赤い糸なら信じない : Back Stage
ひとしきりお互いを抱きしめあったと、ゆっくり体を離す。一成は照れた顔で「オレ、ベッドの用意してこよっかな」とつぶやく。普段一成の家に泊まる時は、一成が客室のベッドメイキングをしてくれるのだ。天馬は笑みを刻んで「一緒に寝るか?」と声を掛ける。
一成は「それはもうちょっとあとのお楽しみだねん!」と茶化すように答えるけれど。耳は真っ赤に染まっているし、声も心なしか上ずっていた。友達としてのハグなら何度だってしてきたものの、あらためて「恋人同士として」互いの体温を分かち合うというのは、気恥ずかしさが抜けないのだろう。
ベッドの用意をしてくる、なんて言い出したのが照れ隠しからだということは、天馬も察していた。普段やたらとスキンシップが多いくせに、恋人としての触れ合いは恥ずかしいのだろう。今まで友達という関係を結んでいたからこそかもしれない。
ただ、嫌がっているわけではないこともわかっている。どちらかと言えば、きゅんきゅんしすぎてじたばたしそう、という方向性だ。そこから、一旦落ち着きたいという意味でベッドの用意をしてきたい、と言ったのだ。
理解している天馬は、「悪いな」と言って一成を送り出した。働かせてしまうことへの申し訳なさはあるけれど、ゲストのためにあれこれ用意をすることが好きなのも知っているし、ここは素直に甘えることにしたのだ。
一成は天馬の気持ちを受け取って、客室へ向かった。背中を見送った天馬は、リビングの扉が閉じられたことを確認すると大きく息を吐き出した。それまで浮かべていた笑顔はすっかり拭い去られて、眉間には深いしわが刻まれている。
漂う雰囲気は物々しく、思い詰めたような表情だ。ぐっと唇を噛んで、にらみつけるような強いまなざしが浮かぶ。さっきまでの空気は一切なかった。表情は険しくて、ただ重苦しい。
天馬は再び大きく息を吐き出したあと、意を決したように立ち上がる。リビングの扉近くまで歩いていって、耳を澄ます。ベッドメイキングにはそれなりに時間をかけるとは知っていたけれど、一成が戻ってくる気配がないか、入念に確認する。廊下を行き来するような足音も聞こえないし、恐らくまだ帰ってはこないだろう。判断した天馬は、ポケットにしまっていたスマートフォンを取り出した。
手早くパスコードを入力して、画面を起動させる。その間も、一成が戻ってこないだろうかと周囲への警戒は怠らない。緊張感を漂わせる顔に、いつものような明るさはまるでなかった。夏組として舞台に立つ時の、まばゆいまでの光は一切ない。苦悩を浮かべたような表情は剣呑で、強大な敵に挑むような悲愴ささえ感じられた。
天馬は一成を警戒しながらも、スマートフォンを操作する。LIMEのグループトークにアクセスすると、素早くメッセージを送信。
――祝杯の準備をしてくれ
それだけ送って息を吐き出す。すると、すぐに返事があった。相手は万里で、天馬の投稿先はリーダーズのグループトークだった。
――やっとかよ
――天馬の勘違いじゃねぇの?
揶揄するような響きに、天馬はますます深く眉根を寄せる。ぐっと唇を噛みながら、画面をにらみつけるような表情で返事を打ち込む。
――ちゃんと言質は取った
――こわ
勘違いではない、という点を主張すると軽口が返ってくる。それに返事をしてから、今までの経緯を説明するために文字を打ち込んでいくと、天馬の唇には勝手に笑みが浮かんでいた。気づいた天馬は、こほん、と一つ咳払いをして再び厳めしい表情を作るけれど。
――よかったね、天馬くん!
咲也からのメッセージまで返ってきたら、天馬の唇は再びゆるむ。いつだってあたたかな、春の陽だまりみたいな咲也の言葉だからだろうか。天馬の心を一瞬で溶かしていくような言葉に、表情が勝手に明るくなる。
鏡なんて見なくてもわかった。どうにか取り繕って、厳しい顔をしていたのに。今の自分は盛大ににやけているだろうな、と天馬は思う。険しい表情を浮かべていないと、きっとすぐにだらしない顔になる。わかっていたから一生懸命こらえていたのに。一成は笑ったりしないとはわかっていたけれど、もうちょっと格好つけたかったのだ。気を抜いたら、絶対ににやけてしまう。
――ずっと見守ってたから、オレも嬉しいな
言葉だけのメッセージでも、咲也がどれだけ喜んでいてくれているのが伝わってきて、天馬の胸は弾んだ。心からの祝いが嬉しいし、天馬の顔にはすでに全開の笑みが浮かんでいる。咲也を相手にしたら、天馬はどうにも素直になってしまう。それに、ずっとこの日を待っていたのも事実だった。
一成に格好悪いところを見せたくなくて、にやけた表情をしてはいけないと気を張っていたけれど。眉間に力を入れて、唇を結んで、にらみつけるみたいな視線を浮かべていなければ。思い詰めたような顔をしていなければ。そうしなければだらしなく笑ってしまうと、悲愴な決意をしていたけれど。
結局のところ、天馬はそんな顔を長く維持なんてできなかった。だってずっと待っていたのだ。ずっとこの日を夢見ていたのだ。胸が躍って心が弾んで、今なら何を言われても無敵でいられる気がした。世界中全てに感謝したいくらいだ。
――そうだね。天馬くん、よくがんばったね
ぽこん、と浮かぶメッセージは紬からのものだ。他の二人より時間がかかったし、内容も短いけれど。機械が苦手な紬が、一生懸命送ってくれたのだろう。心のこもったおだやかな言葉は、天馬の胸にしみじみと染み込んで「本当にな」と思う。本当によくがんばったよな、と天馬はあらためて思っていた。
一成に恋人ができたことにショックを受けて、天馬は恋心を自覚した。自覚した瞬間に失恋する恋だった。
どんな話の流れだったのかは、あまり覚えてない。ただ、一成がやけに嬉しそうに、そわそわしながら「実は」と切り出したのだ。あのね、テンテン、オレ彼女ができたんだ、と。
瞬間天馬は頭を殴られたような衝撃を受けた。呼吸が浅くなって、息が苦しい。世界が真っ暗になった気がして、何かの病気かと思ったくらいだ。ただ、すぐに天馬は理解した。恋人ができたと聞いた時、真っ先に浮かんだのが「嫌だ」という言葉だったから。
一成の一番が自分じゃないなんて。自分以外の人間を特別にするなんて。そんなのは嫌だと、子供みたいに駄々をこねて暴れまわりたかったし、そんなのは耐えられないと思った。
初めて自分を友達だと言ってくれた相手だからこその執着だろうか、とも考えた。しかし、あまりにも強烈な自分の気持ちは、友情だけで済みそうになかった。祝うべきことだと頭では理解していたのに、心はまるでうなずかない。演技力を総動員して、表面的にはきちんと「よかったな」なんて言えたけれど。天馬は一成が恋人と仲睦まじく過ごしている場面なんて絶対見たくなかったし、自分でも驚くくらいショックを受けていた。
食欲なんて一切わかなかった。夜もなかなか寝つけない。仕事に支障が出ないよう気合いでどうにかしたけれど、天馬の様子がおかしいことは周囲にも伝わった。ただ、今度出演する映画で、天馬が陰のある青年を演じることが功を奏した。精神的に不安定な役柄であることから、役作りの一環だと思われたのだ。無理はしないようにという心配はありがたく受け取りつつ、天馬は勘違いを利用して感傷に身を浸した。一成への失恋なんて、一切匂わせず。
悲しみやショックを受け止めた天馬は、どうにか自分の心を立て直した。一成とこのまま疎遠になることを望んでいたわけではないし、夏組として友達としてこれからも仲良くしたいのだ。どうにか吹っ切らなくては、と思っていた。
どうすれば気持ちを切り替えられるのか。一成に聞いたら「新しい恋が一番だよん」なんて言いそうだな、なんて考えていた。そんな時に、今度の映画で共演するアイドルに言われたのだ。作中で恋人同士を演じる二人が、実際に恋人になるのって話題作りにちょうどよくない?と。
ビジネスのための打算的な提案であることはわかっていた。ただ、一成を吹っ切るためには新しい恋を始めてみるのも悪くないな、と天馬は彼女の言葉にうなずいたのだ。あとから考えれば、自暴自棄になっていた可能性は否めないけれど。もしかしたら、実際好きになるかもしれない、という望みはあったのだ。共演していく内に、芝居に対して熱心で貪欲な部分を感じ取っていたし、悪い印象がなかったこともある。
そこから二人は「交際」をスタートさせて、個人的に連絡を取り合ったり、一緒に出掛けたりするようになった。もっとも、お互い恋愛感情はないので、特に甘酸っぱい空気になることもなかった。ただ、カンパニーメンバー以外と出掛けるのは新鮮だったし、最終的に芝居の話になるので思ったよりも楽しく過ごすことはできた。
いずれ交際報道が出ることは織り込み済みだったので、その前に一成には自分から報告した。不意打ちで恋人の話を聞かれたらボロが出てしまうかもしれないし、自分のタイミングで話をしたかったのだ。一成は、天馬の予想通りとても喜んでくれた。テンション高くあれこれ聞いてきて、楽しそうに話してくれる顔が嬉しい。同時に、一片の曇りもない笑顔は天馬が恋愛対象外であるという事実を突きつけて、密かに凹んでいた。
世間に天馬の熱愛が報じられてからは、身辺が大騒ぎになった。とはいえ、全ては予想済みだったし事務所にもきちんと報告している。別にやましいことをしているわけでもないし、それほど大変だとは思わなかった。一時は加熱するとしても、時間が経てば落ち着くということを理解していたからかもしれない。
案の定、少しずつ周囲は平静を取り戻していって、天馬にはいつもの日常が戻ってきた。このまま交際を続けていくことはできただろう。しかし、お互いついに恋愛感情が芽生えることはなかったし、映画も無事に公開された。注目を浴びたおかげか、予想を上回る動員数となっていて目的は果たしたと言える。それならば、このまま付き合っている意味はないと判断して、円満に別れを選んだのだ。
一応一成にも言っておくか、と思ったのはデートプランや行き先など、何かと相談に乗ってもらったからだ。何も聞かなくなれば察するかもしれないけれど、話を聞いてもらった相手なのだし、報告はしておいた方がいいだろう、といくらいの軽い気持ちだった。
もっとも、別れ話を報告するのにあっさりしすぎているのもどうか、というわけで天馬は悲しい顔をすることにした。幸い天馬は役者である。悲嘆にくれる演技なんてお手の物だ。どうせなら、大失恋した体で盛大に悲しんでみるか、と思ったのはちょっとした悪戯心である。
すっかり憔悴した顔をして、一成の自宅を訪れた。絞り出すように恋人と別れたのだと告げれば、一成はあまりにも痛々しい表情を浮かべるので、「やりすぎた」と天馬は一気に血の気が引くのを感じた。一成を悲しませたり、傷つけたりしたいわけじゃなかったのに。罪悪感に体を硬直させていると、一成はそれを失恋のショックだと思ったのだろう。
やわらかく目を細めた一成は、天馬をそっと抱きしめた。「大丈夫だよ」と安心させるように言って、ぽんぽん、と背中をなでる。天馬の傷ついた心を癒そうとするみたいに、天馬をやさしく包み込む。
途端に天馬の心臓はドッと音を立てるし、顔も真っ赤に染まったけれど。天馬を抱きしめる一成によく見えていなかったのは幸いだろう。ただ、動揺しているのは事実だから「一成!?」と呼ぶ声が上ずってしまった。
一成は気にすることなく、ぎゅっと天馬を抱きしめる。やさしい声で、「別れるのって辛いよね」やら「今日はテンテンの好きなこといっぱいしよっか」なんて言ってくれるので、罪悪感がますます募った。それはそれとして、心臓はまだドキドキしていて、一成に抱きしめられているという事実に胸が高鳴って仕方がない。天国と地獄を同時に味わうような感覚に、天馬は動けずにいた。
とはいえ、さすがにこのままでいるわけにはいかない。天馬が想像していた以上に親身になってくれた、ということが嬉しかったのは事実だ。ただ、一成を騙すのは気が引けるし立ち直ったという顔をして、家を辞した方がいいと判断した。
だから、「大丈夫だ、ありがとうな」と言おうとした。しかし、その瞬間突然電話の音が鳴り響く。一成のスマートフォンへの着信だ。
一成がどうしよう、という雰囲気を漂わせているのに気づいた天馬は「出ていいぞ」と声を掛ける。すると、一成は申し訳なさそうに体を離すと、机に置いてあったスマートフォンを手に取る。通話ボタンを押して口にした名前は一成の彼女からのものだった。
その名前に天馬の胸が騒ぐ。話題作りのためとはいえ、恋人として付き合った相手はいる。しかし結局、天馬に恋心が芽生えることはなかったし、一成への気持ちだって吹っ切れなかった。多少は落ち着いたものの、未だに恋心はくすぶっている。一成に抱きしめられた時に感じた胸の高鳴りや、恋人の名前を聞いた時の胸が詰まるような感覚は、恋心が息づいていることを天馬に知らしめたのだ。
盗み聞きは良くないと思いつつ、一成の電話内容が気になって仕方ない。つい耳をそばだてると、どうやらこれから会えないか、といった話をしているらしい。一成に今日予定がないことは、天馬も知っている。だからこうして一成の家を訪れることができたのだ。一成が恋人を大事にしていることは知っているし、隙あらば二人きりで過ごしたいと思うタイプであることもよくわかっている。だからきっと、一成はうなずいてこれから出掛けるか、それとも恋人が家に来るのかもしれない。
どっちにしろ長居はできない。慰めてくれて嬉しかったと、感謝の気持ちを伝えて立ち去ろうと、天馬は思ったのだけれど。
――うん、ごめんね! 今日はちょっと、テンテンと一緒にいたいから!
通話している一成の言葉に、天馬はびくりと肩を震わせる。待て。今、一成は何て言った?
都合のいい幻聴だったんじゃないか、と思っている間に、一成は二言三言会話を交わして通話を終える。スマートフォンを机に置く横顔に、思わず天馬は話しかけた。彼女と会うんじゃないのか、と。すると一成は困ったように笑って答えた。
――今はテンテンのそばにいたいなって思って。今日はごめんねって感じ!
告げられた言葉に、天馬の胸には言いようのない感情があふれる。心臓がドキドキと早鐘を打つ。体が熱い。血管が沸騰してしまったみたいだ。だってこんなこと、想像していなかった。
一成は愛情深い人間で、恋人に対しても真っ直ぐ愛を伝える。恋愛イベントも大好きだし、恋人には何でもしてあげたいと公言してはばからない。相手をお姫様のように扱って、ワガママだってかわいいなぁなんて思っていると知っている。そんな一成が、「会いたい」と言われたなら十中八九駆けつけるはずだった。仕事を放り出すようなことはしないけれど、今は純然たる自由時間だ。すぐに恋人の元へ行ける。
天馬がいるとしたって、あくまで友人でしかない。一成はやさしい人間だから、失恋した友人を放り出すことができないのかもしれないけれど。それでも、天馬は友達の一人だ。恋人という特別な相手ではない。
だから一成は恋人の元へ行ってしまうのだろうと思ったのに、そうじゃなかった。一成は今、恋人ではなく天馬を選んだのだ。
事実として認識した天馬は、無意識のうちにぐっと拳を握りしめた。あくまで今の自分は一成の友達でしかない。それでも今、恋人よりも天馬を選んだという事実があるなら。恋人よりも天馬を優先してくれるなら。それならオレは、まだ戦えるんじゃないかと天馬は思った。
自覚した瞬間に失恋してしまったから、一成にアプローチすらできなかった。単なる友達として夏組の仲間として接していくしか道はないと思っていた。だけれど、一成は今恋人よりも天馬を優先した。その実績があるなら、もしかしたらまだあがく余地があるのかもしれない、と天馬は思った。
だって結局、天馬は一成を諦められないのだ。未だに恋心は胸の奥で燃えているし、新しい恋は始まらなかった。一成に抱きしめられれば夢心地だし、恋人の存在には嫉妬する。今もまだ、一成への恋心は生きている。
友達である自分にチャンスはないと思った。一成のことなので、恋人は特別な存在であり、単なる仲間の一人では太刀打ちできないだろうと。しかし、現実は違った。たとえ特殊な状況下という条件が加味されているとしたって、今一成は、恋人よりも天馬を優先してくれたのだ。
だからそれなら、まだチャンスはあるかもしれない。ただの友達から、もっと特別な存在になるための余地はあるのかもしれない。わずかな希望の光が見えたことで、天馬は決意した。
少しでもチャンスがあるなら、オレは戦える。始める前に終わってしまった恋だと思ったけれど、まだ遅くはない。どれだけ細い道だとしても、簡単に諦めてたまるか。いくら時間を掛けてもいい。一成を振り向かせてやる、と密かに天馬は決意を固めた。
とはいえ、すぐに恋愛的なアプローチをするのは得策ではない。長い間ずっと友人関係を続けてきたのだ。いきなり恋愛対象に見てくれと言われても、一成は困惑するだろう。夏組やカンパニーの目もあるし、そもそも一成の性格からして告白されたからといって、天馬を邪険に扱うことはない。ただ、天馬の気持ちに応えられないと悩む姿が想像できる。
天馬は一成を困らせたいわけではない。それに、友達としてしか見られない、なんて言って振られる可能性は低くしたい。だから、天馬は時が来るまで待つことにした。少しずつ、少しずつ、天馬を意識させて、自分に気持ちを向かせるのだ。友達としての感情がゆるやかに恋心へと変化していくよう、じっくり時間をかけていく。焦らずゆっくりと、あくまで友達の顔をして、夏組の仲間としてずっと一成の近くにいながら。
ゴールを決めたら、あとは実行するのみだ。目標に向かってまい進するのは、天馬の得意とするところである。いずれ一成を振り向かせるための日々が、密やかに始まった。
何をしたらいいかと考えた天馬は、まずは友達の顔を完璧に演じることにした。時間を掛けて一成を振り向かせるには、近い立場にいる必要がある。そのためには、恋心はかけらも表に出さない方がいい。友達であり夏組の一人という位置で、一成に寄り添っていくのだ。
天馬の気持ちに気づいたら、否応なく関係は変わってしまう。一成の気持ちが天馬に向き始めた段階ならまだしも、まだ単なる友達としか思われていないのなら、振られる可能性の方がよっぽど高い。だからそれまで、天馬は自分の恋心を一切隠すことにした。
単純で素直。思ったことがすぐ顔に出る。一成や夏組が思う「皇天馬」を完璧に演じきる。一成への気持ちは隠し通して、いずれ訪れる「その時」を待つのだ。
決意した天馬は、全身全霊を込めて今まで通りの皇天馬を演じた。もともと演技力はピカイチの人間である。天馬が本気を出して友人の顔を演じていれば、誰も怪しまない。
夏組に気づかれれば一成に伝わる可能性が高くなると判断して、天馬は夏組の前でも徹底的に友人の顔をし続けた。一成の提案に振り回されて文句を言って、だけれど最終的には楽しんで、「仕方ないな」なんて笑っている。一成にからかわれたら本気で憤慨するし、おだてられれば気分を良くして「単純」だと言われる。困っていれば手助けをするし、アドバイスも惜しまない。友人としての親愛だけを表に出して、天馬は日々を過ごした。
それまでの天馬を徹底的に演じたおかげで、夏組の誰にも気づかれることはなかった。やたら察しがいい幸や妙に勘のいい三角からも何も言われていないし、恋愛センサーが敏感な椋や言語化はできずとも違和感に気づく九門も、特に反応はなかった。何より、他人の気持ちを感じ取ることに長けている一成が、一切天馬の恋心に気づいていなかった。全ての演技力を総動員した天馬の芝居は、見事に全員を騙しきっていたのだ。
本当は、些細な瞬間で何度も一成が好きだと思っていた。心底楽しそうに笑う顔も、絵を描く真剣な横顔も、お酒を飲んだ時の落ち着いた口調も。天馬を見つけて手を振る姿も、やさしく名前を呼んでくれる声も、舞台に立つ時のきらめきも。何もかもが天馬の胸を焦がした。好きだと思ったし、一体何度手を伸ばして抱きしめたいと思ったかわからない。
だけれど、まだその時じゃないと天馬は自分を律した。一成の気持ちは、あくまで友達に対するものでしかない。だからそれなら、今じゃない。もっと一成の気持ちがこちらに傾くまで待つのだ。それまでずっと、友達の顔をしているのだ。
決意している天馬は、演技力の全てを使って友人として一成の隣に立っていた。恋人になった暁には種明かしのつもりで教えてやろうか、なんて思ってはいたけれど、きっと驚いた顔をしてくれるだろう。なにせ、リーダーズにも一切気づかれないくらい完璧に、天馬は一成への恋心を隠し通したのだから。
夏組から伝わる可能性を考慮して、夏組には言っていなかった。ただ、カンパニーの協力者が欲しい場面はあった。それぞれ寮を出ているとはいえ、カンパニーとのつながりが消えたわけではない。仕事の面でもそうだし、プライベートでも変わらず関わり合いがある。ちょっとした場面で二人きりになりたい、なんて時は協力者がいてくれた方がスムーズだ。それ以外でも、一成への恋をアシストしてくれる存在は必要だと考えて、天馬はリーダーズに打ち明けることにした。
各組リーダーという立場から、夏組の次に頻繁に顔を合わせているメンバーということもある。感情の機微にも聡い人たちなので、有益なアシストを期待できそうだという期待も込めての人選だ。ただ、そのメンバーをもってしても、天馬の恋心には一切気づいていなかった。
久しぶりに四人で顔を合わせた時「実は」と打ち明ければ、心底驚いた顔をしていたくらいである。心理学にも通じており、感情の動きに敏感な紬さえ目を丸くしていたのだから、天馬の演技力は相当なものだったのだろう。
もっとも、事情を聞いた三人はすぐに協力を快諾してくれて、機会があれば天馬と一成を自然に二人にしてくれた。積極的に天馬の印象的なエピソードを語るなど、天馬がいなくても存在を感じられるようにするなど、折を見てはアシストをしてくれてありがたいと思っていた。もちろん天馬の恋心はしっかり隠してくれていたし、さすがは全員役者である。本気を出して芝居をすれば、一成もさすがに気づかなかった。
それ以外にも、天馬の悩みを聞いて応援して、時にはエールも送ってくれるなど、リーダーズの存在には助けられた。何より、長い間ずっと見守っていてくれたのだ。「二人が無事に付き合ったら祝杯を上げよう」なんて約束を交わすくらい、ずっと。
だからすぐに報告したくて、天馬はLIMEを送った。この言葉だけで意図は伝わるとわかっていたから。案の定三人は喜んでくれたし、ようやく今日という日が訪れた。やっと全員で美味い酒が飲めるな、と天馬は思っている。
長かったのだ、本当に。しみじみと思う天馬は、今日までの日々を回想している。あくまで友達の顔をして、それでも自分を意識させるために何をするべきか。考えた結果辿り着いた一つの結論が、恋人と別れるたび一成に話を聞いてもらうことだった。
最初に天馬を優先した一件から、天馬は考えた。センシティブな話だから、他の夏組がいないのもうなずける。二人きりで会う口実にはぴったりだ。さらに一成は傷心の天馬に対してはことさらやさしくなる。同情だとしても、心を寄せてくれるなら最大限利用したい。くわえて、別れ話という恋愛イベントならば自然と恋愛の話がしやすい。天馬が恋人に向ける顔を意識させることができるし、単なる友達以外の顔を一成に印象付けることができる。
そう判断した天馬は、恋人と別れるたび一成の家を訪れる。慰めてもらうふりをしながら、天馬は注意深く一成の様子を観察していた。
そのために、天馬は何人も恋人を作っては別れてきたのだ。浮名を流すことも、交際を繰り返すことも単なる副産物でしかない。意味があるのは別れること、それだけだ。
もちろん仕事に支障の出る付き合い方はしない。ファンに顔向けができないこともしないし、誠実に対応することは心掛けた。少なくとも、今まで天馬が交際してきた相手を傷つけたことは一切ないと誓える。なにせ、天馬は全員にきっちり事情を説明しているのだから。
好きな人がいて振り向かせるために、一回付き合って別れたい。事前に伝えてうなずいた相手とだけ、短期間の交際を繰り返しているのだ。皇天馬との熱愛報道、というのは話題性も抜群だ。実際に報道されることがなくても、業界内で全てを秘匿することは難しい。「あの皇天馬と付き合っている」という話が業界で出回るだけでも、大きな影響力を持つ。だからこその関係だ。
天馬の名前を利用しているというのが正しいのだろうけれど、それはお互い様である。天馬だって、一成を振り向かせるために交際をしたいだけで、誰にも恋愛感情を抱いたことはない。
もっとも、大々的に言えるわけがないので、天馬は「運命の赤い糸」の話を持ち出した。ゆくゆくは種明かしをするつもりではあるけれど、それまでは複数人と交際している理由をでっちあげる必要があった。それに、女性をとっかえひっかえしたいわけではない、という主張もしたかった。
どんな話でも一成はうなずいてくれるだろうとは思ったけれど、どうせならかわいらしい話にしよう、という意図もあった。誠実さもアピールできるし、一成も喜ばせられる。一成は天馬のことを、ピュアな少年だと思っている節があるから、望んだ通りに振る舞うことにした。
「運命の赤い糸」なんて、天馬はかけらも信じていない。無邪気な少年時代はとっくに通り過ぎて、一成を振り向かせようとあれこれ画策している始末だ。ただ、一成が望む姿を見せるためなら全力で演じるし、必要なら嘘だって吐く。一成がかわいいと思ってくれるなら、それで充分だ。
あくまで友達の顔をしながら、天馬は一成が自分に向ける気持ちを、注意深く観察してきた。あどけない子供みたいに思われていることは知っていたし、最初はそれこそ兄のような気持ちで天馬に接していたことも知っている。友達ではあるものの、年上という手前一成は天馬を子供扱いすることが多々あるのだ。
もどかしく思いながらも、天馬は素知らぬ顔で行動した。あえて普段とは違う弱った顔を見せたり(失恋したという設定を有効活用した)、「いつも世話になってるからな」と夏組以外に特別なお土産を買ってきたり。その時は「他のやつらには言うなよ」と秘密を共有することも忘れない。
「相談したいことがある」と言って二人で出掛けて、恋愛の話を長い時間話し込む。「こんな話ができるのは一成だけだ」とか「一成の前だと、何でも話せるな」とか、少しずつ特別感を出していく。もちろん全ては純然たる天馬の本音ではあるけれど、あくまでも友達の顔をしながら、それでも一成がいかに特別なのかを伝えていくのだ。全てにおいて、少しずつ恋愛の要素を重ねながら。
すると一成は次第に、「テンテンと付き合ったら楽しそうだな~」やら「テンテンって恋人にはこういう感じなんだねん」だとか、恋人としての天馬を意識するようになっていった。友達の顔としてではなく、恋人の顔を見ることが自然になってきたのだ。
今まであくまでも友達としてしか認識していなかった一成には、大きな変化だった。少なくとも、一成の中で「恋人としての天馬」のポジションができたのだから。
内心で事態が進展したことを喜ぶ天馬は、さらに一成に対して踏み込んでいく。「一成と一緒にいると安心できる」とか「一成と会えると思ったら、早く今日にならないかって思ってた」なんて、冗談めかしながらも一成への好意を口にする。一成は面白そうに笑っていたけれど、満更ではなさそうだった。他とは違うのだと、特別なのだ、という言葉を受け取ってくれていたし、恥ずかしがるような気配があった。
さらに天馬は気づいていた。長い間一成のことを注意深く観察していたからだろう。近頃の一成は、天馬と二人きりになると密かに顔を輝かせる。明るくぱっと笑って喜ぶのではなく、噛みしめるように二人でいられる時間を抱きしめるような気配があった。それに、天馬に恋人ができたと報告した時、一瞬だけ複雑な空気を感じることもあった。すぐにぴかぴかした笑顔で、「おめでと!」なんて言ってくれるけれど。何かを押し殺すような雰囲気を天馬は察していた。
極め付きは、天馬が別れを報告した時だ。もちろん一成は一生懸命慰めてくれるし、悲しい顔をした天馬と一緒に辛そうな表情を浮かべるけれど。最初の頃に比べた悲壮感はずいぶんマイルドになっていた。あまりにも繰り返したから慣れたという側面だけではない。天馬が恋人と別れたという事実にほっとしているような気配があった。
だんだん機が熟している、と天馬は察していた。最近一成に恋愛の噂は聞かないし、そもそも女性と一緒に時間を過ごすことがほとんどない。恋愛に関係なくイベントに出掛けたり夜の街で遊んだりする人間だったのに、すっかり落ち着いている。年齢相応になったのだと言えるかもしれないけれど、天馬の恋人報告を複雑な顔で聞くようになってからのことだと、天馬は気づいている。
無意識のうちに一成の気持ちの向く先が天馬になっているから、女性と遊ぶ気持ちにならないんじゃないか、と天馬は予想していた。うぬぼれかもしれない。だけれど、一成の気持ちが少しずつ傾いているのは間違いではないはずだ。
そんな状態だったから、そろそろ一成が自覚するかもしれないと思っていた。期待しながら天馬は一成の家を訪れて、別れ話を聞いてもらった。すると案の定、一成は天馬の別れ話に安堵を忍ばせるし、天馬の魅力を語り、天馬の心をやさしく受け止めてくれた。まだ自覚はしていない。それでも、ゴールは決して遠い未来じゃない。少しでも表に出したらそれがチャンスだと思った天馬は、わざと寝たふりをすることにした。
一成のことだ。天馬に直接何かを言うのはハードルが高い。ただ、眠っている相手ならぽろりと本音をこぼすかもしれない。そう考えて狸寝入りを決め込んだのだ。一成はブランケットを掛けてくれてやさしいなと思ったし、近くで見つめられて内心ものすごくドキドキしていた。当然表には出さないよう気を張り詰めて、全力の寝たふりをしていた。
すると、一成はぽろりとつぶやいた。オレを恋人にしてくれたいいのに、なんて。
寝たふりをしていた天馬は、今がチャンスだと目を開けた。ずっと注意深く一成を観察してきた。虎視眈々と機会をうかがっていた。絶対に逃してたまるか、と天馬は一成に一気に畳み掛けた。恋人にしてくれたらいいのになんて。そんなの全力のイエスに決まってる。どれだけ長い間、恋人にしたくて頑張ってきたと思ってるんだ。
内心なんて一切表に出さないまま、天馬は一成に切実な言葉を並べて、恋人という立場を獲得したのだ。
長かった。本当に長かった。今までのことを思い返した天馬は、心の底からしみじみと思う。いつまでだって感傷に浸れるし、自分のことを褒めたたえたい。ただ、リビングの向こうからぱたぱたと軽い足音がして、天馬は我に返る。一成が戻ってくる気配に、スマートフォンをポケットにねじこんだ。リーダーズとのやり取りを見せるわけにはいかないのだ。
一成に話したところで、全て笑って受け入れてくれることはわかっている。ただ、一成は天馬のことをちょっと子供っぽくてかわいい男の子だと思っているのだ。それなら、まずは一成の持つイメージを守ってやりたかった。いずれ言うにしても、今はその時じゃない。もう少し時間が経って、天馬のことを大人の男だとはっきり認識するまでは、黙っておくことにしたのだ。ずっと機会をうかがって、一成を振り向かせようとあれこれ策略を巡らせていたなんて、いつだって真っ直ぐな“テンテン”らしくないから。
そんなことを考えていると、リビングの扉が開く。「ベッドの用意できたよん!」と言うので、「ありがとな」と返す。
「アロマディフューザーもセットしてきたから、いい香りだよん。オレのおすすめ! テンテン、もう寝る?」
にこにこ笑顔を浮かべて、一成がソファに近づいてくる。天馬が「目は覚めたから、まだ平気だ」と答えると一成は少しだけ考えたあと、天馬の隣に座った。いつもより近い距離で、ぴったり体がくっついている。一成がはにかんで、ぽつりと言う。
「何かちょっと照れんね」
目元を染めて、眉をへにゃりと下げてそんなことを言うので。真正面から受け取った天馬は「かわいいな」と思う。前から知ってたが本当にこいつかわいいな、といっそ感心するような気持ちだった。
「――そうだな。でも、恋人なら普通だ」
ずっと望んでいた距離。恋人だからこそ許されること。噛みしめながら言って、天馬はそっと手を伸ばした。指先が触れそうな位置にあった一成の手を、意志を込めてぎゅっと握る。
友達だった頃は、いくら近くにいてもこんな風に手を握ることはできなかった。舞台の上の特別な場所ならいざしらず、日常の些細な瞬間で手をつなげるのは、恋人という関係性だからだ。
一成はびっくりしたように瞬きをしてから、唇に笑みを刻む。それから、天馬の手を握り返してくれるので、天馬は満たされる喜びに胸を震わせる。
つないだ手と手。この指に赤い糸は見えない。だけれど、天馬は別にそれでもよかった。あるかどうかもわからないものを信じるつもりはなかったし、運命なんて自分で手繰り寄せる。欲しいものは必ず自分で手に入れると決めているのだ。その決意が正しかったことは、今この手の中にある温もりが教えている。
やわらかな体温を手のひらで感じながら、天馬は思っている。
長い時間を掛けて、ようやく手に入れた。たった一人の特別。オレの恋人。ずっと欲しかったものが、ようやくオレの手の中にある。絶対に手放さないから、覚悟しておいてくれ。
END