうかと思ってしまうような声だったけれど、一成の耳には確かに届いたので。

「運命」
「運命の赤い糸ってあるだろ」

 思わず繰り返すと、天馬は真顔で答えた。恥ずかしさは抜けないようで、耳も赤いし瞳も心なしか潤んではいるけれど、それでも確かな声をしていた。照れくさそうに、恥ずかしそうに、だけれど心から疑っていない声。
 受け取る一成は、しばし呆けたように天馬を見つめる。なにせ、天馬とは長い付き合いである。天馬が冗談を言っているのか本気で言っているのかくらい、わからない一成ではない。もしも冗談だったら、天馬の態度はもっとわかりやすい。楽しげに笑って、軽やかに告げるだろう。しかし、天馬は心底恥ずかしそうに言ったのだ。それは恐らく、自分が本心から思っていることが柄にもない、ということを自覚しているからだ。
 すぐに察した一成は、ぱっと笑顔を浮かべた。テンション高く、興奮しきりで叫ぶように言う。

「テンテンかわいい~!」

 がぜんテンションが上がってしまった。すっかり大人になって、今では年相応の落ち着きを持っている天馬から、「運命の赤い糸」なんて言われたらこうなってしまうのは道理だった。ええ、何それ、テンテンめちゃかわじゃん!?

「待て、一成。何か勘違いしてないか。別にオレは、本当に『運命の赤い糸』があるって信じてるわけじゃなくてだな。概念というか、そう思える相手がいるんじゃないかっていう……」
「うんうん、おけまる! つまりテンテンは、ビビッと来る相手がいるはずだって思って、相手を探してる的な!?」
「まあ、そうとも言えなくはないが……。他とは明らかに違う、この人だけだって相手がいるんじゃないかって思ってるだけだ」

 きらきらとした笑顔で相槌を打つ一成に、天馬はぽつぽつ言葉を続ける。天馬とて、恋人をとっかえひっかえすることを楽しんでいるわけではない。一人一人と誠実に向き合っているし、付き合いはいつだって真剣だ。できれば長く交際したいと思っている。しかし、恋人としての時間を重ねる内に、毎回「違う」と思ってしまう。決して魅力がないわけじゃないし、女性として素晴らしい人だとは思う。ただ、運命の相手かと言われれば違うと感じてしまうのだ。

「何となくで付き合うこともできるが、そういうのは良くないだろ。最初は『もしかしたらこの人かもしれない』って思うんだけどな。やっぱり違うって思って付き合いを続けるのは、相手に不誠実だろう」

 真剣な顔をした天馬の言葉に、一成は「なるほど」と思う。恋多き男して有名になったとはいえ、天馬は決して女遊びが派手なわけではないのだ。毎回、一人一人ときちんと付き合っていることは知っている。ただ頻度が多くて期間が短いので、世間からはプレイボーイ扱いされているだけである。
 理由については、今まで深く問うことはしなかった。意外とテンテンってば惚れっぽいのかなとか、情熱的で人を大切にするから恋に発展しやすいのかも、なんて自分なりに納得していたのだけれど。まさか「運命の赤い糸」なんて言葉が出てくるとは思わなかった。
 本人はそれをそのまま信じてるわけじゃない、なんて言うけれど、運命そのものを否定してるわけではない。むしろ、「運命の相手」を信じているからこその今までの行動なのだ。